あぁるぴぃ千葉県支部だより21号


■投稿■

★思い出の一頁

野田市 N.K
 12月9日、障害者の日です。朝起きると、あたり一面が雪でした。私は今日一日の一頁の終わりに、盲導犬コニーの体を撫でながら、感謝の涙をながしました。今日は、内閣府主催、「心の輪を広げる体験作文コンクール」で最優秀賞の内閣総理大臣賞の受賞式の日でした。
 見えていた目が徐々に視力が失われて行くことは、壮絶な心の痛みでした。そして、見えないことを体が受け入れられなくてよく怪我をしました。それは、心の痛みとしておのずと私の言葉や表情に出ていたでしょう。そんな私の様子を目にしながらどうすることもできず、見守ってくれた家族の思い、友人たちのそっと手を差し伸べるやさしさ・・・。私は、失われて行く苦悩の中に言葉では、表現できないあたたかい流れを感じてきました。
 だからこそ、私自身が、障害を持つ経緯を思い返し、視覚障害を持たれる皆さんのために働きたいと願い、今日コンピューターのインストラクターとして操作の指導だけではなく、生きる力の輪を広げるお手伝いをさせていただいていることを作文コンクールで「情報の輪を広げて」と題して素直に書くことができました。
 内閣総理大臣から表彰状をいただいたときのことです。
 小泉首相が「おめでとう」と。私が「ありがとうございます」と申し上げた時の事です。小泉首相が膝をかがめコニーの頭を撫でてくださいました。それは、「盲導犬として御苦労様でした」との言葉のように思えました。会場がふわっとあたたかくなり天皇皇后両陛下もニッコリ微笑んでおられたそうです。
 そうなのです。この受賞は、私個人がいただいたとは思えません。確かに作文は、私が書きました。しかしながら、この作文は皆様の御支援があって書けたことなのです。そして決して忘れてはならないのが、盲導犬として私の目となりともに生きるコニーのおかげなのです。その事を素直に天皇皇后両陛下に申し上げました。たくさんのお言葉をいただきましたがそのなかでも、天皇陛下の「これからも視覚に障害を持たれる皆さんのために頑張ってください」と、励ましのお言葉を。皇后陛下からは、コニーの名前をおっしゃり「今は、ハーネスをつけていますので撫でてあげられませんね」と高齢であり、引退間じかのコニーをねぎらってくださいました。コニーは、うれしそうにしっぽを振っており、語らいの輪の主人公でした。
 私にとって本当にすばらしい思い出の一頁となりました。


