あぁるぴぃ千葉県支部だより48号


■特集■

★講演U「ロービジョン者の社会復帰のために」

視覚障害者総合支援センターちば 高梨 憲司 先生
 こんにちは。いつもお世話になっております皆様方、それから眼科の方でご活躍になっ ている方々のいらっしゃるところで、私のような若輩者が講義をさせていただくというの は大変恐縮でございますが、お役目ですので失礼させていただきます。
 主催者に不平を申し上げるわけではないのですが、このフォーラムの設定が反対ではな いかという感じがするんです。真打ちと前座がまるっきり反対でございます。日比野先生 の素晴らしいお話、また熱心なお話しの後に、どうでもいい者がお話をするというのは、 居場所がないような感じがするのですが、眼科で治療されてその次の段階ということで、 多分この設定になっているのだろうと思います。そんな角度からちょっとお話をさせてい ただきます。
 私どもの法人は、社会福祉法人「愛光」ということで千葉県佐倉市に本部がございます。 現在は、相談支援機関と障害者・高齢者の施設などを運営しておりまして、総合福祉施設 ではあるのですが、発足は視覚障害者の福祉の増進を目的にできました。そういう意味で は、県内で福祉施設としては、唯一の視覚障害関係の施設ということで、皆様方との関係 を大切にしております。
 私は、その中で視覚障害者総合支援センターというところで、勤務しております。現在 は視覚障害に関わっておりますけど、この仕事で30何年の内3分の2は、知的障害に関 わっておりました。むしろ視覚障害の方が最近ということになってしまいます。先程、日 比野先生が視覚障害者の状況についてお話くださいました。若干あると思いますが、でき れば重複を避けまして、本題の方を多く話しをさせていただこうと思います。
 まずは前半の3分の1ぐらいは、視覚障害者のいまおかれている状況と、その自立のた めの支援策がどのように、講じられているかということをお話させていただきます。後半 では、私の私見を含めまして、障害者がこれからどう生きていけばいいのかということを 考えてみたいと、そのように思っています。
 まず視覚障害の現況ということなのですが、現在視覚障害者の数は、305,800人 というのが厚生労働省の調査結果でございます。千葉県では、約11,000人の方が生 活しているわけですが、他の障害に比べますといくつかの特徴的なことがございます。
 一つは、重度化です。身体障害者の平均を見ますと、重度化の割合というのは、約2分 の1、50%前後ですが、視覚障害の場合は、1・2級の方が約6割、60%に達してお ります。それから高齢化という問題です。この問題は、実は国民の一般はいま20%近く、 5人に1人が65歳以上の高齢者です。身体障害でいいますと、約半数の方が65歳以上、 視覚障害の方でいいますと、3人に2人が65歳以上ということで、高齢化というのが二 つ目の特徴になっております。
 三つ目が、中途障害の増加です。中途障害は他の障害でも増えているわけですが、視覚 障害の場合はとくに顕著でございます。最近の視覚障害になられる方の傾向をみますと、 約98%が中途障害という状況です。どうしてこういうことになってしまうかと言います と、いくつかの要因が考えられます。
 一つは、かつて白内障・緑内障というのが失明原因の上位にあったわけです。これらは 視力障害を起こしたとしても、失明をしなくても何とか予防できるところまで、医学は進 歩してきております。それに代って、糖尿病網膜症と全身性の疾患から出てくるものが増 えてきたということで、結局、医療で十分予防できない疾患が残ってきている、これが重 度化の原因の増加につながっているかと思います。
 また高齢化は、そもそも眼というのは一番体の中で老化が早いのです。ですから当然今 日もご相談いただいた中で、だんだんと視力が落ちてきたということで、お年を聞きまし たらもう70代後半です。そこまで見えていたならお幸せですねと私は言いたいのですが、 でもなかなか老化という形で受け止められない、新たな障害の発症というように受け止め てしまいます。これは生活習慣病、あるいは高齢化の増加というのが、中途障害の増加に つながっているということだと思います。
 四つ目の特徴がなかなかこのような場所では言いにくいのですが、絶望感を持つ方が非 常に多いということです。他の障害に比べると、極めて高いと言われます。私は、実は専 門学校で介護を学ぶ学生に、「君たちは生まれるときに、女性に生まれるか、男性に生ま れるか、金持ちの家庭に生まれるかを選んだ人がいるか」と聞きますと、誰もいないです。
 ということは、先天性の障害でいえば、生まれながらに自ら選ぶことはできませんので、 それは一つの個性だと私は考えているのです。「では君たちは、選べない障害者として生 まれてしまった、もし、今回選ぶチャンスを与えるとしたら何を選びますか」と聞きます と、ほとんどの方が身体障害であれば肢体不自由を選ばれます。
