あぁるぴぃ千葉県支部だより27号


■投稿■

次の作文は千葉県の最優秀賞に選ばれました。

★心の輪を広げる体験作文「忘れえぬ感動」

成東町 伊藤 勲
 オーケストラは、勇壮な最後を、力強く誇らしげに締めくくった。一瞬の静寂、弾 けるようにブラボーの声が飛び交い、拍手がホールを揺るがした。それ迄の緊張が一 気に解け、かって経験のない感動が、私の胸を突き上げた。やがて我知らず口もとが こわばり、涙が滲む。いつの頃からか、年の瀬の風物詩となり、「第九」として親し まれている、ベートーヴェンの交響曲第九番「合唱」の演奏会を、私は毎年楽しみに していた。その私はその年、客席ではなく、華やかな舞台にいた。
 隣町の文化会館開設十五周年を記念して《二〇〇一年第九を歌う市民合唱団》の募 集を妻が知人から聞いてきた。その際、「障害をお持ちの方の参加は皆さんの励みに もなるので、ご主人も是非…」と勧められたそうな。初心者歓迎ということも有り、 私は妻と共に参加を決めた。というのも、その頃長いためらいの末、少々の勇気と決 断で、白杖の訓練に踏み切り、見えないはずの目の前が大きく開かれたような気がし ていた。ありのままの自分を素直に受け入れてしまうと、こんなにも肩の力が抜け て、楽な気持になれるものか。障害者は、「一歩前へ!」が何よりも大事なんだ! と、私は妙に力んでいたのである。
 指揮者、ソリスト、オーケストラは超一流のアーチストなので、一年四ヶ月も前 に、合唱団の結成式と同時に練習は開始された。一抹の不安はあるものの、私は座右 の銘、「継続は力」をもってすれば、何するものぞ!と意気軒昂であった。振り仮名 をつけたドイツ語の歌詞と、音符を妻にテープレコーダーに吹き込んでもらう。メロ ディーは趣味のギターで覚えられるが、ドイツ語の暗記には閉口した。その意気込み とは裏腹に、思はぬ壁が待っていた。練習はパート別に行われるので妻の眼は借りら れない上、中途失明による不器用。私は、団員との交流がうまく取れない。練習前の 準備体操で、指導者の指示が理解できず、しばしば棒立ちになる。自分は、場違いな 所に来てしまったのだろうか。憂鬱な練習になってしまった。見かねた妻は言った。 「諦めましょうよ」。
 やがて私の周囲に変化が起き始めた。「こんにちは!」の挨拶が、誰に対して言っ ているのか戸惑う私に、「伊藤さん、こんにちは!」となる。そして「伊藤さん、こ んにちは、私○○です!」と声をかけられたとき、私は胸が詰まった。棒立ちの私 に、誰かがそれとなく手を添えて教えてくれる。移動のとき、誰かがそっとエスコー トしてくれる。
 人々の温かな好意と、協力に背中を押されて、遂に私は二百四十名の一員として、 晴れがましい当日を迎えることが出来た。合唱団は、二楽章と三楽章の僅かな合い間 に、舞台の雛壇に整然と入場しなければならない。最前列の私が、転げ落ちでもした らと、全神経を集中しながら、両隣のサポートで、無事所定の位置にたどりつく。
 いよいよ四楽章!人々の魂を奮い立たせる男性ソリストのバリトンが、朗々と口火 を切る。引き込まれるように、合唱が続く。四人のソリストの美しく、迫力溢れる ハーモニー。さらに指揮者の熱気に促されて、全てが渾然一体となるクライマック ス。そしてオーケストラは劇的なフィナーレへとなだれ込む!
 夢想だにしなかった私の〈第九〉は、こうして終わったのである。
 演奏会は大成功で、打ち上げパーティー会場は華やいでいた。私は、感謝を伝えず には居られずスピーチを願い出た。
 「あの熱狂的な拍手を聞きながら、私は涙を堪えることができませんでした。それ は、この素晴らしい場所に立たせて頂いた皆様への感謝の涙だったのです。私は長い 間人工透析を受けていました。幸い、妹からの生体腎移植により、二十年の束縛から 解放されました。喜びも束の間、その三年後、以前からの進行性視覚障害は、とうと う五十四歳の私に退職を余儀なくさせました。悲嘆に暮て帰郷した私達夫婦の前に、 このような場面が用意されていようとは知る由もなく…。この度、何よりも嬉しかっ たことは、皆様からのさり気ないご親切の数々です。どれ程、私を勇気づけてくれた ことか。心から御礼申し上げます。本当に有難う御座いました」。温かい拍手に包ま れた私は、フッと深く息をはいた。名残つきない宴も終わり、会場を出ると近くの太 平洋から吹き付けるクリスマスイヴの風は強く冷たい。けれど別れ際に交わした沢山 の熱い握手の余韻と、大いなる満足感にあふれた私には、むしろ涼やかな風であっ た。多分妻もそうであったに違いない。
 あれから二年になろうとしている。あの感動は、私の心の中では少しも色あせるど ころか、折にふれ、時にふれ鮮やかに蘇ってくる。今振返ると、白杖にふれて高揚し た気分の趣くままに、参加したものの、演奏会までは視野になかった。それだけに忘 れられない感動となり、私に貴重な体験を残してくれた。どうあがこうと、私は一人 では何も出来ない。だから、自分自身の出来る範囲の努力を尽くした上で、人々への 最低限の迷惑は御願いしよう。そう考えると、おこがましくも、私の参加は、障害者 への啓発に、少しは役立ったかも知れない。
 私の座右の銘、「継続は力」に新たに、「一歩前へ!」を加えて、全盲になってし まった人生を積極的に生きて行こうと思う。