★情報の輪を広げて

野田市 N.K
 ここは、欅のホールの野田公民館です。コンピューターが二十台ありその内の二台は、視覚障害者のために備えられています。耳を傾けるとキーを打つ度にコンピューターから音声が聞えてきます。私が受講生の真中にいて操作の仕方を指導しています。
 私がコンピューターを学び始めたのは、今から四年前のことでした。私は、網膜色素変性症という難病のために徐々に視力が失われていきました。そして、完全に光を失いました。
 私は、失明する病気である事を知った時でさえ、どんなに絶望の縁にいようともどこかに生きるすべはあるという確信のようなものがありました。自分の内在に失明を受け入れられず喘ぐ自分とその自分をやさしく見つめきっと可能性があるのではないかとささやく自分がいたからです。どんなときにも私が私らしく生きたい、そんな願いが私を支えました。しかしながら何の治療法もなく徐々に視力が失われていくことは、壮絶な痛みでした。体の中のこんなに小さな二つの目という機能が失われていく事に苦しみもがきました。朝、起きると両手を目の前に置き指を広げることが習慣のようになりました。それがです、今、私の朝はとても爽やかです。心の目は、目の前に広げた両手を通り越して可能性をしっかりと見つめているのです。
 私は、これまで点字を学び文字としてきました。しかしながらそれは、あくまでも視覚障害者のなかでの情報交換に用いる事は出来ますが、自分が障害を持つようになった経緯を思い返し、同じ障害をもつ皆さんのため、福祉向上のために働きたいと思うとき、すべての人との共有である活字の使用が求められました。そんな訳で片道一時間四十五分をかけて盲導犬コニーと力を合わせ船橋市の下総中山まで電車で二年ほどコンピューターを学ぶために通いました。気がついたらコンピューターのインストラクターとして指導させていただいています。
 視覚障害者がコンピューターで文字を入力したりメールやインターネットをするというと、とても不思議に思われる方がおられます。音声の読み上げソフトをインストールすることにより操作が可能になります。マウスではなくキーを打ちながらの操作のみとなります。画面を見る事が出来ませんので、操作を記憶しながら行います。もちろん完全なブラインドタッチです。
 受講生は、皆さん視覚障害をもつ方ですが「目が見えないのでとても無理です」と言われます。そこで私が「私も同じ視覚障害者です。それも重度で光も見えません。それでもコンピューターを学べたのですから大丈夫です」と。すると受講生は、安心されます。
 こんな事がありました。受講生のお一人に糖尿病で人工透析をしておられ、目が段々見えなくなり、現在は太いマジックで大きく書いても見えにくくなってきたといわれる主婦の方がおられます。いつしか何の希望もなく死ぬことばかり考えておられたそうです。そんな時、パソコン講習の話を聞かれ、もう一度文字を書いて自分を励ましてくださった眼科の主治医に手紙を書きたいと思われたそうです。不安と少しの期待をもって受講なさいました。最初は、家族の方に公民館まで送っていただいていましたが、いつしか気づくと、白杖をつき、お一人で公民館に来られました。目の見えないことを受け止められなくて白い杖をつけなかったとのことでした。それが今では、「白い杖は、やさしい心を連れてきます」と。傘を杖がわりについていた時は、クラクションが鳴っていましたが、白い杖は気づかいのやさしい声がきこえるのだそうです。そのようにあらゆる面で積極的になられました。この方は、今まで一度もパソコンをさわったことがなく、残された機能を生かして、学ぶことが必要でした。学び進まれるうちに、パソコンの技術が熟達していかれ、それが自信となってその方の声が明るさを増し、少しずつですがお元気になられていかれる様子が感じられ、私もうれしく思いました。
 視覚障害者は、見えないがゆえに情報弱者と言われています。しかしながらコンピューターを学ぶことによって情報の輪が広がります。また、それだけにとどまらず、私は、これまでたくさんの同じ障害をもつ友人達に接し、コンピューターの操作だけではなくその方がご自分の悩みを話される時、私自身、失明にいたる苦悩は、無駄ではなかったと感じています。失われていくゆえに苦しむだけ苦しんだことは、無駄ではなかったのです。同じ視覚障害という共通の土台の上で真剣に耳を傾け、私がそうであったように一歩一歩と前進できるお手伝いをさせていただいていることに感謝しております。そうです。今、私は、情報の輪と共に、微力ですが生きる力の輪を広げるお手伝いをさせていただいているのです。


