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●JRPS群馬支部長  吉岡 直子

 「行ってきましたよ〜っ!」

 参加申し込みがはじまったのは、凍えるような寒い冬のことでした。まだまだ先の話だとのんびりしてたのですが、いざ出発となると結構気ぜわしいものです。流れる汗をタオルのハンカチで押さえながらバスに乗り込みました。伊勢崎、前橋、高崎と参加者27名を乗せて目的地幕張へと向かったのです。早朝3時半現地のファミレスに到着、6時に朝食の予約を入れてあるので、私たち数名はそれまでコーヒータイムをとることにしました。(ちょっと寝不足かなぁ?)朝食もしっかり頂いて、さぁいよいよ幕張プリンスホテルに到着です。中に入るとそこはもう人人、人で溢れていました。黄色のTシャツはボランティアさん、背の高い外国の人、盲導犬を連れた人も、そんなRP関係者でいっぱいです。私は娘とはぐれぬようにしっかりと肩につかまって、やっとの思いで受付を済ませました。ここで頂いたネームプレートを首から提げると「ヘッ、これがあの世界大会かぁ!」なんて変に納得しながら開会式に臨んだのでした。ファッサー会長さん、釜本会長さん、安達教授、千葉県知事と挨拶は続きます。

 (アレッ!どうしたことでしょう?)瞼は重く声はだんだん遠くなるばかり・・・体がグラッと傾いて、ハッと我に返るのですが・・・もう止められませーん。ここからは睡魔との闘いになってしまいました。(オーマイゴット!)

 さぁ、気を取り直して次のお楽しみはディナータイムです。広ーい会場には、10人掛けの丸いテーブルがいくつも用意されていました。群馬のメンバーはそのうちのひとつに案内されました。次々と運ばれてくるご馳走を頂きながら、しばしお喋りを楽しみ、そろそろ中盤に差し掛かった頃「阿波踊り」がはじまりました。チャンカ・チャンカのリズムに合わせて、黄色のロゴ入りのハッピを着た人達が、中腰、蟹股で両手を高くかざして右、左とテーブルの間を練り歩くのです。リズムは早くなったり遅くなったり、いつしか群馬のメンバー数人もその列に加わっていました。

 宴も終わり部屋に戻ろうとエレベーターに乗ろうとした時、二人の外国人が日本人に向かって「アイ ライク ジャパーン!」と叫んでいました。(うん、この英語だったら私にも判るよ。)

 まぁ、こんな感じの二日間ではありましたが、どうにか無事に怪我も無く行ってくることができました。

 「世界大会の内容は?」って聞かれると・・・ごめんなさい。実はあんまり理解できてないんです。

 このあとは、参加した皆さんに伺うことにいたしましょう!

 

●群馬支部副支部長  小林 一男

 アジアでは初めてという待ちに待った第12回RI世界会議に、群馬支部はバスにて8/3の朝7時頃に会場の幕張プリンスホテルに到着しました。―実を言うと3時頃、朝食を予定した幕張のコンビニレストランに到着、そこでゆっくりと仮眠の予定でしたが、夜明け前のコーヒー、朝ビール等を口に久しぶりの友とおしゃべりも始まり、仮眠どころか殆ど寝ていない人が多かったというのが実態でした。―早速会場となるプリンスホールに足を運びましたが、まだ受付は準備中ということでしばし待機。7時半頃に受付を済ませ、開会式が行われるメインステージへと進みました。トップ受付のお陰で、群馬支部のメンバーは中央部の前の方に陣取ることができました。

 JRPSの釜本会長、RIのファッサー会長の挨拶で始まり、又、素晴らしいプロジェクターによる英語と日本語の大型画面は、研究成果の発表とその理解に大変効果的でした。網膜色素変性症の治療の可能性は?…患者にとってよりよい生活の方向は?…関心の強さに襲いかかる睡魔を必死にこらえての一日目でした。中には用意よろしく、録音しながら船をこいでいる姿も……。

