あぁるぴぃ千葉県支部だより22号


■投稿■

★私の読書

船橋市 K.H
 私は仕事柄、本を読むことを自己紹介の趣味欄に書くことは控えなければならないと承知しているものの、仕事に直接関わらない本を読むことは、趣味欄に付け加えてもよいのではないかと思っています。と言うのは、職場の同僚でも年若い方々は仕事に関わらない読書を敬遠する傾向が多いように見受けられ、趣味欄の記載が多様化しているという点では評価できるとしても、情報の源はやはり読書であって欲しいと願っています。
 目を悪くして以来私は外出しての講義や講演を拝聴する機会が減っていて、その分ラジオなどで流れる講座や講演を選んで聞くようにしています。同じ話題を話す場合でも、読書量の差は歴然としていて、導入部分や例示の部分に説得力の差となって現れてきているように思えます。
 勿論、漫談のような講義や講演である必要はないと思うものの、その場で話を聞いてくれている方々の注意をこちらに向けるような努力が必要であり、そう言うときには日頃の読書、それも専門とする分野とは無関係の本をどれだけ読んでいるかが問われているように感じています。私もそう言う話題の豊富な講義をしたいと考えていたものでした。
 ところが目を悪くして以来、文字が読めなくなってしまいました。活字が読めないと言うことがいかに情報の格差を生み出すかを目を悪くして初めて気付くことになりました。
 私は今、概ね4通りの手段で活字情報を手に入れています。
 まず一つ目の方法としては手書きの文書を読む場合に、ボランティアの方に代読をお願いしています。仕事柄、年に一度、数十通の手書きの書類を限られた期間で読み、その結果をまとめなければならないので、その時には市内の障害者センターを通じて朗読ボランティアをご紹介いただき、録音テープを作って頂き、その録音テープを聞きながらまとめの報告書を作っています。
 二つ目の方法は読みたい資料が活字の場合に限り、パソコンとスキャナーを併用した方法を使っています。スクリーンリーダーとテキスト読み上げソフトを組み合わせて行うこの方法は技術が極めて高い水準にあるので、活字を読む場合には極めて有力な手段となっています。
 しかし、パソコンによる読み上げは合成音声を聞いていることになり、便利である一方、無機的な印象をぬぐい去ることはできません。
 そこで三つ目の方法として、資料としての入手が可能な限り私は録音テープを取り寄せることにしています。録音テープは障害者サービスを行っている図書館ならどこでも対応して頂けるそうですが、私は千葉点字図書館(四街道市)、千葉県立西部図書館(松戸市)、千葉県立東部図書館(旭市)などを利用しています。最近は千葉県内の図書館を横断検索できるWEB上の検索サイトがあり、また録音図書を製作している団体の中にはメルマガを発行している場合もあるので、読みたい本を検索しやすくなっています。WEB上での検索について付け加えるなら、私は「ないーぶネット」を利用していて、また古い本の場合は「青空文庫」も利用しています。国立国会図書館のWEBサイトでも朗読テキスト(点字を含む)を検索できるようですが、私はほとんど利用したことがありません。
 四つ目の方法としてはWEB上での朗読ファイルを利用しています。JRPS千葉県支部のメーリングリストでも時折紹介されていますが、「早耳ネット」がそれです。他にも二、三のサイトを存じ上げていますが、上にも書いたようにパソコンから得られる情報はとかく無機的になり勝ちであり、温かい肉声を聞くことは「QOL」と言う視点でも貴重な情報源だと思っています。
 さて話題は変わりますが、数年前、長女がまだ中学生だった頃、彼女が当時ベストセラーになった「本当は恐ろしいグリム童話1、2」を読みたいと言い出したので、その頃既に視覚に異常が出始めていた私は家内に頼んで買ってきたくだんの本を読んでもらうことにし、最初の一頁目で買ってきてしまったことを後悔していました。内容をご存知の方も多いと思いますが、中学生の女の子に読ませるのには父親としてとうてい許せるものではありませんでした。ところが彼女は既に学校の図書館でその本を読んでしまっていたのです。中学校の図書館にその本が置いてあることにも驚いたものですが、既に読んでいるなら仕方がないと言うことになり、父親の机の引き出しに隠した本は当然のごとく中学生の手に渡ったのでした。
 そこで父親として娘の読む本には一応のコメントができるようになりたいという希望を持った私ですが、くだんの本を読むことができません。今なら早速検索サイトで該当する本の朗読テープを探すのでしょうが、その頃始めたばかりの音声パソコンでの情報から、やっと「音訳サービスJ」(横浜市)で朗読テープを市販していることを知り、それを千葉県立西部図書館を通じて取り寄せたものでした。娘が既に読んでしまっているという中学生にはふさわしくない本の内容を知ることができるまでにはそれから数週間が必要でした。
 しかし、取り寄せた朗読テープは訓練された朗読術と温かい肉声であふれていて、その後の私の読書範囲を大いに拡げる転機となりました。
 ところで本を読むから読書ですが、本を聞く、あるいは本を聴くと言う意味に該当する言葉は思い当たりません。視覚障害者が独自の文化を持つという考え方には賛否があると承知していますが、本を聞く(聴く)という文化はあってもよいのではないかとも思っています。
 さて蛇足ですが、上に述べた娘もこの4月から女子大生の仲間入りをすることになり、父親の希望が叶ったかどうか判りませんが、本を読むことが好きだと言うようになり、活字文化を大事にしてくれるようになってきたようです。私が朗読テープでの読書に気付いた頃には、彼女と朗読の話題を共有できることを期待したものですが、最近は彼女にかなり水をあけられたようです。しかし、私と彼女では所詮読書のジャンルが違っているので、最近は、それまで読書には興味のなかった家内を引っ張り込んで、家内との間での読書の話題を共有したいと切望する今日この頃です。


