3.活動報告
※4月26日 講演会
報告:K.M
テーマ:子供の病気をどう受容し、どう育てるか
講師:興津久美子 氏(JRPS RP児を持つ親の会 代表)
ゲスト:出水麻依子 氏(「勇気をくれた虫の歌」の著者)
麻依子さんのお母様
以下に講演の内容を記載します。文章化するにあたり、実際の言葉遣いとは違っていたり、省略したりしたところがありますが、ご容赦ください。
〈興津さん〉
みなさん、こんにちは、RP児の親の会、あぁるぴぃちゃいるどの代表をしています、興津久美子と言います。静岡市から参りました。
ゲストとして、麻依子さんとお母さんに来てもらっていますが、今日は皆さんにこの子供の病気をどう受容して、どう育てるかという重たい演題なのですが、明るいバージョンでお話したいと思っています。
岡山県の方はまじめなのですかね。先程司会の方に、くだけたバージョンとまじめなバージョンのどちらがいいですかと聞いたら、強烈バージョンでと言われました。強烈はちょっと難しいかなと思ったのですが、なるべく明るいバージョンでお話したいと思います。よろしくお願いします。
私自身がまずRPとアッシャー症候群で、聴覚と視覚の重複障害を持っています。ですから、皆さんから質問をされた時に、ちょっと聞き取れないか、もしくは全然ちぐはぐなことを答えるかもしれません。それと少し言語障害、舌足らずなところがありますが、わかりにくかったら、遠慮なく言って下さい。麻依子ちゃんの紹介は、あとで自分でしてもらいます。
まず、お見受けしたところ、ほとんどの方が、親御さんの立場ですね。成人でお子さんがいらっしゃる方が多いと思います。子供が生まれる前に、だいたいの方は、「男でも女でもいいよ、五体満足で生まれてくればいいよ」と思っていたと思いますが、この言葉は一般的で、軽い気持ちで使ったと思います。この五体満足というのは、いわゆる五感の満足、視覚、聴覚、嗅覚などの五感の満足ではなくて、身体のどの部分にも欠けているということがない状態を言うのだそうですけれども、私を含めて今日ここにおられる方の多くは、見た目五体満足の状態で生まれた
と思います。今お見受けしても、見た目健常者のように見えています。お子さんの頃はかわいかったでしょうね。ああ、こんなかわいい子が生まれた、嬉しいなと喜ばれたと思います。でも、悲しいことに、皆さんかわいいと言われる年を通り越してしまいましたけれども、それこそ、自分達の生んだ子供というのは、たとえ自分が障害を持っていても、やっぱり自分の子供はすごくかわいいです。かっこいいお父さんとかわいくて優しいお母さんから生まれた子供ですから、かわいいに決まっています。せめて自分の子供のことくらい自分でかわいいと思っていないと
育てていけませんからね。ここの正面のお母さんが、うんうんとうなずいて下さっていますが、お母さん達は苦労してかわいい子供達を育てています。
本題に入りますが、こんなかわいい子供達に、見た目わからないのに、どうしてこんなに大きな病気が隠れていて、将来見えなくなってしまうかもしれないだの、聞こえなくなってしまうかもしれないだの、もう聞きたくもない言葉を聞かされて、どういう気持ちになるのかってお分かりだと思います。自分が子供の時に障害がわかったお父さん、お母さんがどれだけ苦しんだろうということは、今皆さんが親の年代になってみてよくわかると思います。身を切られるように辛い思いをして、ショックを乗り越えて、ちゃんと育ててくれたと感謝しなくちゃいけません。
ほんと、代われるものなら代わってやりたいと思うのが、親の気持ちです。
私はB型の女で、最近流行のB型の本とか読むと、私はばっちりB型だなと思う時があるのですけれども。岡山にもゆかりのある方で、三代将軍の乳母だったおふくさん、春日の局ですが、彼女もB型だったのかなと最近思います。彼女は、涙も見せない非常に冷たい女だったという風に後世言われていますけれども、実は非常に愛情の深い方で、家光を非常に大事に育てました。自分の命と引き換えに、文字通り自分の命を捨てて、家光を守り通した方なのですね。彼女もB型だったのかなあと思うと共感を覚えるのですが、そういう愛情の深さというものを、やっ
ぱり女性は持っているということです。深さ故に子供に対して間違った道を選んでしまうことが問題なのです。おふくさんは自分の子供は預けて他人の家光を育てたのですけれども、親は育てなければならない。何があろうとどんな子供であろうと、自分の子供は自分で責任を持って育てなくっちゃいけない。まかり間違っても間違った選択をしてはいけないということなのですが、それでもやっぱり、お父さんだってお母さんだって人間ですから、そう正しいことばかりできる訳じゃないです。聖徳太子のような天上人のような人ばかりではなく、ごくごく普通の人
