あぁるぴぃ千葉県支部だより23号


■投稿■

★私は絵画を見た!

野田市 N.K
 私は絵画の前で心が小刻みに震え溶けていくのを感じています。絵画の記憶が走馬灯のようにあらわれ、それもいきおいよく回ったり静かに歩みをとめたりしています。
 もう2度と見ることが出来なくなると知った時、むさぼるように活字を読み、絵画を観、日常の風景さえもいとおしんで見ました。かすかに残っていた光さえ失ったとき、見ることすべてを凍らせ、心の一番奥に入れ大きな錠をおろしたのでした。
 その私が美術館を訪れ、友人に囲まれ、絵画の前で昔の記憶を手繰り寄せています。色を形をそしてその絵画に心を映し出してみたいと思いました。失明することは、すべてを失うことではなく、ひとつの個性として新たに生きることと信じ、そんな自分に何らかの力添えがほしかったのかもしれません。美術館の方も「視覚障害者の方が彫刻に触れさせてほしいといわれたことはあっても絵画を見たいと言われたのは初めてです」とおっしゃいました。
 私が美術館に行ってみたいという願いを強くしたのは、ある方の文章を読んでからでした。それは、剣道の立会いの場面でした。私自身、剣道をした事はありません。ところが、竹刀をかまえているその面の下の目の光が、そしてはりつめている空気がはっきりと見えたのです。いいえ、文章からですから感じたと言った方が当を得ているかもしれませんが、確かに私は、見たのです。それから、私はもう1度過去に見たあの絵画を見たいと思いました。そうです、その文章を書かれたその方の目を通して見せていただきたいと思いました。率直にお願いしました。その方も戸惑われたと思います。何しろ目の見えない私が絵画を見たいと申しでたのですから・・・・・。
 その美術館には、20世紀の初頭にエコールドパリで活躍した画家たちの洗練されたフランス美術の優雅さ、印象派の色彩を伝えた作品が展示されていました。その独特の画法を取り入れながらも、それらに染まりきることなく独自の境地を切り開いた画家達だけが、後代に名を残したそうです。
 その画家の一人でしょうか、ゴッホの描いた一つの作品に目が止まりました。ゴッホは、「ひまわり」等の絵からもタッチが個性的であったように記憶しています。その絵は、縦30cm横50cmで、他の絵に比べ小さい絵でした。ゴッホが精神の病気のために自ら命を絶った、まさにその年に描かれたものだそうです。陽光がふりそそぎ、緑がとても美しく、青い空が広がり、遠くに赤い屋根の家が見えます。その建物こそがゴッホが入院していた精神病院だそうです。それを背に一人の女性が歩いてくる様子が描かれています。命を絶つほどに病気が進行しているとき、これほどまでに生命力あふれる絵が描けるのでしょうか。生と死の狭間にいて自然の躍動する声が聞こえたのでしょうか。
 シャガールの絵の説明をしていただいた時、走馬灯のように動く私の絵画の記憶は静かに止まりました。私は絵画の前で心が小刻みに震え、溶けていくのを感じました。はっきりと絵画の構図が私の記憶から抜け出てきたのでした。恋人たち、馬、バイオリン、本、花などがまるで踊っているかのように描かれているのです。とても不思議な絵です。心の中にある宝物の箱をひっくり返したような楽しい絵です。ところがです、シャガールは、この絵を描いていた時、非常な逆境にあったといいます。そんな中で絵画という形あるものを生み出すとき、その力は、いかにして生まれ出るのでしょうか。この逆境のときに、彼の内側にあるものが、何故このようなかたちで表れるのでしょうか。身動きできないほどに追いつめられている時にです。それとも、自分自身にそれほど厳しくなければ後代に残すほどの感動の持続する芸術作品は、生み出せないのでしょうか。
 絵画の前に立ち、しみじみと思います。見ることをどんなに詰め込んだと思えても過去に見た色や形の記憶は少しずつ薄れていました。私は、絵画をみる時、私のなかで過去の記憶を手繰り寄せているつもりでいました。ところがです、新たなものとして絵画をとらえていたのです。私は、絵を見たいとご無理を申し上げました友人の目を通して、唇を通して、寄り添う友人達のあたたかいぬくもりを通して、私は絵を見たのです。目が見えていた時には考えも及ばないほどの深いところで、絵画を、そしてその時代に生きていた画家たちの生きる息吹を見たのです。
 そうです、見えないことは一つの個性に過ぎません。それによってすべてが支配され、自分を失うことはないのです。どんな状況にあっても、その中で自分を生かし、自分らしく生きていきたいと思いました。