 夜のディナーパーティは、阿波踊りで最高潮に達し、参加者全員が普段の大変さを忘れ、笑いと汗の中で仲間意識を強く感じたひとときでした。

 二日目の最後の閉会式では、多分誰もが熱い希望を胸に、このRI世界会議に参加した人達の別れを惜しんだことでしょう。網膜色素変性症の治療法は、近い将来必ずやって来る。それまで手を携え共に頑張ろうと……。

 網膜の研究に携わる世界の先生方、今回のRI世界会議の実行に献身的にご尽力された役員の方々、又この大会を陰ながら支えてくれたライオンズクラブを初めとする支援の皆様方、ボランティアの方々、そしてこの第12回RI世界会議が過去最大と言われるに至った世界の多くの参加者仲間に、深甚なる敬意を表したいと思います。

 ホテルも素晴らしかった。本当に有り難うございました。

 できれば次回、2年後のオランダでの大会に更なる夢を託し、参加してみたいという感を強め、幕張を後にしました。

 

●群馬支部役員  小林 松子

 第12回RI世界会議、何度このことばを口にしたでしょうか。

待ちに待ったRI世界会議、群馬の皆様と主人、既に一日前にボランティアとして参加させていただいている娘、RI世界会議の会場に一緒にいられたことは、大変幸せに思いました。

 この病気を治そう、講演を聴こうと、沢山の人々が千葉の幕張プリンスホテルに集まりました。様々なテーマで講演が行われ、どの会場でも立ち見のでるほどの盛況ぶりでした。治療法の確立も近い将来であって欲しいのはもちろんですが、私が身近に感じましたのは、ロービジョンと生活訓練でした。患者さん一人一人が、テクニックを身につけて自信をもって、よりよい生活ができればいいなーと思いました。

 全体でのディナーパーティでは参加者達が阿波踊りで大変盛り上がり、世界が一つになりました。私も感動で胸がいっぱいでございました。

 世界の名医、又JRPSの役員の方々、ライオンズクラブそしてボランティアの方々の愛によって支えられて開かれたRI世界会議、ご成功おめでとうございます。又、有り難うございました。

 2年後のオランダでのRI世界会議に、期待と希望を持ちまして会場を後にしました。

 

●群馬支部役員  市橋 映二

 8月2日(金):今回は私の付添いというより観光気分の息子(中1)と共に高崎行きの電車に飛び込む。電車ではすでに出発しているバスの状況が気になるが、吉岡さんより伊勢崎OK、前橋OKの連絡が飛び込み安心。予定通りにバスが着き、もれなく全員が集合し今回は出だし好調!と、みんなに感謝しつつ阿久沢さんのお嬢さんが手を振る中出発。友達と談笑する人、近況を話し合う人、静かにちびちびやる人、いつの間にか睡魔に引きずり込まれる人など…様々な人を乗せたバスは夜道を一路幕張へ向かうのである。

 8月3日(土);汗と疲労困ぱいの中、予約したデニーズ幕張店で朝食にありつき、元気を充電して、さあRI世界会議会場のプリンスホテルに出発!会場へはほとんど一番乗りで受付終了、すばらしい会場をみて興奮!やがて華やかな開演は、釜本会長の挨拶に始まり、安達先生、ファッサーRI会長へと、そして私にとってもしかしたら命の恩人の小野塚ゆかさんの表彰……・と、ここまでは興奮続きで眠気はなかったけれど、その後は睡魔との格闘、また格闘、やがて惨敗、そして安らかな夢見の旅立ちへ。DNA、遺伝子診断、人工網膜、恐竜展に出かけた息子が迷子?もっと英語を勉強していれば!!!もっと進化しろ誘導ロボット、優しい声の音声ソフトが欲しい〜などなど、夢の中で色々想像し、夢の中で語りかけた一日目。会場で睡眠不足を解消したお陰で夜の華やかな会食はさすがに元気いっぱい、仲間とはぐれて他県の人達やオーストラリアの夫婦と同じテーブル。にぎやかに華やかに一日目が終了。ホテルから眺める夜景が綺麗だった!今度は息子とではなく女房と絶対来るぞ〜ムニャムニャ…・・。

