巻頭言


    「昨日、今日、明日」

             呉市   Aさん

私がJRPSに入会したのは、今から5年前だったと思います。
網膜色素変性症と診断されたのは、十代の頃です。この病気は、治療法がなくて、いずれ見えなくなる病気なんだよ。と医者に告げられ、子供ながらに将来に絶望したものです。
それにもまして、両親が受けた衝撃は計り知れないものだったと思います。
当時は今と違い、障害者として認められておらず、目の悪いただの男の子でした。
何軒も眼医者を回り、最後に広島大学病院を受診しましたが、かえってくる答えは、「治療法はない、いずれ失明する。」なんの配慮もない無機質な答えばかりでした。
先にも述べましたが、障害者でもない、目の悪いただの男の子でしたから、学校では、毎日イジメを受けていました。先生に相談しても、取り合ってくれません。そのせいか、学校の同窓会には一度も、出席したことがありません。今後もないと思います。
人生は、山あり谷ありと申しますが、私の場合、谷あり谷ありの人生だと思います。
3年前から病気が進行し、右目は影しか見えず、左目はカスミがかかった状態で、部屋の中をゾンビのように、手を前に出して歩いているのが現状です。
今は、JRPSに入会したことで有意義な情報が頂ける様になり、同じ病気の仲間の声がリアルに聞かれることで、これからの人生の不安が少し和らいだようです。
私が思うに、あと10年すると治療法が確立され、網膜色素変性症と言う病気は、なくなると思います。(あくまでも私の希望的な意見ですが)
それまで私は、失ったものを数えず、残されたものを育てて行こうと思います。
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