なのですから、苦しい時には苦しい、泣きたい時には泣きたいと子供のことで悩むことはいっぱいあります。でも、どうしても育てなくっちゃいけないということを、今日お話しようと思います。
ここで、少し、考える時間を持っていただきたいと思います。
まず、一つ。
RPは皆さんご存知のように命を取られるような病気ではないです。目は取られるかもしれないし取られないかもしれないけれど、そんな中で皆さんは自分はどういう親のタイプかなと考えて下さい。自分の子供がRPだとして、自分はどういう親か、です。
まず、一番目。なんとしても治したい。子供が嫌がることなんか関係ない。あなたのためだからというタイプ。検査、薬、治療もしなきゃしょうがないよ、嫌であろうがなんであろうが、子供のためだからやらなきゃいけないと思うタイプ。
二番目が、進行しないで今の状態が保てるように、とりあえず、よくないと言われることは避けよう。要するに帽子、サングラスはしよう、危ないからスポーツはやめなさい、せめてそのような強要はするタイプ。
三番目、先はわからないけど、とりあえず、今子供がやりたいことをやらせてやろうと考えるタイプ。
四番目は今言った三つ以外の方。
さて、自分はどの親のタイプか考えてみて下さい。
四番目の方、以外といるのですね。この四番目のタイプの方、どういったタイプか教えていただいていいですか。
<会場からの発言>
1)発症したのが数年前なので、まだ自分のこととして理解できない。
2)2番と3番をあわせたタイプ。遮光メガネ等使って、やりたいことはどんどん経験させてあげてほしい。
3)親としては、どんなことをしても治したい、目に悪いことはさせたくない、やりたいことはどんどんやらせてあげたい。
〈興津さん〉
どれかを選んでほしいと言ったので、選ぶ格好になりましたが、どれも共感できると思います。正直なお気持ちを聞かせていただいてありがとうございます。
次に、今あなたが選んでくれた親のタイプの子供だったとします。一番目の親のタイプである場合、その親に育てられる子供になったとしたら自分はどう考えるか、を考えてみて下さい。どうでしょう。なんとなくイメージできました?ちょっと伺いますね。
1 自分は理想の親だなと思った方
2 ちょっとイヤかな、という方
3 わからないという方
3の方が多いようですね。ちょっと難しかったでしょうか。
これは心理テストでもなんでもありません。ちょっと自分のことをみて欲しかっただけのことなのですけども。
<会場からの質問>
親であったなら、すべてを経験させると思う。まず、治してやりたいと思ってあっちこっち行く。それで、だめだとわかったら、いいものを選んでする。そうしていくうちに、平行して見えているうちにいろんなことを経験させてやりたい。私はそれを一本化することは無理なのではと思う。
〈興津さん〉
それが正直なところだと思います。子育てはいろんなことを試行錯誤しながらやっていくので、それでいいと思っています。いろんなことを考えるきっかけにしていただきたいと思いました。
ここで、今日はゲストで来てもらっている、実際に小学1年の時にRPが判って、すぐにRPを告知されて育った麻依子ちゃんと、病気をちゃんと彼女に伝えたお母さんに経験談を話してもらおうと思います。
いつ、どういう時に、どういう告知のされ方をしたらいいかというのは、本当に大きなテーマだと思うんです。告知から、親に対する告知でも子供に対する告知でもいいんですが、病名を知るというところから、治療は始まるのです。病名も何も知らなかったら、受容のしようがないのです。受容という問題に対して、いつ告知するか、どういう告知をするかというのは本当に大きなテーマになると思うのです。
実際に小学1年生という小さな時に病気を知ったというケースとして、麻依子ちゃんとお母さんに経験談を話してもらおうと思っています。ちょっと聞いて下さい。
〈出水麻依子さん〉
みなさん、こんにちは。私は、出水麻依子といいます。よろしくお願いします。私は、吃音障害があるので、聞き取りにくいところがあるのですが、聞いて下さい。お願いします。
