JRPS群馬支部 支部長 吉岡 直子
皆さん、こんにちは。
去年の総会で“ぜひ群馬でも支部だよりを”との声に準備を進めて参りましたが、いよいよ初版発行の時が来ました。
会の方も、当初は何も分からず、皆さんに支えられての出発でした。「あぁるぴぃ」では、いつもお問い合わせ先になっておりますので、TELを頂いたり、かけたりする事が多いのですが、受話器のむこうからは、人それぞれ、病気、仕事、家族の事等々、最初は丁重な言葉でお互い話しているのですが、そのうち友達同士の会話になり、今では大切な「同病の友」になっています。
自分の立場を分かってくれる同病だからこそ、ずっと寄り添ってくれる深い絆が生まれるのだと思います。交流会を重ねる度に、親しい友達の輪が広がっていくのを目にしてきました。仲間と仲間がしっかりと支え合っています。
皆さんも会に参加して感動した事、嬉しかった事、面白かった事等、たくさんあることでしょう。そんな時の事を、ひとりじめにしないで会の方まで教えてください。しっかり者の今泉さん、明るさいっぱい堀越さんにリポーター役になってもらい、皆さんの ご支援、ご協力を頂いて“これぞ群馬”というような会報になる事を願っています。
『皆さ〜ん、ご期待ください!!』
JRPS群馬支部 副支部長 小林 一男
群馬支部は2001年10月6日現在で、JRPS正会員数61名、当支部の活動に参加してくれた支部会員は120余名を数えるに至りました。当初、吉岡さん宅で茶話会を行っている内にJRPS本部の方からの誘いもあって、伊勢崎市ふくしプラザの会議室で平成10年7月5日にRP群馬連絡会を立ち上げました。当時はRP患者に役立つ情報と、患者間の交流を深めることを目的に、年3回の行事を計画しました。最初の交流会で、慶應義塾大学の小口教授をお招きして初めて医療講演会を実施いたしました。先生は群馬の出身でもあり、親身になって私達のためにお話をして下さいました。
その後、県の職員を迎えての福祉講演、国リハの久保先生をお招きしてのロービジョンケアに関する講演と個別相談、秋には初めての楽しいりんご狩りバス旅行、又元会長の小野塚さんをお迎えしての交流会等、連絡会であっても積極的に行事を展開する中、活動実績が本部の方に認められ、平成12年(2000年)7月30日に全国で11番目の支部として、JRPS群馬支部が誕生いたしました。伊勢崎市ふくしプラザホールにて開催した設立総会には、多くの方々のご臨席とご支援を賜り、記念医療講演においては国リハの簗島先生にご講演を頂きました。本部からは釜本会長、中村理事、森口理事の出席を頂き、120余名の参加を得て、感動の中でのミレニアム誕生でした。
その後も更に活動を進める中、平成13年7月8日には、県、社会福祉総合センターにて第2回定期総会を開催。記念医療講演では群大の飯田先生にご講演を頂きました。これを契機に群大の先生方にもJRPSの学術会員になって頂いたことは、治療法確立に向けて、地元での強い味方が得られたと感じております。
群馬支部では会員相互が本音で話し合える、心暖まる会にしたいと、地区交流会の充実も手がけています。会員の幸せを願い、引いてはRPの治療法の確立を目指して今後も支部としての活路を見出していく所存です。更なる御協力をお願い致します。
今回、今泉さん、堀越さんのお骨折りにより、「群馬支部だより」創刊号を発刊することになりました。この「支部だより」が会員皆様の憩いの場として更に発展されることを願うものであります。
小林眼科院長 小林 和夫
冷たく張りつめた空気が肌に刺激的なこの時期、医院からながめる上毛三山の凛々しく雄々しい姿に心洗われる思いです。赤城山の雪化粧は私のお気に入りの景色で、空の青さと雪の白さの対比がとても美しく、群馬の地で人生を送れることを幸せに感じながら毎日の診察に努めています。
人は生活に必要な情報の大半を視覚によって得ています。ご存知のように、眼球は直径わずか2pたらずの球体の器官で体の容積のわずかな割合を占めるに過ぎません。この小さな眼球を守るのがわれわれ眼科医の使命です。医学の発展によって、様々な薬や手術が開発され、一昔前までは手を出さなかった疾患が少しずつ克服されるようになっています。一人でも多くのJRPS 会員の方と一緒に赤城山の雪化粧を楽しめますように、RPの研究が進歩することを一眼科医として切望しています。
手作りの「群馬支部だより」が会員の皆様の良き情報交換の場となり、さらに、われわれ医療サイドとの肩の凝らない交流の機会となることを期待しています。皆様同様に真摯な態度でRPに取り組み、わずかでもお力添えできるよう心掛けてまいります。
ライオンズクラブ国際協会 333−A地区
元ガバナー 吉澤 弥彦
一昨年、ライオンズクラブ国際協会333複合地区ガバナー協議会の際、たまたま隣に居合わせた333-C地区のガバナー岡野正義氏より群馬県にJRPS群馬支部が出来るについてのお話しがあり、会場が伊勢崎市内にて行われるにつき、何とか支援してくれないかとのこと。早速、私の所属する伊勢崎中央ライオンズクラブの理事会にはかり、支援することが決定され、時の会長高橋氏の好意によりバスが提供され、駅より会場への送迎を致したのが支援の出発でした。その後、JRPS群馬支部の設立総会の時も、クラブメンバー10名にて支援させていただきました。
ライオンズクラブの原点であります地域社会に奉仕の出来ることを、今後も続ける私ども伊勢崎中央ライオンズクラブも、現在まで永年にわたり、「群馬県アイバンク」に、基金の奉仕活動を続けております。今後も、ライオンズクラブの原点であります地域社会に奉仕の出来ることを願って、「JRPS群馬支部だより」の発刊によせます。
木戸 成吉
「この病気は治らない。進行性だから2〜3年で失明する。今のうちに点字でも習うことですね。」昭和55年、私が55歳の春、眼科の名医の宣告でした。
3年前、町の眼科医で発見され、群馬大学、自治医科大学と各地の医師の診断を受け、「網膜色素変性症」(色変)が難病だとは聞いておりましたが、頼みの綱の目の権威の先生の診断に、余命3年と癌の宣告を受けた様なショックで、口もきけませんでした。
そして、目によいと聞けば全国を探し、台湾も訪ね、そして中国の漢方鍼灸療法に出会い、以来、十数年、毎週一回の治療を続けています。
平成6年、日本網膜色素変性症協会(JRPS)が発足し、国際的な視野でこの難病が取り上げられることになったのです。
不治の病に一人苦悩し、希望を失って自殺まで考えていた者同士が、出会い、励まし合い、治療に希望が持てる様になったこと、群馬支部が発足し、今まで隠れていた同病の者同士が手を取り合って情報を交換できる様になったこと、心より嬉しく感じております。
一昨年、私の杖だった家内に先立たれましたが、白杖を頼りに自立し、76歳まで生かされてきたことを感謝し、病気と共稼ぎながら頑張っていく所存です。