★酒の話あれこれ

柏市 S.K
●レッド大瓶の思い出
 私がほどほど酒に強くなったのは祖父のお陰と思ってます。私が学生時代、後継ぎがなく牧場を人手に渡して隠居生活をしていた祖父が、酒の相手がいないと決まって私に電話をかけてきました。ただで酒を飲め、ひょっとすると小遣い銭も貰えるかもしれないと期待して出かけたものです。
 祖父がよく飲んでいたのはレッド大瓶です。氷も水もなしで、大きなコップに並々と注いでくれます。少し減ると直ぐに並々と注いでくれます。ウィスキーを飲むのは何とも辛いものだと思いつつ、必死になって飲んでました。
●スコッチーその香りと琥珀色の正体は
 スコッチというとウィスキーの代名詞になってますが、正確にはスコッチウィスキーはスコットランド地方産のウィスキーで、麦芽糖化液を発酵させ蒸留して長年貯蔵したものです。麦芽をピート(泥炭)で乾燥するので、独特の燻香をもちます。また、オーク(樫の木)樽で熟成させるので、オーク独特の香りと鮮やかな琥珀色に仕上がるわけです。
●焼酎がウィスキーに変身
 デパートの酒コーナーで小さなオーク樽を売ってます。その謳い文句は「焼酎がウィスキーに変身します」。焼酎を入れて1年位放置するとオーク樽の中で熟成が進み、琥珀色のウィスキーに変身します。但し、焼酎の匂いを消すことはできませんので、匂いのきついものはお勧めできません。
●バーボンソーダとの出会い
 バーボンウィスキーといえばアメリカ・ケンタッキー州のジャックダニュエル、ワイルドターキー、フォアロゼス、IWハーパー、アーリータイムスなどがよく知られておりますが、カナダのクラウンロイヤルも有名です。
 20年程前、シカゴ近郊のリゾートホテルに滞在したことがありました。夕刻、ホテルに戻ってからというもの周辺が松林のため外出もできず、ホテル唯一のレストランで毎日ゆっくりと夕食を楽しんでおりました。その時に、中年のウェイトレスに勧められたのがバーボンソーダです。アメリカの乾いた土地で、脂肪分の多い料理を食べながら飲むバーボンソーダは格別でした。以来、自宅でバーボンソーダを飲むようになりました。今や、日本に輸入されているバーボンの種類は数十種類に及んでいると思います。私が好んで飲んでいるのはワイルドターキー8年ものです。
●バーボンウィスキーとスコッチウィスキーの違い
 バーボンウィスキーはアメリカのケンタッキー州バーボンで作られたトウモロコシから作る蒸留酒です。原材料はトウモロコシ51%以上、それ以外にライ麦、小麦、大麦、燕麦が使われます。
 原料に51%以上のトウモロコシを使用し、アルコール度40度以上80度以下で蒸留後、内側を焦がしたオーク樽でアルコール度40度以上62.5度以下で2年以上熟成したものをストレート・バーボンといいます。
 1783年ケンタッキー州ルイヴィル、オールド・エヴァン・ウィリアムズ蒸留所の始祖エヴァン・ウィリアムズがバーボンの原型を醸造したとされていますが、現在のものとは少し違っていたようです。
 1789年ケンタッキー州ジョージタウンの牧師エリジャー・クイングが、内側を焦がしたオーク樽を使用して熟成させたのが今日のバーボンの生まれです。これには若干の裏話があり、最初から意図してオーク樽の内側を焦がしたわけではないそうです。醸造中に倉庫が火事になり、辛うじて燃え残った樽の酒を飲んでみたら、スコッチウィスキーにない香ばしさがあり、これをケンタッキー・バーボンのセールスポイントにしようということで、以来、内側を焦がしたオーク樽で熟成させることになったわけです。従って、あの香ばしさはトウモロコシではなく焦がしたオーク樽の香りだったのです。
 何時の世にも、新しく作りだされたものや発見されたものの背景には、面白い逸話が隠されているものです。
●やっぱり日本酒
 これまでウィスキーのことばかり書いてきましたが、本当は私は日本酒党なんです。限りなく「どぶろく」に近い、ドロッとした濃い口の酒が好きです。それが「五郎八」という新潟(製造元は菊水酒造)のにごり酒です。米粒が残っていて、アルコール分21度の秋冬限定酒です。夏場に酒屋の店頭に置いてあるにごり酒は、普通の清酒に酒粕を混ぜ合わせたものが多くて旨くありません。何とか「五郎八」を1年中飲みたいものだと思い、酒屋に頼んで1年分買って、店の冷蔵庫に保管してもらってます。
●酒飲みの怖い話(古典落語「もう半分」の紹介)
 酒好きの男が仕事のための大金を抱えて家路を急ぐ途中、ついつい誘惑に駆られていっぱい飲み屋に立寄ってしまいました。銚子半分なら大丈夫だろうと、半分飲んだのが運のつき、もう半分、もう半分と、大金のことを忘れて飲んでしまいました。挙げ句の果てに、大切な金を店に置き忘れ、酒屋夫婦にその金を盗られてしまいました。途方に暮れた男は、橋の上から身を投げて死んでしまいました。一方、酒屋夫婦は盗った金で店を増築し、使用人も雇い、商売は順調でした。そして、夫婦に女の子ができました。ところがところが、生まれてきた女の子は例の男にうりふたつ、おかみさんは驚きのあまり病の床に伏してしまいました。困った亭主は女中を雇うのですが、皆一晩で逃げ帰ってしまいます。やむなく亭主が赤子と一緒に寝ることになりました。真夜中に赤子が起き出して、行灯の油を飲みほし、油皿を差し出して「もう半分」。
●最後に私の失敗談
 会社勤めをしていた頃、酒好きな同僚が大勢いました。飲み過ぎで肝臓がフォアグラ状態の同僚もおり、診療所の女医さんからレッドカードを貰いました。その同僚が2、3日酒を止めた後、女医さんと一緒に酒を飲みに行こうと言い出して、私が誘いに行く羽目になりました。女医さんに同僚の名を告げたところ、俄に表情を硬直させて「彼と一緒に飲みに行くことは、私に医者をやめろということです」といって叱られました。