私は、小学校のときは地域の学校に行っていたのですが、小学校1年の時の視力検査で見え方がおかしいということが判って、眼科にいったら、病気が判ったということなんですけど、それからすぐに母から病気のことを聞かされました。よく網膜色素変性症だと判った時にどう思ったかということを聞かれるんですけど、私にはその状態が普通だったので、何も感じなかったんです。病気のことでいろいろ辛い思いをしたこともあったのですが、今は小さいうちに網膜色素変性症のことを聞かされてすごくよかったなと思っています。
〈出水麻依子さんのお母さん〉
こんにちは。出水麻依子の母です。よろしくお願いします。今、彼女が少し話しましたけれども、小学校1年生の時の視力検査で、左右の見え方がおかしいと言われて、それからお医者さんに行き、そこで、初めて網膜色素変性症という病名を聞かされました。聞いたこともない病気に、まずびっくりしましたが、はっきりいって判らなかったので、それ以外の感情は何もなかったです。
それから後、あちこちの図書館に行って、医学書を調べて、網膜色素変性症とはどういう病気かというのを調べることから始めました。とりあえず、その時判ったのが、治ることはないだろうということと、これから進行して見えなくなってしまう可能性もあるということで、その二つが大きくのしかかって来たんです。それで、父親と二人でどうしようかということを連日話したのですけれども、最終的にはそれに向かってたち向かっていくのは彼女自身なので、彼女には話すべきなのではないかという結論になりました。まだ小学校1年生だったので、専門的な言葉
や難しい言葉では判らないと思ったので、とりあえず病気の名前は告げて、あとどういう風になるかということ、これからひょっとしたら見えにくくなるかもしれないよということと、その時点で視野はかなり狭かったと思いますが、視野が狭いということは、彼女自身はそれが当たり前だったので、お友達とは違うんだということをこんこんと話しました。
例えば、隣からわっと手が出て来ても、あなたは判りにくいかもしれないけれども、お友達は判っているんだよとか、道を歩いていて横から自転車が来ても、ばっと避けられないという危険性の話もしました。彼女はまだ1年生だったので、はっきりとは判らなかったと思うんですけど、通常の学校の生活の中で、彼女に伴う危険性ということを知ってもらいたかったし、私自身が彼女について学校の中をついて回る訳にはいかないので、やはりそれは話しておこうということで、話すことにしたのです。
白杖については子供サイズに適当なのがなかったというのもあって、1年生、2年生の時には、彼女には白杖を持たせなかったのです。そのうちに段差とか溝で、足をひねったりとか、そういう部分が頻繁にあらわれるようになったので、やはり白杖が必要なのではないかというのが出てきまして、その話をしました。彼女は白杖を持つのにかなり抵抗があったようですが、集団登校というのがあって、他のお友達から遅れて歩いていて横から自転車が来た時に、他のお友達はみんな避けたんです。相手の方は彼女も避けると思っていたみたいですが、彼女はそれを避
けることが出来なくて、、もろにぶつかってしまったんです。かなり痛い思いをしたみたいで、白杖を持っていたら、そんなことはなかったかもしれないねって話から、最終的には、やっぱり周りの人に判ってもらうためには、白杖を持つようにしようかということで、彼女は白杖を持って学校に通うようになったんです。
もちろん、学校には病気が判った時点でまぶしさもあったみたいですので、遮光メガネをかけて通っていたんです。学校の方でも全校の生徒達にメガネの必要性を知らせてくれて、外で体育をする時には、メガネをかけてするようになったのです。でも、もの凄く目立つんですね。運動会のときなんか、皆さんが運動場で競技をしていても、自分の娘だけが真っ黒のメガネをかけて、自然に他のお母さんとかお父さんとかもそちらの方に視線が行ったりして、あーこういう時に目立つのだなと思いました。でも、やはり最初の段階で彼女に告知というか、お話をしてい
ましたので、彼女自身が他の人から言われて辛い思いをすることは防げたと思うんです。
その時期はそういう形で過ごすことが出来たんですが、そのあと、地域の学校に行っていましたら、やはりイジメというものがありました。高学年になってくるとイジメの仕方も結構高度というか、先生に判らないようなイジメというか、先生がみてないところで精神的に本人を痛めつけるようなことが行なわれるようになりました。彼女自身はそれを親に言うのもすごく辛かったんでしょうね。本人一人で受け止めてがんばっていたんです。でも、やはりいじめられているって部分が我慢できなくなって来て、ぽろりと言った言葉からイジメが発覚して、最終的には地