 どうしてと聞きますと、「街がバリアフリーになれば、車イス生活でもかなり行動は自 由である。場合によっては車の運転もできる。なんといっても、目が見えるから楽しみも 多いし、他の人たちとも視覚を通じての共有ができる」とこう言うのです。
 でも視覚障害がいいと言う学生はほとんどいません。それは視覚を失うことの不安感、 将来に対する絶望感、これは極めて高いことから来るのではないかなと思っております。 それは、各人の考えようではないかなと思うのです。
 確かに、肢体不自由の方は手が不自由であるか、下肢が不自由であるかによって違いま すけれども、日常生活の中で何らかの身体介護が必要になってきます。手が動かなければ 食事をするにしても、トイレにいくにしても、あるいは入浴するにしても、人の援助が要 ります。では視覚障害はどうかと言いますと、失明直後を除けば、家庭内の生活はほとん ど不自由はありません。
 ただ社会で活動しようとしたときに、外出の問題とか、情報処理の問題とか、あるいは 職業の問題、ここらへんが視覚障害は、肢体不自由の方から比べますと厳しい状況にある ということはいえます。でもそういった点を除くと、家庭生活では同じ重度の1級の障害 であったとしても、私は視覚障害ほど軽い障害はないのではないかなと思っております。
 問題は、眼科で治療をしていただいて、もう良くならなかったという場合に、何が自立 のために一番ポイントになるかと言いますと、精神面の問題なのです。どんなにリハビリ テーションをしようとしても、精神的に生きようとする思いを強く持っていただかない限 りは、効果が薄くなってしまいます。ただ生きようとする気持ちさえ持っていただければ、 自ら情報を集め、積極的にリハビリテーションに取り組んで、先程言いましたように、家 庭生活の自立は、極めて可能性が高い疾患だといえると思います。
 この精神面の問題ですが、先程、日比野先生がおっしゃってくださいましたけど、先天 性と中途の方とはまるっきり違うのです。先天性の方の場合は、障害のあることについて 最初は気づいておりません、生まれながらにして、見えない状態が自分の姿だと思ってい ますし、周りの人もそうだろうと思っています。
 そこで他人と能力を比較されたり、あるいは思春期になって、異性に対する愛情や就労 への欲求が、障害ゆえにはばまれたときに、障害ということを意識するようになります。 ただこうしたことというのは、盲学校で教育を受けてきますので、次第に家族や周囲の先 生方のアドバイスで知識として理解していきます。ですから中途の方ほどには、精神的な 危機は大きくはありません。
 先程、障害は個性と言いましたが、ハンディはあるものの、学校で教育を受け、職業を 身につけ、社会に出て働いて、結婚して家庭を持っていくということでは、一般の障害の ない方と全く同じです。ただ中途の方は、障害を負うことによって職業を去らざるをえな い、場合によると友も失い、さらに家庭さえ崩壊してしまうことが多い、まさに人生が縮 小の方向に向かいます。
 ですから同じ障害といっても、先天性の方と中途障害の方を同じ視点で見たり、同じ方 向性で支援するというのは正しくないと感じております。中途障害の方が障害になられた ときに、障害の受容にいたる過程は、ほとんど犯罪被害に遭って、突然大切な家族を失っ てしまった遺族の方、あるいは、震災等で大切な財産を失ってしまった方が、悲しみの心 からだんだん立ち直っていく過程とまさに同じなんです。
 最初は障害になったことを信じようとしません。一心に治ることを期待します。そして 次の段階として、障害になりつつあることに気づいてはいるのですが、それを認めたくな い、そうした自分の葛藤に気づいてくれない周囲の人たちに怒りをぶつけます。これが障 害の否認期といわれる時期です。
 日比野先生のお話の中にもありましたけれども、これは他の障害にくらべまして、非常 に長い時期がございます。短い方でも、2・3年、長い方では、10何年かかります。あ る方が私に「よく人が障害の受容と言うけれど、障害なんて一生涯かかったって受容なん てできっこない」と言いました。
 確かに、普段それを意識しないように努めているだけで、一度出遭った障害を全く忘れ てしまって、社会の人々の中で何ら気にしない人などありはしないと、私も思います。そ して、絶望の時期を経て、次第に気づいていくわけです。人生の再構築に向かう、これが いわゆる精神的な自立支援のポイントになるわけです。価値転換をうながすことです。 今まで見えているときに、好きなようにできていた、それがいま見えなくなったことで、 何もできなくなってしまいます。過去を振り返り、あのときどうすればよかった、こうす ればよかった、どうしてこうなってしまったんだろうと嘆いていること、これは比較価値 といっております。
