「カラオケに目覚め」
R・E(男性 太宰府市)
先日まだ仕事もしながらゴルフにもよく行っている元気者の85歳になる父から「太郎はいくつになったかねー…!そろそろ還暦じゃないか?
もうそんな年になったかと驚いたものです。
この原稿を依頼されたときにはお断りするつもりでしたが、ここらで自分をふりかえってみるのもよいかなと思いお引き受けすることにしました。
私は昭和27年7月生まれですから、もうすぐ58歳ということになります。
先天性の網膜色素変性症です。
強度近視もありましたので、幼稚園の時には牛乳瓶の底のような分厚いメガネをかけていました。
ですから暗いところで見えなくて障害物にぶつかったり、暗い階段からおっこちたりということがよくありましたが、なぜそうなるのかはわかってはいませんでした。
9歳のときに左目をぶつけて網膜剥離になって入院したのですが、そのとき網膜色素変性症という病気で暗いところが見えないんだということを知りました。
強度近視もあるし、将来失明の可能性が強いと病院の先生と親が話していたのを何となく覚えています。
17歳のころには教科書の字が見えなくなっていましたかねー?
草っぱらに寝転んで、空に流れる白い雲を見ながらそれなりに2年間悩んで、二十歳で盲学校に入学することを決意しましたが、いやいや入った盲学校ですから勉強もせず怠惰に過ごしていました。
私が本気で勉強し始めたのは東京に鍼の勉強に行ってからです。
母が死んでからでしょうねー?
これまで数え切れないほど多くの方々に助けられてきました。
ほんとうに感謝しています。
信頼する先生の紹介でしたが一人の女性と知り合い、結婚をして子供にも恵まれ父親になることもできたということも私の支えになっています。
この4年ほど前からなぜだかあれほど嫌いだった「カラオケ」に目覚めてしまい、ハマッてしまっています。
JRPSの福岡支部のカラオケ部会にももちろんお世話になって楽しませていただいています。
考えてみればこれまでの人生を原稿用紙3枚前後にまとめるというのは無理な話ではあります。
何を書いてよいのか迷ってしまいます。
思い出して見ても辛かったことや悲しかったことは、過ぎてしまえばそれほどでもなかったような気もしています。
今では両眼とも網膜剥離がありますので全盲です。
それに10年近く前から少し難聴もあってやっかいなこともあるにはあるのですが、今はやはり全く見えない頑張り屋の妻との二人暮らしで相変わらず怠け者の私は日々叱咤激励されながらも、おかげで幸せだなと感じています。
確かに見えないということは不便ですし、どうしようもなく落ち込んでしまうこともありますが、点字の歌詞カードを作ってそれを苦労しながらも読みながらカラオケを歌っているうちに何だか明るくなってきています。
ほんとうは歌詞も覚えて歌いたいのですが、どういうわけか全く記憶できないのでしかたなく点字を読みながらということになるわけです。
友人知人も天国に行ってしまった人が多くはなってきたのですけども、もうしばらくは妻と助け合いながらこれからをこちらでできるだけ、ちょっとだけ一所懸命にくらしていけたら良いなと願っています。
消極的で、引きこもりがちな私ですけど、これからはJRPSの色々な会にできるだけガイドさんや妻の手を借りながらでも参加させていただいて、皆様との交流していけたら良いかなと思っています。
耳のせいか…? 反応はちょっと鈍いところもありますがよろしくお願い申し上げます。