★あるある私の失敗談−5

成田市 濱田 廣行
 私は通勤の帰り道、成田から自宅まで路線バスを利用しています。そしてバスの中ではいつもラジオを聞いています。その日もラジオを聞きながら、そろそろ降りる頃だなと思って、車内のアナウンスに耳を傾けました。すると聞き慣れないバス停のアナウンスが流れました。えっ?そんなバカな。そのバス停は私がいつも降りる一つ先の停留所なのです。うわっー、困った。通り過ぎてしまった。どうしよう。そんな私の心配をよそに、バスは信号を越えて坂道をどんどん下っていくのです。弱った。こんな真っ暗な夜道をどうやって戻ればいいのだろう。
 バスが停留所で止まって降りる時バスの運転手に、言っても仕方がないと思いながら「いやー、バス停を間違ってしまった。どうしようかな」と言うと、「お客さん、いつもの所で降りないから変だなと思ったんだけど。大丈夫ですか?」「あー、はい。何とか歩いてみます」と言って、バスを降りました。しかし、バス停のあたりがどうなっているのか、さっぱり見えません。そこにはたぶん緑道(人と自転車専用の遊歩道)が2本平行に通っていて、緑道と緑道の間には緑地帯があるはずです。私が家に帰るには、その緑地帯をまたいで5〜6メートル先の遊歩道に出るか、さもなければ今来たバス通りを逆方向に、縁石に沿って歩くしかありません。緑地帯を横切るのも怖い。確か少しスロープになっていたような気がする。かといってバス通り、つまり車道を歩くのはもっと危険な気がする。どちらにしても心配だ。
 私が決めかねて歩くのを躊躇していると、もう一人私の後にバスを降りてきた人が、「大丈夫ですか? お手伝いしましょうか?」と声をかけてきました。私はとっさに「すみません。お願いします」と答えていました。「うっかりして、乗り過ごしてしまったんです」「そうですか。いつものところで降りないから、引越しでもされたのかと思っていたのですよ」。あっ、この人も私のことを、いつも見て知っているんだ。そう思いながら、ガイドをしてもらいました。
 私が自分でわかる所まで来ると、「あっ、もうここまで来れば大丈夫です。わざわざ遠回りをさせてしまって、すみませんでした。おかげ様で助かりました。ありがとうございました」「ここから1人で大丈夫ですか? では気を付けてください」。バス停1つ、距離にしてわずか数百メートル。健常者にとってはなんてことのない距離ですが、歩いたことのない道は視覚障害者にとって、本当に怖いものだと痛感しました。
 以前に電車の駅を1つ乗り過ごしたことがありました。成田で降りるところを、成田空港まで行ってしまったことがあります。しかし、電車の場合ホームは明るいし、またすぐ反対方向の電車が来るので、それほど心配はいりません。バスの場合は本当に要注意です。昼間ならまだしも暗くなって、初めてのバス停、しかも自分1人しか降りなかったら・・・と考えると恐怖ですね。会員の皆さん、私のような真似は絶対しないでください。