 8月4日(日);この日の半日は昨日とは違い充実の半日でした。昨日のように不覚にも舟をこぐ事もなく、聞きたいテーマが聞けました。私達の病気があと半世紀で克服ないしは初期段階で改善される手だてが確立すると個人的に確信しました。この大会で示された熱意と多くの研究の積み重ねが必要でしょうが、私達患者自身の思いと、思いを実現するために差し伸べ合う手の集まりを忘れなければ。そんな思いで会場を後にしました。とにかくすばらしい大会だったと思っています。これだけ多くの研究者がいると思っただけでも勇気が湧いてきました。本部の役員の皆様、本当にありがとう。群馬の皆さんにはサポート不足のツアーだったかもしれませんが全員無事帰ってこれた事に感謝してます。 

 ボランティアで参加してくれた吉岡さんのお嬢さん、みなちゃん、堤君有り難うございました。

 

●群馬支部役員  遠藤 敦子

 自信を持って、「健康です」といえる人がどのくらいいるでしょう。どんな健康そうに見えても不安に感じていることはあるのではないでしょうか。

 わたしの場合、息子達の眼の健康です。暗いところが見えにくい、視力、視野が狭い。それが、難病だったとは。そう先生に宣告されて15年余り経ちました。幸いにも、普通に日常生活は送っていますが、不安や心配は常に頭の中にあります。今回その病気に関しての世界大会が、日本で行なわれる機会に出席できて、先生方の発表に期待してしまいました。今まで治療法がなかった病気が、早期発見で治ったり、進行を遅らせたり出来る時代になってきたからです。発表は英語が基本らしく、理解しにくいもので、日本での開催だったので、一般の人にも分かりやすい日本語の補足がもう少しほしかったような気がします。それでも臨床研究、基礎研究、遺伝子研究など、いろいろと長い間、月日が必要であることも改めて実感し先生方の研究には頭が下がる思いです。たくさんの人たちが出席し、盛大に終わったことに大会に携わった多くの人たちに感謝するとともに、よい治療法が見つかる事を願っています。

 

●群馬支部役員  星野 行輝

 今回は裏方として参加させて頂きましたが、いやぁ不手際ばかりで、そりゃもう大騒ぎ。あらかじめ役員会で打ち合わせは、しておいたもののミスばかり。ペアを組んでサポートする筈がバラケちゃったり、連絡事項がうまく伝わらなかったり、各自の部屋割りを把握しきれなかったりと、皆さんには大変ご迷惑をおかけしました。 

 世界会議の内容は英語だらけで難しかったけど結論から言えば、まだ先の話かなという感じかなと思う。でも、いろいろな人から逆にサポート受けたり、普段地元には来ていない福祉機器の業者さんが見られたりと、収穫も多かったと思いますよ。

 まぁこんな機会でもなけりゃ前の晩からバスで出かけたり、幕張プリンスなんて泊まれないしね。

 疲れたけどいい思い出に、なりそうです。それにしても魔法の杖の白杖が威力を発揮出来ませんでしたねぇ。今回は。だってみんな白杖持ってる人ばっかりだし、杖を突いてもフロアが絨毯張りで音しないしで、一苦労でした。

 一応、福祉機器担当なもんで、いろいろな展示場所を見てカタログも頂いてきました。探しているモノ、欲しいモノなど、何かありましたら、気軽にお声がけ下さい。出来る限り協力させて頂きます。

 ではまた、お会いしましょう。

 

