●「雪好き」
市橋映二
今シーズンの冬は雪が多く、気象庁の暖冬予想は大外れとか、雪好きの私にとって嬉しい話である。ただ少々不満は、ここ沼田は私のふるさとに比較し雪が少ないことである。雪国とはゆかないが私が育った佐渡は雪が結構多く、冬は雪を掻き分けて学校に通っていた。雪の降る季節は私にとって待ち遠しい季節であったし、50歳を迎えた今でも心の中で嬉しくなる季節である。何故こんなに雪が「好き」と言うより「恋しい」と思うのか?クリスマス、冬休み、お正月という行事に必ず付き添っているものだから?スキー、そり遊び、かまくら作り、雪合戦など楽しい遊びができるから?そんな答えが返ってきそうだ。けれども、実際は雪明りによって夜の視界がひらけ、子供の頃の行動範囲が広がった経験がそうさせていると思っている。飲み屋の灯かりが点くと、普段歩けないのに、夜の町を徘徊できるようになる様なもの(?)かもしれない。最近そちらの方は危ないからと女房にきつく止められることが多いが・・・。
小さい頃から「夜盲症」だった私にとって、太陽が沈む時間帯は楽しい遊び心を家への帰路に対する不安に変える時間でもあった。聞いてみたことはなかったが友達もきっとそうだろうと思っていたし、薄暗い中を飛んで帰ってゆく友達の後ろを何時も必死になって追いかけていた。夕方になると窓の外を眺め、太陽の翳りを感じ、時間を測り、あと何分遊べる・・・とそればかりが頭を占めるようになる。そんな不安を一切感じさせなくするのが雪だった。野山を白く覆う雪、大いなる大地を照らす雪、まさに蛍雪の光。私の雪好きはそんなところから来ているように思う。
今、沼田は雪で真っ白な世界、寒がりではあるが本当にうれしい季節である。「上を見ると雪は黒い、下を見ると雪は白い・・・」、小学校2年生の頃の国語の教科書に載っていた詩の一節だったように思う。先日雪の中を歩きながらこの一節がふっと浮かんできた。空を見上げながら、地球の温暖化で雪も昔ほど降らなくなったことを思うと、これはやっぱり一大事なことだと思い始めた。さっそく家に帰って自分でできる、家庭でできる温暖化対策について子供や女房に説教じみた話を始めてしまった。訳の分からない家族にとってはいい迷惑だったに違いない。
●「国立塩原視力障害者センターに入所して」
K・五十嵐
この度塩原視力障害センターの体験と紹介を致します。
私がセンターに入所して二年半経ちました。その一年前に仕事を辞め、「まだ出来ることがある」と思い四方八方手を尽くしましたが、この厳しい時節結局何もなく、苦悩している時センターの話を聞いたのです。当初「地元を離れてそんな山奥へ・・・」と強く渋っていましたが、色々な方の説得によって泣く泣く入所しました。
最初の半年間は生活訓練で、白状を使っての歩行訓練・点字・ワープロ・調理など、一般生活に必要な訓練を行いました。ほとんどの課程がマンツーマン指導なので、先生のきめ細かい熱心な指導が受けられました。また、とても楽しく出来たと思います。そして現在、その訓練も終わり、今春、理療教育課程の3年生になりました。理療課程においては、解剖学・生理学等々、沢山の勉強があり大変ですが、将来の治療家を目指して頑張っています。
私が、このような目標を持つ事が出来たのもセンターに入所して、同じ悩みを持つ方々や塩原の四季折々の環境、センター内の充実した設備の中で自分を見直して、「また1から出直し」という気持ちになれたからだと思います。人生半ばにおいて視力障害となり、仕事や家庭の事などで悩んでいる方も多いと思いますが、一人で悩まず色々な方に話したり、相談してみてください。必ず良い答えがあると思います。自分もその一人です。
最後に、センター教務課長の教訓の一句を、
『障害は不便であるが不幸ではない』
元気に楽しくやりましょう!
尚、国立塩原視力障害センターの事など聞きたいことがあったら五十嵐までTELください。080−5023−2867(電波が悪いことがあります)
●「私の思い出」
T・金子
去年、仙台で行われた障害者の国体に私は60歳を越えて出場しました。その年齢での出場は初めてだそうです。国立塩原視力障害者センターに入所していた私は、体力維持のつもりでいつもトレーニングをしていました。それが先生の目にとまったのでしょう、塩原代表として国体への出場を誘われました。自信のなかった私は、2度断って3度目に承知をしました。それからは、毎日毎日練習をしました。しかし、練習中に足を痛め、なんと国体1ヶ月前に先生から練習禁止を言い渡されてしまいました。何とかならないものかと、センターの人に針治療をしてもらったり、隠れて裏山で練習したりもしました。
そしてむかえた本番では、なんと60メートル走で銀メダルをもらうことができました。しかし無理をしたせいでまた足を痛め、次のたち幅跳びでは、4位に終わってしまいました。競技場に立ったときに感じた観客席の興奮とスタートラインに着いたときの自分の心臓の鼓動は、「自分はここにいるんだ」と生きていることを実感することができました。
私の生涯の思い出です。