域の友達と一緒の中学に進むのはちょっとしんどいかなと、本人の方からそういう言葉が出ましたので、盲学校の方に転校するようになりました。
わりと地域の学校の方では自分を押し殺して生活していたんですが、盲学校の中では結構のびのびと生活するようになりまして、そこで、自分自身、自信というものを取り戻しました。その結果今に至っているんですけれども、小学校の時に受けた、精神的なダメージというか、そういったものが後を引きまして、先程聞いていただいたように、こういう風な場で緊張するとかなりどもってしまったりとか、言葉が出なくて詰まってしまったりということになります。聞いていただくのが、結構しんどいかなと思うのですが、でも、彼女自身、皆さんにそういう話を聞い
ていただきたい、また、同じような思いで悩んでいるお子さん達が、少しでも自分の話を聞いて、そういう苦しみというかしんどさを和らげることが出来ればということで、こういう場に出てくることもこれからやっていきたいと言っております。
それでは、また、何か質問とかありましたら、何でも聞いて下さい。よろしくお願いします。
〈興津さん〉
はい、経験談をお話ししていただきました。これはあくまで一つのケースです。多くの方は、小さいうちに知らせるのはかわいそうとか、判らない時に言ったらどうなるのかとか、もう少し大きくなって判るようになったらどうしようとか悩むのが普通だと思うのです。親の会でもどんな時に話すのがいいのかが非常に問題になるのですが、子供のタイミングというのがあるのです。家を建てようと決める時にもタイミングがあります。就職先を悩んだ時に、その就職先を決めるって時にもタイミングがあります。
物事にはすべてタイミングがあって、告知っていうのにもタイミングがあります。私自身は親の会をやっていて、全国各地の親御さんからいろんな相談を受けるんですが、どんなタイミングがいいのですかって聞かれます。でも、答えは一つではないんです。はっきりいって。子供さんの性格もあります。それを支える親御さんの性格もあります。ですから、答えは必ずしも一つではないのです。でも、タイミングというのは必ずあるんです。子供から発せられるタイミングが。そのタイミングを逃さないで、言ってあげればいい。病名っていうのは一回言えばいいの
です。網膜色素変性症って言葉は一回だけ言えばいいんですよ。それよりは、今あなたがなんでこういう診断を受けたのか、どういう状態なのかをきちんと説明してあげるということ。それから、医学書にあるみたいに失明するかもしれないということよりも、そんななるかならないか判らないことを言うよりも、今はこういう状態で、もしかしてこれから少しずつ見えなくなるかもしれない。見えにくくなって来た時には、お母さんとお父さんがきちんと一緒に考えてあげるからね、一緒にがんばろうと言ってあげればいいんじゃないかと言うのです。
でも、それが出来るお父さんとお母さんばかりではないもので、中には、お医者さんから聞かされた事実を聞いて、自分が押しつぶされてしまうお父さん、お母さんもいます。最近でもそういうケースがあったのですけれども、そういうケースの場合には、専門的なカウンセラーの医療的な治療をお勧めします。状況にもよりますが、そこまでいかなくても、普段の相談を繰り返す中で、立ち直っていかれる方もいます。
親御さん達は同じ境遇のお母さん達と話をして、みなさん同じ子供を育てているので、話を聞きたいというんですけれども、自分自身が落ち込んでいることで精一杯なので、そこのところに他の人を引き込んでしまうのが恐いものですから、自分が落ち着いていろんな情報をきちんと冷静に処理できるようになってから、皆さんと話しましょうねと言います。
なかなか難しい問題ですけれども、麻依子ちゃんも私自身もそうですが、子供の時からRPを発症しているといじめられます。皆さんの中にも小さい時から目が悪いことが判って、それが原因でいじめられて育った方もいると思います。大人になってから発症したものだから、逆にいじめっ子のほうで育って来た方もいるかもしれませんけれども、子供の頃からRPだったっていう人は結構いじめられて、でもいじめられている中で、強くなれるかなれないかは、親御さんのサポートの結果によってくると思います。この親子のように親がきちんとサポートしてくれる
