「この病気と付き合ってパートU」
「網膜色素変性症のある生活」
T・N(男性 糸島市)
小さな部品が、ぽろっと手からこぼれる。ふーっと溜息をつき、心を明るくするため
に、一回ニコっと微笑んで、立ち上がり二、三歩下がって、作業場所全体が見える視
野に収まるようにして探す。すっかり習性みたいなものになってきた。仕事と言えば
仕事なのだけど、幸い、誰にせかされるわけでもないし、そもそも、いつ完成するか
も分かっていなくて作っていることも多い訳で、作業速度が遅くはなったのだけど、
大きな問題とは感じていない。
新しいものを作る作業は、考えている時間の方が長い
ので全体としてはそう問題とならないのも余裕の一因ではあるが、最初のうちはイラ
っとしていた。でも、楽しい開発作業を不愉快にしてもつまらないので、ニコッとす
るように心がけ
、15年ほど前に、横浜から糸島のはずれに引っ越して来た。最近はめっ
きりそういう機会も減って寂しい限りであるが、当時は近所の人たちの家で一杯飲む
ことが多く、暗くなってから一緒に行動するときに、どうも、みんなはスイスイと動
くのにこちらは障害物が見えない。街灯も少なかったし、最初のころは、ここで生ま
れ育った人たちだからなぁくらいに思っていたのだが、さすがに、どうも変だな、と
いうことで、眼科に行ったのが、病名が発覚するきっかけだった。
現在でも、中央視
野は昼ならばよく見えていて、視力も眼鏡さえかければ
1.0ある。周辺部は見えてい
ない部分も多いが、通常の健康診断では発覚しないし、うっかりすると見えていない
ことを忘れる。
最近、放送大学で錯覚の科学という講義があって、人間の見ている世
界は真実を見ているのではなく、大脳で処理、補正されているとのことである。完
全に見えている人でも盲点があるのを意識できないのがよくわかる例ではあるが、私
の場合でも盲点が巨大化しているようなものなので、見えていない部分を脳みそが勝
手に補填してしまうので、スーパーなどで買い物をしているとテレポートでもしてき
たように、いきなり目の前に人が現れるという面白い現象に会う。
話はそれるが、放送
大学はテレビだけでなくラジコで聞くこともできるので、ほとんど見えない方でもタ
ダで聴講できる。
話を戻すと、人だけではなく、物でも見落とせばぶつかる。対処方法は常にきょろき
ょろしておくことだろうけど、これでは疲れるので、とにかくゆっくり動くように気
を付けている。ぶつかる寸前で回避できることも多いし、ぶつかっても被害は最小限
。車の徐行運転と同じである。せっかちな方は辛いだろうが、もともとのんびり屋な
ので、あまり気にならない。
最初に書いたような作業をしょっちゅうやっているわけではなく、主な仕事はパソコ
ン相手で、図面を書いたり報告書を書いたりしている。マウスポインタが目の前から
消えるのが問題だった。一度見失うととにかく見つからない。ただ、現在は弱視用の
特大ポインタ、更にプレゼンの時に見やすくするためのポインタの周りに大きな丸を
表示するソフト、これでも見失うので、マウスのセンターボタンを押すと、必ず画面
の中央にマウスポインタが来るソフトを使っている。使えるものは使う。出来ないこ
とにイライラしない。この病気とは、そんな付き合い方を心掛けている
。
(つづく)