3.リーダー研修会のご報告

     報告:リーダー研修会 座長 小坂 恵
     リーダー研修会では、「理想のロービジョンケアを求めて」という標題を掲げて、講演会、それに続く意見交換の場を持ちました。
     まず、講演1「ロービジョンとは? ロービジョンケアとは?」として、岡山大学病院眼科医師、守本典子先生に、ロービジョン、ロービジョンケアの言葉の意味付けや定義、また、そこからわかってくる問題点等を講演していただきました。
     次に、講演2「ロービジョンケアの現状と問題点は?」として、3つの講演を行いました。まず、「1.岡山大学病院眼科におけるロービジョンケア」について、引き続き守本先生に、岡山大学病院眼科での現状と問題点について伺いました。予約時間の1時間半で、疾患の理解をしてもらうことから始めて、視機能評価や保有視機能(補助具あわせ)、福祉制度についての説明などを行なうということでした。
     問題点としては、時間がかかり、片手間では出来ないことや、他の病院でロービジョンクリニックをするところが少ないこと、眼科医からロービジョンケアにつないでいくことが難しいことをあげられました。眼科医も、患者もロービジョンケアの認知が低く、広報の方法がネックになっていると指摘をされました。
     大切なのは、気持ちのケアができることではないかという先生の思いや、患者の会が有効であることもお話されました。ここぞという時には、辛口のお話しになり、拍手や笑いが起こることもあって、なごやかにお話を伺いました。
     次に、「2.眼科田中クリニックにおけるロービジョンケア ?ミニ国リハ方式による開業医の場合?」と題して、眼科田中クリニック院長、田中憲児先生の講演がありました。
     ミニ国リハ方式というのは、国立障害者リハビリテーションセンターにならって、眼科医と視能訓練士、視覚障害者生活指導員(歩行訓練)、看護師の四人のチームでロービジョンケアを行なっていることでこう呼んでいるのだそうです。
     一番重要なのは経済問題で、何とか仕事を続けていけるように、休職、復職ができなければ、在宅で就労しながらの訓練を行なっておられます。フットワークの軽さが売りというだけあって、タイミングが良ければ、即日訓練も可能というところで、会場から驚きのような、羨望のような声が上がっていました。
     先生ご自身に問いかけるような、「自分に何ができるか。患者さんの意欲があれば、基本的には何でもできる。障害を受容して前に進もうとする気持ちになってもらうことができるか。」という真摯な言葉をお聞きしました。また、職場環境の整備について、上司の理解や同僚の支持を得ることが大切だと話されました。
     問題点としては、やはり、ロービジョンケアをやっているところが少ないことで、患者さんの選択肢を広げるためにも、多くの眼科医にやってほしいと力説されました。また、クリニックがあっても知らないとか、財力、体力とかいろいろなことで、自宅から外出して、ロービジョンクリニックにたどり着けるかどうかが問題だとも言われました。ぜひ、外出して楽しいことをみつけてほしいと話されました。
     先生の講演は、ロービジョンケアを志すきっかけから現在にいたるお話から始まりました。時折ユーモアを交えながら、淡々とお話しされる語り口に聞き惚れてしまいました。
     次に、「3.中途視覚障害者が求めるロービジョンケア」として、岡山県支部幹事の、久保瞳さんと木村健三さんが,ご自身の体験談をユーモアや、また涙を交えて、お話してくれました。(詳細は次項に掲載)
     最後に、以上の講演をふまえ、「理想とするロービジョンケア実現のために」と題し意見交換の時間を持ちました。中四国の各支部の代表の皆さんから、各地域のロービジョンケアの行なわれている医療機関についての報告がありました。先生方からは登録されている医療機関についての情報提供がありました。数だけをみるとだんだん、ロービジョンケアを掲げる医療機関が増えてきたようにも思えますが、実体を見れば拡大読書機を置いているだけだったりと、まだまだ不十分であると言わざるをえません。