★ランニングにかける夢

成田市 濱田 廣行
 私は30代初めから走るようになりました。40代で視覚障害者となり、現在は伴走者を必要とするブラインドランナーです。伴走者とは、視覚障害者の目となりコースを誘導しながら走るランナーのことです。通常は短く輪にしたロープの両端をお互いに持って走ります。ブラインドランナーとして、走り始めてしばらくすると、タイムがどんどん良くなり、走ることがとても楽しくなりました。普段人ごみの中を歩いている時は、人にぶつかるのではないかと常に縮こまった歩きかたをしているのに、伴走者が一緒に走ってくれる安心感から、思いっきり体を動かせる躍動感を感じて走っていました。しかし、40代後半になり練習量も記録も低迷し、ランニングに対する目標や意気込みが少し色あせてきているように思いました。心を燃やす炎が小さくなって、何か自分らしさが無くなってしまうようなそんな淋しさを味わっていたのです。そして50代になり、このまま衰退していくだけなのだろうか、本当に自分はこれでいいのだろうか。そんな気持ちを抱きながら、1人もんもんとしていました。やり残していることはないだろうか。後で後悔することはないだろうか。もう一度記録を狙うなら今しかないのではないか。60代になってからでは遅すぎる。心行くまで思う存分走りたい。そうでなければ自分らしさが無くなってしまう。そう思うようになりました。
 そんなある日、佐倉にニッポンランナーズというクラブが出来ることを知りました。クラブの指導者は元リクルート監督の金哲彦さんです。リクルート時代には有森裕子さんや、高橋尚子さんの指導にも当たられた方です。新しいクラブは、一般ランナーからトップランナーまでトレーニングできるクラブです。そんな素晴らしいクラブに、私のような伴走者を必要とするブラインドランナーの入会を認めてくれるのだろうか、という不安がありました。しかし、それは全く私の杞憂に過ぎず、ニッポンランナーズは快く入会を認めてくれたのです。こうなれば私の意気込みもさらに強くなり、ますますランニングにのめり込むようになりました。昨年の9月からは平日の夜にもトレーニングするようになりました。月曜日だけは休養日にして、火・水・木・金と曜日毎に4人の伴走者(1人は私の息子)を決め、夜8時半から走っています。しかし、夜走ることを決めた時、心の中は不安だらけでした。網膜色素変性症の患者はほとんど夜盲症ですが、私も夜は全盲に近い状況です。それで、私は息子に頼み、試走をしてみることにしました。幸いにも練習コースは車の心配のない緑道(遊歩道)があるので、コースのいくつかを試走してみました。初めて夜走った時はさすがに恐怖を感じました。住宅地の中の街路灯が見えるだけで、道路も縁石も壁も全く見えず、目を閉じているのとなんら変わりがありません。恐い。足がすくむ。伴走用のロープと息子の言葉だけが頼りです。わずかなロープのゆるみ具合や引き具合を敏感に感じ取って、走る方向を修正します。そんな試走を何回か繰り返し、ようやく見えない状態で走ることに慣れてきました。そして昨年の9月から本格的に、平日の夜トレーニングできる環境が整ってきました。
 私はこれまでにフルマラソンを何回も走っていますが、私が今取り組んでいるのは中距離の800Mという種目です。もちろん練習の一環として5K・10K・ハーフマラソンくらいまでは走りますが、あくまでも私の目標は800Mです。欧米諸国では800Mをはじめとして、中距離のレースが盛んに行なわれていて、人気もありますが、日本では非常にマイナーな種目です。それなのになぜ800Mかというと、この種目が自分にとって一番好きな種目だからです。限界一杯までのスピード感や躍動感。走り終わった時の充実感と、もうこれ以上走れないというけだるさ。そんな全てが好きなのです。そして、私の持っている自己ベストタイムと、視覚障害者の日本記録とを比較して、800Mがもっとも差の少ない種目だからです。視覚障害者の日本記録が2分19秒。私の記録が2分38秒。その差が19秒です。数字の上からはすぐにでも到達しそうなタイム差でもありますが、800Mという距離から考えるとはるかに遠いタイム差でもあります。もちろん、日本記録ですから年齢のハンデはありません。私はすでに52歳ですが、時には10代・20代の若い人たちと競わなくてはなりません。国内には強い選手もたくさんいます。若い人たちが本気で800Mに取り組めば、日本記録ももっとレベルアップするはずです。私は日本記録を更新するのは無理としても、自分がどこまで記録を伸ばしていけるのか、どれだけ日本記録に近づけるのか、残り少ない競技人生をかけてやってみたいと思っています。これが私のランニングにかける夢です。


