★パネルディスカッション「ロービジョンケアを考える」
●進行係
パネルディスカッション「ロービジョンケアを考える」をはじめます。司会の千葉
大学大学院医学研究院視覚病態学教授、山本修一先生よろしくお願いいたします。
●山本先生
人選その他は高相先生をはじめ主催者側の方でなさいましたし、実は事前の打ち合
わせがまったくないものでございますから、話が一体どういう方向に進むのか、私は
まったく予測がついておりませんが、プログラムを拝見する限り、JRPSの千葉県
支部長の小出さんから始まって、我われ医者とそして千葉盲学校の伊藤校長、それか
ら視覚障害者総合支援センターちばの高梨先生と、真中に患者さんが入って周りで
ロービジョンケアに関わる人間が、これから何かを話していくことになると思いま
す。
時間が押しているのであまり前置きを長くしてはいけないのですけれども、ロービ
ジョンという言葉そのものあるいはロービジョンケアという言葉そのものが眼科の一
般用語として出てきたのは、10年に満たないと思います。本当にいろんなところで
やり始めたのは5、6年前のことだと思います。ただ、視覚障害をお持ちの方はずっ
と昔からおられましたし、低視力の方はたくさんおられましたので、実際には我われ
眼科医が何もやらないでいた、もちろんおやりになった先生も少しはおられたかもし
れませんが、眼科医として取り組んで来なかったということであります。だんだんそ
ういうことではいかんという声が眼科の中でも強くなってきて、いまロービジョンケ
アという言葉が一つの用語として定着して、一つの医療の分野としてちゃんとしてい
こうと私たちは考えております。でも実際には、先ほど高相先生がおっしゃいました
ように、医者ができること、医療機関でできることは限られております。患者さん
を、行政、教育、あるいは福祉といろんな面でサポートしていかなければ、一体と
なってやっていかなければいけないと考えます。
我われ眼科医の弱いところは、我われ医療機関ができる以外の患者さんのサポート
として一体どんなものがあるのか、どんな方がどういうことをなさっているのか、実
はほとんど知らないということです。こういう会をやりますよということをJRPS
ちばの太田さんから伺ったときに、これじゃいかんと思いました。私たちは福祉のこ
とや行政のことを実は患者さんを通して知っているに過ぎないのです。私たちが自分
で知っていて、「こういうアプローチがありますよ。こういう支援を受けていらっ
しゃいますか」ということが一切わからないでやっている状況です。実際に私たちの
足元の千葉県でもどういう方がどういうふうな活動をされているのか。
眼科の中ですと、どこの医療機関がロービジョンをやっているか、だいたいわかり
ます。そういう非常に半端な、患者さんがご自分でこっちを向きながらロービジョン
ケアというか、支援を受けていらっしゃるという状態を、やはりもう少し周りで私た
ち自身が改善していかなければならない、我われ医療機関の側が他のシステムの方と
一緒に組んでやっていかなければいけないということが最初にありまして、こういう
パネルディスカッションが行なわれるのだと思います。
それでは患者さんの立場からということで、JRPSの千葉県支部長の小出佳子さ
んからまず話をはじめていただきたいと思います。よろしくお願いします。
●小出さん
ただいまご紹介にあずかりましたJRPS千葉県支部長を務めさせていただいてお
ります小出です。よろしくお願いいたします。高相先生の方から私は障害を認識して
からの経過とお医者様の告知について、また障害の受容について、話してくださいと
いうことでしたので、うまくお話できるかどうかわかりませんが、はじめたいと思い
ます。
私は9歳のときに「思春期に見えなくなる」とお医者様から告知を受けました。現
在45歳ですが、左眼0.02の視力を残し、右眼は光がわかる程度の光覚、視野は
10度以内です。最近は色がたいへん見えづらく、これはオシャレを楽しみたい女性
にとってはたいへん残念なことです。
当時、というのは小学校の頃ですが、0.9の視力がございましたので、普通小学
校に通い、中学、高校、短大を出ました。一般企業にも就職しまして、その後結婚、
出産、育児を経て、現在ヘルパーさんから週二日4時間の家事援助を受けながら、主
婦業を続けております。
30代の頃に、久しぶりに東京に出ましたところ、以前よりずっと歩けなくなって
いる自分に気がつきました。そして同じ頃、自分でメモを取るのですが、それが後で
読み返せない、判読ができないということが起こってきました。このような状況は、
単独歩行ができなくなるのではないか、また読み書きができなくなるのではないか、
とたいへん私を不安にさせました。
その頃たまたまJRPSの発足を知り入会して、さまざまな情報を得ることができ
ましたし、拡大読書器も入手しております。そして、生活を何とかしなければならな
いと思いまして、訓練を受けることを決意いたしました。高相先生には申し訳なかっ
たのですが、埼玉の所沢にあります国立リハビリテーションセンターに行きまして、
相談に応じていただきながら4泊5日の短期の白杖歩行訓練を受けています。それか
ら、今日高梨先生がいらっしゃっていますが、視覚障害者総合支援センターちばで歩
行訓練士の方から指導を受けて、目的地を決めてそこまで移動する訓練を行っていま
す。読み書きについては、四谷にあります日本盲人職能開発センター、千葉ではトラ
イアングル西千葉とワークアイ・船橋に通いまして、音声ソフトを使ったパソコンの
指導を受けました。読みに関しては、日本点字図書館と千葉点字図書館を通して、全
国の図書館からたくさんのテープ図書の貸し出しをお願いしました。現在では、私は
市原市に住んでおりますが、市原市の朗読のボランティアさんに対面朗読をお願いし
たり、個人的にテープの作成をお願いしたりしております。このような訓練と多くの
ボランティアのみなさん、指導者の方がたのご支援を受けながら、私は今の障害なり
病気を受容していったのだと思っております。
今、このように記念すべき第1回ロービジョンケアフォーラムが開催されているさ
なかも、まだ何の情報も得られず日々悶々と暮らしている多くの視覚障害者の方が
た、私たちの仲間がいます。その方々が少しでも外に出られるように私たちも力を注
ぐつもりでいますが、そのような患者さんが自分の病気に気が付いたときに最初に接
点を持つのはお医者様だと思います。そのお医者様には告知以外に、夢や希望、将来
に対して可能性を持っていただけるようなお話をしていただきたいと思っています。
私が入会しておりますJRPSの会からいろいろな情報を得て、またその中でたくさ
んの会員がいろいろ情報交換しながら、楽しく交流していることなども一緒にお伝え
いただきたいと思います。
視覚障害者のための福祉機器を使って、実際に仕事を継続していらっしゃる方を私
はたくさん知っております。そういった方を紹介していただきながら、今の生活や仕
事を維持できること、そしてそれ以上にできるかもしれないという可能性を秘めてい
るということをお伝えいただきたいと思います。たとえ全盲になったとしても、今日
こちらにいらっしゃる高梨先生や伊藤先生のように、聴覚や触覚やはたまた第6感を
使いながら、立派に仕事をなさっている方がたがいることを知っていただきたいと思
います。
医療関係者の方がたとこのようなお二人の先生方が「よき友」になっていただきた
いと私は願っています。そのようなことから医療関係者と福祉関係者のみなさまが良
い関係を保ちながら、相互理解を深めていくことを私は願っています。そして医療と
福祉の掛け橋となるために、私たちJRPSの会員は努力を惜しまないつもりでおり
ます。
先ほどカウンセラーのお話が出ましたけれども、私はこの1月に3件のご相談を受
けています。今日ぜひ出席してくださるようにお願いしました。一人はアッシャー症
候群の方で、来ておられると思います。もう一人の方はインフルエンザで来られなく
なりました。お二人とも最初にお医者様のお話からちょっとショックを受けられて、
回りまわって私のところに相談にいらっしゃいました。そういう失明の告知を受けた
患者がどこへ相談して良いかわからないという現実がまだまだたくさんあります。そ
