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高島亮樹
アイヤ会の皆さん、こんにちは!私は東京都日野市に住んでいる高島亮樹です。
お蔭様で、第9回按摩マッサージ指圧師、はり師、灸師国家試験に無事合格する事が出来ました。今回は、この報告をしたいと思います。
「網膜色素変性症」この病名を知ったのは、私が28歳の時でした。
そして、東京医大病院で、JRPSの事を教えてもらい、さっそく連絡を取り、JRPSの活動内容を聞き、会員となりました。
その頃私は、パチンコ店に勤めていました。視力の低下がだんだんと気になってきていました。私は、以前より理療に興味を持っていたので、金を貯めて専門学校に行きたいと思っていました。その様な相談をJRPS本部に持ちかけたところ、「JRPSの会員に理療の学校の先生をやっている方がいますのでその方に相談されて見ては如何ですか。」と、小泉先生の連絡先を、教えてもらい、すぐに電話をしました。すると偶然にも小泉先生も私と同じアッシャーだったのです。そしてアイヤ会の存在を知り、メンバーに入れてもらいました。そしてもっと驚いた事に、「障害手帳を有すれば、タダで学校に行ける。」と、言うではありませんか。障害手帳を取る事に抵抗を感じていたので、いままで障害手帳を持っていなかったので、すぐに手続きをして障害手帳をもらいヘレン・ケラー学院を受験して合格したのですが、八王子にも理療の学校がある事を知り、(八王子の方が断然近いので)さっそく電話をして確認したところ「もう受験は、終わりました。が、2次試験を行うかもしれません。」と、言われて結局2次試験を受けて八王子盲学校に入学しました。この時私は「目の病気があって良かった、運が良かった。」と思いました。その時私は31歳でした。
4月に入って学生生活が始まりました。朝少し早めに登校して軽く汗を流して、勉強、そして放課後ちょっと運動をして帰る。そういう日課が続きました。生計の為放課後や休日にアルバイトをしたりもしました。私自身非常に充実した日々を過ごさせて頂きました。しかし視力の低下が急激に進み、又、白内障も出現してきました。入学当初は、裸眼で教科書が読めたのですがその年の9月には、15倍ルーペを使用するようになり翌年1月には、拡大読書器を使わなければ字が読めない状態になってしまいました。(仕事をしてた時のような緊張感がなくなったせいかもしれません。慣れない活字を読み続けたせいかもしれないし、盲学校の中での環境がそうさせたかもしれないし、直射日光に当たる機会が多くなったからかもしれないし、もしくは、そういう時期だったかもしれないし、さまざまな要因が考えられますが……。)
そして、今年2月24,25日と国家試験、3月17日卒業、3月29日合格発表、そして現在は、4月1日より日野市豊田の治療院に勤務しています。
思えばこのきっかけを作ってくださったのがJRPSでもあり小泉先生でもあったわけです。本当にありがとうございました。
私には、野望があります。(あえて野望という言葉を使わせて頂きます。)
その実現に向けてこれからが本当の勝負です!より努力が必要です。
”成功は、成功を意識する者にもたらされる”
これからも皆さんと共に頑張っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
Never give up!