 この段階では、決して明るい未来はないのです。すべてを失ったいまを出発点として、 明日をみつめるところに初めて希望が見えてきます。これを生産的価値と言っております。 この価値転換をどのようにうながしていくか、ということが精神的な支援の一番のポイン トになってきます。
 実は障害の問題は、特に中途障害の方の場合ですと、ご本人だけの問題ではないのです。 家族の問題も非常に大きいのです。ある交流会にまいりましたときに、こんな話がありま した。70代のご夫婦が会議にいらっしゃっていました。初めてのようですが、ご主人の 方がRPで、わずかに見えている状況です。私の講演の後、質疑の段階で、奥様の方が手 を上げられました。
 「先生、私の主人を何とかして欲しいのです」「どうされました」「うちの主人は決し て杖を持たないのです。私たち家族は何とかして杖を持ってほしい、そして安全を確保し てほしい。視覚障害なんて決して恥ずかしいことではない。もうちょっと近所でも胸を張 って生きてほしい。そう思っているのです。うちの主人は、見える、大丈夫だと言って杖 を持たないのです」とこう言うのです。
 そこでご主人がすかさず手を上げて、反論をされました。「私は、恥ずかしくて杖を持 たないのではない。あんたたちが気の毒だと思うからだ。一家の大黒柱が、目が見えなく なってしまったのか。あの家族は大変だろうな、気の毒だな。そういうふうに思われたく ないから、あんたたちのために、私は杖を持たないんだ」とこう言うのです。私はちょっ と申し上げたのです。
 大変失礼なことを申し上げるけれども、同じ障害ということで、許してもらえるならば、 はっきり言わせてもらいます。ご主人は、ご家族のためだと言っているのは、自分の気持 ちをごまかすためではないですか。本当は、自分では外を歩くのが不安だ。やはり自分の みじめな姿を見せたくない、見られたくない、という気持ちの方が大きいのではないので しょうか。ご家族はそんなこと考えていません。見えなくなったことはやむをえない。で も人間が変わったわけじゃないし、価値が下がったわけでもない。だったら正々堂々と家 族のために胸を張って生きてほしい。これが家族の本当の願いではないのでしょうか。 こう申し上げたら、2人で泣き始めました。帰りがけに電車の中で一緒だったのですが、 ご夫婦が私に、「私たち夫婦は、初めて皆さんのおかげで本当の話ができました。これほ どうれしかったことはありません」とこうおっしゃっていました。
 これがご家族の葛藤だと思うのです。ご主人も奥様も、それぞれの立場でお互いを思い やり、それぞれの立場で、自分のことを考え悩んでおられます。これを家族としてきちん と理解した上で、支援していかないと、視覚障害のリハビリテーションは始まらない、と いうように思っています。
 そこで、視覚障害のリハビリテーションの中で大切なことは、病院、医療から福祉への つなぎなのですね。今日いらっしゃった日比野先生あるいは、高相先生、千葉県にはこの ような素晴らしい先生がいらっしゃいますが、一般の医療の中では、すべての方がそこま で理解してくださっているとは限りません。
 そうしますと、糖尿病で入院されていて視力が下がってきます。それでも退院してしま いますと、医療の世界ではご本人が求めてこない限りは、退院された後に、どのような状 況になっているのかというのは、別の問題になってしまいます。医療が切れてしまいます。 ところが退院したところで、ご本人が自ら市役所の門を叩くだけの知識と、エネルギーを 持っていませんと、家族・本人共々迷いつつ、家庭の中でもんもんとして過ごすことにな ってしまいます。
 福祉も申請主義が原則ですので、こちらからアウトリーチというのですが、自らそのよ うな家庭を探して歩くというのは、なかなかできないことです。そうしますと、この無駄 な期間をどうするか、気の毒な期間をどうするかといいますと、やはり、医療から福祉へ つなぐ役割というのが、非常に大事になってくると思います。
 私はいま、視能訓練士の専門学校で、視覚障害リハビリテーションの講義を持たせてい ただいております。まさに眼科であれば視能訓練士、そして一般の病院であれば、医療ソ ーシャルワーカーがこうした点をきちんと理解してつないでくださると、随分患者さんに とっての苦しみの時期が、短縮できるのではないかなと感じております。
 そうした支援では、家族が障害をいかに理解するかということと、どのように医療から 福祉につないでいくのかということ、これが欠かせない要素です。家族の方は、どうも先 天性のお子さんに対しては、お子さんの能力を過大評価する傾向が強いのです。自分の子 供を欲目に見るということです。