★あるある私の失敗談−6

成田市 濱田 廣行
 1998年11月、私はニューヨークマラソンをJRPSのチャリティーランナーとして、募金を呼びかけながら走りました。たくさんの方にご協力いただき、ありがとうございました。今回の失敗談はニューヨークから成田に向かう飛行機の機内でのことです。
 国際線の飛行機に乗ると、飲み物のサービスや機内食が頻繁に出てくる。1回の量はさほどでもないのだが間隔が短いし、じっとして座っりっぱなしなのでお腹もすかない。夕食が終わってしばらくすると、窓のブラインドを下ろして機内を暗くする。照明も落として人工的に夜をつくる。
 ニューヨークを昼前に出発すると、日本に向かう飛行機は太陽を追いかけながら西へ進む。そのため機内を人工的に暗くして夜をつくる必要があるのだ。飛行機の外は太陽が燦々と降りそそぐ真っ昼間である。狭いイスの上ではほとんど眠れないが、やることもないのでただ目を閉じているしかない。
 すると数時間前に夕食を食べたばかりなのに、今度は夜食を配り始めたようだ。機内は真っ暗で、スポットライトの明かりだけがテーブルを照らしている。だんだんとスチュワーデスの物音がこちらに近づいてくる。
 すると通路側にいた健常者の堀さんが、「濱田さん、ホットドックだからこっちに手を出して」と言うので、あまりお腹はすいていないけど、しばらくテーブルの上にでも置いておけばいいだろうと思って、通路側に手を出した。 私はてっきり皿の上か、紙にくるまれて出てくると思っていたが、じかに手掴みで渡された。えっ? 手掴みで? しかもスポットライトに照らし出されたホットドックは油でツヤツヤと光っている。
 こんな油でギトギトしたホットドックをそのままテーブルの上に置くわけにはいかないし、食べたくはないけどこのまま食べる以外にないなと思いながら、しかたなく口に入れた。すると一瞬の内に「うわっー、これは何だ? ベタつくようなゴワゴワするような。これは食べ物ではない」と私が思うと同時に隣の堀さんが、「あー、濱田さん、それラップでくるんであるんです」。「えっー、そんなー」。私はあわてて口からホットドックを取り出した。
 そしてあらためて良く見ると、裏側にはラップが重なり合って白っぽくなっているのがわかった。油でギトギトして見えたのはラップのせいだったのである。堀さんは私が見えないということは十分わかっている。しかし、ラップも取らずに口にした自分が、いかにも食べ物にガツガツしているようで、少々恥ずかしい思いをした失敗であった。


★風の音 花の香 陽の光(かぜのおと はなのか ひのひかり)A

千葉市 I.S
 千葉在住の会員HKさんの俳句集『谺』(こだま:平成14年3月上梓)の中から、毎回季節に合わせて3句位ずつご紹介しています。今号もHKさんの十七文字の世界を皆様とご一緒に旅して行くのは、I.S(千葉市在住、夫MがRP)です。どうぞよろしく!

*今食うておかな筍飯たんと(いまくうておかな たけのこめし たんと)
*素手で見る産湯の加減みどりの夜(すででみる うぶゆのかげん みどりのよ)
*葉櫻や表紙傷みしハイネの詩(はざくらや ひょうしいたみし はいねのし)

 第1句:この頃は何でも1年中出回っていますけど、やっぱり季節の味覚は、その時、その“今”が旬なのですね。
 第2句:「みどりの夜」が新緑と共に「みどり児(ご)」を連想させて、何ともほのぼのとした温かい気持ちが伝わってきます。お子さんでしょうか、それともお孫さん?(電話で作者に伺った所、お孫さんで今ではもう大学生の好青年に成長されている由)。
 第3句:ず-ッとず-ッと昔に覚えたハイネの詩が、思いがけず口をついて出てきました。
 “なべての蕾  花と開く (なべてのつぼみ はなとひらく)
  いと美はしき  五月の頃 (いとうるわしき ごがつのころ)
  恋は開きぬ  我が心に” (こいはひらきぬ わがこころに)
『葉桜の五月にハイネは良く似合う』と思います。

 それでは皆さま次回までごきげんよう。この欄へのお便り、HKさん共々お待ちしています。


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