会員の広場(投稿コーナー)
@「最近思うこと」 邑楽町 小林 一男
「小林さーん」仕事が終わった夕方午後7時過ぎ会社の駐車場照明灯の薄明かりに照らされ待っていると、7〜80m先から大きな声と共に、人が小走りで近づいて来る。いつもお世話になっているWさんだ。
「待たせてごめーん。」と言って車の運転席から身をかがめて助手席のドアを内側から半開きに開けてくれる。「すみませーん」、私は気楽に便乗させていただき帰路の途に着く。このような光景が週に約2回ほどある。最近は仕事で私の方が遅れることもあり、その場合は私の職場の建物付近に車を横付けにしてくれ、私が玄関を出るとすぐ気付くように車のヘッドライトを点灯してくれる。
私は平成10年3月に眼の状態が悪くなったことで、それまでの技術部門より、会社の配慮で、管理部門に配転した。それ以来約10kmの道のりを家内の運転で通勤しているが、都合で週2回ほど、このWさんに帰路のお世話を頂くようになった。
Wさんは私より2年先輩で、昨年の6月、副工場長の職務を終え定年退職されたが現在は嘱託として後輩の指導に当たっておられる。昔は仕事でお互いに張り合った中だが、私が職場移動で悩んでいた時、私の家に初めて来てくれた。眼が悪くなったということを聞いて驚いたとのことだった。それ以来は何でも言える心の友としての存在になっている。
私が眼を悪くして第一線の仕事から離れたとき、大部分の仲間は潮が引くように去って行くのを感じた。実にさみしい限りであった。しかしWさんのように温かく近寄って来る人もいる。ここに人間の価値のようなものを感じざるを得ない。
人間皆欲を持って生きていると思うが、自分の損得に駆られて生きる以上に価値有るものは、他人に対する思いやりの心ではないだろうか。そのような心で視覚障害の不自由さに、それとなくサポートを頂くとき、本当の意味での感謝の念を強めることができる。又それらを受け入れる素直さも非常に大切と思う。
この3月の誕生日で私は車の免許証を流した。昭和40年5月に取得して以来、38年10ヶ月お世話になった。その間いろいろ経験をさせて頂いたがこれからは素直に、明るく前向きに視覚障害者としての道を同じ仲間の皆さんと共に切り開いていきたいと考えている昨今である。
A「私と白杖」 前橋市 木戸
十年も前の東京駅の中で、目の悪い私は足許の女の子を転がしてしまったのです。飛んできたお母さんに「私、視野が狭くて足許に気が付かず、ごめんなさい」とあやまりました。
そうしたら、「目が悪いのに何故白杖を持っていないのですか」と叱られました。
前橋市役所に申請して白杖を取得したのですが、毎朝家内の運転で会社に出勤し、家内を杖としていた私は白杖を使う必要がありませんでした。
ところが4年前、杖と頼む家内に天国に先立たれ、急に左耳が聞こえなくなってしまったのです。突発性難聴です。でも、タクシーで会社に出社し頑張って居りましたが、夕方帰宅しても勿論「お帰りなさい」の声は無く、わびしいものでした。
一昨年末、思いもかけぬ脳梗塞で4ヶ月も入院してしまいました。水がのどを通らず、手足も動かず、自分の身体が全くどうにもならないのです。車椅子から歩行器、杖をついて歩けるまで4ヶ月もかかりました。
しかし、この脳梗塞のお陰で、ピンチがチャンスとなったのです。千葉の長女夫妻が、自分の家屋敷を処分し、前橋に同居してくれることになり、一人暮らしが解消されたのです。
伊勢崎ふくしプラザでのJRPS群馬支部の会合に最初は自動車で連れて行ってもらいましたが、二回目からはリハビリを兼ねて列車で行くことになり、今まで気が引けていた白杖と、身体を支える杖と、二本の杖を持って、初めて列車に乗り込みました。白杖は、本当にありがたいですね。席を譲って頂けたり、伊勢崎駅の歩道橋にも手を貸して頂けました。
自分の眼の障害を自覚し、白杖を持って、人様の善意に助けられつつ、私の残された機能を生かし、私の出来ることで社会の役目に立っていきたく存じております。
B「私の出産奮闘記」 しーちゃん
群馬支部のみなさん、こんにちは。私は、昨年8月に女の子を出産しました。結婚5年目で授かった赤ちゃんです。ずっと赤ちゃんが欲しいと思っていましたが、なかなか決心がつきませんでした。生まれてくる子も網膜色素変性症になってしまったらどうしよう、と思って一人悩んでいました。しかし、一昨年の群馬支部の会合に初めて参加して同じ色変の方たちと話をしたり、体験談を聞かせて頂いて、気持ちが楽になりました。ああ、みんな同じ暗闇が見えないんだ、視野が狭いんだ、でもくじけずに頑張ろう!って気持ちになれなした。私も30歳前には赤ちゃんを産みたいと思っていましたので、念願が叶いとても嬉しいです。 出産は、初産にしては時間がかからなかった、とは言われましたが、と にかく痛いし大変でした!膀胱炎から腎盂炎になってしまい、40度近 い高熱のなか陣痛に耐えなければならなかったのです。点滴をうつと、逆に熱が下がりすぎて、寒気がして手足がガタガタと、震えが止まらなくなりました。なんとか、37度5分位で安定し分娩室に行き、無事出産できました。初めて我が子を抱いたとき、今までの苦しみがどこか飛んでいっちゃいました!!私に似て、とってもカワイイ!全然サル顔じゃありませんでした。五体満足に産まれてくれて、すくすく成長しています。今まで風邪ひとつひかない、とても手のかからない良い子です。8月から産休も終わり仕事に復帰するので、今は子供との時間を大切にしています。
以前の私のように、結婚や出産で悩んでいる人がいるなら、一歩踏み出してほしいです。
JRPSの交流会には若い人がほとんどこないので、さびしいです。もっと同年代の人と友達になりたいです!是非、参加してくださいね。たくさん話をしましょう。