 ところが中途障害の方の場合ですと、今までできていたものができなくなりますので、 ご家族が障害になられた自分のご家族を、過小評価するのです。そうしますと、ご本人が せっかく意欲を持っていても、なかなか認めてもらえないことになってしまいます。そう いった意味では、ご家族がきちんと障害を、家族として受容していくことが大切です。
 医療とのつなぎの中では、パイプになる役割があると同時に、眼科の医師の方にきちん と告知をしていただくということが、大切になってくると思います。ただ告知をする段階 で、これは先程のお話の中にもありましたように、どういう時期に、どのようにするか、 というのが非常に難しいです。
 精神的な打撃は、非常に大きいですので、なおさらのことなのです。実は千葉県の場合 には、私どもが、千葉県から視覚障害者の自立支援事業、自立生活支援事業を受けており ます。うちの歩行訓練士が県下全域、在宅に回りまして、ご要望の方の家庭で生活訓練を 行っております。この場合ですと、本来在宅福祉サービスですので、医療の中の世界に踏 み込むことはできないのですが、可能な範囲で私どもは医療機関からの相談がありますと 出向くようにしています。
 あるケースですが、ご本人がだんだんと視力が下がってきて、看護師に聞いてもなかな か本当のことを言ってくれない、将来の情報を得たくてもわからないです。医師に聞きま すと、まあそのうちということで、はぐらかされてしまいます。だんだんいらだちが強く なってきまして、せめてタバコに逃げます。ところが病院内は、廊下にいろいろなものが 置いてありますので、視力の弱い方が勝手に歩き回るとあぶないです。
 とうとうこの方の場合、ナースコールを押したときしかベッドから降りてはいけません という約束をさせられてしまいました。そうするとナースは忙しいですから、押したとき に必ずすぐに来てはくれないです。トイレにも間に合わなくなって、20代の青年でした けれども、オムツをして相談にいらっしゃいました。
 まさに悲劇の一端です。このような例ですと、私どもは、病院に出向いてベッドサイド で、ご本人の精神的な悩みに寄り添いながら、将来の可能性について情報提供をします。 そして医師と連携しながら、どのようなタイミングで、どちらがどの程度まで情報提供し て、どこで、誰が本人に現実を知らしめるかということを、相談しつつやっております。 これができると、うまく福祉へとつないでいくことができるのではないかと考えておりま す。
 私どもの、自立生活訓練というのは県の委託事業です。無料です。市町村の福祉課を通 じて申請をしていただくわけですが、一週間に一度のペースで、大体2時間ぐらいご家庭 に出向いて訓練を致します。
 内容につきましては、相談、情報提供、それから白杖を持った歩行、移動の訓練、そし て先程、日比野先生からお話がありました様々な便利グッズ等を活用して、生活の安全と 便利さを高めるための日常生活訓練、それからコミュニケーション訓練ということで、点 字やパソコン、あるいは拡大読書器の利用や、ハンドライティングと言いまして、一定の 枠の中に自分で手書き文字を書くという訓練を致しております。
 どうぞ身近にそのような方がいらっしゃいましたら、ご連絡をいただきたいと思ってお ります。次は後半の部門に入りたいと思います。自立とはどのようなことかということを 考えてみたいと思います。
 私は、自立ということを考えた場合、障害は、一つの個性だと思っておりますと、先程 申し上げました。なぜかというと先天性の方であれば、生まれたときに自らの生まれた後 の人生は選べないわけです。生まれてきたときに女性であったり、男性であったり、障害 であったりするわけです。ただ個性といってもよく学校ですと、個性を引き出すなんてい いますが、プラスの要素だけを個性だと思っている方が多いと思いますが、個性というの は必ずしも、プラスばかりが個性だとは思いません。
 例えば、電話番号9696(クログロ)という会社が大変儲かっていますね。髪の毛は できるだけふさふさの方がいいと、思っている方が大部分だから儲かるのです。それから 女性が少しでも美しく見せたいと思って、ダイエットをします。一生懸命食べて、一生懸 命ダイエットをするのです。だったら始めから食べなきゃ経済的だと思うのですが、そう ではないのです。ということは、肥満というのはマイナスの個性だと思っているわけです。
 ですから髪の毛が薄いとか、肥満だとかいうのは、人が望まないですから、マイナスの 個性だといえるかもしれません。そういった意味では、障害だって人は望まないわけです から、マイナスの個性かもしれません。でも、個性というからには、人にはない自分だけ の特徴なわけです。私は、これほどの財産はないと思うのです。この、人にはない財産を、 いかに有効に活用して生きるかということができれば、障害も大きな優位性を持ってくる、 ことになるのではないかと思うのです。
