★世界大会ツアーに参加して〜北欧旅行記C
そんな私が7月4日と5日にヘルシンキで行われた世界大会に行ってきました。という
と聞こえはよいのですが・・・。実は、それを口実にフィンランドの首都ヘルシンキとロ
シアの古都サンクトペテルブルグに観光旅行に行ってきたというのが本当のところです。
それは日本各地から集まった、個性豊かなJRPS会員の面々と過ごした楽しい8日間
でした。
今日は世界大会2日目・・・ですが、そちらは、またもや堀口理事にお任せして、私達
はヘルシンキ郊外のポルヴォーへバスで出かけました。船で隣国のエストニアへ行かれた
方もいたようです。
郊外を走るバスの車窓には、「森と湖の国」フィンランドらしい美しい景色が広がりま
す。1時間ほどバスに揺られて到着したポルヴォーは、まるで幼い頃に絵本で見たおとぎ
の国。美しい緑の中にパステルカラーの壁の家々が立ち並び、坂の上には小さな教会。樹
々の間から、今にも妖精が顔を出しそうです。小さな街の広場には、プランターに植えら
れた色鮮やかな花々。アイスクリームや手作りのリースなどを売るワゴン。ポルヴォーの
街を描いた画を売る絵描きさんのワゴンもありました。私はもうすっかり映画「ローマの
休日」のオードリー・ヘップバーンになった気分。アイスクリームを舐め、ワゴンをのぞ
き込み、買い物を楽しみました。ローマならぬポルヴォーの休日を満喫したのはよかった
のですが、ユーロが足りなくなって、ツアーのメンバーにお借りするはめに・・・。
人間が集まるところ、必要不可欠なのはトイレです。おとぎの国にもありました。有料
トイレが。がっしりした体格のおじさんに1ユーロを払い、用を済ませてバスへ。すっか
り現実に引き戻されてヘルシンキへもどりました。
午後はヘルシンキのアラビア社やエスプラーナーデ通り(日本でいえば銀座通り)に出
かけ、北欧の現代的な陶磁器を観賞したり、買い物をしたりして過ごしました。
夜はちょっとおめかしして、世界大会のガラパーティーへ。難しい話はわかりませんが、
食べること、楽しむことには、参加します。
ここで、サプライズが2つありました。
1つ目のサプライズは、前日の夕食の時に東京から参加されたIさんから「明日はちょ
っとしたサプライズを考えているんですよ」と予告がありました。そのIさんと同じく東
京から参加されたTさんが、和服で登場されたのです。Iさんは紋付き袴の堂々たるお姿。
晴眼者で控えめな奥様は、シンプルな黒のスーツを着て、いつものように穏やかに微笑ん
でいらっしゃいます。女性のTさんは粋なお着物姿。こんな粋な着物の着こなしは、日本
でもちょっと見られないでしょう。このTさん、爪にはきれいなマニュキュア、髪の毛は
メッシュ入りの茶色いショートカットというおしゃれなおばあちゃま。市にかけあって駅
前に花壇をつくったり、駅の階段に黄色いラインを入れてもらったり・・となかなか行動
力もあり、小柄ながら元気で明るい方です。数年前まで、ご主人と一緒に和服の小間物屋
さんを経営されていたとのこと。あのこなれた着物の着こなしも納得です。お2人がホテ
ルのロビーに現れた途端、人々に囲まれ、カメラのフラッシュを浴び続けたことは言うま
でもありません。ガラパーティーの会場でもモテモテでした。
もう一つのサプライズ。それは参加した日本人全員で歌った「ふるさと」です。
主催者や会長のご挨拶、フィンランドの方の出し物とパーティーが進み、各テーブルで
歓談も盛り上がった頃です。日本で行われた世界大会にも参加されたオランダの方が同じ
テーブルにいた東京のKさんに「日本の世界大会で歌ったお嬢さん(前川裕美さんのこと)
は来ているのか?」と尋ねたことがきっかけでした。前川さんは、お母様とご主人と共に
私達とは別ルートでヘルシンキに来られ、このパーティーにも参加されていました。そこ
で、前川さんが、急遽、その歌声を聞かせてくださることになりました。彼女の英語のス
ピーチと澄んだ美しい歌声のあと、彼女の呼びかけで日本人全員の「ふるさと」となった
わけです。日本を遠く離れた地で歌う「ふるさと」は何ともいえぬ郷愁を誘うものです。