●群馬支部役員  松本 恵理子

 8月3日・4日と一泊しての世界会議への参加でした。場所は幕張プリンスホテル。期待はいやがうえにも高まります。バスの中での車中泊という強行軍で疲れてはいたものの、このホテルを目の前にして心はリゾート気分になってしまいました。

 ホテルに入ると、ボランティアの若いメンバーがずらっと並び「おはようございます」とあいさつをしてくれます。「わーっ、さすが世界会議ね」などと思いながら、開会式の始まる会場へ。早く着いた群馬支部は、前の席をゲット。「やったね!」などと思いつついよいよ会議は始まりました。釜本会長の英語のあいさつ。そして、全て流れは英語中心となっていきました。

 次第に、前夜の疲れからか英語のスピーチがよき子守唄となって群馬の面々は夢の世界へ…。

 ライオンズクラブも、このときのためにと多くの資金とボランティア活動の提供を陰ながらされていた様子でした。不満はあったけれども、これが、日本の世界の一流の眼科の医者が注目する世界会議なのかと思いました。レベルの低いところで文句を言ってもしょうがないのかなと思いました。

 そうして、印象に残ったのは、千葉の高校のマーチングバンド。本当に素晴らしかった。そして阿波踊りもとても良かったです。

 二日間、何事もなく無事に帰ってこれて、何よりでした。

 運転手さんも感謝です。

 みなさんありがとうございました。

  

●ボランティア  みなちゃん

 この病気のことは、自分の母親が患っている病気なので大体のことを知っていると思ったのですが、まだまだ完全とは言えず知らないことがあるので、福祉を目指している自分のためにも世の人々のためにも沢山のことを学ぶ意気込みで望みました。夜行バスでの移動のためうまく寝れず寝不足でこの講演を聴きました。Drが英語で講演をしていたため、英語があまり得意ではない私は聞き取れないことが多々ありましたが、全体を通して考えると、何となくですがわかりました。また、全体的にはよかったのですが(健常者にとっては)、目の不自由な方々には分からなかったと思います。Drの講演は英語のため日本語の字幕が出なかったのがとても残念です。具体的には耳にイヤホンみたいなものをして、そこから通訳の方の声が聞こえるように工夫したほうが分かりやすく、眠る人もいなかったと思います。講演の内容を書いた冊子が配られたのでが、これは健常者にとってはとてもわかりやすいものになると思うのですが、目の不自由な方々にはあまり意味があるものとは思えません。だから、点字やテープに吹き込んだもの等を配ったほうがいいと思いました。ボランティアとして参加したのですが、何も役に立てず申し訳ない気持ちで一杯です。

 これからも頑張って行きますのでよろしくお願いします。

 

●T・阿部

 「皆さんただいまー」行ってきましたよ、千葉の幕張プリンスホテル。

 私は、8月3日(土曜日)、一日だけでしたけど。

 テーマは、「EYE ON THE FUTURE 私たちの目に確かな未来を」。世界40カ国から、広い会場いっぱいに患者や家族・支援者・研究者が集まっていましたよ。やっぱり、開会式や世界大会式典は、会長のクリスティーナ・ファッサー女史の挨拶などがあって、世界大会に参加しているという、実感が沸いてきました。その後の、網膜色素変性症の発症や遺伝の話を聞きながら、「なーんだ、私たちは、特別じゃないんだー。」と、いうことも自覚できました。そして、遺伝に関しても、他の病気と同じように遺伝していることを理解することができました。

 午後は、色々なテーマに分かれての研究発表がありました。私は、興味が一番あったので、誘導ロボットの研究説明を聞きました。まだまだ研究段階で、欠点も多くて、実用化までには時間がかかりそうです。実際に、外で触ってみたのですが、イメージ的には耕耘機かな?でも、これがもっと研究されて実用化されたら、私の実家へ毎日一人で出かけられるかな?と、いう期待を勝手にしています。