 例えば、肥満でなければできない商売があるのです。わかりますか? 多分今日、朝青 龍が優勝して何千万かもらうのではないかと思うのです。相撲は肥満ではないと商売にな らないのです。それから乙武洋匡さんは御存知だと思います。彼は早稲田大学の学生であ りながら、多額の著作権料を得たのではないでしょうか。日比野先生だってそれほど稼ぐ のは容易なことではないでしょう。彼は障害があったから稼いだのです。
 確かに文才はあると思いますが、世間の人たちは、障害者というのはおそらく悲しい生 活をしているのではないか、自分たちとは違う思いで生活しているのではないか、そう感 じておられます。ところが、彼は障害者でありながら、全く普通に生きている、この驚き で『五体不満足』が売れたのです。あれを、皆さんが書いたらちっとも売れないです。ま さに彼は自分の障害を、自分の個性として有効に生かした、ということなのです。
 私は、障害というのは、そういう意味で決して悲しむだけのものではないと思います。 障害はないにこしたことはありませんけれども、JRPSの方からもよく話を聞きます。 「障害になってから、新しいことが見えてきた。新しい人生が生まれた」。あとよく聞く のは、視覚障害になった女性からです。「私が見えなくなったら、夫婦仲がよくなってき た」。こうしたことだってたくさんあるわけです。
 次が、自立を考えるときに大切なことが、主体性ということだと思います。主体性は、 自らの意思で選択し、自己決定して生きていくということなのです。この障害者の主体性 ということを考えるときに、非常に画期的な提言があります。
 1960年代、今から40年程前のことです。アメリカで障害者の自立生活運動という のが起きました。それまで、全身性障害の人たちは、あまりにも障害が重いということで、 病院で生涯を送るということが多かったのです。ところが、1950年代にデンマークで 起こりました知的障害児の親たちの、ノーマライゼーションの運動に触発させられまして、 どんなに障害の重い方も地域で生活しようということから、車イスで街に出るようになっ てきました。
 そのときに彼らが提言したのが、「障害者が自ら望む暮らしを実現するためには、障害 者自身のリスク、危険を侵す権利を認めなければならない。そしてその結果の責任は、障 害者自身が負うべきである」ということだったのです。
 私はその頃、知的障害の方たちの施設にいたのですが、知的障害の方たち、たとえば糖 尿病で透析をされていますと、食事療法が必要になってきます。なかなか自分で食事制限 に耐えることができない。注意してもなかなかできませんと、物理的にお代わりができな いように、食事を片付けてしまいます。そのようなことが、かつては行われました。いま はそんなことはしておりません。その結果健康管理ができています。これは私たちが、ご 本人のためにと考えて正しいことだと思って行ってきました。
 ところがその後、私が身体障害の更生施設に行ったときに、やはり糖尿病で視力が落ち つつある方が入所してきました。この方の場合には、ご本人の判断能力が十分ありますの で、私どもは、物理的制限はいらない、むしろ情報提供をきちんとして、注意をうながす ことで対応しました。が、ご本人が「私はわかりきっていることはいちいち言われたくな い。好きな物を食って死んだ方がましだ」ということで、自分から退所の手続きを取って 出ていかれました。
 私は、どうなったのかなと気になっていたのですが、半年後にその方の主治医にお会い しまして、「あの方はうちの施設を退所されたのですが、どうなりました。」と聞きまし た。そうすると医師が「高梨さん、ご存じなかったのですか。あの方はお宅の施設を出ら れて1ヵ月半後に、ご本人の希望どおりになりました」。さすがにおめでとうとは言いに くいですが、ご本人は満足だったのかもしれません。
 よくよく考えてみますと、私たちはみんな、危険を承知で好きなことをやっています。 皆さんの中にもタバコを吸う人がいるでしょう。タバコが、いかに健康に害があるかわか っています。だったら肺がんで死ぬときに七転八倒するのも、本人の自己責任だといいた くはなるのですが、タバコは多額の税金を払ってくれていますから、またそれは別の話と したいと思います。そういうこともあります。家族はタバコを取り上げません。
 そして皆さんは、車を運転しています。おそらく損害賠償責任保険に入ってますでしょ う。なぜ入るのか、事故があることを承知で運転しているからです。事故が全く起こる危 険がなければ、保険に入るわけがないのです。私たちは、危険を承知で自分らしい生活を 考えて生きているわけです。その代わり、結果も自分で負わないといけないわけです。