★あるある私の失敗談−4

成田市 濱田 廣行
 前回の失敗談は鏡についてでしたが、今回は透明なガラスについての失敗談です。
 最近は暮れの大掃除をやる家も少なくなってきているようですが、我が家では今でも毎年暮れになると大掃除をやっています。それはある年の暮れに、窓ガラスを拭いていた時のことです。私はスプレー式のクリーナーを窓ガラスに拭きつけて、乾いた布で拭きとっていました。2〜3枚ガラスを拭き終わって、次のガラスにクリーナーを吹き付けると、ガラス面にふわふわの泡が付くはずなのに、スプレーのシューという音ばかりで泡が出てこないのです。えっ? なぜ? 買ってきたばかりのクリーナーなのになんでこんなに早く無くなってしまうのだろう。何度スプレーしても全く出てきません。こんなの欠陥商品ではないか。私は腹立たしい気持ちになりましたが、から拭きでも仕方ないと思い、持っていた布でガラス面を拭きました。すると、ガラス面に押し付けた手がふにゃっとした感覚で、私は一瞬どうなったのか訳が分かりませんでした。えっ、これは何だ。ガラスはどうなったのだろう? あっ、これはガラス窓ではない。網戸だ! 私はガラス窓を開けたり閉めたりしているうちに、開けた窓をすっかり忘れていて、そこは網戸だけになっていました。つまり、私は網戸の網に向かって一生懸命クリーナーを吹き付けていたのです。網の目をくぐりぬけて、スプレーしたクリーナーは全部空中に飛散していたという訳です。
 透明なガラスの失敗談はこの他にもあります。私が、まだ網膜色素変性症が発覚する前のことです。しかし、自分が暗いところは見えないという自覚症状はありました。ある夜、ホテルのレストランに行った時のことです。暗い道路からホテルのロビーを見ると、とても明るくてほっとした気分になったのを覚えています。私は階段を2〜3段上ってドアに向かって歩きました。すると突然私はガーンと何かに体当たりしてしまいました。一瞬のことでしたが、すぐに私は透明なガラスにぶつかったのがわかりました。私が入ろうとしていたドアはもう少し先に有り、その手前にガラス張りの風除け室があったのです。私は腕や肩のあたりをおもいきりぶつけてしまい痛かったのですが、痛そうな顔をするのもしゃくなので、何食わぬ顔でホテルの中に入って行きました。どうしてこんな紛らわしい建て方をするんだ! と心の中では煮えくり返っていましたが…。最近の大きな建物はドアの前にもう一つ風除け室があり、その風除け室がガラスで出来ているので、うっかりするとガラスに気付かないことがあるわけです。これは視覚障害者に限らず、健常者でもおきうる事故の一つだと思います。透明なガラスには要注意です。みなさんもケガをしないようご注意ください。


