★夫から妻へ
帰郷後、思わぬ場面が待っていた。君の支えにより市民合唱団で第九を歌った。趣味
のギターで拍手を頂く。パソコンまで覚えられた。白い杖を頼りに田んぼの散歩を楽
しみながら私はつぶやく。
「これがオレの人生だったのか。捨てたものではないじゃないか!」
還暦を過ぎたとは言え、今でも私の脳裏に深く刻まれた艶やかな頬に笑みを絶やさな
い君が、私の妻だ。最近、熟年離婚がはやっているが、君が家を出るときは、私もつ
いて行くから、よろしく・・・・。
※ 本文は、「夫から妻へ、妻から夫へ60歳のラブレター E」(NHK出版
編)に収められた、故伊藤 勲さまの作品を、奥さまの許可をいただいて掲載したも
のです。
★伊藤 勲さんを偲んで
カトレアの会(山武保健所管轄内の網膜色素変性症の患者とその家族の会)から、2
8日のお通夜に三人行き、29日の告別式に別の二人が参列してきました。
伊藤さんは、カトレアの会の名づけをする際から、会に参加していただき、奥さまが
腰を痛めたとき、「地域で頼れるところを教えてもらっていたから、助かったよ。こ
れからも地域の活動を続けた方がいいよ」と応援の言葉をくれました。
JRPS千葉県支部のダブルレインボー音楽会などでも、カトレアの会の席を設けて
頂いたり、お弁当の手配もしていただいたりと、ご夫婦でJRPSとの繋ぎ役もして
いただきました。
2月にご夫婦で総会に参加してくれた際は、「小出さんや斉藤さんが点字読めるよう
になったのなら、俺も始めようかな」と、お元気にお話ししていただけに、とても残
念です。
ダブルレインボー音楽会でも透析治療、腎臓移植そして網膜色素変性症と上手く付き
合いながらギター演奏ができるのだと言う姿を見せ、多くの人たちに勇気と可能性を
示してくれた、伊藤さん。
享年74歳、愛する奥さまを残しての旅立ちでしたが、私には、この世を生ききった
という、穏やかなお顔に見え、一緒に行ったKさんも、綺麗な顔をしていると教えて
くれました。
伊藤さんとご一緒出来たのは、少しの時間でしたが、障害があっても楽しめること、
あきらめなければ可能性は広がること、自分がやるだけで周りも変えられること、夫
婦仲良くすれば大概のことは何とかなること、悔いのない人生を送れば周りも幸せな
ことを、教えていただきました。
伊藤さん本当にありがとうございました。
奥さまも、また、カトレアの会に遊びに来ていただけたら嬉しいです。
★会葬お礼
ボーっとしている間に明日から忌明けになってしまいました。
東京から成東の郷里に来まして、JRPS千葉県支部に入会以来、前支部長の太田
さまには、パソコンのご指導を賜っておりましたが、その太田さまの一声で、夫が音
楽担当をさせていただくことになりました。それからは皆さまが演奏に快く出てくだ
さり、夫もそのことが自分自身の生きて行く価値を見出していたようです。
昨年9月頃から体力の衰えを感じはじめ、ここに来て永年の(四十一年前の人工透
析と、二十二年前の妹よりの生体腎移植による免疫抑制剤を服用し続けたことに)疲
れが出てきたのかもしれません。この3月24日の眩暈が発端で、体調を崩し始め
て、これはおかしいと思いましたら、実は心不全で、大動脈弁狭窄症ということが幕
張の救急医療センターで分かったのですが、手術する体力は持ち合わせていなかった
ようです。
最後の瞬間も、中野さまからの、「音楽会は大成功でしたよ!」を耳にして、ニッ
コリ笑って、そのままの顔で旅立ちました。
これまで本当にありがとうございました。皆さまによろしくお伝えくださいませ。
できますことがございましたらお知らせください。(7月10日)