あぁるぴぃ広島 Vol.7


■会員の声■

1 JRPSへ新規入会された方から

     芦品郡新市町   Iさん

 12月半ばとなり急に寒くなりましたが、お元気でご活躍のことと思います。
 先般、JRPS入会に当り大変お世話になり、又、早速『ああるぴい広島』の会報 など送って頂きまして本当にありがとうございました。楽しく読ませて頂いておりま す。
 私は、芦品郡新市町(平成15年2月3日より福山市になります)の繊維会社へ3 9年間勤務し、今年3月末57歳(定年まであと3年ありました)で退職しました。 現在失業中です(これからズーッとかも?)。
 趣味は、国内旅行・アウトドア(キャンプ、山登り)若い頃は車で山陰、四国、九 州、北陸など良く行きました。車の運転は2年ぐらい前から乗っておりません(危な くて乗れません)。山登りも良く誘われますが、10年前頃から行っていません。な にしろ段差や道の端がわかりませんし、特に下りは大変です。今は毎日のように我家 の裏山の舗装された遊歩道を往復1時間かけて運動がてらに歩いています。
 旅行の方は、日の長い時期ツアーで、誰かさんが書かれていた様に盲導妻といつも 一緒です。段がある所や、人が多い場所、外から室内に入る時、暗い場所などは、盲 導妻のバックに手をかけるかして行動しています。一番大変なのは温泉の露天風呂で す。更衣室は出来るだけ覚えやすい場所で、出入口を良く確認し入浴はすり足でつま ずかぬ様に、誰か入る人が居られそうなら待って後ろにつずく、露天風呂は日が暮れ てからは危ないため入らない。
 そうそう、今年の夏北陸に旅行に行った時、同じパスのおばちゃんのグループが 「あの二人づれは、いい年をしてもこの厚いのに何時もひっついて仲がいいこと …。うちの主人などは離れて歩け−…と言う。うらやましいことで …。」
 それとバイキング形式の食事に悩まされます。トレーに皿を載せてもらい妻の後に 続くのですが、人にあたり、何時ひっくり返るか、危なくて見ておれず、最近はテー ブルに座って場所取り役で、すべて取ってもらうのを待ちます。
 ツアーの旅行の場合、目が良く見えない上に時間に誓約があるためどうしても後を ついて行くのが精一杯となります。出来るだけコースに余裕があり旅館に早めの到着 を選びます。
 いらない話が長くなりましたね。年を明けたら行事に出来るだけ参加し皆様とお会 い出来るのを楽しみにしています。 誘ってください よろしくお願い致します。



2 竹原歴史散策から

(1)広島市西区 Kさん

 前略。昨日は竹原の「歴史散策と釈迦説法」の旅を企画して何かとお世話を頂きま して、ありがとうございました。厚くお礼を申しあげます。
 私は一度数年前に竹原市を訪ねて、町並みを散策したことがあるのですが、その時 は地図を片手にしてのことでした。今回三原さんの懇切丁寧なガイドによる、町や歴 史的建造物のいわれなどに、興味を持って見聞を広める有意義な旅になったことに感 謝しております。また、昭蓮寺の桜井浄海先生の飾らないお人柄による話には、初め て知ることも多く、若い時に過ごされた京都の知られざる逸話など、めったに聞くこ との出来ない話には、時の経つのを忘れた程で、嬉しく思っております。交流会では 皆さんお一人おひとりが、今を大切に前向きに生きて行こうとの姿に、学ぶべきこと が多く、私もそれにあやかりたいと思ったことでした。特に多くの方がパソコンに取 り組んでおられ、お互いに交流しあって情報を得ようとしておられる姿勢に、打たれ るものを感じた一時でした。
 メーリング・リストに入るように薦められましたが、どのようにすればよいのか分 かりませんので、この件について詳しい方に、教えて頂ければと思っておりますの で、よろしくお願いいたします。
 いつもご厄介をお掛けして、申しわけなく思っております。先ずはお礼とお願いま でに。寒さに向かいます折、ご自愛専一に念じています。早々


