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タイプ別はいつ頃となえられるようになったのか?

匿名希望 


 現在、タイプ3はすべてのアッシャー・シンドロームのケースの(少なめに見積もって)2%から成ると言われています。しかし、フィンランドのアッシャー・シンドロームを持つ患者の42%がUSH3(タイプ3の遺伝子の場所)を持つと考えられているという報告(*)もあることから、国によってタイプ1〜3のプロポーションも異なると考えられています。

*1994年、1995年のSankilaらの報告によるでは、いつ頃からタイプが2つないし、3つあると言われるようになったのでしょうか?皆さんはご興味を持たれたことはありませんか?わたし自身は一番興味のあるところです。例によって、アッシャー・シンドロームの世界をサーチしてみました。実のところ、タイプ別の報告は多数、多岐にわたるものの、詳しく紹介しているサイトが限られており、ご紹介するのはとても勇気が要ります。それがいくら信頼できる文献、または研究チームの報告だったとしてもです。事実というものは数多くのウェブ・サイトに書かれて、語り継がれてこそ信ぴょう性が高まり、客観的な事実になりえると思うからです。そもそもいつ頃か?という単純な問いかけに明確にかつ、わかりやすく答えている文献は(今のところ)ありません。従って、内容につきましては、わたし自身の主観とバイアスも入っており、ここではそのような報告もあるということで読んでいただけたらと思っています。

 最初に2つの別個のフォームが存在すると報告したのは1971年の133人の患者に基づいたForsiusらの報告のようです。1978年にはDavenport(ダベンポート)らも思春期以前のRPの開始と厳しい先天的聴覚障害以外に思春期以降のRPの開始とそれよりも比較的穏やかな聴覚障害の存在があることに気が付いていました。また、1979年にGorlin(イェルリン)らがダベンポートと1977年の Omennの報告からタイプを4つに要約したという報告があります。タイプ4については1978年のダベンポートらの報告に基づいたとありますが、最終的に臨床と遺伝学的にタイプが3つに要約(分類)されるようになったのは1994年のSmith(スミス)らの報告からですから比較的最近のことと言えます。スミスらの報告は厳密には少なくても3つの別個のUSH1(USH1A、 USH1B,、USH1C)の位置と2つの別個のUSH2の位置確認でUSH3については言及されていません。しかし、前述のSankilaらの報告あることから1994年にタイプは3つに要約されたと解釈しました。

 思うに当初は異なるタイプに分類されるとは誰も思い付かなかったのではないでしょうか。いつの間にかあるいは気が付いていたらタイプが3つに分類されていたというのが真相ではないでしょうか。また、そこに至るまでに議論もあったことと推察されます。実際、最初の頃はUSH1、またはUSH2に適合しなかった患者は変則的であることとして分類され、のちこの患者らはタイプ3として再分類されたという報告もあるくらいです。(欧州のある国において)

この症候群の遺伝的性質については、まだ多くの未知の部分があり、3種類の違うタイプのアッシャー症候群はまだよく勉強されていないのが現状のようです。遺伝的性質が今よりももっと明らかになればその当時の文献を分析することにより、タイプを分類した過程もはっきりしてくることでしょう。


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