のような状況を少しでも早くなくして行きたいと私は願っています。医療関係者のみ
なさまと福祉関係者のみなさまが一緒にこのようなフォーラムで相互理解を深めるこ
とが何よりも必要だと確信しています。まとまりませんが以上を私の発表とさせてい
ただきます。
●山本先生
小出さん、どうもありがとうございました。一度席にお戻りいただいて、また後ほ
どご登壇いただきます。
●山本先生
それでは、医療側として実際の診療の中でロービジョンケアとどのように関わって
いくかというお話を、私と帝京大学市原病院の鈴木教授とそれから池尻先生に、して
いただきます。網膜色素変性症の話は池尻先生がされますから、それ以外のいわゆる
後天性の代表的な病気である加齢黄斑変性症についてお話します。
日本ではいま糖尿病網膜症が後天性失明原因の第1位ですけれども、加齢黄斑変性
症も非常に患者さんの数が増えていて、いずれ糖尿病との順位が逆転することも考え
なくてはいけないという状況です。やはりお年を取ってくればくるほど視力障害が進
んでくるということで、高齢化社会が進んでいく上で非常に問題が大きいと思いま
す。
老化現象に伴う黄斑部の病気というのは、代表的なものがいくつかございます。黄
斑円孔という黄斑に穴があいてしまう病気、あるいは黄斑前膜、それから糖尿病、こ
れはいわゆる眼底出血という類の病気で、網膜静脈閉塞症、これは黄斑に浮腫(むく
み)が出てしまいます。そして加齢黄斑変性症という病気。これらの病気の特徴は、
網膜色素変性症と逆で、中心部がまず抜けてしまうのです。ドーンと真中が抜けてし
まいます。周辺の視野は保たれます。よほどのことがない限り視野が全部なくなって
しまうということはありません。ですからお家の中を歩いたり、外を歩くのも何とか
なります。ただ、何かを見たい、字を見たいとか駅で切符を買いたいというときに、
見たいところがすっぽり抜けてしまいます。患者さんとお話するとき「僕の顔を見て
ください」と言うと、「先生の顔だけがわからないのです。他は見えます。ネクタイ
の色が分かります。でも先生の目鼻立ちがわからないのです」というような状況で
す。ですから、ある意味で網膜色素変性症とちょうど逆の状態といえます。
代表的な患者さんの実際の例のお話をしてみたいと思います。81歳の男性で、黄
斑円孔です。8年前から右眼が見づらかった。1年前から左眼も見えなくなってき
た。見えない見えないというので1年経ってから家族が連れていらっしゃいました。
視力は両眼とも0.1です。両方の眼の黄斑、視力にいちばん大事なところに真ん丸
く穴がスポーンと抜けています。下の写真は、光干渉断層計といいまして、網膜の断
面を見られる器械で撮った映像ですが、網膜に穴があいている状態がよくわかりま
す。この病気は、発症してから半年以内であれば、手術すればほぼ100%近く治り
ます。私もこの手術を多数やっていますけれども、半年以内の症例であれば、一例も
取りこぼしをしないで治しております。ただ、先ほど申しましたようにこの方の右眼
は8年前からです。左眼も1年前なのです。半年を過ぎると手術の結果が悪くなると
いうことは良くわかっているのです。半年を越えると非常に治りが悪いのです。どう
しましょうかとご家族とも相談しました。治る可能性のある方だけでもやってくれな
いかということで、左眼の手術をいたしました。白内障の手術も一緒にいたします。
1ヵ月後の左眼の写真では、円孔が一応ふさがりまして、視力も0.1から0.3に回
復しました。おそらくこれは白内障の手術を同時にやったからだと思います。しか
し、1ヶ月経って外来にいらしたら、また円孔があいちゃっているのです。ご本人に
聞いたら「何も見え方は変わらない」というのです。「そんなことはないでしょう」
といっても、「何も変わらない」というのです。確かに、視力を測ると、円孔がふさ
がっているときも0.3で、円孔がもう1回開いちゃったときも0.3で、本人も「何
も変わらない。手術して明るくなっただけ」というのです。「どうしましょう、もう
1回手術しましょうか」と聞くと、「もうあんな思いは絶対したくない」とおっしゃ
います。実は、この手術をすると眼の中にガスを入れて、1週間くらいうつむきの姿
勢をとらなければいけません。患者さんにとってはたいへんな拷問のような手術であ
りまして、「もうあんな思いは絶対したくない」ということで、手術はしないという
ことになりました。
ただ、両眼に黄斑円孔が開いていて真中が見えないわけですから、そのままではま
ずいだろうということでロービジョンケアをやってみましょうかというお話をしまし
た。この方、片目は8年前から見えなかったし、もう片目も1年前からこの状態が続
いて、0.1の視力で生活しています。「できるとしたら、どんなことがしてみたい
?」と聞きますと、「新聞が読みたい」ということです。とにかく黄斑円孔がありま
すと字は読めません。見たいと思うところがすっぽり抜けてしまいますから。「新聞
が読みたい。それから書類の記入がしたい」。年金の書類など、みんな嫁さんに気を
使いながら頼んだり、いろんなことに気を使わなければいけない。それからルーペは
持っているが、片手にルーペもう片方にペンというのはたいへんだから、どうせだっ
たら両手が使えた方が良い。こういう要望が出てまいりました。視力は0.15と0.
1。30センチ離れたところの近見視力を測ると、0.2から0.3くらいの視力が出
ました。もっと近づけたらどうだろうと10センチまで近づけたところ、右眼は0.
7で左眼は0.9まで見えました。眼鏡を+9Dという非常に強い老眼鏡をかけても
らいました。この方は普通の老眼鏡は+4Dくらいですむのですが、倍くらいの強さ
の老眼鏡を作ってあげました。そうすると10センチの距離で、たいへん近いのです
が、両方の眼で0.6の視力が出ました。ただ、頭から両眼に掛ける両眼の使える
ルーペを試してみたところでは、字が抜けてしまう、中心の見えないところに字が
入ってしまうので見えないということでした。そこでこの非常に強い近用眼鏡を1ヶ
月掛けてもらったところ、「やぁ新聞が見えるようになりましたよ」と喜んでいただ
きました。大学病院に来て手術でよくならなかったけれども、「良い眼鏡を作っても
らってとっても良かった」と喜んで帰っていただいたということで、ロービジョンケ
アが役に立った良い例だと思います。
これは眼の奥のどこがどれくらい見えているかというのを示すことができるごく最
近開発された器械で撮ったものです。8年前からずっと見えなかった右眼の方は、円
孔のちょっと上に水色の点がたくさんあります。ここでずっと物を見ていることを示
しています。一方手術した方の眼は、見ようとしたときにどこで見ているかを示す水
色の点がばらばらです。左の眼が見えなくなってから1年経っても平気だったのは、
元々見えないほうの眼の中心からちょっと外れてところで、いわゆる偏心固視と申し
ますけれども、見るということをご自分で習得なさっていたのです。だからあまり困
らなかったということです。
今回のロービジョンケアでは、黄斑円孔が開いたままですけれども、その横っちょの
使えるところをうまく拡大することで、この方は新聞が読めるようになったというこ
とです。これはまったく新しい器械ですけれども、こういう器械を使うことによっ
て、網膜の中で実際に使っている場所がわかるということになりました。こういう器
械を使うとロービジョンケアも少しやりやすくなってくるということです。
次が90歳の加齢黄斑変性症の男性です。この方は2年前に近くの先生のところで
白内障の手術を受けました。右眼は0.7でしたが、左眼が0.04と視力が出ません
でした。そうこうしているうちに、右眼の視力も下がってきました。「これはいか
ん。見えるほうの眼の視力も下がってきちゃったぞ」ということで、ご紹介いただき
ました。眼底を見ますと、右眼は大きな出血がちょうど黄斑部を中心にど真ん中にあ
ります。かれこれ1年前に白内障の手術をしたときから視力が出なかったという左眼
の方は、そうとう昔から加齢黄斑変性症があったような眼で、黄斑を中心にど真ん中
の網膜が全部やられてしまっているという状態です。この状態で視力は0.08と0.