★わかふじ国体に参加して

成田市 濱田 廣行
 11月6日から11日までの6日間、静岡で開催された障害者の国体、わかふじ国 体に参加してきました。その時の報告をしたいとおもいます。
 11月8日、皇太子殿下・妃殿下のご臨席のもと開会式が行われた。会場はエコパ スタジアムというとても大きな陸上競技場だった。開会式の入場行進では中に入った とたん、オーケストラの演奏やコーラス、そして観客席からの拍手の嵐に感動した。 こんな大きな舞台に自分がいるなんて信じられない、何か一流選手にでもなったよう なそんな感じがした。まるでオリンピックや世界選手権みたいな感じだ。違うのは参 加選手が視覚・聴覚・肢体・知的・その他それぞれに違う障害を持った選手というこ とだ。開会式が終わり午後から競技が始まった。競技は陸上だけではなく、水泳・車 椅子バスケット・アーチェリー・フライングディスク(フリスビー)・野球・卓球 (スルーネットピンポン)・バレーボール・その他いろんな競技があった。
 開会式が一通り終わって選手が退場した後、私たちは見ることができなかったが、 競技場ではいろんな踊りや、マスゲームが繰り広げられていたそうだ。オリンピック や世界選手権などの時に行われるショーのように観客席では楽しく観覧できたよう だ。
 大会1日目、2日目が過ぎ、3日目が私の出場する200Mと5000Mだ。私は 200Mで千葉県の選手に選ばれたが、一人2種目まで参加できるので、もう1種目 は5000Mにした。しかし残念なことに、2種目とも大会最終日に行われた。前日 まではいい天気で、暑いくらいの陽気だったが、最終日は朝から冷たい雨になった。 気温も一気に下がり、12〜3度になっていた。短距離の200にはちょっと低すぎ る気温だ。今年の夏から仕事の都合で、ほとんど練習できなくなっていたので、私は 5000はあきらめて、200に集中していた。短距離なら集中的に練習すれば、短 期間にある程度回復するからだ。それに200も5000も神奈川のSさんがいるの で、5000はダメでも200だけは勝ちたいと思っていた。
 いよいよ200のスタートだ。全員が伴走者付きなので、1組2レーンずつを使い 4組4人の盲人ランナーが走る。私は8レーンだった。緊張はしていたけれど、私は とても落ち着いた気持ちでピストルを待っていた。ピストルが鳴り、一斉にスター ト。私と伴走者との足はピッタリと揃ってスタートがきれた。コーナーを回って直線 に。私は一瞬たじろいだ。私の左側の人が1歩くらい前に出ている。たぶんSさん だ。私は横にいる人は全く見えない。でもはっきりと足音でリードされているのがわ かる。負けてはならない。私は勝つんだ。200では絶対に勝つんだ。と自分に言い 聞かせていた。直線に入ってからはストライドを伸ばして夢中でゴールした。いつの 間にかSさんの足音が後ろになっていた。多分自分が勝ったと思ったが、伴走者に確 認してほっとした。タイムは32秒19だった。
 続いて5000はその2時間と少し後に行われた。ずっと小雨が降っていて気温が 低く、短距離には適さないけれど長距離の5000を走るのには、絶好のコンディ ションだった。でも私は全くといっていいくらい練習できていなかったので、500 0は完走だけできればいいと思っていた。5000は視覚障害者の他に、聴覚障害者 も一緒に走るので、20数人がオープンコースに並んだ。同じレースを走るが、それ ぞれの障害区分と年齢区分によって、クラス分けがされている。スタートして私はす ぐに置いていかれ、1000メートルごとのラップは落ちる一方だった。練習はウソ をつかないというけれど、この日の私には「練習不足はウソをつかない」という言葉 がぴったりだった。
 周回遅れにはなるし、足は全然上がらないし、よれよれ状態で走っていた。長距離 は本当にごまかしが効かない種目だ。ゴールタイムは22分38秒。トラック500 0メートルの自己ワースト記録になってしまった。でも、国体は同じクラスの中で表 彰があるので、ラッキーなことに2位ということだった。1位のSさんには大きく引 き離されたけれど、短距離では勝てたし、メダルも2個もらえてほっとしていた。1 日に2つのレースを走り、私は疲れたというより精一杯走った安堵感と、充実感に満 たされていた。
 そして、夕方からは車椅子バスケットボールを行った室内アリーナで、閉会式が行 われた。ずっと雨が降って寒かったので、室内での閉会式はとてもありがたかった。 挨拶や国旗降納・3日間燃え続けた炬火の火が消え(炬火の火はスクリーンに映し出 されていた)、クライマックスでは、真っ暗にした室内で各自に配られたペンライト を点灯して、右に左に揺らした。全てが終了して、各県順番に退場していく。出口ま での通路には、ボランティアの人たちがずっと拍手をしながら、私たちを送り出して くれた。私は笑顔で「どうもありがとう」と答えながら、心の中では「8年前にも国 体に参加したけれど、年齢的にたぶんこれが私の最後の国体になるだろうな」と、な にかとても感傷的な気持ちを抱きながら雨の中をバスへと急いだ。
 たくさんのボランティアの方に支えられて、私は今回障害者の国体という大きな舞 台に立つことができました。練習や大会で伴走をしていただいている皆さん、いつも 暖かい目で見守っていただいている皆さんに感謝の気持ちを伝えたいです。それか ら、この大会では同じ千葉県からJRPSの会員の方が、卓球(スルーネットピンポ ン)で参加されていました。そして他を寄せ付けないストレート勝ちで、金メダルに 輝いていました。大会期間中は顔を合わすたびに話を交わし、とてもお世話になりま した。ありがとうございました。
 国体の予選は、毎年5月の最終日曜日頃、千葉市天台の陸上競技場で開催されま す。申し込みは2月か3月頃、それぞれの市役所で行っています。興味のある方、ぜ ひ福祉課に問い合わせてみてください。あなたにもチャンスはあります。