     講演会に時間を多く取ったため、意見交換の時間が足りなくなりました。が、中四国のたくさんの方が一堂に会し、熱のこもった講演を聞き、各地の情報を共有し、お互いに理解を深めることができました。充実した研修会になったと思います。参加していただいた皆様、ありがとうございました。
     なお、岡山県視覚障害を考える会が編纂したくらしの情報集を、私たちをサポートして下さる中四国の眼科医さんや行政の方々にぜひ読んでいただきたく思いましたので、この機会にお送りしました。守本先生や田中先生に続いていただけるような「キラッと光る」先生のお手許に届くことを念じております。

    講演2「中途視覚障害者が求めるロービジョンケアについて」
    講師:木村 健三 氏
    1.自己紹介
     54歳、網膜色素変性症、2年前くらいから見えが悪くなり、現在矯正しても左目では字が読めない状態である。右目は0、2見えるので、仕事は続けているが、生活面や仕事面でいろいろ支障を感じていた。
    今年4月から5ヶ月間、国立神戸視力障害センターへ入所し自立のための生活訓練を受けてきた。 
    2.国立神戸視力障害センター(自立訓練)について
    ・どんな目的のセンターか
     視覚障害者を対象として、「見えない」ことや「見えづらい」ことによる生活上の不便や不自由を少しでも軽減し、毎日の生活を豊かで潤いのあるものにするために、それぞれに合わせた訓練を提供してくれる国立の施設である。訓練内容は、白杖を使った歩行訓練、点字の読み書き、音声読上げソフトを使ったパソコンの操作、拡大読書機の使い方、調理、ATMの使い方などの日常生活訓練を行ってくれる。
    ・どうやって知ったか
     JRPSの仲間で、以前に入所した方から聞いてこの施設のことを知った。
    ・どこにあるか
     神戸市西区、明石駅からバスで15分。交通の便は良い。通えない人のために施設内に宿舎(寮)がある。
    ・良かった点
     個人の事情やニーズに合わせた訓練計画を立ててくれて、訓練をしてくれる。訓練や授業は個別指導(マンツーマンで指導)。随時入所可能。
    ・問題点と課題
     費用がかかる。(寮に入ると、授業料、食費、光熱費等で1ヶ月7万円程度かかる。(障害者自立支援法施行以前は2万円程度であった。)
     訓練を受けるには長い期間が必要で、仕事を休むか、辞めるかしないと利用できない。また休職扱いで行かせてくれる職場は少ない。

    講師:久保 瞳 氏
     ロービジョンに思う。(リーダー研修 にて)
     私達が視力に不安を覚えて、最初に出会うのは眼科医だと思います。初めて聞く病名とその病の重さを告知された時の心に残った眼科医の言葉とその時の心境、またこれからの眼科医に望む事について、皆さんから体験談を聞かせていただき、それを参考にさせていただきました。
    我々の病気は幼い頃に視力の異常に気がつく人もいれば、はたまた50歳台で気がつく人もいるというようにさまざまです。
    ・十代の頃、眼科を受診し、病名とこの病は遺伝が原因でいずれ失明すると告げられ、親の方がショックを受けて大いに悩んだ。。
    ・だんだん視野と視力が衰えてきて、高校生時代の青春を謳歌する時に自分だけが落ち込んで死にたいと思った
    ・病名を教えてもらえず、名刺の裏の紹介状の中に書かれていた、「網膜色素変性症」を図書館に行って初めて知った。
    ・身内に同じ病の人がいたのでうすうすは自覚してたが、50歳の時、免許更新時に眼科へ行くと、視能訓練士さんが「パソコンを習いませんか」と、次の予約日にはボランティアさんを手配してくれていて、見えなくてもできる操作を教えてもらえて、パソコンから世界が広がり、今は山登り、パソコンの会、もちろんJRPSの行事にも、多いに参加して楽しんでいる。