03です。この方に対して私たちは経瞳孔温熱治療というこの当時いちばん新しい治
療を行ないました。だいぶ出血は引いて来たのですけれども、まだ出血があって視力
は0.05となりました。この段階で、出血も多いし範囲も広いし、病状がかなり悪
いことがわかっていましたから、すでに片目は全然見えない状態にありましたので、
治療と平行してロービジョンケアのお話をいたしました。私はロービジョンケアを
やっていく上で重要だと思うのですが、治療がどうしようもなくなってからロービ
ジョンと言うのではなくて、治療は治療で続けながら、両眼とも0.1以下の視力で
日常生活にお困りなのですから、ロービジョンケアを導入していかなければならない
と思います。
「どんなことがしたいですか」と伺うと、「機械の説明書とか新聞を読みたい」とい
うことです。すでに10倍のスタンドルーペをお持ちなのですけれども、これを使っ
ても良く見えない。驚いたのは、「身体障害者の申請などは知らない」ということで
す。90歳で老人福祉の適用もあるのでしょうけれども、前の先生から全然そんな話
を聞いていないというのです。
遠見視力は0.04と0.03です。ロービジョンケアをやっていただきました。
高々+3Dという普通の視覚用の眼鏡を処方するだけで、この方も10センチの距離
まで近づけないといけませんが、0.5の視力が出ました。眼底はものすごく血だら
けで、普通に視力を測ると0.1以下ですが、ちょっと眼鏡を作ると良くなる。それ
からCCTVというテレビを使った拡大読書器を使って白黒反転すると「とても見や
すい、字が書けるようになった」というのです。正直言って「嘘でしょう」と言いた
くなるような、あの眼底であの視力で「字が書けるようになった」というのです。7
倍の携帯用のルーペを処方してみましたら「腕時計が見えるのでとても重宝してい
る」と。身体障害者の申請は4級ですけれども取得しました。病気そのものに関して
はあまりよくなっていないのですが、ご本人はとても楽になりましたといって帰って
いただいたという例です。
最後にもう一例です。この方は80歳で加齢黄斑変性症です。この方も病気の経過
が長くて、10年前から右眼が黄斑変性で近くの先生に見ていただいていました。1
年前に左眼も視力が下がってきたということで「これはたいへんだ」と。片目のとき
はみなさん「もう一方が見えるからいいや」と患者さんもおっしゃるし、「年だし
しょうがないよ」ということもあるようです。さすがに両眼になるとみなさん慌てま
す。眼底を見ますと、右眼の方はかなり古い黄斑変性で視力は0.09まで落ちてい
ます。左眼はわりと最近生じたような黄斑変性で0.2に視力が下がっているという
状態でした。当初、経瞳孔温熱治療をやりましたが、全然効かなくてかえって病気の
勢いが強くなってしまいました。治療前0.2あった視力が0.01に落ちてしまいま
した。そのうちに最新の治療法である光線力学療法という特殊な治療法ができるよう
になりましたので、それを早速この患者さんに受けていただきました。そうすると出
血もきれいになくなり、病気の悪いところがなくなって、視力は0.06と少し回復
しました。いらしたときが0.2ですから、病気に関してはほぼ火が消せた状態にな
りましたが、視力は下がってしまいました。
経瞳孔温熱治療をやって視力が0.01に下がってきた段階でロービジョンケア
を、外来の治療と並行してはじめております。やはりこの方も「新聞が読みたい」。
それから昔から書道がとってもお好きでいらして、「やっぱり書道ができるようにな
りたい」ということが非常に強い要望でした。ですから両手が使えないと困る、片手
にルーペを持ちながらでは書道はできないのは当然のことです。遠見の矯正視力は0
.07と0.03。この方は普通の度数の眼鏡を掛けると10センチで0.07の視
力、何もしないときに比べるとずっと見やすいということです。ただ患者さんご自身
としては、光線力学治療で完全に病気が沈静化するのを待ってから眼鏡を作りたいと
いうことで、まだ眼鏡は作っておりません。ライト付きの4倍のワイドルーペをつけ
ると、新聞が読めるようになりました。拡大読書器はいろいろ試していただきました
が、反応いまいちというところでした。
このように患者さんによって非常にまちまちですし、同じ病気で同年代のお年寄り
でも、方向性がまちまちになっております。全然まとまっていないお話なのですけれ
ども、無理にまとめてしまいますと、両眼性の黄斑の病気がロービジョンケアの対象
となります。どうしても病気の性格から80歳以上の方がほとんどです。かなり高齢
の方であっても、当然のことながらまずせめて活字は読んでいたいという欲求を非常
に強くお持ちです。わりと見落としがちですが、近用の眼鏡の度数をちょっと強めに
処方するだけで、もちろん従来の30センチとかの距離では無理ですが、かなり近づ
けたりして新聞が読めるようになります。患者さんによりますけれども、拡大読書器
とかルーペを組み合わせると、さらに見やすくなることがあります。年寄りだからと
いってあきらめないこと。高齢者のロービジョンケアはとても難しい面がありますけ
れども、大変かなと思っても結構それなりの満足をしていただけるケースがありま
す。ご本人も「年だし病気が病気だからいいですよ」とおっしゃることが多いので
す。今日紹介した3人の方もすべてそうだったのですが、あきらめずにやると少しで
も快適な生活が送っていただけるようになると考えております。
●山本先生
それでは続きまして、帝京大学市原病院の眼科教授でいらっしゃる鈴木康之先生に
緑内障の場合のロービジョンケアについてお話をしていただきます。よろしくお願い
いたします。
●鈴木先生
帝京大学市原の鈴木です。私は非常に申し訳ないのですが、ロービジョンというこ
とに非常にうとく、東大にいたときもロービジョン外来というのが確かにあったので
すが、あまりタッチしておりません。治療ばっかりだったので、ロービジョンにはど
うも門外漢で、この場に立って話をするのが非常につらくて、ロービジョンをよく知
らない駄目な眼科医の代表として出さしていただいていると思っております。
今回、高相先生から「緑内障によるロービジョンということで話をしろ」というこ
とで、テーマをいただいたのですが、実際緑内障はそれほどロービジョンにはならな
い、というか両眼のロービジョンになることが少ないというのが、私がいろいろの患
者さんを診てきて思う感想です。いまの病院は前任者が前任者だったので、ロービ
ジョンに該当するような患者さんは、アトピーで両眼の網膜はく離の手術後とか糖尿
病網膜症とかそういう方が多いのです。純然たる緑内障で両眼ともがいわゆる社会的
失明ということが条件になっている方は、糖尿病の合併症による緑内障でそういう状
態になったという方はいるのですけれども、純粋に緑内障だけでという方はいらっ
しゃらないです。話を先に進めます。
実際に緑内障によって視力障害がどの程度起きるかというのを、データとして論文
を見てみたところ、全世界の失明率が0.7%と報告されており、その内、緑内障に
よる失明が世界的には15%、世界的には結構多いです。それから計算しますと、世
界での緑内障の失明率というのは0.1%、全人口の0.1%くらいが緑内障で失明し
ていることになります。緑内障の有病率を5%と仮定して計算しますと、緑内障に
なった方の失明率は2%くらいということになります。実際の論文を5、6報見てみ
たところでは、緑内障の失明率は、ごく最近では0.7〜0.9%となっています。世
界的に見てもそれほど高くないといえます。
国内では2年程前に岐阜県の多治見市で非常に大掛かりな緑内障の疫学調査が行な
われて、4000名の無作為抽出の対象者から緑内障の有病率および視力障害に関し
て検討したことがあります。それによると、緑内障の有病率は0.78%、実際にそ
の緑内障と診断された中で両眼とも失明していた例は一つもありませんでした。片眼
のみ失明した人が3人で0.1%ということで、これを見ても、各国によって医療事
情が違いますので一概には言えませんが、緑内障が原因で社会的失明、ロービジョン
になるというのはそれほど高くないというのは確かだろうといえます。あまり心配さ
