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  『出会いに感謝して!

                   ( 女性 N・M)

 29歳の時、私は2人目の子を出産しました。
母から『これから子育て頑張らないといけないし視力おちてきているから診てもらったら。』と言われました。それから、眼科で検査を受けました。
 私は、先生の『網膜色素変性症ですね。進行性の病気で将来は失明します。』と言われ、頭が真っ白になりました。子供を出産したばかりなのになぜ?どうして、私がと大変ショックを受けたのを今でも覚えています。

 テレビの字幕、本も普通に読めていました。その当時は、生活に支障はありませんでした。あまり考えこまず、家事、子育て、パートでの仕事と日々を過ごしていきました。
 40歳の頃から、視力もおち、暗い場所で物にぶつかったりするようになっていました。仕事も目の悪いことは、隠していましたので、色々なところでストレスを抱えていき自暴自棄になっていました。そんな私を主人、子供たち、母、妹がささえてくれました。そのおかげで元気にはなりましたが、家にひきこもりがちになり「もんもん」とした時がながれていきました。

 そんなある日、網膜色素変性症の会があることをテレビで知った主人が教えてくれました。早速、思い切って交流会に参加しました。同じ病気を持った人がたくさんいるのに大変驚きました。会員の皆さんがとっても明るく、病気の事を隠さずに前向きに生活している様子に私は心を揺さぶられました。また、私のお話も聞いていただきたくさんのアドバイスも受けました。『とにかく九大病院の池田先生に診てもらったらいいよ。』と言われました。

 早速、受診しました。当時、かかりつけの眼科で障害手帳の事を聞いたのですが、『まだ 大丈夫だよ。障害手帳をもらってもなんのメリットもないよ。』といわれていましたので、検査の結果が、2級と聞いたときは本当に驚きでした。

 ここからです。私が一歩づつ、歩き出せたのは。
池田先生そして会員の先輩方のおかげだと感謝しております。
 あいあいセンターへいきたいと思い面接を受けました。自分が白杖をもって歩くのはとても考えられませんでした。だって、かわいそうねー。とか 同情されるだろうそんなのいやだ。と思っていました。先生の質問が『どうして白杖持つかわかりますか?それはね。自分の身を守るためですよ』とやさしく言われたとき、私はハットしました。『人がどう思うかではなく自分がどう思うかが大事なんだ』と気づかされました。
センターでは熱心で素敵な先生方、明るい訓練生と出会えました。
歩行訓練では白杖片手に暑い日も寒い日も色々な所を先生と歩きました。

  パソコンは インターネットやメールができるようになりました。点字は、何となく読めるようになりました。休み時間では、訓練生とたくさんお話もしました。
そんな中で 前向きにものを考えられるようになりました。また、先生に清水町のサンサンプラザへ連れて行って頂いたことで障碍者シンクロと出会うことができました。

 障害のある人もない人もともに音楽に合わせて泳いだり踊ったりする競技です『わたしにはシンクロなんて無理』と思っていましたが『浮ければいいよ。』と当時視覚障害者の部長さんの一言で、私でもできると思い「博多べっぴんクラブ」に入部することを決意しました。当初は、まさか!私がシンクロだなんて、絶対無理だと思っていました。
博多べっぴんクラブの皆様との練習は、和気あいあいとしており新しいことへの挑戦が楽しく、できるようになった喜びを感じ、毎回の練習に打ち込んできました。
できなかった逆立ちや足上げができるようになると『時間はかかってもやればできると感激しました。目標は毎年5月開催される京都での「全国障害者シンクロナイトズドスイミング大会」に参加することです。

 目標にむかって、視覚障害者、車いすの方、足が不自由な方、知的障害の方、ボランティアの方などとお互いを理解し助け合いながら、シンクロ競技と向き合うことができ、メンバー、センターの職員の方、シンクロ指導員など色々な方に支えて頂き、不安だらけの京都でしたが仲間にも助けられ無事に出場することができました。京都での大会に五回ほど参加しました。そんな、皆の障害を理解し助け合いながら、ひとつの目標に向かって、活動してまいりましたが、残念ながら体調不良で今年の6月に卒業しました。博多べっぴんクラブの皆様の出会いは私にとって一生の宝物です。一人だったら頑張れなくても、仲間がいたから頑張れたような気がします。
 「私だってやればできる。まだまだ、これからなんだ!」と思えるようになりました。これからもやればできる。をモットーにお世話になった方々に感謝し過ごしていきたいと思います。

娘の美穂から
この場をお借りして母へ感謝の思いを述べたいと思います。
私の母は、網膜色素変性症という病気にも前向きに向き合う中で、たくさんの方々と出会い、いろんな事にチャレンジする姿勢にとても尊敬します。
私生活に置いても日ごろから何でもこなす母ですが、たまに、アレがない、コレがないなどの会話も日常茶飯事です。点字を活用するなどして日々努力する姿に娘ながらに関心しております。初めて行く場所には、一人で行けるように時間があるときに一緒に歩行訓練に行ったり、買い物に行ったりと陰ながらにサポートはしているつもりですが、いつも母に支えられています。
ある方に母(典子)のポエムを書いていただきましたので紹介したいと思います。

「典雅な輝きを放つ、幸せな人生へと家族を導き、移りゆく
季節の中で、いつもしっかりと支えてくれてありがとう」
本当にその通りだと感じております。いつもありがとう! 美穂より

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