(2)広島県安芸郡府中町  Yさん

 10月20日(日)にJRPSの広島県支部の行事の一環とされて開催された「竹原 町並み散策」に参加された会員の皆さんには、お世話様になりました。大変お疲れ様 でした。
 広島からの参加者はCさん、Aさん、Nさん、Sさん、Kさん、Hさん とガイドヘルパーさん、Yとで、広島駅南口の12番ホームから芸陽バスに乗車し て、一路、竹原駅に参りました。
 MさんとJさんは西条駅からバスに乗車されて、竹原に来られました。
 福山からの参加者はJRの電車で来られ、参加者は佐藤支部長さん、藤井副支部長 さん、根本事務局長さん、Tさん、Tさん、Oさん、Iさん、Kさん、Uさん。それから、呉から参加されたWさんだったと思います。
 竹原駅からは竹原市社会福祉協議会で朗読サークルのボランテアさんが6人、我々 視覚障害者の手引きについて下さいまして、本当にありがたく思いました。
 それから、和気藹々(あいあい)に2人1組で連れ立って竹原市町並み保存会の男 の方がハンドマイクを持って説明をして下さいまして、由来などがよく分かったと思 われます。
 江戸時代に建てられた建物、土塀とか、板塀の家並みが道路に沿って立ち並んでお り、さすが西の京都と言われる所以(ゆえん)があるのではないかと私も思いまし た。まず建物が傷んでいないし、それぞれの建物の瓦に特徴があると感じました。観 音開きの門があって古風で物語に出てくるような風情を感じました。道路もスベッと した石畳やレンガが並べられており歩きやすいし、視覚障害者にとっても歩行しやす さを感じました。
 頼 山陽の像の前で説明をお聞きしたり、酒蔵が3軒あると言っておられました。 ちょうど秋祭りと重なりまして、神社でお払いを受けて、お神酒を戴いて、酒蔵の藤 井屋で地酒の試飲をしました。皆さん歩いてコミュニュテイセンターの2階の畳の部 屋で長机に置かれた弁当を食べて会員の皆さんがひとりづつ立って自己紹介をしまし た。名前は、ある程度分かりますが、なにせ目が不住で顔までは分かりかねます。
 それから佐藤支部長さんの中学校の時の恩師である昭蓮寺の衆徒でもある桜井 浄 海先生の講演がありました。内容は昔の竹原市と現在の竹原市の実態などをお話をし ておられました。
 先生が言われるには「昭和38年に塩田が閉鎖されて、その後には埋め立てをされ て、現在では新興住宅が建てられております。土地が低いのか、満潮時には下賀茂川 の河川には海水が入って来ますので、住んでいる住民にとっては良いことではないで すね。最近は大型のスーパー「フジグラン竹原」や「ゆめタウン竹原」などが寝室し てきて、個人の商店がお客さんを取られて商店街が寂れてお店をたたむ所も出てきて いる状態です。」
 それから、浄土宗と浄土真宗の違いについてお話をされたり、亡くなった方が再び 生まれ変わって来る事が無いと言っておられました。
 それから、Wさんのお知り合いのお店でスタンド「星の砂」にほとんどの方が行 かれました。私もどのテーブルにどなたがおられるのか分かりませんので、福山の方 とお話をすることも出来なかったですけど、私はカラオケが好きですので、結構歌わ せて頂きました。字幕が読めないので、Sさんが読んで下さいまして本当に楽しい ひと時を過ごすことが出来ました。
 今後とも会員の皆さんにはよろしくご指導、ご鞭撻のほど、重ねてお願いとさせて 頂きます。


(3)竹原歴史散策と釈迦説法からの追想、感謝、お礼方々
       東広島市  Mさん

 先日のJRPS広島県支部交流会、竹原歴史散策と釈迦説法、参加の皆さんお疲れ ご苦労様でした。
 私は、何か見えない穏やかなすばらしい支援をいただき、すばらしいときを持つこ とができたように思います。アリが10匹です。目が20,足が60です。感謝で す。よかった。
 まさに、古き町並みの、しっとりと、我にくい込み、タイムスリップしたかのよう でした。そして、まるで、先達の生き様が見えるようでした。  生き様といえば、思い出すのが、
 「天網恢々(てんもう、かいかい)、疎(そ)にして失わず」 老子:七十二章
 「天網」とは、天が悪人を捕らえるために張り巡らした網。
 「恢々」とは、広く大きいこと。「疎にして失わず」とは、網の目は粗いが取り逃 がすことはない、という意味。
 長い目で見れば、天は必ず善・良い人に味方し、幸を授け、悪い人は、結局不幸を 免れない。
 穏やかに、軽やかに、爽やかに、和やかに、失礼します。