れることはないとデータ的にはいえます。
緑内障による視野障害の特徴というのは、いろいろあるのですけれども、病型に
よってだいぶ異なります。この辺はドクター向けの話になって一般の方には申し訳な
いのですが、原発性閉塞緑内障、発達(先天)緑内障、続発緑内障、これは何か他の
病気があって起こる緑内障ですが、それからいわゆる一般的な緑内障である原発開放
隅角緑内障、日本人に多い正常眼圧緑内障で、それぞれ視力障害は起き得るのですけ
れども、その来たす速さというのは大体いま述べた順番になっています。急性の緑内
障、いわゆる緑内障発作は、急激な視力低下、視力障害を引き起こし得るのですが、
正常眼圧緑内障というのはなかなか起こさない、私が知っている限り、正常眼圧緑内
障で両眼に視障害を来たすというのは非常にまれです。片方が見えなくなった例は何
人か知っていますが、両眼になるというのは少ないと考えています。
一つひとつ少し話しますけれども、急性原発隅角緑内障の場合は急激に緑内障の発
作が起きますので、それまで普通に生活されていた患者さんが急にパーンと見えなく
なります。それが2、3日治療が遅れると、視力障害が永続してしまいます。さらに
角膜障害の問題を起こす可能性もあります。そういう発作を起こす方はすべて高齢者
です。ただ、この病気の良いところは、通常は片眼性なのです。両眼一遍に発作がく
ることは比較的まれです。片方に発作が起きて治療が遅れて視力障害が起きたとして
も、もう片方はレーザー虹彩切開術という予防手術をすることによって発作を防ぐこ
とができるので、両眼の視力障害にいたることはあまり多くはないということです。
片眼性の発作のときは比較的よろしいというふうに考えます。実際に片眼に発作が起
きれば、もう片方に対する治療をすることによって、そちらが視力障害にいたること
を防ぐことができます。確かに視力障害が急速に起きるのですけれども、意外に両眼
という意味では助かる可能性が高いというふうに考えられます。
発達緑内障は、先ほどこども病院の磯辺先生のお話にもありましたように、実はい
ちばん問題だと思います。特に先天性の場合は、生直後発例は重症例が多いし、角膜
混濁が起きたり、その他いろいろな問題があります。それから進行が急激であります
し、逆にある程度進行しないと、気付かれにくいという面もあります。当然ながら両
眼性であるということで、発達緑内障は緑内障の中で最もロービジョンを来たしやす
い病態であるというふうに考えられます。
続発緑内障の中で特に問題となるのは、新生血管緑内障という病態です。糖尿病で
も網膜血管が詰まって起きるような病態でもそうなのですが、眼の中に新しい血管が
出てきてしまって、そのために緑内障になってしまう状態というのは、非常に重篤な
緑内障になります。それからぶどう膜炎といって、眼の中に炎症が起きるような状態
でも、緑内障になります。ぶどう膜炎自体が重篤であるためもあるのですが、そうい
うときの緑内障もなかなか治療が困難であるといえます。あと外傷や術後の緑内障な
どが社会的失明につながりやすいということもあります。両眼性もあるし片眼性もあ
ります。治療がなかなか難しいということです。
治療が難しいということともう一つ続発緑内障というのは、何か眼の病気があって
起きる緑内障なので、最初の病気に気をとられて、緑内障の治療にまで手が廻らない
ことがたまにあります。そのために見つかったときにはすでに手遅れということもあ
り得るということで、続発緑内障も先ほどの発達緑内障と並んで視力障害を起こしや
すい緑内障と考えることができます。
一方、いわゆる原発開放隅角緑内障、普通の緑内障、眼圧が高くなって神経が圧迫
されて見えなくなる一般的な緑内障です。この病態の特徴というのは、求心性の視野
狭窄が起きるのですけれども、進行してだんだん周りのほうが見えなくなっていっ
て、真中が最後まで残って最後にそこが見えなくなって、視力障害が起きるというタ
イプです。患者さんにとっては急に視力障害が起きるということになります。それま
で視力が良いですので、治療に対するコンプライアンスが悪くなりやすいという特徴
があります。
原発隅角緑内障でも眼圧が高いタイプと比較的低いタイプがあります。高いタイプ
は結構進行が早い方がいらっしゃいますので、そういう意味では気をつける必要があ
ります。あともう一つ緑内障全般の特徴で、先ほどの黄斑変性と違いまして、中心視
野に視力障害が起きたときはすでに周辺視野も当然障害されていますので、周辺視野
の助けを借りることができません。ただし、いろいろなたいへんなことはありますけ
れども、比較的治療が容易です。
最後に正常眼圧緑内障です。これは原発開放隅角緑内障と同じような形ですが、
徐々に進行して中心が最後に飛んで見えなくなるという形で、患者さんにとっては急
に来る視力障害ということになります。やはり同様に中心視野が傷害されて視力障害
が起きたときには、周辺視野もすでに障害されています。ただ、正常眼圧緑内障は比
較的進行が緩除です。両眼の失明にまでいたる例は少なく、あまり恐れることはあり
ません。
総論に終始して申し訳ありませんでしたが、緑内障によるロービジョンをまとめる
と、発達緑内障と続発緑内障が主体となる対象であろうと考えられます。原発開放隅
角緑内障と閉塞隅角緑内障では両眼とも失明にいたる例は少ないというのが私の印象
ですし、実際もそうでしょう。正常眼圧緑内障ではさらにまれです。その他の疾患を
合併している続発緑内障では、緑内障を見逃す可能性がありますので、注意が必要で
す。
このように緑内障によってロービジョンになる方というのは少ないとは考えられま
すけれどもいらっしゃいます。そういう方をどうやってケアしていくかについては、
残念ながら帝京大学市原病院ではほとんどやられていないのが現状で、この先の話が
できなくて非常に申し訳ないです。それはこれからのみなさまのお話を聞いて、私自
身も勉強していきたいと思います。以上です。どうもありがとうございました。
●山本先生
はい、ありがとうございました。先生、多治見スタディの失明の定義は何なのです
か。
●鈴木先生
WHOの定義ですから、0.02です。
●山本先生
わかりました。ありがとうございます。それでは、医療機関側からの3番目で、網
膜色素変性症について池尻先生お願いします。
●池尻先生
こんにちは。池尻です。僕はスライドを用意していませんので、ゆっくりしゃべり
ます。「網膜色素変性症とロービジョンケアの問題点」と非常に大きなタイトルで、
何を話せばよいかまよったのですが、一応原稿は用意してきました。ところが、先ほ
ど上のロビーでJRPSの太田さんや岩宮さんと話しまして、内容が変更になりそう
なので、まとまりがないお話になるかもしれませんけれども、聞いてください。
一つは、私は昨年3月まで千葉大学病院で約10年間、網膜色素変性症の専門外来
をやっておりましたのでその経験と、もう一つは、この1年間は別の病院にいるので
すが、一般の市中病院で眼科診療をやって、患者さんと接してロービジョンを考えな
いといけないと、その二つの点から問題点を話したいと思います。
まず一つは、医師側の問題といいますか、患者さんへの対応の難しさといった方が
いいのかもしれませんが、そういうことをお話したいと思います。今日は疾患の具体
的なお話は一切いたしませんけれども、ご存知の方が多いと思いますが、網膜色素変
性症は個人差が非常に大きいのです。有効とされる治療法がない、慢性・進行性であ
るという疾患です。もちろん非定型例、あまり典型的でない例とか、中には眼底に所
見が乏しくてなかなか診断に結びつかないケースもあるとは思いますが、多くの典型
的なものであれば、どんな眼科の先生であっても診断そのものはつくだろうと思いま
す。診断はつくのだけれども、そのあとが一番の問題点だろうと思います。それはど
ういうことかといいますと、大学時代も含めて非常に遠くから、例えば九州、北海
道、もちろん近畿、四国、いろんなところから患者さんがいらっしゃいます。はじめ
私は、前の安達先生からいまの山本教授、千葉大学という名前、大学病院という名前
はすごいなと思っていたのですが、千葉大学で特別な治療法があるとか最先端のもの