    ・30歳半ばに病名を知り、それでもと思い、有名な眼科医を尋ねるべく東京に行った。その眼科医に問診で「どんな遠くから来てもこの病気はなおらんよ」と言われショックを受けたが、その先生は「これから研究が進んで行くから、良い時が来るかもわかりませんよ」と言われて、少しほっとした。
    ・病名と「だんだん視野が狭まくなり、失明にいたる」と言われ、ショックで1ヶ月食事が喉を通らないくらい悩んだが、主人が「誰でも年を取れば見づらくなるのだから、気にすることはない」と言ってくれ、気持ちを落ちつけることの大きな支えになった。いきなり知らない病名とその病の重大さを告げられても信じられないというのが本当の気持ちで、眼科医が「失明にいたる」と言った言葉は、未だ脳裏から離れない。
    ・総合病院の眼科医から「あんたにしてあげられることは何にもない」と冷たい口調で言われ、つらく落ち込んだが、近所に新しくできた眼科にかわると、そこの眼科医は病名などきちんと説明してくれて、その後身体障害者手帳の取得や福祉制度利用へとつなげてくれ、いつも「気をつけてな。ケガをせんようにな」と暖かい声を下さる。
    ・自分のことより、親が従兄弟同志なら子供が発症する確率が高いことが大きく心に引っかかっていたが、気になってた子供が同じ病気だとわかり、そちらの方が非常につらい。でも、今は同じ病の方に交流会でいろんな経験談を聞かせていただけるようになって、親としても少し気持ちが落ち着いてきた。
    ・同じ病の人から「保健所に問い合わせをして病院を紹介してもらいなさい」と言われ、今の眼科医と出会った。その眼科医は病気と症状について、家族を呼んでとても詳しく説明をしてくれたので、とっても良かった。
    ・眼科医に願う事として、治療法のない患者は「それでは何をしたら生活できるのか」と途方にくれる。そんな時に医療機関と行政機関がもっと連携していれば、メンタルなケアが多少なりともできるのでは。今は大きな病院ではケースワーカーやソーシャルワーカーなどを常駐させて、QOLの向上に努めているところもだんだんと見られるようになったが。
    ・最初にかかっていた眼科医は、手帳の基準も福祉制度も全くわかっていなくて、その後白内障の手術のため総合病院に入院したとき、担当の眼科医から「身体障害者手帳をまだ申請されてないのですか?」と言われた。眼科医によって、情報に偏りがあることに驚いた。
    ・告知を受ける時、10歳を越えたら本人も同席するほうがいい。なぜなら、親だけが悩んで本人の将来に悪影響を及ぼす可能性がある。
    ・網膜色素変性症の治療法も大いに必要だが、いろんな福祉機器や補助具を上手に利用して、今を少しでも生活しやすくすることに重点を置いたら。
    皆さんの話をお聞きして、告知を受けた時の眼科医の言葉ひとつで、受け取る我々の落ち込む度合いが違ってくるような気がしました。病名と症状と治療の手立ての無いことだけを告げられるときと、「とりあえず一緒に頑張ってみましょう」とか「今、研究が進んでいるから、その内いい事があるかもわかりませんよ」とか言ってもらえた人との気持ちの温度差はどれほどでしょう。眼科医の方々は、どんな対応をされているのでしょうか。癌の告知をする時、あるドクターは、「生きる希望の小窓は必ず開いて」と言われています。我々にとっては、病名の告知は眼
    の死亡宣告も同じです。
     これから病名を告知される患者さんの為に、我々が味わった苦しみを少しでも浅く、短く通り過ぎてもらえるように、眼科医の方々にお願いしたいことは、ロービジョンケアのことやさまざまな福祉制度、同じ病の患者の会があることを知って、いち早く我々に知らせて、それらを利用できるようにつなげて欲しいということです。
    特に患者の会は、つらさや苦しさを共有できる仲間がそこにいて、実際にすぐ活用できる情報が得られます。今では、メーリングリストもあり、いながらにしていろんな情報を共有できます。 
     そして、どうぞ我々を一人ぼっちにさせないでください。