3 小田原のハーフマラソンへ参加       沼隈郡沼隈町  Kさん     神奈川県小田原市でおこなわれたハーフマラソンに行ってきました。  11月9日の朝家を出て、新幹線で名古屋駅で「こだま」に乗り換えて小田原まで 行って、すぐにホテルに入りました。  小田原は南は駿河湾に面して北はすぐに箱根温泉に通じています。  10日の朝8時前に、ホテルから歩いてみんなで競技場に行くと、もう順天堂大学 や駒澤大学の吹奏楽部が華やかに演奏して歓迎してくれました。  受付へ行って手続きを済ませ、ゼッケンやチップ(靴紐につけてスタートやゴール をコンピュータでタイムを自動的に記録できるもの)を受け取り、指定された場所で 伴走者が来るのを待ちました。  ゼッケン番号は2020番で私とウエンズデー(盲導犬)の誕生日が20日なので 偶然のようでした。  伴走者は、東京都内の40代の男性でアジアやアメリカなどで自動車の部品を販売 しているセールスマンの人です。  9時から開会式が始まりました。  国会議員の人やオリンピックのメダリストや大学の陸上部の監督や有名な人が大勢 着ておられました。  9時30分頃から軽くトラック2周(800メートル)ぐらいしてスタートを待ち ました。  ハーフには500人ぐらいの参加です、30人ぐらいが視覚障害者であとは健常者 だと想います。  スタート30分前に時計の時刻合わせがあります。  ブラスバンドの演奏の中でスタート5分前、3分前、1分前と放送されるといつも ながら緊張します。  いよいよ順天堂大学のさわき監督が勤めるスターターの手が空を指します。「どー ん。」一斉のスタートです。トラックを左回りに1周してロードに飛び出します。な んだか足も軽いし、気分もよいので爽快に走れそうな気がしました。  陸上競技場を出るとすぐに登ったり下ったりのアップダウンの連続です。  先頭から30メートルぐらい遅れてスタートをしましたが、でも自分では上手にで きたと想います。  伴走の福田さんが道路の状況を逐次詳しく教えてくれます。  上りとか、下りとか、どちらにカーブしているとか、直線の上りが300メートル 続いているとか、周囲の状況も教えてくれます。  アップダウンを繰り返しながら5キロまで走ってくると、吸水所があります。そこ で紙コップで水をもらって走りながら飲みますがコップからこぼれたり胸にかかった り自分の呼吸と合わすのが難しくてなかなか想うようには飲めません。やっと走りな がら喉に入れて次にむかって進みます。  道路でいろんな人が応援してくれます。ある人はタンバリンをたたいて、ある人は 笛を吹いて色々な応援をしてくれます。  5キロを過ぎるといろいろカーブしながら、ただただ登っていきます。7キロを過 ぎると余り抜いていく人は居なくなって前の人にだんだんと追いついてきました。  こうなると気分もよく足もだんだんと軽くなってきます。前で足音がするとその足 音を追い越そうとしらずしらずピッチもあがってきます。私も伴走者も足は軽く、走 るのを楽しみながら走っています。  やがて2回目の吸水所がきました。少しお腹も空いてきたので、バナナ1本と水を 飲みました  そこから1キロほど登ると今度はただただ下りです。  伴走者の人が長い下りだと教えてくれたので、自分に言い聞かせて、上りより少し 歩幅を長くして頭を前かがみにして下っていきます。残り7kmだと応援者の人が教 えてくれたので時計を見たら1時間25分だったので一キロを5分で走ると目標の2 時間以内で走れると想って伴走者にそのことを告げました。  この先3キロぐらいの所に折り返し点がありそうです。ひたすら下っていくと早い ランナーはもう折り返して上ってきます。 伴走者と走っている人はまだ少ないで す。  折り返し点まで来るとポールみたいなのが置いてありました、それを右手で触りな がら時計回りに回って今度は今下ってきた道をひたすら登っていきます。  登っているとまだ、下っている人の足音を多く聞きます。こうなると私の貧しい心 が出てきます。私のあとを走っている人がいると安心をします。  登っていくうちに追い越されるよりは、追い越すほうがだんだんと多くなってきま す。  だんだんと気持ちも軽くなってきましたが伴走者のいきずかいが荒くなったのが気 にかかるようになりました。  伴走者の話では、坂が急になってきたので走っている人はいなくて皆歩いていると いいました。相当に登りが急になって、走りながら手を伸ばせば路面に手が届くほど になりました。そんな所を3キロぐらい登っていきます。  はうような走り方をしながら自分に言い聞かせてここで歩くとタイムはズット遅く なって気持ちが切れてしまう、とにかく気持ちだけでも足は歩いていても気持ちは、 走るんだと思いながら頂上につくことが出来ました。  この登りの間に何十人かを追い抜くことができました。頂上で左に回って今度は、 転げ落ちるような急な下り坂です。  気をつけなくてはこんな所では、すねをいためて後わずかにして走れなくなります  急な下りは最初は歩幅を狭くしてゆっくりと急ぐ気持ちを沈めながら下っていきま す。  落ち着いたら歩幅をひろくしてピッチを上げてスピードを徐々に増してトップス ピードまでのせてきます。  残り3キロのところで時計を見ましたが2時間以内で走れないのが判りました。  急な上り坂で相当に時間を費やしてしまいました。残り3キロあたりで、私の右側 に順天堂大学の選手がついてくれました。  左に伴走の福田さん、右に学生さんを従えてまるで殿様みたいです。  学生さんは正月の箱根駅点に出場されるそうです。そんな有名な人に付いて走って もらって私は幸せ者です。  3人で色々な話をしながら爽快にラストランです。学生さんは競技場の入り口まで いっしょに走ってくれました。  正月の箱根大学駅伝で順天堂大学が総合優勝することをお祈りいたします。さあ  あとはトラック1週400メートルだけです。  走れ、走れ、スピードアップ。残り400メートル。1分30秒だ。走れ、走れ、 こうたろう。第1コーナーを回って、直線100メートル。第2コーナーから第3 コーナー。いよいよ最後の直線100メートル。走り抜けるのだ、息は止まっても・ ・・。最後50メートル、ここで、場内放送で「ゼッケン番号2020番 広島県か ら参加のKさん、伴走者 東京都 Fさん。」とのアナウンスがありました。こ の放送で感激を新たにしました。  あとはゴールのみです。フィニッシュヲどのようなポーズにするかです。  やはり両手を上げて万歳のスタイルです。  やった。ゴールできた。観客から一斉の拍手が沸いてくる。まるでトップでゴール したようだ  しばらく伴走者とラストランをして、場内の事務局に完走賞を受け取りに行く。そ れぞれ、完走賞にタイムが墨字と点字で書かれている。2時間11分41秒であった がこのアップダウンでは満足できるタイムであった。  北海道のサロマ湖 100キロマラソンもなんだか手が届きそうな気がしてきた。 還暦の記念に挑戦しょうかな。  小田原マラソンはアップダウンはきつかったですが快晴に恵まれてさわやかに心地 よく走れることが出来ました。