があるわけではないのです。でも患者さんに来ていただける。どうしてかなとずっと
考えていたのですが、僕が思うには、患者さんとしっかり向き合ってじっくりお話を
するからだと思うのです。患者さんは知りたいこと、聞きたいことがいっぱいあるの
だと思うのですが、多くの眼科医はほとんど向き合ってくれない、そこが一番問題だ
ろうと思います。極端な例かもしれませんが、ひどい例では診断がつけられて、「治
療法がない。進行しますよ。やがて失明する」、これだけで終っているケースがある
のです。実はこの方は20代の女性だったのですが、再来とか次の受診とか一切指示
がない、ここで終ってしまっているのです。こんなケースはそんなに多くはないかも
しれませんが、近いことは結構あるのではないかと思います。そういうところがいち
ばん問題だと思います。つまり患者さんはいくつか病院を廻っていらっしゃって、要
するにいろんなことをお聞きになりたいのです。医者はそれに対して、もちろん全部
に答えがあるわけではありませんが、できる限り向き合って的確に言えることは言う
し、わからないことは一緒に考えて良いのではないかと僕は思います。
具体的には予後の問題。「失明するといわれたけれども本当なのか」。これは、個
人差もありますから、非常に難しい問題かもしれません。ただ僕が思うには失明に至
るケースというのはそんなに多くはない、RPの中でそんなに多くはありません。患
者さん個々に対して、10年、20年、そういったスタンスで予測できるかどうかと
いうことを考えなければいけないと思います。これによって患者さんは今後仕事をど
うするか、考え方も変わってきます。将来のこと、自分の予定が当然変わってきま
す。次にはお子さんの問題、これは2点ありまして、たとえば出産の問題、もう一つ
は子供に病気のことを言った方が良いのか、これは遺伝も絡んでまいりますから。そ
うしますと今度は遺伝のことも一緒に考えなければいけない。治療も有効なものはな
いとはいえ、研究は非常に進んでいます。展望はどうだろうか。中にはインターネッ
トを使って非常にいろんな詳しい情報をお持ちの方もいらっしゃいます。逆に聞かれ
るのです。「先生、こんな情報があるのだけれどどうだろうか」。そうすると今度は
医師としてのコメントを求められる立場にありますので、もちろん医師側もいつも勉
強しないといけないのですが、そういったことも含めていろんなことを患者さんは知
りたがっていると思います。医者は、やはりある程度対応できるようにしていかなけ
ればいけないだろうと考えます。とはいってもこれはなかなかむずかしいところなの
です。僕が専門外来を担当しはじめた頃は、とてもじゃないけど対応できませんでし
た。日々勉強、勉強で患者さんにいろんなことを教わって、また勉強して、この繰り
返しで、ある程度の経験を積んで、やっとある程度何とかなるのかなあと思ったもの
です。そうするとやはりある程度の専門性が要求されるのかと思います。いろんな眼
科の先生方は、もし自信がなければ、診断だけではなくて対応の面も含めて専門の病
院にきちっと紹介すべきかと思います。患者さんもやはり今の時代は、セカンドオピ
ニオンとか、いろんな意見を聞かれた方がよいと思います。そういった意味では途中
で終らないで、いろんな病院にいかれてよいのかなあと思っております。
要するに僕が言いたいのは、この疾患の場合は短期的にぽんと見て治療をやって、
はい終わりというものではありません。腰を据えて10年、20年、あるいは30年
と患者さんと向き合ってやっていかないといけないと思っています。
もう一点はロービジョンの問題で、いろんなお話をお互いにするということがはじ
まりであろうとは思うのですが、ロービジョンをする場合のむずかしい点ですけれど
も、大学におりますと、先ほどの高相先生がやっておられるロービジョン外来があり
ましたので、僕らは外来でいろんな検査をやってお話をして、必要があれば「ロービ
ジョン外来をやってみましょうか」という形で、診てもらう。そしてまた僕らも診る
というキャッチボールでうまくできたと思うのです。実際に大学病院から出まして一
般病院におりますとこういう形がないのです。施設を作るのはむずかしいと思いま
す。今日たくさんいらっしゃっている中でドクターは半分くらいでしょうか。ロービ
ジョンを必要とする患者さんがいた場合どうしたらいいかという問題があると思うの
です。とりあえずは大学なりのロービジョン外来に送るか、もう一つはこの疾患に関
していえばJRPSに入っていただくと。JRPSの中で年に一回の福祉機器展もあ
りますし、要は患者さんが実はいろんな情報をお持ちですから、それを使う手が一番
いいのかなあと思う反面、先ほど山本先生あるいは鈴木先生のお話がありましたけれ
ども、糖尿病であるとかいろんな疾患の方がいらっしゃるので、そういうロービジョ
ンも含めると、何とか一般の病院でもできるロービジョンの形、レベルがあると思い
ます。そのためには、僕らも勉強しながらスタッフにも勉強してもらって、ある程度
までは僕らのところでできるようにしてあげたいなと思います。それ以上これはもう
手におえないという場合に上のレベルへご紹介するという形を作り上げていきたいと
思っています。
まとまりがありませんが、以上2点が今日お話したかった内容です。よろしいで
しょうか。以上で終ります。
●山本先生
はい、ありがとうございました。では続きまして、視覚障害者の教育という点から
千葉盲学校の伊藤先生にお話をしていただきたいと思います。
●伊藤先生
千葉盲学校の伊藤でございます。まず、この会を企画していただきましたJRPS
のみなさんそして中心的に計画されました高相先生には敬意を表したいと思います
し、このような席にお呼びいただいたことに対しまして、感謝申し上げたいと思いま
す。ありがとうございます。
私の方では、盲学校についてどんな学校なのかということと現在の盲学校を取り巻
く状況、そしてそれを踏まえて今後盲学校をどのように運営していくか、変えていく
かということについてお話をさせていただきたいと思います。時間もございませんの
で、できるだけ簡単にしたいと思います。
本校は明治45年6月6日に創立をされました。実際にはこれ以前に当時の三療、
あんま・はり・きゅう、鍼按業者といっておりましたけれども、その人たちがちょうど
その時期にあんま・はり・きゅうの法制度ができるという状況がございまして、それを
踏まえて危機感を持って、自分たちの弟子に何とか勉強させたいということで、寄り
集まったわけです。そこに眼科医でございました飛田良吉先生の肝煎りで明治45年
の6月6日に創立されたわけでございます。当然私立学校令でありましたから私立で
ございました。それが昭和8年に千葉県の教育会に移管をされまして、県立学校とな
りました。そして戦後、千葉県立千葉盲学校と校名を変えまして、正式な新学制の元
でほぼ今のような盲学校の形が整ってまいりました。つまり義務教育でございます小
学部、中学部、これはいわゆる健常の子供たちの教育に相当する内容を、視覚障害に
対応させて指導するという学部です。その上に高等部としまして、当時、普通科はご
ざいませんで、職業教育としての理療科、三療の指導をする職業教育課程でございま
すが、盲学校関係では理療科と呼んでおりまして、これができたということでござい
ます。そして昭和43年に今の四街道に移ったわけですが、その当時にいわゆる高等
部にも普通科の設置が必要だということで普通の高等学校の普通科課程に順ずるもの
ができました。それから同時にその時期に視覚障害を持った女性の自立ということを
目指しまして、特に家庭生活面での指導を充実させなければいけないということで、
家政科も設置されたわけでございます。この家政科については実は時代の変化がござ
いまして、現在学科改変を行なおうとしております。家政科というのは全国の盲学校
の中で後にも先にも本校以外には持っていなかった課程でございますけれども、今の
時代に合わせるということで、変えていくという方向でいま県教委と調整中でござい
ます。そしてやはり昭和40年代の終わりに幼稚部が設置認可されました。これでだ
