「この病気とつき合って」
K・Y(男性 福岡市東区)
現在わたしは、44才です。
妻と、17才、7才、5才の息子の5人家族です。
私が色変を自覚したのは、小学校四年生の時です。
家族と相談して盲学校に入ることにしたのも、この時です。
それから、徐々に病状は進行していき、現在ではほとんど見えなくなってしまいました。
その中で現在も続けているものがひとつあるのです。
元々スポーツが好きな私は、学生時代から盲人野球(グランドソフトボール)に入部しました。
社会人になってからも、福岡市のチームに所属して野球好きの仲間と汗を流しています。
四度の全国大会の出場権を取ったことに喜び、歓喜の祝杯を上げたこと。
あるいは、全国大会目前に敗れて皆で悔しがりさらなる努力を誓い合ったこと。
また、練習後には参加希望の家族を交えて、楽しいひと時を迎えてビールのジョッキをぶつけ合ったことなど、色々な事が思い出されます。
プロ野球をラジオで聞いたり、音楽鑑賞やギターなどの楽器をひいたり、パソコンを利用しての情報収集や読書、あるいは、家族と行楽地やショッピングに出かけるなど、様々な余暇の過ごし方がありますが、照りつける日差しの中で一つの「アウト・セーフ」に一喜一憂しながら汗をかき、お互いを励まし、ハッパをかけ合いながら過ごす事も良いものです。
私が一つ気になっていたのが、家族と最も触れ合える日曜日を潰してしまうということでした。
しかし、家内は「体の動かせるまで精一杯やったらいい」と言ってくれるし、子供達は「お父さん野球ガンバレ」と言って、家内と共に動向してくれて他の家族と話したり遊んだりしながら、練習や試合の終了まで待っていてくれます。
家族の理解があるからこそ、続けることが出来たと思います。
しかし、私もこの競技を始めた頃に比べると随分衰えを感じています。
持久力、瞬発力、体の柔軟性など全ての面において十代の後半から二十代前半の時のようなわけにはいきません。
だから今は、ストレッチなどのウォーミングアップをしっかりやって、怪我をしないように十分気をつけながら取り組んでいます。
怪我をしては、せっかく応援してくれる家族に申し訳ないですからね。
野球の話とはまったく別の事になりますが、昨年から子供達の保育園や学校の行事に参加してみようと思い、ほんの少しだけ積極的になってみました。
それまでは、家内にほとんど任せていたし、色々な行事に同行しても、ひっそりと一箇所にじっとしていました。
手始めに保育園の卒園の謝辞を引き受け、参観日への出席、そして、運動会では初めて親子競技などに参加しました。
そこには、子供の笑顔が待っていました。
大勢の人の前で失敗したらとか、自分がどこにいるかわからなくなったらとか、する前から色々な事を考えすぎて尻ごみをしていたような気がします。
やってみれば意外と何と言うこともなく過ぎていたり、わからなくなったら誰かに聞けばいいじゃないか、と言う自分に少しずつ変わっていっているような気がします。
何が出来て何が出来ないのか、見えない自分を回りに理解してもらわないと地域や社会へ溶け込むことは難しいと思うようになってきました。
今からでも遅くはないと思うので、まずは自分が住んでいる町内からスタートです。