「合格点を目指して」
S・T(女性 筑紫野市)
私は昭和16年生まれの66歳、一応今も主婦業をしております。
50歳位までは自転車で買い物など、近くの商店スーパー等へ出かけておりました。
その後、段々と視野も狭くなり、視力も落ちてきて、自転車に乗る事さへ危なくなってまいりました。
眼科へ行って診察を受けましたが、お医者様はなかなかはっきりと病名など言ってくれません。
いくつもの病院を回り歩き、やっと治療法のない「網膜色素変性症」であると分かりました。
その頃はストロー超しにでも見ているように、狭い範囲で物が見えておりました。
ですが、中心視力は焦点さえ合えば針の耳に糸を通すのもそんなに苦労はなく、縫物もちゃんと出来ておりました。
まもなく自転車に乗るのも危なくなって、1キロの距離を歩いて買い物等へは出かけておりました。
失明するかも知れないと言う、底なし沼に引き込まれるような苦しみと、身の置き所のない切なさの中で、やはり家族の為にまた、慈しみ育ててくれた両親の為にも、まして自分自身の為に前向きに生きてゆかねばならないのではと気づきました。
55歳で身障者手帳の交付を受け、近所のお方の紹介で、県盲人協会の「中途失明者生活訓練」に参加させてもらいました。
約20名近くの視覚障害者のおかたが集まっておられました。
そこに来られているお方達は皆さん、どうしてこんなにもと思うほど明るくお元気なおかた達ばかりでした。
式典が進むにつれ、何故だか涙がとめどなく流れて、自分ではどうしようもありません。
どうしてこんな盲人ばかりの中に自分も同じ盲人として同じ場所にいなければならないんだろうか?
私がどんな悪い事をしてきたと言うのか?
この歳になるまで何一つ法を犯すような事も、また人から攻められるような事もしてはこなかったじゃないか。
人口の約5%の人は障害者になると言われるし、その中の8%位の人が視覚障害者と言われています。
そんなことは頭の中で一応知識として知っておりましたが、その視覚障害者の中に何に自分が入らなければならないのかと言うところが、どう考えても納得出来ないのです。
私には従兄弟が父方に25人、母方に18人いますが、この「網膜色素変性症」は私だけなのです。
どうして私が選ばれなければいけなかったのでしょう?
どうして?
どうして?
そんな納得ゆかない人生は、硬く絡み合った糸のように、今も尚解きほぐす事も出来ず、心の奥底で黒く渦巻いて悲しくなることもあります。
でも、武田哲也が歌っていました、「人は悲しみが多いほど、他人(ヒト)には優しく出来るのだから」・・・。
と、本当にそうかも知れない。
「人間は他人の痛みが分かるようにならなければいけない」とか、よく言われますが、他人の痛みを自分の痛みとして受け止めることは絶対に出来ない事だと思います。
ですが自分に痛みがあれば、他人の痛みの半分位もしくは3分の1位は共有できるかもなどと思うこともあります。
要するに心の問題は、心の器の大きさで、幸せにも辛さにも繋がってゆくのではないかしら?と、思うのです。
どんなに納得ゆかない人生も、命のある限り生きてゆかなければならないのです。
ある人が言っておりました。「地球上の生物の中で、どんな生き物にも苛めはある、だけど自殺するのは人間だけです」って・・・。
折角、選ばれて生まれてきた命だから、自らの命を絶つことはどんな事があってもしてはならないと、自分に言い聞かせ続けてまいりました。
でも時には、自分の心が操縦不能になり、急降下で落ち込むことも度々あるのです。
66歳の今、視力は0、明るいか暗いかが少し分かる光覚だけとなりました。
それでも月に10日ほど福岡のあいあいセンターへ、パソコンの勉強とお茶道のお稽古、クローバープラザには県盲の集まりに、大宰府の光明園には、双葉会の集まりへと出かけております。
一人で電車に乗り、天神の改札口で私と同じ目の不自由な友達と待ち合わせ、そこから二人で点字ブロックを伝って、長浜のあいあいセンターへ、弥次喜多道中で通っております。
ガイドさんの利用は、行き慣れてない所へ行く時や、買い物の時など、どうしても一人では無理という時にお願いしております。
障害者の私たちにも、色々利用できる制度が出来ておりますので、上手に使わせてもらって楽しい時間が1日でも沢山出来たらとおもっています。
医療の方も日進月歩で進んでおりますので、もしかしたらいつの日にか、あの青い空の色が見えるかも、私が可愛がっている色美しい花々が見える日が来るかもと、夢を見続けてゆきたいと思います。
私、これからどの位の年月を歩いてゆくのでしょうか。
これからの月日は、これまで以上に大変な道が待っていると思うのです。
それでも尚、何事が起きてもいつも平常心でいられたら、素直な心を持ち続けられたらと願うのですが、なんだかとても無理のようにも感じられますね。
まあ、この命の終わる時「私の人生80点だった」と、自分自身に合格点を付けてあげられたらいいなぁと、考えてます。
そのうち、千の風になったり、光になって私のお花たちの上に降り注げる日が来ますように!