いたい完全に今の盲学校の形ができ上がったわけでございます。同時にこの時期に、
今日のロービジョンケアは医療・福祉・教育・労働の連携ということが基本にあると思
いますが、本校では昭和46年に眼科診療所を学校内に作りました。その後、眼科相
談と形を変えましたが、現在に至るまで月一度眼疾の管理等についてご指導いただい
ています。当初は千葉大学におられました久保田靖夫先生、その後は富山の方に移ら
れましたが、夜行列車等で来ていただいて、平成10年までやっていただきました。
ご本人が留学の時には奥様にもお願いをし、それが現在でも続いています。ただ四街
道に移った頃は、眼科診療を行なう眼科が地域に少ないということもあって、診療所
という形で立ち上げましたけれども、その後は眼科も増えましたものですから、特に
昨年あたりは教育委員会の方から、もう眼科相談を校内でやっている場合ではないの
ではないか、という指摘がございまして、財政難の中、場合によっては閉じなければ
ならないかという状況もございましたが、ぜひこれは続けたいということでお願いを
いたしました。特に今後盲学校での視機能をきちんと把握した上での教育ということ
を考えますと、中身を少し変えていかなければならないと思っておりますけれども、
存続していかなければと考えているところでございます。
それでは今の特殊教育界の状況をちょっとお話させていただきます。平成13年に
「21世紀の特殊教育の在り方について」ということで文部科学省の調査研究協力者
会議から「一人ひとりのニーズに応じた特別な支援の在り方について」という報告書
が出ました。これを機会に特殊学校はいま大きく変わろうとしております。その後平
成14年には就学基準の改正とか、15年には「今後の特別支援教育の在り方につい
て」が出ました。どのように変わるかということでございますけれども、これまでは
盲・ろう・養護学校といわれるように、障害種によって場を変えて指導することが行
なわれていたわけですけれども、これからは一人ひとりのニーズに応じてやるのだと
いうことで、当初は特別支援学校というものに、盲学校も聾学校も一律にその中に入
れるということでした。これは盲学校の子供たちの状況をみても、重複障害者が非常
に増えておるものでございますから、そうしたことに対応させるためには、そのよう
な方向が良いのだということで、協力者会議の方から提示をされたわけです。それか
らもう一つは通常の学校の中にいわゆるLD(学習障害児)、ADHD(注意欠陥多
動性障害児)、自閉症の子供たちがたくさんいて、文部科学省がやった聞き取り調査
ですと、概ね6%いるということです。これまでの特殊教育の対象が1.5%程度の
ものであったものを、7.5%という多くの子供たちにも、障害は軽いけれども、そ
うした発達障害の子供たちにも、光を当てるということで、特別支援教育という方向
性が出てまいりました。
盲学校としてはこうなりますと、視覚障害教育を専門とする学校がなくなり、専門
科も非常に危うくなってくるので、そうした方向をぜひ取らないでほしいとあちらこ
ちらから文部科学省への要望等がございました。現在、中央教育審議会の中で特別支
援部会が持たれまして、昨年の10月1日に中間報告が出ました。概ね設置者が認め
れば盲学校、つまり視覚障害教育とか聴覚障害教育は形として単独の学校が残れるよ
うな方向が出てまいりました。本県ではいま「ノーマライゼーションに対応した障害
児教育検討会議」が開かれておりますが、概ねそれで良いという方向になっておりま
す。本校は視覚障害に特化した学校ということで今後ともやっていこうといま考えて
いるところでございます。
特別支援教育になって何が変わるかということですが、先ほど申し上げましたよう
に、通常の学校の方にも軽度の発達障害のかなりの子供たちがいます。視覚障害に関
しましても就学基準が変わって教育委員会の方で認めれば良いということで、弱視の
子供たちが存在しています。医学的な弱視と違いまして、いわゆるロービジョンのこ
とを我われは昔から弱視と言ってきています。そうした子供たちにも支援をするため
に、盲学校はセンター的機能を持たなければならないということになっております。
今後の方向性でございますが、本校における視覚障害教育の専門性を高めるという
ことが、いちばん重要でございますが、同時にそうした教育力をもって周囲の人たち
にも支援をしていくということで、潜在的機能を果たしていきたいと考えておりま
す。いくつか申し上げますと、一つは教育相談、いまもやっておりますけれども来訪
相談をはじめとして、場合によっては巡回相談もできたら良いと思っております。実
は一昨年から船橋地区で視覚障害教育の体験相談会というものを始めております。昨
年は安房地区でもやりました。来年度は海匝地区にも手を広げます。これは通常の学
校に通っている視覚障害のある子供たちに対する支援、それから養護学校にもかなり
おりますので、そうした子供たちに対する支援ということを意識しながら、担当の先
生等にも研修を深めていただくというものです。
二つ目には本校でやっております研修をできるだけ広く県内の視覚障害教育に携わ
るあるいは生活支援に携わるみなさまにも開放しながら、研修の場として機能してい
きたいと思っております。三番目には情報提供の部分です。これはホームページ等も
使いながら、視覚障害教育に関する情報提供をできるだけ広く知らせていきたいと考
えております。
四つ目には本校にある視覚障害教育に関わる教材・教具あるいは図書資料を貸し出
すような方向で行きたいと考えております。本校は、全国一ボランティアの方がたが
多い学校でございまして、いま40を越える団体からの登録者が900名を越えてお
ります。そうしたことで点訳であるとか、朗読であるとか、あるいは文字の拡大であ
るとか、触る絵本といったようなボランティアの作った資料等がたくさんあるので、
これを活用したいということでございます。
五つ目に生涯学習の観点で、学校を終ってしまった視覚障害のみなさまに施設を提
供することを考えております。宿泊できる体験室を持ちたいというお願いを県の方に
しまして、最初難色を示されたわけでございますけれども、どうしてもということで
お願いをしまして、ワンルームマンションタイプの部屋を作りました。この体験室等
を使って、視覚障害の方々に対する生活支援をしていけたら良いと考えております。
いろいろ考えていることはあるわけでございますが、なかなか県も財政難ということ
で教員定数は増えない、増えない中で職員の仕事が増えるわけでございますが、そう
した中でできるだけ視覚障害教育あるいはそれに関わる支援をやっていければ良いと
考えているのが現在でございます。ちょっと長くなってしまいまして、たいへん失礼
いたしました。ありがとうございます。
●山本先生
伊藤先生ありがとうございました。それではパネリストの最後として、視覚障害者
総合支援センターちばの高梨憲司先生お願いいたします。
●高梨先生
こんにちは。ただいまご紹介に預かりました高梨といいます。真打だと思うと
ちょっと緊張するのですが、時間もなくなりましてどん尻ですので、速やかにお話さ
せていただこうと思います。今日いらっしゃっているみなさま方には日ごろたいへん
公私ともどもお世話になっております。高いところからですが感謝申し上げたいと思
います。
視覚障害の方たちにおかれましては、私どもの事業所を知らない方はたぶんいらっ
しゃらないと思いますので、眼科の関係の方や市民の方を中心に冒頭私たちの事業の
紹介をさせていただいて、そのあと視覚障害者リハビリテーションを実施する中で日
ごろ感じていることを話させていただこうと思っております。
私どもの所属しております事業所は社会福祉法人愛光と申しまして、昭和30年に
千葉県内の視覚障害者の福祉増進を目的に設立された民間の社会福祉法人です。現在
は佐倉市に本拠がございまして、知的障害あるいは高齢者福祉、それから子育てから
高齢者までの生活相談を行ないます総合福祉施設になっております。私が所属してお
ります視覚障害者総合支援センターちばというのは、その法人の中の1事業所で、現
在四街道市のJR四街道駅北口の駅前にございます。従来は千葉点字図書館と申して