 そして、皆さんも、一番関心がある、遺伝子治療・網膜移植・神経保護の研究発表も聞きました。私としては、「まだまだ、研究段階で、確率までの道のりは遠いのかなあ?」と、いうのを実感しました。それは、発表の中で、決め手になる言葉が少なかったからです。でも、研究してくださる方々も、一生懸命に私たちの病気の治療法を見つけようと努力しているのは、大変ありがたいと思いました。そして、発表も英語が中心で、左右2枚のスライドを使っていて、日本語と英語での説明やグラフ・写真が多くて、私には主人が頑張って説明してくれるのですが、なかなか全てを理解できませんでした。どうせなら、日本語の通訳のヘッドホンがあればよかったのに。参加した皆さんも、きっとそう思ったことと思いますよ。

 参加して、一番楽しかったことは夕食会でした。私のテーブルには、京都の方が中心でしたが、埼玉県のお母さんと娘さんも座っていて、すぐに隣の方へ声をかけて、お友達になりましたよ。そして、阿波踊りも一緒に盛り上がりましたよ。食事の中身は、よく思い出せないのですが、皆さんとのおしゃべりで、とてもとても楽しい一時を過ごすことができました。もちろん、名刺交換もしました。今では、私の良きメル友になっていただいていますよ。

 これが、私の会議に参加しての一番の収穫です。

 皆さんも、機会ができましたら色々な集まりに参加してみてください。そして、お友達も作ってくださいね。自分の中でつまずいたときなどは、同じ悩みを持っていたり、同じ病気を持つ仲間として、話が弾むと思いますよ。

 

●I・井上

 先日のRI世界会議に参加させていただきありがとうございました。大変立派な大会に感動いたしました。役員ならびに関係者の皆様方には、心より感謝申し上げます。

 二日目のシンポジュームが英語だった為、同時通訳が字幕で出ましたが、よく読めませんでした。(後で、日本語の説明がありました)会場、進行、レセプションなど大変素晴らしく、感激致しました。

 次回、オランダ大会にも是非参加させていただきたく、希望を持って元気に頑張りたいと思っています。

 

●T・川上

 会員の皆様、こんにちは。この夏は猛暑でしたが皆様はお元気ですか。 

 待ちに待った幕張に行く日がきました。午後10時10分に前橋を出発し高崎に行き、一路千葉に向かいました。車中、お隣の席の井上さんと二人で、少しのアルコールを飲みウトウトとしている間に到着。その日は講義を聴いている間に、時々舟をこいでしまい、はっとして、また少し聴いて、と半日はだめな私でした。次の日は真面目に聴いて私なりに理解をすることが出来ました。もう少しでこの疾病に対する治療も確立するらしく、自分の眼には間に合なくても、後々の人々には明るい希望が見えているように思いました。眼科の先生方、ありがとうございます。

 

●I・黒澤

 実は、私「世界会議」に参加していないのです。土曜の午前中に仕事して、それから一人で電車に乗って行ったので、着いたのは午後4時でした。だから、「会議」には参加していないのです。でも、夜のパーティーに出、ボランティアの人たち・千葉の吹奏楽部の高校生たち・そして私たち世界中の色変患者たちが阿波踊りを踊ったとき、今までの「自分だけこんな病気になってしまった」という思いが「世界中に仲間がいるんだ。世界は1つなんだ」って変わったのです。視野がどんどん狭くなる中で、世界中の人が集まって1つの目標に向かって大会をする。なんだかいっぺんに心の視野が広くなったって感じがしました。

 翌日は、3人の先生のお話を聞きました。アメリカでは「治療」というよりも根本的な「改革」をするような研究・実験が進められているようです。心のケア・視能訓練・ロービジョンクリニックも同時に進んでいる様子も聞けました。今まだ「これが治療法だ」というのはないようですが、世界中の医師と世界中の患者が1つになって一生懸命この病気に取り組んでいるんだと思ったら私も悲観していられないなと思いました。何十年も色変をしている私にとってみんなが1つになって前向きに研究してくれているということはとっても心強いことです。5年経ったら・10年経ったらもっと変わる!!そんな希望が持てた大会でした。

