『新たな目標』
( 男性 T・Y)
「ロイデレミヤ」、これが私に告げられた病名でした。私の視力に異常があることは、幼少の頃から「夜見えにくい」といった症状から認識はしておりましたが、自分の中では(家族の中でも)当時は気にもしておりませんでした。
ところが、私が中学生の頃、学校の健康診断で視力の低下が指摘された為、軽い気持ちで近くの病院を受診し検査を受けたところ思いがけず視野の異常が発見、指摘されました。
その時は母の付き添いで受診したのですが、検査後の母に対しての医師の説明は、隣の検査室にいた私の耳にも聞こえてくるものでした。それはなんと「失明」の二文字でした。
それ以外にも聞こえていたのでしょうが、私の記憶の中ではその二文字しか残っておりません。自分の耳を疑いました。当時の私のショックは大変大きく、家に帰るなり必死に神様に祈った事を憶えています。
その後その病院の紹介で、大きな病院にて再検査を受けることになりました。精密検査の結果、遺伝性の疾患であること、進行性の視野障害があること、進行は非常に緩やかでありすぐに悪くはならないことを告げられました。その時には病名をはっきり言われた記憶はありません。その時点での自覚症状としては、少しばかりの近視と夜盲以外は感じることはありませんでしたので、医師からの「すぐに悪くなるものではない」と言われ、その言葉は大きな救いでした。その時私は「きっと、このまま大丈夫だ」と自分に言い聞かせていました。
就職して10年近くがたった頃、転機が訪れました。業務中にバイクで人身事故を起こしてしまったのです。当然のことですが勤務先で私が車の運転をすることが問題になり、当時勤務先に近かった九大病院を受診することになりました。その結果私の病名を自分自身で初めて認識することになりました。それが網膜色素変性症の辺縁の病気「コロイデレミヤ」でした。
私が自分の病名を知ってから早いもので二十年余りたちました。私の視力は意識をしないレベルで視野狭窄が進行していき、今では昼間でも外出時注意をしなければ物や人にたまにぶつかってしまいますし、文字も読みにくく感じるようになりました。
視力が悪くなるにつれて、以前は何の問題もなく出来ていたことが少しずつ出来なくなる・・・。実感せざるおえない状況です。それは、読書や映画が好きな私の楽しみを大きく阻害するものでありますが、それ以上に深刻なのがやはり「仕事」です。
「仕事」は、特に何の特技もない私にとって社会に出て今に至るまで生活の中心でした。現在、勤務先には私の視力の状態を配慮していただき、営業職では無く以前からの慣れている部署で事務をさせていただいております。また、通勤も
私が通勤しやすいようにと近隣の店舗に配属してもらい感謝しています。
しかしながら、毎日、その日はその日で私の視力の弱さによる弊害や、無事にその日を終えることが出来ても「いつまでこの仕事が続けられるのだろう・・・」という漠然とした不安が襲ってくる毎日です。
私は今年で49歳になります。定年まであと6年。通常なら55歳から再就職し65歳の年金受給年齢までには勤め上げることになるのですが、私の場合はその通常の流れは非常に厳しいものです。
その為前々から私の中では目標が決まっています。それは「やれるとこまで今の仕事をやる」という事です。
「やれるとこまでやる」。これはかなり漠然とした目標であると自分自身思います。
しかし、これから先の病気の進行具合の不透明感の中で、この漠然とした目標があったからこそ、ここまで今の仕事をやってこられたとも言えます。ただここ数年、私の視力が少しずつ落ちていくのを感じながらこのままでいいのだろうかという疑問が強くなってきました。
そして今はこう考えています。今の仕事の定年まであと6年。あと少し。せめて定年まではがんばりたい。出来ればそれ以上「やれるとこまで」その気持ちは変わりません。しかし、これからの私に必要なのは「もっと広い視野を持つこと」もうひとつが「具体的計画および行動」ではないだろうかと思っております。「広い視野」と言っても視力の事ではありません。
「これからの人生において、自分はどんな生き方をしたいのか。また仕事以外の事で社会に貢献できることは何か」と言うことです。まだ出来ていませんが、それをみつけて具体的に計画し、行動していく事が必要だと考えています。またそれが出来て初めて私自身の病気・障害に真の意味で向き合うことになるのではないかとも思ってます。
今回JRPS様にこのような文章を投稿させていただく機会を与えていただき大変感謝しております。自分の過去を文章にすることによって改めて自分の考えを見直す良い機会になりました。
JRPSの多くの会員の皆様がそうであるように、病気に負けることなく前向きな努力を続けていきたいと思います。それが今の私を支えてくれている妻をはじめ多くの方への感謝の伝え方だと思っております。
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