あぁるぴぃ広島 37号


■巻頭言 「網膜色素変性症と私」

         会員 SY(福山市)

 福山のYです。
 私が網膜色素変性症と告知されたのは結婚して3年目25歳の時でした。
夜盲がすすみ 鳥目かと思い眼科を受診したところ今の医学では治療法がなく 将来失明するかもしれないと言われました。今の医学でどうにもならないことがあるのかと信じられない思いでした。
20歳の頃 キャンプで 皆こんなに暗いのによく動けるなぁ。また 夜間の自動車学校で路上運転の際 教官が急にブレーキを踏むので えー なんでぇ。と思ったらそこは踏切でした。(ペコペコ)その頃から 夜盲が出ていたのだとのちになって思いました。
 まだ視力が あったので 40歳まで 無理をしながらも勤めました。会社でグループの人には目の悪いことを言っていましたが 薄暗い倉庫でフォークリフトが行きかう中 製品を探す時もし 怪我をしたら 上司に迷惑がかかるしいつまでも 先輩に面倒をかけるのも心苦しくなっていました。
冬は日の暮れも早く 帰り道も大変でした。懐中電灯でも見えにくく 退職前3年間は駅から毎日タクシーで帰宅していました。
バスにひかれそうになった時 もう駄目じゃあ 勤められんわ。白杖をもたないと歩くことも出来んのだわ。病気も進行し見えにくくなり 止む無く退職を決意しました。
 退職後 中学の子供二人 これから 費用もかかるし 長男の嫁 妻 母親としてこれからさきどうしたらいいんだろうと 悩み 考え 生活がいやになっていきました。
 周りに同じ障害を持つ友達もなく 私の気持ちなんかわかってもらえないと 悲劇の主人公になってしまい 心の病気に。そんな時も 主人はいつも 笑顔(smile)でいるように頑張らなくていいけど諦めないこと マイペースでボチボチやることとささえてくれました。(感謝 感謝です)本当に迷惑をいっぱいかけてしまいました。
 そんなとき神戸にいる主人の妹から 神戸視力センターのことを知り入所し半年の生活訓練を受け 寮で過ごしました。
歩行訓練 点字 ロービジョンを個人のスケジュールに合わせて指導していただきました。理療3年の人を含めると100人以上の人がいて4割の人が全盲で頑張っているので凄いなぁと感心しました。
退所して外を白杖で歩くには 近所の目が気になりなかなか実践出来ませんでしたが 今では 白杖なしでは怖くて歩けません。
 主人は時間をかけてもできることは自分でするように 出来ないことは 積極的に協力してくれます。 (いつも ありがとう)
 パソコンと点字を始めて2年になりますが同じ障害の人と交流も出来 毎日を楽しく過ごしています。そんなことで 10ウンキロも太ってしまいました。(笑い)
 障害を持ってる人で 一人で悩んでいる人がいたら 早く仲間と知り合い 生きがいのある生活が出来るよう願っています。
自分の経験したことが 悩んでいる人に役立てばいいと思っています。多くの仲間が出来たことを私の財産としてこれからの人生をあせらず一歩一歩前進していきたいです。
 また 遺伝ということで 子供 孫と気になりますが一日でも早くこの病気の治療法が確立されることを願っています。

*Yさんの夫より一言
 網膜色素変性症〜聞いた事ない病気だな。一体、妻はどんな病気なんだろうと聞いたり調べたり、今の医学では治らないとわかり、病気が進行しないことを願うしかないと悟ったのは今から25年前ぐらいだった
。それから妻は いろんな壁にぶち当たり精神的にも病んだ時もあった。
 障害者の気持ちを分かってないと主張するが…逆に健常者の気持ちも分かって欲しいと思ったこともしばしば…色々な経験で手助けして出来る事時間をかければ本人が出来る事もわかり頑張らなくていいから諦めるなと言いつつ…とにかく同じ障害を持っておられる方との交流を薦めた。
同じ悩みを共有する事でチャレンジ精神が生まれ今では色々な事に挑戦し積極人生を歩めています。これも色々な人との交流 サポートがあっての事と感謝しています!
特にボランティアでサポートしていただいている方々には頭が下がります。障害者の方々に逆に励まされる事もしばしばです!お互い励ましあってあきらめない人生を楽しく過ごせたらいいなと思っています!魔法の杖を持って自分ペースで ゆっくりゆっくりと…

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