大正・昭和ロマン、雪国、日本酒、酒蔵。何のこと?
宮尾登美子さんの小説。小説?「蔵」?
はい。その通りです。ただの小説ではありません。主人公「烈」は、私たちと同じく、網膜色素変性症を患っている女性。
その小説は1992年から1993年にかけて毎日新聞の朝刊に連載され、1995年にはテレビドラマ、映画化。
1999年、2001年には舞台化されています。私自身もその病気を患っていたことを知らされたのもその頃でした。
たまたま「蔵」の映画を見に行ったと家族に話した時の事です。家族はもう隠せないなと思ったのでしょう。初めて病気のことを打ち明けられました。私が5歳くらいの時にはすでに病名が判明しており、20歳くらいには失明するだろうとも言われたそうです。
黒板の字が見えにくいのに、眼鏡をかけても視力矯正ができないのも、映画館の中やお化け屋敷や夜の山道や街灯のない道が真っ暗に見えるのもそのせいだったのかと、少しずつ納得していきました。
でも納得できなかったのは、すでに20歳をはるかに過ぎているのに失明していないことです。それは眼科の先生も不思議だとおっしゃっていたそうでした。再検査も行われたそうでしたが、網膜色素変性症であることに間違いはなかったそうでした。
家族は「失明する前に治療法が見つかってくれれば。
それまでなんとか進行を食い止めてくれれば」と願っていました。でも当の自分は「そうね、ふふふ」と他人事のように感じていました。
子供のころから弱視で、暗いところに行くと真っ暗で見えなくなるので、なるべく明るいところを行くようにしており、それが当たり前という生活でした。終電ぎりぎりまで呑み語ったり、一人であちこちへ観光したり、ナイターでスキーをしたり、文庫本やコミックスを読み漁ったりしておりました。
20年経った今も、失明するわけないじゃないと思っている?否。
いつ失明するのか、不安でどうしようもないです。進行が遅いとはいえ、進行していることは確かです。まだ一度も行った事のない場所へひとりで行けなくなりました。単独歩行も命懸けだと感じるようになりました。白杖も使うようになりました。好きだった本も楽に読めなくなり、ほとんど処分しました。同人活動もしていましたが、それも休んでいます。
今頃になってあれこれ思い出して愕然とするのは、この病気と真面目に向きあい、付き合ってこなかったからかもしれません。アッシャー症候群だということも、10年前には、はっきりしています。これから年を重ねていく毎に病気の進行のペースも早まってくるでしょう。
幸いに思うのは、現状を受け止める心の準備ができる時間があることでしょうか。これからは真面目に付き合って行かねばならないなと思っております。
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