4 白杖歩行・年末交流会から    安芸郡府中町  Yさん  師走に入り、割り合い暖かい日でしたが、今日は冷たい北風が吹きぬけて膚寒さを 感じさせる曇り勝ちのはっきりしない天気でした。  さて、12月8日(日)に生涯学習センターで開催されたJRPSの交流会や歩行 訓練の講習会や忘年会に私も参加しました。  参加者はボランティアさんや会員さんを含めて、60人余りはおられたと思いま す。  愛命園のO先生の歩行訓練のやり方や仕方についてのご丁寧なご指導と説明だっ たと思います。また、光清学園のY先生が、杖の持ち方とか、道路面を歩 行する時の白杖の使用の仕方など、現場で視覚障害者に接しておられた問題点など、 話をされました。  O先生のお話はあらかじめ用意された説明書に基づいての懇切丁寧な説明だった と思います。  午後1時からは駐車場に降りて、2人の視覚障害者の方が白杖をもたれて、O先 生のアドバイスを受けておられました。私たちはほとりで見学をしておりました。私 も実際に歩行訓練を受けないと実感はわいてこないのが現状です。  私も最近目が不自由になっておりますので、歩行訓練は必要ではないかと痛感をし ております。やはり、歩行訓練を受けることによって、自分にとっての外出する場合 の心得の習得につながると思いました。  それから、4階の研修室に入り、質疑応答が視覚障害者とO先生とかわされて、 O先生も質問に答えておられました。質問をされた視覚障害者の方はある程度納得 をされておられました。  交流会では会員さんやボランティアさんがひとりづつ自己紹介と近況報告をされま した。皆さんはやはり熱心に耳を傾けておられました。  それから、広島駅ビルの2階にある「銀座ライオン」に移動をしました。会員さん 並びにボランティアさんを含めて、40人ぐらいが参加されて盛大に第2コーナーと して、飲み放題のコースとして行なわれました。会員さん、ボランティアさんとが打 ちとけてお互いに和やかに遠慮なくお話が出来て本当に楽しいひと時を過ごすことが 出来ました。私としても有意義なひと時を過ごさせて戴いてお世話をして下さいまし た役員の皆さんに厚くお礼を申し上げます。  また、このJRPSの歩行訓練・交流会・忘年会に参加された会員の皆さんには大 変お疲れ様でした。大変お世話様になりました。  今年も残り少なくなってきますが、JRPSの会員の皆さんにおかれましては、ま たいつお会い出来るか分かりませんが、どうぞお元気で健康管理には充分 気をつけ て過ごされることを望んでおります。どうぞ、ご自愛のほど。

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