 ところが、施設などを中心に長く生活をしていますと、最初の内は集団生活になじむま で、ご本人は思うようになりませんから不満をいだきます。でも妥協せざるをえませんの で、だんだんと受動的になっていきます。これを「なじむ」というのです。なじむという のは、いい言葉に聞こえるでしょう。実はあきらめなのです。
 そうしますと結果的に、自分の責任であるべきことを施設側に転嫁します。自分の責任 とは思えなくなってくるのです。これは、在宅の方の場合も、長年受ける福祉、与えられ る福祉に慣れてきていますと、もらうのがあたりまえ、してもらうのがあたりまえになっ てしまいます。本人の主体性から考えますと、障害者自身が考えを改めないといけない部 分ではないかなと思うのです。
 そして次に、「障害者が自立して地域に生きるということはどういうことか」というこ とです。これは後にもお話をしますけれども、私は、障害というのを自分の人にはない個 性としてうまく活用して、地域の中で積極的な社会貢献を果たすこと、よりよき社会をつ くるために主体的に関わること、これが地域の中で障害者が生きるということではないの だろうかと感じております。これからの福祉、障害者の福祉を考えた場合に、どういう状 況になっているのかということを、振り返ってみたいと思います。
 福祉の理念の変遷をみますと、中世・江戸時代までは、どちらかというと哀れみと施し というのが基本でした。それが明治以降、慈善による救貧保護ということで、慈善事業に なっていきました。ところが、今日そうしたことではなくて、障害も一つの社会の一員と いうことで、受け止められるようになりました。いまの福祉サービスというのは、契約に 基づいて利用するという形になってきています。
 これがまさに、昨年成立した“障害者自立支援法”ということになると思います。この 法律の基本的な考え方というのは「障害者自身の選択と自己決定、いわゆる主体性を尊重 する。地域で生活することを支えていく。そしてサービスの利用は所得に応じて自己負担 を払って、契約に基づいて自分らしい生活は、自分で賄っていく」。このような形になっ てきたわけです。
 障害者自立支援法については、様々な指摘もございます。障害者にとっては自己負担が 非常に大きくなってきました。それから、身近な地域生活支援事業、こうしたものについ ては市町村が行うことになりました。市町村の考え方でサービスの格差が出てきてしまっ たということで、今後見直しが進められていくのかなと思います。が、基本的な障害者自 立支援法の考え方というのは、福祉の理念の流れの中で、成熟段階に入りつつあるだろう と私は考えています。
 ただ問題は、理念はいいのですが、実のところは、金がないことが一番の要素になって おります。この金の問題だけが一番ひっかかるところになるわけです。
 そうした流れの中で、これからの地域がどうなっていくのかといいますと、国際連合は 21世紀のスローガンとして「すべての人々の社会を支えていこう」ということを掲げて います。それから、千葉県では「誰もがありのままにその人らしく地域で暮らす」という ことを掲げています。
 先程小出さんの方からご紹介がありました、誰もがありのままにその人らしくというこ とになりますと、先程の事例ではないですが、障害を人にはばかることなく、一つの個性 として社会の中でアピールしていける社会になっていかないと、ありのままにはならない わけです。
 そこで、千葉県では一昨年、障害者の様々な生活のしにくさを改善していくために障害 者差別をなくすための研究会というのが立ち上がりました。私も、その中の一員というこ とで、条例制定に向けた取り組みをさせていただいたわけなのです。
 千葉県では、条例制定に向けて、障害者、あるいは一般の方たちから差別に当たると思 われるという事例を募集しました。そうしたら800以上の事例が集まったのです。そこ で、研究会ではこの事例一つひとつを差別に当たるか否かどうか、差別に当たるとすれば どうしてこのような背景が出てきたのか、改善のためにはどうしたらいいのかということ を検討することから始めました。
 そこで、よくよく見てみますと、どうも虐待ですとか、明らかな差別にあたる事柄とい うのは決して少なくはありませんが、一番多いのは、障害を知らないがために起こってき ているのではないかと思われるような事例だったのです。
 2・3例をあげますと、一つは聴覚障害の方が、スイミングスクールに入会を求めまし た。ところが、もしこの方がプールの中で気絶したら、話しかけても言葉が通じない、だ から救助するのに危険だという理由で断られたというのです。私も学生に「あなたたちも その通りだと思うかい、もしプールの監視員だったらどう?」と聞いたのです。「いやー 申し訳ないけど同じことを考えます」と大部分の方が言うのです。
