あぁるぴぃ広島 14号
■巻頭言■
私にとってのJRPS
広島県支部 副支部長 斉藤浩二
私は平成9年5月(当時42歳)にRPと告知されました。そして、主治医からJRP
Sのことを聞き、迷わず入会しました。
当時の視力は0.4&0.7程ありましたが、視野
が欠損していたため、障害者手帳3級の交付を受けました。
その当時のJRPSは、本部から会報が送られてくるだけでしたが、墨字は読めて
いたので、いつも目を通していました。
ところが、急激に視力が落ちていき、平成13年には拡大読書器を使わないと墨字は
読めなくなっており、本部会報も拡大読書器を使ってまでは読む気になれませんでし
た。会社勤めの間は、公的補助を利用し購入した拡大読書器は、自宅ではなく会社の
自分の机に置いていたもので、なかなか会社で会報を読もうという気にはなれなかっ
たんですね。
そんな状況だったので、JRPSの会員であることに疑問を感じ、脱会しようと
思っていました。なぜなら、一般的な情報ならインターネットでいろいろなホーム
ページを閲覧できますし、本部行事への参加は遠方過ぎて時間的にも金銭的にも無理
があり、唯一のJRPSとの接点である会報が読めなくなってきては、私には年会費
を払うだけのメリットが感じられなかったわけです。
そんな思いの中、平成13年2月に広島県支部が設立され、JRPSが身近なものに
感じられるようになったんです。この支部設立を期に、支部が主催する医療講演会&
交流会などに参加するようになり、性別・年齢を問わず、沢山の仲間との出会いがあ
り、元気と勇気をもらいました。
それに、支部設立の年の5月14日に創刊号が発行された「あぁるぴぃ広島」も、身
近な情報として大いに意義のあるものでした。勿論、JRPS広島ML(現在はJR
PS西日本ML)の存在も大きかったですね。
今年6月の福山での全国大会で印象的だったのは、釜本会長が挨拶の中で、「未だ
に家に閉じこもり、日々悶々と過ごしておられる、同じRP患者の仲間に呼びかけ
て、もっと違う世界を見てもらいたい」と言う旨のことを話しておられましたね。表
現は違っていたかもしれませんが、私はそういうふうに理解しています。常々、私も
そういうふうに思っているからです。家に閉じこもって、日々悶々としている方に、
交流の素晴らしさや、パソコンを使うことで如何に情報が手に入りやすくなるかを、
一人でも多くの同じ視覚障害の仲間に知っていただきたかったのです。
私は平成9年5月にRPの告知を受け、そして永年勤めていた会社から、平成13年7
月に実質的な退職勧告を受け、その約1年後の平成14年7月末に退職を余儀なくされま
した。この間、私を励まし相談に乗ってもらったり、いろいろな情報提供をして頂い
たり、仲間のありがたさを痛切に感じ、感謝しているところです。
そして私は、今年の6月に副支部長という大役を仰せつかりました。今度は私が恩
返しをさせて貰う番だと思っております。私が出来うる範囲で会の発展のお手伝いを
し、未だに悩んでおられる方に、一人でも多く参加していただき、元気と勇気を持ち
帰っていただきたいのです。
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