私は、今、日本を遠く離れたヘルシンキにいるということがなんだか不思議な気がしまし
た。と同時に、私をここまで育ててくれた両親と、この旅行に気持ちよく送り出してくれ
た家族への感謝の念で胸がじんわりとしてきました。会場からも暖かい拍手をいただきま
した。忘れられない旅の思い出です。
予定をだいぶ過ぎ、白夜もすっかり暗くなった12時近くに、パーティーはようやくお
開きとなりました。
明日は、ヘルシンキを離れ、サンクトペテルブルグへ向かいます。
★平成20年度千葉県難病患者交流会に参加して
2階受付では、先に到着していた広瀬さんと合流しました。会場は200人の収容能力
があるそうですが、平日ということもあって空席が目立ち、半分くらいの入場者でした。
太田さんは発表者ということで別に席が設けられていて、広瀬さんともども別れ離れと
なり、残った私たちはほぼ中央に席を取って開会を待ちました。
定刻の1時半に、千葉大学病院の藤田先生の司会の下、交流会が始まり、河野千葉大学
病院長、総合難病相談支援センター運営委員長の桑原先生のあいさつがあって、県内12
の難病の会代表者による病や会の紹介と、大震災等の災害時の対策や要望が発表されまし
た。きけば、パーキンソン病などそれぞれの病は、確実な治療法もなく、ほおって置けば
命も危うい難病ばかりです。災害時にはひとりで避難することが難しく、地域の人の助け
が必要であること。また、薬や注射液、酸素、吸引機(たんを取る)などの備蓄を切実に
訴えていました。
我らが太田支部長は、きぜんとした態度で、この会にJRPSが呼ばれたことについて、
違和感を訴えられ、難病者というよりも視覚障害者というくくりの中で、災害対策を立て
るべきではないかと問題定義をされました。確かに国の難病指定にはなっていますが、災
害時の避難行動などの対策は、難病者としてではなく、他の視覚障害者と同列に考えれば
よいと思います。
続いて、千葉県消防地震防災課の田中主査(広瀬さん好みのイケメン)から、「千葉県
の災害時要援護者への対策について」の演題で発表があり、災害時要援護者(高齢者、障
害者、難病患者、乳幼児、妊婦など)に対する個別計画を各市町村で作成するよう指示を
出すと発言された。これらの人々を、誰がどのようにしてどこへ安全確実に避難させるか
という個別計画の策定だそうです。ただ、病気を知られたくないなどのプライバシーの保
護との兼ね合いもあり、皆さんの協力がないと作成が難しいとも述べられた。
この後に、各地区の保健所相談員の紹介があり、いよいよメーンイベントの始まりです。
凛々しい紺色の制服姿で登壇された、防衛省航空自衛隊主席衛生官、山田憲彦空将補に
よる基調講演「災害時の医療救護システムについて」が始まりました。
阪神淡路大震災の教訓からDMAT(災害派遣医療チーム)が結成されたのだが、阪神
淡路大震災では、各地から医療班が派遣されてきたが、チームにより編成、装備、技量も
ばらばらで、統率もないところから効率的に機能せずに、医療の集中と過疎が生じてしま
った。そこで、国や各都道府県に医師、看護士、消防、警察などから構成されたDMAT
が災害現場に派遣され、西宮の電車脱線事故現場でしたように、現地で救助しながら医師
が手当てして、いち早く適切な医療機関へ搬送することとなった。これにより、その後の
災害では、重篤患者の救命率が上がった。このようにDMATの要件として、編成装備の
標準化と高い機能性、自己完結型(DMAT自身の衣食住の確保)、情報の共有化が求め
られている。特に迅速正確な情報は、重篤患者の一定病院への集中を防ぎ、医療の効率化
を図るために大変重要である。結論を言うと、災害支援には、組織を上げた対応が必要で、
医療だけではない、災害時の支援ネットワーク作りが重要となるということでした。
山田講師は、難しい講演内容にもかかわらず、元上司の田母神氏のエピソードを、皮肉
を込めながら時折盛り込んで、ユーモア溢れる楽しい講演でした。
交流会は4時40分頃終了し、JR千葉駅で三々五々解散となり、男性人は千葉駅前の
「居酒屋日本海」で、1時間ほど反省会を行いました。大変有意義な交流会でした。