 でもね、よく考えてみてください。気絶した人に対して、耳が聞こえようが聞こえまい が話しなんかできません。ましてやプールの中で沈んでいたら、話しなんかしている場合 ではありません。急いで救助するしかないです。よく考えてみたらわかりそうなことです が、プールの監視員は、本当に自分が業務に当たっているときに、そういったことが起き たらどうしたらいいのだろうと心配なわけです。悪気はない、まさに聴覚障害のことがわ かっていないのです。
 それからまだありました。知的障害のお子さんを養育しているお母さんに向かって近所 の方が、「お母さん、ずいぶん明るいですね」とおっしゃいます。障害児がいると暗くな くてはいけないのだろうか。これも待ちに待って生まれてきたお子さんが、障害児だった 、どんなに悲しい思いをしているのだろう。それなのにあの人は、あんなに明るい生活を している、私にはとてもできない。これは敬意の念でおっしゃったと思うのです。でも受 け止めた方は、必ずしもそうは受け止めません。何かセクハラに似ていますね。
 私も、職場でまずいかなと思うような冗談を言うのです。そうすると女性職員が笑って くれるんです。ですから、楽しんでくれているんだろうなと思っているのですが、中には、 「所長、それはひょっとしてセクハラになりませんか」と言うのです。「だってみんな喜 んでいるよ」。「それは違うんですよ」と言われます。
 こちらの思いと、向こうの思いが違う、要するに人間の関係性の問題です。障害を持っ た人たちの気持ちをわかってもらわない限り、周囲の人たちに黙っていて、わかれと言っ たって、それは無理なのです。周りの人たちは、理解しようとしてもどうしたらいいのか わからない方たちが大半なわけです。
 そこで私は、先程ご紹介にあったように、この条例案の中の県民の役割というところに 少し手を加えていただけるようにお願いしました。実際には条例はその後、紆余曲折があ りまして、いま必ずしも明らかな形として出てはおりません。何かといいますと、一般の 条例は当然のことながら、「県民は障害者の生活のしにくさについて理解するように努め る」。これは入ります。私の入れていただいたのは、「県民が障害者となったときには、 あるいは障害である県民は、自分の生活のしにくさを周囲の人たちに伝える努めがある。」 ということです。
 これは実を言いますと、ある方から、障害者にそんなことを努力・義務化したならば、 障害に苦しんでいる人たちにとって気の毒ではないか、何事だという指摘をいただきまし た。それは理解できます。障害を受容するなんて、一生かかっても難しいのです。でも周 囲の人たちに障害を知っていただかなければ、なかなか社会は変わっていきません。知っ ていただくのには、誰が知らしめるのかと言ったら、当事者しかいないわけです。
 先程、心理的な支援のポイントを申し上げましたが、この障害を受容していく過程、こ れを「グリーフワーク」と言います。悲しみの心から立ち直っていく過程、これをグリー フワークと言うのですが、この一つの要素は、自分の心の悲しみ・苦しみを外に向かって 語ることなのです。外に向かって語れるようになれば、自分の気持ちがひとりでに整理さ れていくのです。
 ですから、障害者自身が地域に向かって、自分の生活をアピールしていくということは、 障害者自身にとっても大きな障害受容の過程でもあります。それはとりもなおさず、社会 で障害者自身の役割として、自らの体験をつづって、ともに望まれる社会づくりのために、 主体的に関わっていくことになるのだろうと思うのです。ある視覚障害の方が、私にこん なことを言いました。
「施設長さんよ、うちの施設に教育実習や福祉の専門職の方が実習に来る。それはいいこ とだけども、俺たちは教材ではないんだ。昨日まで幸せな生活、今日見えなくなって家族 のために、自分のためにどう生きて言ったらいいのか、真剣になって悩んでいるのに、ど この馬の骨か分からないのが来て、お気の毒ですねと、冗談じゃない。俺たちが人の家に いってそんなことをやれるか」。
 「それはよく理解できる。しかし障害は知っていただかなければ社会は変わっていかな い。知ってもらうためには、あなたたち自身が自分の生活を、教材として提供してくれな い限り困難だ。よくボランティア活動をする者、受ける者というのがあるけれども、する 者、受ける者なんてない。皆がしている。これはあなたたちにしかできない大切な社会貢 献であり、教師を教育していると思っていただけないだろうか」と私が申し上げたら、 「分かった。そういうことだったら協力しよう」と言って下さいました。まさにいま、障 害者が社会の中で求められている役割であり期待。このように主体的に、望まれる社会の あり方に関わっていく姿勢が大切なのではないかと思うのです。