★夢&石原慎太郎の「生還」

柏市 S.K
「私はビュッと格好良く空を飛んでいます。オランダのアムステルダム上空です。次の瞬間、古い石造りの建物の三角屋根にひっかかってもがいています。飛びたいのですが、もう飛ぶことができません」。
 これは、以前よく見た夢ですが、何故か最近は見ることがなくなりました。代わって、眼に関する夢を頻繁に見るようになりました。先日の夢の中では、何時の間にか眼が治っており、JRPSの集まりに出席してよいものか思案していました。今の医学では治らない病気の筈なのに・・・。真夜中に夢から覚めてそう考えていたら、以前読んだ石原慎太郎の「生還」という小説を思い出しました。
 主人公は、末期ガンに冒されて医者から死の宣告を受けた中年の商社マンです。たまたま友人に紹介された一人の町医者から、その医者が開発した抗ガン剤の投与を勧められました。彼は、医者に言われた通り田舎町の海辺の家に一室を借り、家族との面会を完全に遮断した隔離状態の中で、毎日毎日ひたすら薬を飲み続けるという闘病生活を始めました。
 最初は、奥さんも子供も、藁にも縋る思いで回復を願っていました。数ケ月が経った頃、心配になった奥さんが様子を見に行ったのですが、彼は会ってくれません。このようなことが何回か続いているうちに、次第に家族の絆が失われていくようになりました。しかし、2〜3年後、ガンは奇跡的に治り、彼はめでたく家に帰ることになりました。家に戻った彼がそこに見たものは、もぬけの殻になった自分の家であり、その時ようやく、奥さんが他の男と再婚して自分のもとを去っていたことに気づきました。彼は末期ガンから奇跡的に生還できたのですが、最も大切な家族を失ってしまったのです。
 何となく後味の悪い小説だったなと思いながら、石原慎太郎がこの小説の中で求めたものをぼんやりと考えていました。この世の中には難病、不治の病といわれるものが数多くあります。それから生還することが本人にとって本当の幸せにならない、という時もあるとしたら・・・。
 考えるのをやめて、眠りに戻りました。皆さん如何思いますか?


★風の音 花の香 陽の光

千葉市 I.S
 昨年3月、JRPS会員で千葉県香取郡にお住まいのHKさんが3冊目の俳句集『谺』(こだま)を上梓されました。
 HKさんは、大正14年生まれ。磯の香、土の温もりの伝わる俳句を詠まれています。全編305句もの素晴らしい作品を収めた句集『谺』の中から、季節に合わせて3句位づつ、これから本誌上でご紹介致します。HKさんの十七文字の世界を皆様とご一緒に旅して行くのは、I.S(千葉市在住、夫MがRP)です。どうぞよろしく!

*目を病んで春一番の音の中(めをやんで はるいちばんの おとのなか)
*春暁の星汲みあげし撥ね釣瓶(しゅんぎょうの ほしくみあげし はねつるべ)
*八重櫻己が重みを諾へり(やえざくら おのがおもみを うべなえり)

 第1句:朝日新聞の俳句欄掲載句だそうです。文字通りの春の訪れ。
 第2句:春の柔らかい朝の光を思い、何か懐かしいような気持ちになる句です。生家にあった釣瓶を思い出しました。
 第3句:確かに八重櫻は他の桜よりも重たげです。散るのも潔くパッと、というわけに行かないかもしれません。それでも八重櫻は自分を「これで良し」としている。時々自己嫌悪に陥る私の心に響く一句です。

 それでは皆様次回までごきげんよう。この欄へのお便り、HKさん共々お待ちしています。


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