I・Y(女性 行橋市)
私がこの病名と出会う事になりましたのは、平成12年10月、50歳で受診した人間ドックの診断結果が手元に届いた時でした。
その時は、全くこの様な重大な病気の認識はなく、指摘された精密検査も受けずに忘れかけていました。
その翌年の春ごろ、某テレビ番組で、視覚障がい者の何気ない日常の様子が放映されてました。
病名は記憶にありませんが、徐々に視野狭窄が進行していく中で家族の協力の下、家事や農作業に頑張っている60代前後の女性の姿が映し出され、番組の最後では「この桜の花も、いずれ見えなくなる時が来る事でしょう」と言われ、俳句を一句読まれていました。
今までは、視覚障がい者のことは「遠い存在」でしかありませんでしたが、この番組を見て、何かグーと胸に迫ってくるものがあり、大変深く感動した矢先のことでした。
5月連休明けの新聞のある記事に目が留まりました。
病気の相談コーナで、投稿者が『網膜色素変性症』の相談をされていて、回答者は前理事長の安達先生でした。
『網膜色素変性症』この病名に釘付けになり、驚き、びっくりしました。
忘れかけていた病名が甦り、慌てて人間ドック診断結果を取り出してみますと、紛れもなく、そこにはその病名の記載がありました。
この時、ついこの間テレビで見た光景が、これからの自分の姿とダブリながら鮮明に思い出されました。
早速、掛かりつけの眼科医院でこの病名の報告をしますと、先生はとても驚かれた様子で、視野検査をして頂く事になりましたが、後は、あまり詳しい事は言われませんでした。
この様な経緯で病名を知る事になりましたが、この病名を知って間もなく、健康関連の雑誌を見て、著名な先生の漢方薬を3年間位取り寄せていましたが、健康診断の肝機能に異常な数値が出る様になり、即止める事にしました。
後で振り返ってみますと、次のような症状がありました。
○40歳前後より、仕事中に字が何となく見えにくくなり、少し早いとは思いましたが老眼と思い、転勤を機に、老眼鏡をかけるようになりました。
そしていざメガネをかけてみると、合わなくて違和感があり、「何か他の病気でもあるのでは」と思い、転勤先の眼科を受診することにしましたが、特別なにも告げられませんでした。(この眼科では、私の説明が要領を得なかったのか、怒られた様な気がしました。)
その後、病院を代わり掛かりつけとなりましたが、そこでも何も告知されませんでした。(こちらの先生はとても優しく、評判も上々でした。後に、私の方からこの病名を報告する事になりました。)
○5年後に職場関係の旅行で湯布院に行きました。
夜、蛍を見に行くことになり、街頭もない中、皆は田んぼのあぜ道を何の苦も無く早足で歩くのですが、私はコワゴワとても歩きにくく、ようやく宿にたどり着いたのを記憶しています。
この様な経験は初めてでした。(普段の生活では全く感じませんでした。)
平成19年11月、帰宅途中のある日、徐々に視野・視力が低下しており、風邪気味で最悪な体調と考え事をしていたせいもあり、大型車への追突事故を起こしてしまいました。
車はエアーバッグが開き廃車となりましたが、幸いにも、私自身は5日間の通院で回復に向かいました。
その3ケ月後には、仕事も大変忙しくなる中、右目の急性緑内障発作を起こし、九大病院で手術をする羽目となり2週間の入院をする事になりました。
その際、先生や看護師の方々には親切・丁寧に対応して頂き、特に、先生方の超多忙な様子を目の当たりにして、「尊敬の念」を抱くようになりました。
この事をきっかけに、「車の運転を止める」一大決心を致しました。
それから2年間ローカル線を利用し、通勤や仕事に大変苦労をしながら、昨年3月、無事に退職することが出来ました。
本来ならば、退職後の人生やりたい事がたくさん有りましたが、それも儘ならないことが多くなり、現在は、友人と近場のウォーキングやカラオケ等を楽しんでいます。
朝のんびり出来るのも「至福のひと時」となりました。
「この病名を知り、早や10年」
その間、JRPS会員となり色々情報提供を得る中で、平成16年11月より九大病院を受診するようになりました。(又今度、白内障の手術をして頂く予定になっています。)
これまで病気とは無縁の私が、自分の視覚障がいに対して中々受け入れがたいものがあり、今まで本気で向き合って来なかった様に思います。
当初は、この眼病の存在が頭の片隅にありましたが、最近では、重く圧し掛かるようになって来ました。
将来に対する不安等に駆られ、大変落ち込む時がありますが、そのような時、定例会や病院等で仲間の皆様とお会いし、本音の語らいが出来る事に大変心強くなり、勇気と元気を貰っています。
やはり、一人一人の力は微力ですが、皆が集い、支えあい、交流の輪が大きく広がり、私たちにとって心の拠り所になれます様に福岡県支部の更なる発展を願ってやみません。
※この原稿に向かっている最中、今回の地震の速報が飛び込んで来ることになり、想像を絶する未曾有の大震災に大変心を痛めております。その様な中で、日本を初め、世界中からの温かい激励や支援協力に、大変胸が熱くなりました。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために!」
共に、頑張りましょう!
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