 私たちはこれからどう生きるか、お話しをしましたが、実はこれまでの福祉というのは、 誰も、行政や国民が、提供してくれたのではないのです。このノーマライゼーション、誰 もがあたりまえに社会で生きるというのは、50年前に始まったデンマークでの、知的障 害児の親たちの運動です。そして先程のように、地域でどんな重い障害の方も生きる、こ れを実践していったのが全身性障害の人たちの運動です。
 私は、おそらく21世紀は精神障害の方たちの時代になるだろうと思っていますし、そ うでないといけないとも思っています。研究会の中でも、精神障害の方たちがたくさんい らっしゃいました。彼らがおっしゃっていました。「私たちは、医師から精神障害が軽け れば軽いほど、自分の障害を隠して生きた方が有利だと言われる。私は、自分の個性を人 様に生涯隠しつづけて生きるなんて、こんな辛いことがあるだろうかと思います」。
 誤解されるといけませんけど、犯罪者だって時効があるのです。生涯時効のない生活、 これでは誰もが当たり前に生きるなんてことは、ありえないと思うのです。そうしてきま すと、いまの社会は、障害者自身が自ら作り出していく社会、受身ではなくて自らがつく り出していくそういう時代、これが21世紀ではないかなと思っております。そうした意 味では、皆さんが幸か不幸か障害に出会ったということは、まさに千載一遇のチャンスを もらったと、私はぜひ考えたいなと思っています。
 結びになりますが、「合言葉はノープロブレム、自閉症の子らカナディアンロッキーへ」 という私の好きな本が、岩波書店から出ております。自閉症のお子さんを育てているお母 さんたちのお話です。その中で最後に著者が、詩でこんなふうに結んでいます。「出会い、 ふれあい。彼らが核となれば、かけ橋となれば、人はきっと優しくなる。地球はもっと住 みやすくなる。普通に生きることが当たり前になったとき、初めて福祉とは、自分たち一 人ひとりのもの、ハンディのある人たちだけのものではなくて、誰もの生活が豊かになる ことなんだ、ということがわかって来るのではないのでしょうか。そして世の中が変わっ てくるのではないのでしょうか」と書いてあります。ぜひそう願いたいと思います。どう もありがとうございました。


★高梨先生のプロフィール

市原市 小出 佳子
1.略歴
1949年、千葉県富山町(現、南房総市)に生まれる。小学生の時の怪我が元で高校生で完全失明。盲学校を経て大学に進学。
1971年、卒業と同時に盲児施設に児童指導員として勤務。その後、同園の園長、知的障害者や視覚障害者更生施設の施設長を経る。
1994年より社会福祉法人愛光の相談援助室長として、在宅障害者の相談事業や青少年の福祉教育に従事。
2.現職
視覚障害者総合支援センターちば所長
(点字図書館運営事業、在宅視覚障害者訪問リハビリテーション、視覚障害者用福祉用具の販売事業、障害者ITサポートセンター運営事業、盲ろう者通訳・介助員の養成と派遣事業、ホームヘルパー等養成研修事業等)
福祉専門学校等非常勤講師
3.資格
社会福祉士、介護支援専門員、相談支援専門員
4.役職
千葉県障害のある人の相談に関する調整委員会委員、
千葉県自立支援協議会委員
千葉県福祉教育推進連絡会委員
※以下参考です。
「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」
 平成十九年七月一日から施行する。ただし、附則第三項及び第四項の規定は、同年一月一日から施行する。
 障害のある人もない人も、誰もが、お互いの立場を尊重し合い、支え合いながら、安心して暮らすことのできる社会こそ、私たちが目指すべき地域社会である。
 このような地域社会を実現するため、今、私たちに求められているのは、障害のある人に対する福祉サービスの充実とともに、障害のある人への誤解や偏見をなくしていくための取組である。
 この取組は、障害のある人に対する理解を広げる県民運動の契機となり、差別を身近な問題として考える出発点となるものである。そして、障害のあるなしにかかわらず、誰もが幼いころから共に地域社会で生きるという意識を育むのである。
 すべての県民のために、差別のない地域社会の実現と、一人ひとりの違いを認め合い、かけがえのない人生を尊重し合う千葉県づくりを目指して、ここに障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例を制定する。
第1章
(県民の役割)
第六条
1 県民は、基本理念にのっとり、障害のある人に対する理解を深めるよう努め、障害のある県民及びその関係者は、障害のあることによる生活上の困難を周囲の人に対して積極的に伝えるよう努めるものとする。
2 県民は、基本理念にのっとり、県又は市町村が実施する、障害のある人に対する理解を広げ、差別をなくすための施策に協力するよう努めるものとする。


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