おりましたが、一昨年、今日の中途視覚障害者の増加に鑑み、病院での精神的なケア
から自立のための生活訓練、そして社会参加のための情報提供まで一貫したサービス
を提供する体制がぜひ必要だということで、名称を総合支援センターという形に変え
まして、法人内のそれぞれのセクションで行なっておりました視覚障害関係の支援組
織を統合し、いまに至っております。
具体的に何をやっているかといいますと、現在五つの事業を行なっておりまして、
一つは点字図書館の運営事業です。これは点訳・音訳のボランティアさんを養成いた
しまして、点字・テープの図書を作成し、県内の視覚障害の方、現在は全国まで貸し
出しが可能ですが、そうした情報提供を行なっております。二つ目が点字出版事業
で、これはほとんど自治体の委託で広報誌を作成し、市民の方たちに郵送でお送りさ
せていただいております。三つ目があとからお話します視覚障害者リハビリテーショ
ンです。四つ目が視覚障害者用の補装具・日常生活用具・便利グッズの紹介と販売を
しておりまして、私どものところが千葉県で唯一といったらよいでしょうか、補装具
の取り扱い指定店になっておりますので、眼鏡と義眼だけは処方がいりますので、こ
れは医療機関を紹介させていただいていますが、その他の部分は役所等の交付申請手
続きも私どものところで行なえるような仕組みになっております。五つ目が視覚障害
者だけではないのですが、障害者の地域生活を支援する観点から専門職の養成を昨年
から行なっておりまして、身体障害者・知的障害者・精神障害者・高齢者のホームヘ
ルパー2級課程、それから全身性障害と視覚障害のガイドヘルパーの養成、それに盲
ろう者、視聴覚二重障害者の通訳ガイドの養成研修、それから障害者のITサポート
ボランティアの養成などを行なっております。
そういったところなのでございますが、その中で視覚障害リハビリテーションにつ
いて、若干お話をさせていただこうと思います。実はこれの発端は平成7年度に始
まった事業でございまして、特に船橋市の視覚障害者の方たちが中心になってぜひ訪
問での視覚障害者の生活訓練事業を実施してほしいという動きがございました。これ
に対しまして行政からの相談を受け、私どもが行政と視覚障害者の団体と一緒になっ
て、どういう形のものを作るのがいちばん望ましいのか、実施要綱作りから携わらせ
ていただきました。現在は千葉県と千葉市、それから市の単独事業で船橋市、松戸
市、市川市から委託を受けまして、県下で歩行訓練士を派遣しての訪問リハビリテー
ションを実施しております。全国で県内全域でこれだけの規模でやっているのは、実
を言いますと千葉県だけでして、そうした意味では私どもたいへん誇りを持って行
なっております。しかし、先ほど伊藤先生からも財政難のお話がございましたが、私
どもは民間でございますので、なおさらのこと厳しい財政事情の中で、十分なことが
できないで毎日苦しんでいるというのが実体でございます。
現在歩行訓練士につきましては、私どものところに7人おります。そのほか相談員
が配置になっておりませんので、私がたまたまソーシャルワーカー、社会福祉士なも
のですから、彼らと一緒になって相談を主に担当させていただいております。事業の
中身につきましては、白杖を用いた移動、歩行の訓練、それから日常生活、特に身辺
管理、家事管理に関する技術の習得のための訓練、まれな例ですけれども視覚障害者
のご夫婦がはじめて出産する場合の保健センターや産院に対する支援活動も最近やっ
ております。それから三つ目がコミュニケーション支援でして、これは点字それから
音声化ソフトを用いたパソコンの指導、それからハンドライティング、拡大読書器の
利用などの支援を行なっております。そのほか原則的には当事者団体が行なう事業な
のですが、市町村によりましてはスポーツ・リクリエーションのための支援、あるい
はその他行政の協力活動ということで補装具や日常生活用具を行政が交付または支給
する際のサポートをしたりしております。
また、千葉県では医療福祉連携事業ということで、平成7年に事業をはじめまし
た。視覚障害リハビリテーションを行なうためには、どうしても医療機関との連携な
しにはできない。しかし、福祉の側から医療の側に話を持ちかけても、今日いらっ
しゃっている方たちなら問題ないのですけれども、大部分の医療機関は相手にしてく
れない。これでは事業がうまく進まないということで、医療福祉連携事業の一環とし
ていただいて、県の医務課を通じて私どものリーフレットを県内の全域の眼科にお配
りさせていただいているのですが、ほとんど利用されていないというのが現実で、こ
うしたことに苦慮されて太田さんや小出さんが今回の企画をされたということではな
かろうかと思っております。
課題はいろいろあるのですが、実を言いますと、先ほど高相先生の方から心理的な
サポートについての必要性を伺いました。私は正直言いまして、千葉県内にこういう
ことに視点を置かれている眼科医さんがいらっしゃることについてたいへんほっとい
たしました。私は視覚障害者のリハビリテーションの中で、心理的なサポートが約5
0%ではないかと思っております。実際に歩行訓練をしたり、点字を使ったり拡大読
書器を使うことの支援というのは、実はご本人が正に生きようとするための力を身に
付ける、要するに点字をするとか歩くようになることが目的ではなくて、自らが生き
ていこうとするための一つのツールでしかない、というふうに感じております。と言
いますのは、先ほどから本人が求めなければ何もならないとおっしゃっていました
が、そのとおりでして、本人が正に生きようとさえすれば、自ら情報提供を求め、そ
れに対する支援は容易なのです。ただ、生きようとしない人たちに対してどうしたら
いいのかということです。先ほど高相先生の方が、障害の受容に至る心理的過程をお
話なさいましたけれども、そのとおりでございまして、ショック期をさらに細かく分
けますと、回復への期待期、そして障害の否認という過程がございます。この段階と
いいますのは、実を言いますと、医師のことしか信じようとしません。ですから、こ
の段階でリハビリテーションをしようというのは、全く無理なことでして、この段階
で医師がどうご本人に障害を告知されるかということが非常に重要なポイントになっ
てまいります。本人が回復することを期待している内は、リハビリテーションを受け
ようとはしません。ただ私自身相談を受けていまして感じますのは、視覚障害以外の
障害に比べまして、同じ障害程度であったとしますと、視覚障害というのは日常生活
だけを考えますと比較的軽い障害なのです。身体の障害としては比較的軽いのですけ
れども、最も重いのが心の重さなのです。一度は死を考えるあるいは自殺願望が、中
途障害の中で非常に高い。これは特異な状況です。特に最近千葉県や全国の状況を見
ましても、98%が中途障害です。50歳の段階で相談にいらっしゃる方が非常に多
くございますので、この段階でパソコンを使って就労というのはまず難しい。職業も
なければ、自分の明日をも見通しが立たない。光を失うことが想像つかない。これが
正に精神的な苦しみでございまして、この段階はご本人はもちろんですけれども、ご
家族の苦しみも非常に大きいです。ご家族は何とか代わってやりたくても代わること
はできない。またご家族自身が障害をどのように正しく認識するかというのは、また
障害になられたご家族の将来にも関わりますので、これはご家族の精神的な面も含め
まして、たいへん重要な課題だと思っております。
日本の福祉を考えてみますと、いちばんの問題点は医療機関で対応が必要なくなっ
たあるいは対応が難しくなった方は、退院されるか通院されなくなります。そうしま
すと、福祉というのは申請主義が原則ですから、ご本人が市役所の門を叩かない限り
サービスは始まらないのです。ここがいちばんの問題でして、情報のない方あるいは
情報を自ら求めようとしない方は、あるいは情報が得られないでいらっしゃる方は、
ご家族と共に悶々とした葛藤の日々を何年も過ごしておられるのです。私どもがうま
く行っているケースというのは、病院に入院中から医師なり視能訓練士なりMSWか
ら問い合わせがありまして、病院の段階で情報提供をし、医師と相談をしながら、失