☆風の音 花の香 陽の光(かぜのおと はなのか ひのひかり)E
 千葉在住の会員KHさんの俳句集『谺』(こだま:H14.3月上梓)の中から、 毎回季節に合わせて3句位づつご紹介しています。
 今号もKHさんの十七文字の世界を皆様とご一緒に旅して行くのは、SI(千葉市 在住、夫MIがRP)です。どうぞよろしく!

*背の粗朶おろし梅見の人となる(せなのそだ おろしうめみの ひととなる)
*躬のためと歩く一と駅寒昴(みのためと あるくひとえき かんすばる)
*風垣にからだ沈めて初音待つ(かぜがきに からだしずめて はつねまつ)

 第1句:粗朶を背負ってせっせと働く一方で、香りに誘われたら素直に一寸一休み (チョットヒトヤスミ)。背中の荷物を降ろして、“梅見の人となる”心の余裕を何 時でも持っていたいものです。2004年は、この精神でいけたらいいなと願ってい ます。
 第2句:「星は昴」とは枕草子ですが、バスでも電車でもひと駅前で下車して目的地 まで歩く“ひと駅ダイエット”。身体のためにお勧めのスグレモノです。この句は、 自宅へと辿るひと駅の道のりなのでしょうか。凍てついた冬空の寒昴。吐く息の白さ が見えるようです。
 第3句:「氷とけさリ、葦は、つのぐむ」。風は冷たいけれど、どこかほんのり春の気配。お稽古中の鶯に見つからないように、そぉっと垣根に身体を沈めて、“今日あたり初音が聴けるかなぁ・・・”。 まさに<早春賦>の世界ですね。
 皆様、春はもうすぐそこですよ。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 それでは皆さま次回までごきげんよう。この欄へのお便り、KHさん共々お待ちしています。(SI)


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