★ご存知ですか?―偶然な事故による賠償責任はどうするか
 先日、ある会員から質問を受けました。「例えば、私たちは、足元が見えにくいため小さな子供たちに接触し転倒させ、ケガをさせてしまった場合はどうしたら良いか?」でした。保険に携わる者として、事故が起きてからでは遅いと考えレポートしました。
 社会生活を営む上で、偶然な事故により、他人を死傷させたり、他人の財物に損害を与えた場合は、法律上の賠償責任を負うことがあります。
 4月1日から健康保険の被保険者負担率が上がります。また、第三者行為による事故の場合は、健康保険は適用できないことがあります、と説明する病院もあるようですので、こうした場合、自由診療となり、時に高額な治療費負担の必要にせまられるケースもあります。かといって、私たちは、自宅に閉じこもるわけにはまいりません。屋外には、少しずつですが春のたよりも、新しい発見や体験も脈々と充満しております。障害は不便ではあるが決して不幸ではありません。障害者も健常者も自らを、偶然な事故から自らを守るのは同じです。そこで、偶然な事故に対する備えとして、日動火災海上保険株式会社で販売している損害保険商品「夢サポート」の概要をご紹介します。
 この保険は、保険料が掛け捨てのタイプの「青年アクティブライフ総合保険(マイアクティブライフ)」と、保険料を積み立てられる「積立ファミリー交通傷害保険」をセットにした保険です。
 この保険の補償内容は、賠償事故による損害、携行品の損害および傷害による損害を補償するものです。詳細は次の通りです。
【賠償事故】
日常生活における偶然な事故により、保険の対象になる被保険者が、他人の財物をこわしたり、ケガをさせたために負担する損害賠償金(免責金額¥1,000を控除)および費用(応急手当、治療費、護送費用、訴訟費用などの合計額)をお支払いします。ただし、1回の事故につき、個人賠償責任保険金額(ご契約金額)が限度となります。
賠償金額の決定については、事前に(損保)会社の承認が必要です。
[具体例]歩行中小さな子供と接触しケガをさせた・買い物中商品を落としこわした・愛犬が他人にかみつきけがをさせた他
〈保険金をお支払いできない場合〉
 @ 保険契約者、被保険者の故意による事故
 A 心神喪失による事故
 B 地震、噴火またはこれらによる津波による事故
 C 職務遂行に直接起因する事故(仕事上の賠償責任)
 D 自動車などによる事故
 E 同居の親族に対する賠償責任
 F 預かっていた他人の財物に対する損害
【携行品損害】
偶然な事故により、携行品に損害が生じた場合保険金が支払われます。被害携行品の時価を基準に算定した損害額から免責金額(1事故につき¥3,000)を控除した額をお支払いいたします。ただし、1保険年度を通じて契約された携行品損害保険金額が限度となります。
1個、1組または1対のものについての損害額は1事故につき10万円を限度とし、現金・乗車券・宿泊券などについては合計5万円を限度とします。
時価とは、同等の物を新たに購入するのに必要な金額から、経過年数に応じた減価分を控除した額をいいます。
[具体例]偶然な事故により、携行品に損害が生じた場合に保険金をお支払いします。携行品とは、ハンドバッグ、着衣、スポーツ・レジャー用品など、住宅外において携行している身の回り品をいいます。盗難にあった場合は、管轄する警察署へ被害届出をします。
〈保険金をお支払いできない場合〉
 ●保険契約者、被保険者の故意による事故
 ●被保険者の自殺、犯罪または闘争行為
 ●地震、噴火またはこれらによる津波による事故
 ●酒酔いまたは無資格で自動車などを運転している間の事故
 ●自然の消耗または性質による変質・変色、瑕疵
 ●電気的事故、機械的事故
 ●置き忘れまたは紛失
 ●ピッケル等の登山用具を使用する山岳登坂、ハンググライダ等、危険なスポーツをしている間の当該運動のための用具の損害
【傷害事故】
偶然な事故にあいケガをされた場合、下記の保険金をお支払いします。
1.死亡保険金