 若いころ、マッサージの患者から「かわいそうね」と言われて涙ぐんでいた私。良いと聞いた病院をすべて回り、そのたびに「この病気は治せない。」「だめです。」と言われて悔しい思いをした私。でも今は「こんなにもみんなで力をあわせて頑張っているのよ」って胸をはって言えます。この大会に参加できて本当に良かったと思います。

  

●K生

 千載一遇の好機に恵まれ、去る8月3日・4日の炎暑の中、幕張プリンスホテルに於いて開催された会議に参加できたことは生涯の幸運と感動しています。

 この会議があのように大きな盛り上がりと共感を得て、大成功に終了したことは、国際感覚豊かな釜本会長を始めとする大勢のスタッフの方々、そして陰から支えた各県支部の役員の方々の熱意とご盡力、更に千葉ライオンズクラブを始め各界の善意と強力な支援の賜物と深甚なる敬意と感謝を申し上げます。

 研究発表された内容は世界中の学会、研究の権威者をもってしても全面的な治療法も解決策も確立されず、模索の段階と認識され残念の極みです。

 しかし、全ての分野で日進月歩の世の中です。

 近い将来必ずや治療法が確立されて難病指定も解除される日を信じて皆様方と共に喜びを分かち合う日を楽しみに祈っています。

 

●S・吉村

2002年8月2日金曜日夜8時30分、私たち夫婦は子どもの車に乗って伊勢崎へ向かった。伊勢崎駅に9時に着いた。もう迎えのバスは来ていた。役員さんがあれこれ世話をしている。私たちはバスに乗り込んだ。「これから乗る方がいるんだから、後ろのほうから順に詰めようよ」そう言って後ろの席に座ると、友だちはもう来ていた。あれこれ話しているうちにバスは9時半ジャスト前橋へ向かって出発した。前橋を通って高崎駅前へ向かい、高崎で仲間を乗せ、17号線をとおり一路幕張へと向かった。

