「コロナ禍の中にケガで救急搬送入院体験記」

N・H(男性 遠賀郡)

 2020年11月1日その日はJRPS福岡の幹事会終了後、帰宅への地下鉄の天神駅に向かう途中、事故は起きました。天神橋口の薄暗い階段を約15段踊り場まで、 正に俵が回転しながら転げ落ちるように転げ落ちたのです。またま居合わせた看護師が、様子を見てすぐに救急車を手配してくれ、生まれて初めての救急搬送です。一緒だっだ三小田さん夫妻も救急車に同乗され、家内にも連絡していただきました。救急車内では多少意識がありましたので、救急隊員との会話もできました。隊員が私のリ ックから取り出した障がい者手帳を見ながら、「患者は網膜色素変性症による重度視野狭窄です」と搬送先の病院に告げていたことははっきり覚えています。搬送先の病院はすぐに着きましたが、PCR検査結果待ちで、病院内にすぐに入れません。その頃の記憶はだんだん薄らいできました。そうこうしているうちに、家内と娘が病院に来てくれていました。気が付いた時は、PCR検査は陰性で、「今から病室に入りますが、ご家族はここまで」とのこと、家内と娘に手で別れを告げ、ひとり病室へ。診断の結果、左腕肘の複雑骨折と肩も骨折しておりました。翌日に肘の手術をして、肩は自然治癒で、11月15日に退院しました。

 しかし、救急搬送入院はこれで終わりませんでした。18日の早朝、今度は自宅の階段で滑り落ちまたも救急搬送、ここでもPCR検査(陰性)胸椎圧迫骨折と細菌性肺炎の診断、圧迫骨折にはコルセット装着での治療だが、細菌性肺炎の原因を詳しく調べないと、コルセットの業者を呼べないということで、約1週間正に寝たきり状態であった、さすがにまいりました。イライラから看護師に八つ当たりしたこともありました。リハビリの為、11月7日に自宅近くの病院に転院をして、ここでもPCR検査を受ける。夜のトイレへ自力移動が困難のため室内にトイレのある個室を確保したが、室内見守りということで、ベットには柵があり、わずか4Mばかりのトイレまでナースコールにて柵を外してもらい、トイレまで誘導、トイレを済ませても、ナースコールにてベッドまで誘導してもらい、 室内外の移動にはすべて看護師の見守りによるものでした。車いすから、歩行器、そして杖と補装具が変わりましたが、見守りは変わりません、相当のストレスの中での 入院でしたので、病院に無理をお願いして、特例で?12月21日に退院させていただきました。コロナ感染防止のため、どの病院も大変でありました。一方、私もコロナ感染による入院で無くても、病院関係者以外誰一人として会うことが出来ず、ストレスの日々でありました。

 早くコロナの収束を願うとともに、皆様もお怪我をされま せんようくれぐれもご注意ください。


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