★全国大会開会式
開会宣言
挨拶
挨拶
1991年、私は千葉県のライオンズの視力保護の委員長に選ばれまして、失明に至る
目の病気を理解したいと思い、皆さんに集まっていただいて、当時の千葉大学教授の安達
惠美子先生にお話しをいただきました。
お話しが終わって、先生に「何か眼科の領域でお困りのことはありませんか?」と聞き
ましたところ、世界には網膜色素変性症協会があって、日本にはまだない。ドイツのツレ
ナー教授やスイスのニーマイヤー教授など外国の先生から「安達先生、どうぞ日本に支部
を作ってください」と言われていると言われていました。なんとかお力になろうと努力し
てきました。
この病気は今でもそうですが、医者でも理解が少ない中で、千葉ライオンズクラブの会
員全員の理解を求めるのは、思い浮かべるとたいへんなことでした。でも、皆さんの理解
を得て、1993年10月16日、千葉ライオンズクラブの30周年の記念アクティビテ
ィとして、これに取り組むことにしました。
そのときの会長が岡野さん。私が実行委員長でしたので、300万円の基金を贈呈して、
千葉大学の安達先生を中心に、JRPSを設立してもらいたいと。
非常に小さな灯火だったのですが、1994年の5月にJRPSが設立され、患者さん
と支援者、医療関係者の三者で歩み、そして1996年1月に厚生省が難病指定をしてく
れました。今、こういう大きな組織になったことは、感無量なのと同時に責任も感じてい
ます。
昨日の代議員会でも出ましたが、各支部のあるところに支援するライオンズクラブを作
っていきたい気持ちもあり、当時の学術理事の方も日本国中の眼科の最高峰の人たちです
が、その人たちも今は名誉教授になってしまいましたので、その教室を続けてくれる先生
にうまく引き継げるのかを心配しています。安達先生と何とかしていきたいと思っていま
す。それから、この病気の治療法を研究してくれなければどうしようもないので、若い2
名の研究者に100万円の研究助成金を差し上げていますが、今年も10人の論文の提出
があり、よい研究を育てていきたいので、100万円といわなくても、少しずつ若い芽を
育てていきたいと思います。
2002年8月3日、4日に千葉市の幕張プリンスホテルで日本で初めての第12回国
際網膜世界会議がありましたが、世界中の研究者が集まって下さり、これだけ網膜色素変
性症の治療法について研究してくれることに非常に感動を得ました。安達教授もちょっと
したきっかけで治療法が開発できるのではないか、とおっしゃっていました。
アメリカの国立眼研究所の所長さんのシービング教授が世界会議の最後に「患者さんと
研究者、支援者がお互いに励まし合って、誰もがあきらめないで希望を持ちましょう」と
話され、非常に嬉しく思いました。
私の生きている間に治療法が確立されて、JRPSが発展的に解散できる日が来ること
を祈っています。よろしくお願いします。ありがとうございました。
挨拶
椎名先生が歴史を話されたようなので省きますが、網膜色素変性症から遺伝子異常が見
つかり、ボストンのバースト教授から「日本に支部をたちあげてほしい」と言われたのが
1981年でした。JRPSという名が定着し、国際的に承認されたのが1993年でし
た。
診断に力がいっていて、治療に結びつかなかったので、みなさんが不安だったと思いま
す。この13年の間に、分子生物学の発展はめざましく、今までに発見されている遺伝子
の座が、159と伺っています。さらに、他の形が発見されていくと思いますが、これら
が診断、治療につながるためには、遺伝子をウィルスに運ばせるなどの研究が進んでいか
なければなりません。要するに、病気になるまえに、治療が可能なうちに、網膜の神経の
維持ができればいい。もちろん、人工臓器は網膜に対してもさかんに研究が行われていま
す。薬とか、保護という観点で、治療が進んでくれたらと思っています。
JRPSを立ち上げたときは、椎名先生と私と、小野塚さん、他に数人の方で、このよ
うな大きな会になると思いませんでした。これも皆さまのおかげで、今は千葉大学を全く
離れましたが、左うちわといいますか、私たちがすることは研究を支援することと、患者
の相談にのること。事務的なこと、世界大会、国際大会。
いまご出席の方々は、他の疾患を考えたとき、こんなすばらしい会があるのかと思われ
ているでしょう。この会ができ、あらためて横のつながりができ、こころの癒しの一助に
なったと思います。皆さまのご出席、ご協力があって千葉でこの大会ができました。あり
がとうございます。
祝電
祝電