明の告知をするタイミングを見計らう、これがいかに大事かと痛感しております。先
ほどお話の中で、医療の次はどこか専門機関にご紹介をとおっしゃいましたけれど
も、ご紹介されてもだめなのです。市役所の門を自ら叩くような人は、心配ありませ
ん。ご紹介だけいただければどんどんできます。しかしそうではない、まだ障害の受
容過程にある方については、医師との連携の中で対応しない限り無理なのです。ここ
ら辺をぜひご理解いただいて、もう終わりではなくて、私どもをうまく活用して、先
ほど指揮者とおっしゃいましたね、これを信じたいと思っておるのですが、正に中心
になって、私どもが活用して、一緒にチームでその人の障害を支えるためのプロセス
を分かち合っていく、このシステムが絶対に必要だというふうに感じております。私
は昨年JRPSの関係もありまして、スウェーデン、デンマーク、オランダと行かせ
ていただきましたけれども、スウェーデンなんかですと完全に眼科専門病院と視覚障
害者リハビリテーションセンター、そして日常生活のサービスや補装具の給付まで一
貫したシステムが整っております。ぜひ千葉県で今日を皮切りにそういうシステムの
構築に向けた第1歩になってほしいなと切に願っている次第です。どうも失礼しま
す。
●山本先生
どうもありがとうございました。本来は今のパネリストの方同士でディスカッショ
ンをしていただいて問題点を浮き彫りにする、あるいは今後の課題を詰めていくとい
うのが本来の姿だと思いますが、時間が数分しかございませんので、この場でぜひこ
のパネリストの方に聞いてみたいということがございましたら、あるいはパネリスト
としてご発言いただいた方の中で、他のパネリストの方に聞いてみたいと言うことが
ございましたら、ご発言ください。
●入江先生
千葉の入江です。2001年に日本眼科医会でロービジョンケアの実態調査が行な
われまして、日本眼科医会に所属されている6,500医療機関に調査をいたしまし
た。約10%強のロービジョンケアを実施している医療機関があるというお答えをい
ただいています。ただその中を解析しましたところ、まず遮光眼鏡等の処方ができる
という第1段階、それから拡大読書器等の処方ができる、それから歩行練習ができ
る、社会に復帰する職能訓練ができる、とこの4段階に分けると、上の段階に行くご
とにどんどん少なくなるということが一つありました。もう一つはロービジョンに関
係する先生方が点の診療しか行なっていないということが非常に問題だと思います。
国リハの方でも毎年、専門家といわれる方を作ろうとしています。点同士のつながり
がその専門家の間ではあるのですけれども、一般眼科診療所にはその面としてのつな
がりが全くないというのが実情だと思われます。要はロービジョンケアを進めるため
には、このような場において各眼科医を訓練して教えていかなければいけないと言う
ことがあると思います。また逆に患者さんが1ヶ所の専門家といわれるところだけに
集まるということは最悪だと思います。医者は患者さんがいなければその実体という
ものは一切わからない、どうやっていいのかもわかりません。要は患者さんが医者を
訓練していかなければいけない、教育していかなければいけないということが、この
ロービジョンケアということに関してはいちばん大事なことなのではないかと、私は
常日頃思っております。このことを言わせていただきたいと思いました。
●山本先生
はい、ありがとうございます。実は今お話のあった国立リハビリテーションセン
ターというところは年1回、ロービジョンの専門医を育てる講習会を1週間ぶっ通し
で泊り込みでやっていまして、私も5年位前にはじめて受講して、その翌年から実は
講師を毎年やらしていただいているのですが、実はテクニカルな問題ではないので
す。その1週間受講したときに、まず我われ眼科医の頭の中を1回全部洗いなおさな
いと、入れ替えないとロービジョンケアというものはできないと私は思いました。テ
クニカルにこういうときは遮光眼鏡をする、こういうときは何とかをするということ
を、私は講演の中でお話しました。実はそういうことではなくて、我われ眼科医とい
うのはどうしても目玉だけを見ているあるいは目玉がどういう視力が出ている、どう
いう視野があるということは判るのですけれども、その患者さんがその眼をどう使わ
れているか、その目玉でどう生活されているかということは、私たちが習ってきた眼
科学では判らない。そこを1回国立リハビリテーションセンターの講習で1週間かけ
て、所沢の田舎に閉じ込められますので、眼科の教科書のことを1回全部忘れた上
で、そういう教育をしなければならない。入江先生が教育ということをおっしゃいま
したけれども、非常に難しいものがあります。実際講習会には毎年20人くらいの若
い先生や年配の先生が出ていらっしゃいますが、12月という時期に1週間まるまる
仕事を休んで出るということは、私たち医者にとってほとんど不可能に近い。いらっ
しゃれる先生というのは、そういうひまが取れる方、言い方が悪いですけれども第一
線から少し外れた方となり、お受けになって戻られても、なかなかそれを患者さんに
還元するというところまで行かないということになります。眼科の教育そのものをま
ず変えていかないといけない部分がどうしてもあるのだろうなと、私は感じておりま
す。
●工藤さん
千葉から参加しました工藤と申します。通して聞いておりまして、最後の高梨先生
のお話はまとめにふさわしいという感想を持ちました。私は1987年ごろ千葉盲学
校を訪ねまして、そこで待っていてくれたのが伊藤先生だったというつながりがあり
ます。そのご縁で盲学校を卒業して、私が労働省に勤務していたということがありま
して、最終的には厚生労働省に職場復帰をして、就労相談の方面で活躍してほしいと
励まされまして、本当にそのとおりにやっているつもりです。私は仕事の傍らボラン
ティア活動として中途視覚障害者の復職を考える会、通称タートルの会を立ち上げ
て、10年くらいになります。その中で高相先生のお話されたようにやはり現職復帰
が大事で、やめてしまったら再就職は非常に厳しいということを実感しています。そ
のためには、やはり医療機関におけるいちばん最初の情報提供がいちばん大事になる
のだということ、本当にたくさんの、何百という事例の中から実感しております。
「中途失明、それでも明日は来る」と「中途失明、日はまた昇る」という2冊の実際
の体験を中心にした本を出したのですが、そのいずれにおいても最後にロービジョン
ケアを行なっている医療機関というリストを付けたのです。特に第2巻の方で議論に
なったのは、ロービジョンケア、正に今日はケアという言葉が付いていますけれど
も、ロービジョンケアを行なっている医療機関、70とかの医療機関があって、1冊
目のときは1個1個電話で確認しながら作ったのです。「ケアのできている医療機
関ってあるのか」、結局何度議論しても堂々巡りで、本当に5本の指にあるかどうか
という結果でした。「うちはロービジョンケアをやっています」というところに行っ
てみると、「実はやっていないのです。拡大読書器があるだけです」と。そういう医
療機関が多くて、「これを書いても仲間を混乱させるだけだ」とか、「絞るのだった
ら徹底的に絞って、5ヶ所なら5ヶ所にしてしまった方がいいのじゃないか」という
極論も出たのですが、「やっぱりロービジョンケアのできる医療機関というのは増え
てほしい」と考えると、「ここはやっているなというところは載せておきたい」とな
り、結局就労問題に理解ある医療機関という形で、いま載せてあるのです。
その体験を踏まえて今日のフォーラムを考えますと、第1回ということなのです
が、本当にこれは引き続き継続してやっていけたら、いいのじゃないのかなと思った
次第です。どうもありがとうございました。
●山本先生
はい、たいへんきれいにまとめていただきまして、正にいまお話いただいたとおり
でございます。何も付け加えることはございません。これが第1回でこれがスタート
でございますので、これから一歩一歩築き上げていかなければいけないと考えており
ます。どうも今日は長時間ご苦労様でございました。ありがとうございました。