「病気と共に生きる」
〜見えなくなって見えてきたもの〜  

Y・T(男性 福岡市博多区)

          
「ありがとう」そう病気に対し思えることも出来るようになったのはいつからだろうか?

今でも悩んだりすることはたくさんありますが、障がいを抱えたからこそ良かったと感じることもあります。
皆様もそのような経験はないでしょうか?

私の場合、同じ障がいを抱える方々との出会いは人生の分岐点となり、病気に対する考えや向き合い方が大きく変わるきっかけとなりました。

今回はそんな私の人生において最も悩み、そして最も高い壁であった「卒業から就職まで」をテーマに、私なりに皆様に伝えたいことを書かせて頂きたいと思います。
 
「あなたは将来、目が見えなくなる可能性がある」そう医師に告げられた時、当時まだ高校生だった私は何をどう理解していいのか全く分かりませんでした。

なぜ病気は私を選んだのだろう?
振り返るとそのようなことばかり考えていたことを覚えています。
その中でも特に仕事と結婚に対しての不安が大きく、「車の免許が取れないのに本当に働けるのだろうか?
子供に病気は遺伝しないだろうか?」
私にとって重大な問題でした。
私だけに関わらず同じ悩みを抱えて過ごされている方は多いと思います。
 
そして本題である視覚障がい者の就労はとても厳しいものでした。
「見えないのに仕事は出来るの?」間接的ではありましたが、まず聞かれるのはこのことばかりだったように思います。
正直何度も試験に落ちました。

ただ視覚障がいだからこそ出来ることが必ずある、この気持ちだけは忘れないよう心掛けていました。
また家族をはじめ、周りの支えがあったからこそ乗り越えられたとも感じています。
今でこそ私は職に就くことが出来ていますが、この現状は大きな社会問題であると思っています。

視覚障がい者就労の道を切り開いていきたい、そんな気持ちが芽生えだし、就職して3年目を迎えた今年、同じ病気を持つ後輩が入ってきました。
本当に嬉しく感じたとともに私自身、とても勇気づけられました。
仕事での悩みもたくさんあるようですが、困った時は互いに協力し合っていきたいなと思っています。
そして将来、就労という面からも視覚障がい者が参入しやすい社会になってほしいと強く願っています。

今でも辛いと思うことはたくさんありますが、障がいを抱えたからこそ感謝の気持ちをより大切に感じ、相手の立場を考え行動するようになれたと最近はよく思います。

最後になりますが、ヘレンケラーの言葉にある、「障がいは不自由ではあるが、不幸なことではない」その通りだと思います。

病気を告げられ10年以上経過しましたが、当時の私では到底考えられなかった言葉です。
そういった意味では障がいは人を強く成長させてくれるものなのかもしれないですね。

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