あぁるぴぃ広島 11号
■巻頭言■
広島県支部 幹事(相談員) 高木 康成
私が自分の病気(RP)を知ったのは運転免許の更新に行って、視力がたりず、更新
できなかった時です。それからメガネ店に行き,眼科医院に。そして、失明の宣告を
受けました。昭和43年ごろのことでした、その頃はまだ見えていたので、勤務は続け
ました。
同病の方との交流もなく自分の将来のこと、ただ一人で悩んでいました。そんなあ
る日 妹が新聞の切り抜きを郵便で送ってくれました。それにはこの病気を中国で針
と漢方薬で治したと書いてありました。
そこで、その人の講演会を沼津市(静岡県)
まで聞きに行きました。そこで知った情報により、「あせび会」という難病の会に入
りました。そして、私にとって最初の交流会に参加したのです。
現在行われている交
流会と同じようなものですが、講演会の演題が「視覚障害者の就業について」でし
た。私にとっては一番の悩み事でした。その結論は「今やっている仕事が一番いいの
で転職など考えるな今の仕事より条件のいいものはない。たとえ休職しても自分から
退職願いを出さないこと。」でした。
これを私は実行して定年まで勤めてきました。
その後、退職までにはいろいろなことがありましたがよくよく考えて、継続勤務に
有利な方法を選んで行動しました。
今、障害年金のことが話題となり、もらえるものなら早くもらったほうが得と考え
るひとが多いように思えますが、働ける間は一生懸命に働いて、その間は給料で生活
し、どうしても働けなくなったら、障害年金に頼るというのがいいと思っています。
それは、もらえる年金の金額が違うからです。一旦、裁定を受けると、その後、か
け込んだ保険料は障害年金には反映されず、老齢年金にのみ反映されるのです。老齢
年金は課税所得、障害年金は非課税所得となり、所得税はもちろん国保税にも影響す
るのです。
これにはタイミングが必要、詳しくは私におたずねください。相談員として自分な
りの意見はお伝えいたします。
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