「ぼっちら、ボッチラ・・・」
M・K(男性 朝倉市)
JRPSの皆さん、こんにちわ。甘木の栗原です。
最近(4月の下旬)少しずつ暖かくなり、寒いのが苦手な私にとって嬉しい今日この頃です。
【眼には不自由さを感じつつも、精神的にはゆとりがあり、経済的にも充分めぐまれており、心晴れやかに日々の生活にいそしんでおります・・・・】
と書いて皆さんに報告できればなあとの願いはあるのですが、現実はいろいろあります。
眼の具合は一年一年確実に進行しています。
視野狭窄、色の濃淡、光の明暗等々すべてにおいて鈍くなっています。
暗いところでは白杖が欠かせません。
通勤以外の外出は助け手が必要となってきました。
そろそろガイドヘルパーさんの依頼申請をしようかと思っています。
家族が忙しい時など、気楽に頼めて便利です(詳しいことは、各自治体の福祉課、又は福祉協議会へ連絡してみて下さい)。
それとここ数年、高血圧・高コレステロールの為の内服薬、節々の痛みのため湿布等々欠かせなくなりました。
これもみな自由に動けない為の運動不足からくるのでしょうか?
実際の年齢よりプラス30才くらい加齢しているのではと思ったりします。
経済的には?仕事がいつまで続けられるかと心配です。
現在は病院のリハビリ室にて、マッサージの仕事をしています。
しかしここ数年来は医療関係の職種は氷河期です。
これからさらに厳しくなっていくものと思われます。
そういう中でまず最初に合理化の対象になるのは、診療点数の低いマッサージ師です。
仕事がしたくても出来ない方達と比べれば、私などはまだ恵まれていると思いますが。
よく思うのですが、何でも心配すればきりがないし、現在よりも少しでも良い方向へ向かうようにと、一生懸命生きていけたらと思います。
お医者さんよりこの網膜色素変性症の診断を受け、今年で25年になります。
私も随分ベテランになりました。
当初は車の運転も出来ていたのですが、現在に至ってはゆっくりと歩き、薄暗い所では白状を使わなくてはなりません。
以前やれていた事が少しずつ、また一つ、また一つと出来なくなっていきます。
そしてこれに反比例して、まわりの方々の手助けが必要になってくるのです。
【1リットルの涙】の本ではないのですが、どうして病気は私達を選んだのでしょうか?
言葉もありません。
誰にも分らない事です。
そして誰が悪いわけでもありません。
すべて神様だけがご存知だとおもいます。
とすると、落胆する事は沢山あるかも知れませんが、決して行き詰ることはないということではないでしょうか。
神様はこの場所に私達を置かれましたが、きっと逃げる道、踏み越える力をも備えて下さってるいるとおもいます。
少なくとも自分が苦しんだ分、人の痛みがわかり・やさしく出来ればと思います。
さあ皆さん元気を出しましょう!
元気のある人はもっと他の人の分まで元気をだして!
そうこうしていると何かが変わってきます。
この病気になってよかった事は多くの友人が出来た事、沢山の親切に出会ったこと、元気な身体では絶対に判らなかった多くの経験・葛藤を体験したこと、そして直接関係はないかもしれないけれど、私にとってこの上もない奥さんと巡り合えたこと(しばしば喧嘩もしますが・・・)等々いろいろあります。
自分の知らないところで、自分の事を心配し助けてくれる人がきっといます(多分トラック2台分くらいは)。
最近思います。
「俺が全盲になるのはいつ頃なんだろうか?」
ってね。
でもやっぱりわかりません。
下ばかり見るんじゃなくて、今やれる事を焦らずに、ぼっちら、ボッチラやってみたらいかがでしょうか。
急いでいる時と比べると、見えにくい眼でも見えてくるものがあるかもしれませんよ。
皆さんボチボチやって行きましょう。
私もぼっちら、ボッチラ、では又。