 事故の日から180日以内に、そのケガが原因で亡くなられたとき、マイアクティブライフの死亡・後遺障害保険金の全額をお支払いします。また交通事故、建物・乗物の火災による傷害事故の場合は、積立ファミリー交通傷害保険の死亡・後遺障害保険金の全額を上乗せしてお支払いします。
2.後遺障害保険金
 事故の日から180日以内に、そのケガ(「特定感染症補償」を追加された場合は、その発病を含みます)が原因で身体の一部を失ったり、その機能に重大な障害を残したとき、その程度に応じてマイアクティブライフの死亡・後遺障害保険金3%〜100%をお支払いします。また交通事故、建物・乗物の火災による傷害事故の場合は、その程度に応じて積立ファミリー交通傷害保険の死亡・後遺障害保険金額の3%〜100%を上乗せしてお支払いします。
3.入院保険金
 ケガ(「特定感染症補償」を追加された場合は、その発病を含みます)のため入院(入院に準じた状態を含みます)して医師の治療を受け、平常の業務や生活ができなくなったとき、その入院日数に対し事故の日から180日を限度として入院保険金日額をお支払いします。
4.手術保険金
 入院保険金が支払われる場合、そのケガの治療のために手術を受けたとき、「入院保険金日額に手術の種類に応じて定めた倍率(10倍、20倍、40倍)を乗じた額」をお支払いします。
[例]交通事故で足を骨折し、入院して観血手術(メスを用いて皮膚や筋肉を切開する手術)を受けた場合……入院保険金日額の10倍
5.通院保険金
 ケガ(「特定感染症補償」を追加された場合は、その発病を含みます)のため通院(往診を含みます)して医師の治療を受け、平常の業務や生活に支障をきたしたとき、事故の日から180日以内の通院日数に対し90日を限度として通院保険金日額をお支払いします。ただし、平常の業務または生活に支障がない程度になおったとき以降の通院に対してはお支払いできません。
6.葬祭費用保険金(「特定感染症補償」を追加された場合)
 特定感染症(O−157を含みます)により、その発病の日から180日以内に亡くなられたとき、葬祭費用の実費を300万円を限度としてお支払いします。
7.入院一時金(「入院一時金補償を追加された場合」)
 入院保険金の支払対象となる事故で、入院日数が4日以上となった場合、1回の事故につき入院一時金保険金額全額をお支払いします。ただし、入院一時金の支払対象となる期間中に新たに他の傷害を被った場合、重複しては一時金をお支払いしません。
特定感染症…12種
ペスト、エボラ出血熱、クリミア・コンゴ出血熱、マーブルグ病、ラッサ熱、腸チフス、パラチフス、ジフテリア、コレラ、細菌性赤痢、急性灰白髄炎(ポリオ)、腸管出血性大腸菌感染症(O−157等)
〈保険金をお支払いできない場合〉
 ●保険契約者、被保険者、保険金受取人の故意よる事故
 ●被保険者の自殺、犯罪または闘争行為
 ●地震、噴火またはこれらによる津波による事故(「天災危険補償」を追加された場合を除きます)
 ●酒酔いまたは無資格で自動車などを運転している間の事故
 ●ピッケル等の登山用具を使用する山岳登坂、ハンググライダー等危険なスポーツをしている間の事故
 ●レーサー、競輪選手など特に危険な職業の方が当該職業に従事中の事故
 ●むちうち症または腰痛で他覚症状のないもの
(特定感染症補償を追加された場合)
 ●保険責任開始日その日を含めて10日以内に発病した特定感染症
 ●特定感染症による死亡保険金および手術保険金
【賠償事故】を補償する他の保険に、1年掛け捨てタイプの「個人賠償責任保険」があります。例えば1事故につき保険金額1億円の契約で加入すると、保険料は2,000円です。
【傷害事故】を補償する他の保険についても、1年掛け捨てタイプの「普通傷害保険」あります。こちらは、ご契約者の方の職種級別に応じて保険料が算出されております。
【携行品損害】を補償する保険は、掛け捨てタイプがありません。
本件全般のお問い合わせ先
    宗政 道夫   090−4749−2522
商品についてのお問い合わせ先
日動火災海上保険株式会社 千葉支店自動車営業部営業第一課
    岡田 木村 大塚  043−247−8040


目次へ戻る

All Rights Reserved Copyright (C) JRPS-Chiba-2003