あぁるぴぃ広島 44号


■ボランティア通信

みさママです。「幸福は自分でつかむもの!」
外出介助ボランティアサークル「にこにこ」  開内和子(ひらきうち かずこ)  呉市

 娘が失明するかもしれないということを知ったとき、私の中では、そんなことがあるはずはないと、強く否定しながら、生きた心地のしない日々を過ごしていました。
 そんな時、JRPSという会があり、多くの仲間がいることを知り、参加するようになりました。障害の判定を2級と聞いた時には大変ショックを受けたものでした。
そして1級になるにはそう長くはありませんでした。
 不自由になる一方で、生活も徐々に変化が見られるようになりました。仲間とともに音楽やスポーツを楽しむようになり、子育てもそれなりに頑張っていたようです。
驚いたのは地域や学校の行事に、不自由な体でも自分の出来ることを他のお母さんたちと一緒になって参加していたことでした。
「恥ずかしい」とか、「出来ないから」などと言う事もなく、ごく自然体で参加しており、私はその姿に励まされたものでした。
むしろ、「目が見えなくても私はここまで出来るのよ!」と誇りにさえ思っているように見えたのです。白杖をもった娘と一緒に歩くことに少し抵抗を感じた時期があった私ですが、そのことが恥ずかしく思ったことでした。
 今、私は「にこにこ」というボランティアグループで活動するようになって10年、視覚に障害のある方たちの担当を引き受け、ホームページやかわら版など広報の立場でその橋渡しもさせてもらっています。
「見えないから出来ない」じゃなくて「見えなくてもやれば出来るよ」そして「普通の人と同じように人生を楽しむことが出来るよ」を多くの人に伝えたくて頑張っています。
 私はN美佐の母で、以前皆さまから「みさママ」と呼ばれていました。今の世の中、障害者にとって便利でこんなに豊かな生活が出来るって、本当に素晴らしいことだと思います。
 まさに「不自由だけれど不幸ではありません!!幸福は自分でつかむものです!」
と私は叫び続けたいと思います。
(編集者注)開内さんに以前もボランティア通信を執筆いただきました。「障害」を「障がい」と書いておられました。私はあとがきに開内さんの優しさの表れと書きました。現在、官公庁では「障がい」が当たり前の表現になっているようです。パソコンで聞くと耳ざわりなのですがね。(苦笑)(S)


戻る     次へ