と、子供はたとえ言葉が上手にしゃべれないということがあっても、前向きにこういうところへ出てくることが出来るようになる。そういうことを、もし、皆さんの周りに子供がRPで、どうしよう困った、いつ告知しよう、どうやって育てていったらいいの、この子の将来はどうなるのと相談を受けた時に、でんと構えて大丈夫だよと言ってあげられるようになって欲しいなと思います。
今日は受容というテーマでしたが、皆さん、子育てって成功してます?子供と親の個性と個性のぶつかり合いが子育てですし、一生子育て、死ぬまで子育ては続きます。その中で、相談できるところがあるいうことを忘れないで欲しいと思います。盲学校、お医者さん、このような支部や仲間、恩師だとか、何かしらの社会の一員であるはずだし、お父さんお母さん、一人で抱え込まないで、相談できるところがあるのを忘れないで、相談してみて下さい。
受容するしない以前に、社会の一員であること、この社会の中でどう係わっていくかを考えて欲しいと思います。
〈絵本「勇気をくれた虫の歌」の紹介〉
親の会で2007年に作りました。横にいる麻依子ちゃんが、辛かった時代のことを創作でお話を作ったのを絵本にしたものです。挿絵の方は、地元静岡県の浜松市の普通の女子高校生の姉妹が、この物語を読んで感じたことを絵に描いてくれたんですが、とてもかわいい絵本に仕上がっています。じっくり読んでいただきたいです。
〈質疑応答〉
1)子供のいじめについて。子供はいじめられていることを隠してしまうが、親の側は話して欲しいと思っている。親からのアプローチとして有効なことはあるか。
興津 親に打ち明けずに、突っ張っている子供も、実は話せば何とかしてくれると思っている。特別にアプローチをするより、普段の生活の中ででんと構えている姿勢を見せていることがいいのではないかと思う。
麻依子の母 いじめが判った時点で、どうして教えてくれなかったのかと聞いた。すると、自分が我慢していればいいと思ったという返事だった。そこで、これからは一人で抱え込まずに、困ったことがあったら一緒に考えようね、と話した。あなたにはお父さんもお母さんもついているからねと話した。
麻依子 その当時の時は、辛いことばかりだった。親からそういう言葉を聞いた時には、ほっとしたことを覚えています。
2)親が子供の病気をどう受容していったかなどの体験談を聞きたい。
興津 受容するまでの時間の長さは、本当にいろいろ。一年以上たっても毎日泣いて暮らして、子供に向き合えない方もいるし、一週間、相談回数で言えば3回くらいで立ち直った方もいる。このケースはやはりタイミングがうまくいって、本人に伝えることが出来たし、進学のタイミングだったし、本人が選択できる子供だった。周りの学校や行政の対応も素早かった。
泣いてばかりいても、子供は日に日に成長してくる。毎日対応しているうちに、乗り越えてしまっているのではないか。親の会、JRPSなどの存在を知ることは重要だと思う。
3)麻依子さんはどのような仕事を目指しているか?
麻依子 大学で福祉の勉強をしている。自分の経験やならったことを生かして、福祉の現場で働きたいと思っている。ピアカウンセリングの講座にいって勉強していて、将来ピアカウンセラーとして、同じような立場の人の相談に乗りたい。
4)白杖を持つことになったときの声かけはどうしたのか。
麻依子の母 最初は嫌がった。見えにくい現実があるので、虫さんの触角のようなものだよと告げた。幼かったせいか、そのたとえが判りやすかったようだ。後に、絵本になった。
興津 白杖の受容の話がでたが、持つタイミングもある。子供と一緒に歩く時に白杖を持ったのがきっかけ。他の人と違うことをするのを受容するのは、難しい。
5)JRPSのユースの活動はどうなっているのか。
興津 JRPSには、各地域の支部以外に専門部会がある。アイヤ会(視聴覚重複障害の会)、RP児の親の会、JRPSユースの会がある。
ユースの会は20代から35才くらいまでのRP本人の会。就職や結婚などの問題を抱える世代で、エネルギッシュに活動している。通常の活動はメーリングリストで、年一回、合宿をしている。自己啓発セミナー等をやっているようだ。
6)子育てでいい関係を築いてきた秘訣があれば。
麻依子の母 うちの家庭は隠し事をしない。困ったときは、全員で係わってきた。また、煮詰まったりしないことも大切だった。
麻依子 親にも話を聞いてもらったし、弟の存在も大きい。弟には遠慮なく自分の思いをぶつけることが出来た。家族のサポートが一番。家族以外の人との関係も必要だと思うので、お世話になった時には、感謝の言葉を言います。
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