 あれは2年前のことである。「日本でRI世界会議を幕張で行いますよ」そう話を聞いたことがある。「2年も先の話?来年の話をすると鬼が笑うって言うけど、2年も先の話ではねえ。」と言っているうちにとうとう2年が過ぎてしまった。私たちは2人で申し込んでこの会に出席することにした。車の中で12時を過ぎたので「少し眠ろうかな」と思い、リクライニングシートを倒し目をつぶった。うとうとしている間に幕張に着いた。幕張に着いたときはもう明るくなっていた。バスを降り、予約していたレストランに向かい私たちは予約したとろろ定食を食べた。とてもおいしかった。食べ終わるとバスに乗り数分で目的地「幕張プリンスホテル」に着いた。見上げるようなビルである。みんなはそのビルの中に吸い込まれるように入っていった。廊下を通り会場に向かう。会場は2階である。会場の中に入ると、会員たちがちらほら座っていた。空席は十分にあった。「せっかく来たのだからね。よく見えてよく聞こえる席を取ろうよ」みんなでそう相談して前のほうの一番良い席に座った。開会式が始まる。ゲストの方・本部の方・諸先生方のごあいさつ、そして外国の先生方のごあいさつもあった。通訳入りで本当に良く分かった。私たちは一生懸命に聞いた。そして開会式が終わり、次は外国の先生の説明である。今までの研究の結果を私たちに教えてくれるのだ。きれいな外国語で私たちに説明するが、英語はよく分からない。でもスライドをよく見て聞いているうちにだんだん分かってきた。そのうちにバスの中の疲れが出たのかだんだん眠くなってしまった。眠気に襲われると本当に困る。私は一生懸命に話を聞いた。でもだんだんまぶたが閉じてくる。先生の声が遠くに聞こえてくるような気がする。ハッと気がつくと私は眠っていたのかもしれない。急いで靴を脱いで靴下を脱いで足を冷やし、足をもみながらほっぺたをつねり大きな目を開いて一生懸命聞いた。でもやはり眠気は襲ってくる。私はこんなこともあると思ってテープレコーダーを用意して持って行った。テープレコーダーはひとりで回っている。午前中の講義が終わった。私たちは廊下に出る。廊下は会員でいっぱいである。用意されていたお弁当をいただき食事をする。補助器具などの出店が出ているのでそちらを一回りしてまた会場に戻る。午後の講義は日本の先生である。先生たちは真剣に今までの研究を発表していた。私はせっかく来たのだから全部覚えて行こうと思って真剣に聞いた。午後の部もやはり眠気がさしてくる。「どうしよう。」そう思いながら聞いていたがやはり眠気は襲ってきた。気がつくと「本日の講演はこれで終わらせていただきます」というアナウンスの声。「ああ、もうだめか。」そう思いながら席を立つ。席を立ってルームキーをいただいて部屋に向かう。部屋に入ってシャワーを浴び、ゆっくりと横になろうと思ったが「眠ってしまうと大変だ。ディナーに間に合わないかもしれない」そう思って横にはならず、ソファーに座った。7時からの食事会なので私たちは6時半に部屋を出て会場に向かう。もう仲間は来ていた。仲間と一緒に席をとり座った。会が始まり、会長さんのあいさつやらもろもろ。続いて宴が始まる。ショーがいろいろあった。歌を歌い、踊りを踊りそして子どもたちの合唱を聞きながら食事をとった。次々と出てくる食事、とてもおいしかった。私は全部食べた。そして最後のメインステージは阿波踊りである。本当ににぎやかであった。私は出られないのが、残念であった。仲間はハンテンをもらいそれを着てステージに上がった。気持ちよく踊っていた。でも私たちは途中で席を立ち、部屋に戻った。シャワーを浴び、横になるとそのままぐっすりと眠ってしまった。目がさめると6時である。急いで支度をし朝食をとるためエレベーターに乗った。部屋は47階である。47階に上がって食事を注文し窓際に座る。すばらしいパノラマを見ながら食事をとった。とてもすばらしかった。私たちは部屋に戻り、午前の講義を聞くために部屋を出る。8時半から「今日はバッチリ聞こうね」そう言いながら席に座る。今日の講演は日本の先生である。スライドを見ながら先生の説明をよく聞いた。とても理解できた。私たちは「本当によかったな」と思っている。先生方の講義が終わる。閉会式の時間が来た。閉会式はもろもろの先生方のあいさつがある。「これでRI世界大会を終了いたします」その声に私は涙ぐんだ。始まるのはいいのだが、終わりって言うと本当になんだか寂しくなる。拍手の渦の中で、外国の女性の先生がいった「さようならー、ありがとう」そう声が聞こえた私は「グッドラック。シーユーアゲイン」そう言った覚えがするが声は出なかったかもしれない。本当によかった。この会に出席したことを一生忘れることはないでしょう。私たちは会場を後にし、玄関先でバスに乗る。1時半バスは進路を群馬に向けて出発した。数年前から準備や用意、手続きなどをしてくださった役員のみなさん、本当にありがとうございました。2度とこのような大会に出席することはできません。私たちはこの大会にはもう出席することはできないと思う。外国にあるとしても、これは無理。外国にはとても行けない。もし、この大会が日本で行われることになるとすれば、これはきっとJRPSの解散の大会ではないだろうか。私たちはそれを願っている。一日も早くこの解散をお願いしたい。私たちはこの病気から開放され、一日も早く楽しい生活に戻りたい。私はそう願ってやまない。そしてみなさんと明るい一生を送りたいと思う。 


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