JRPS山陰支部設立20周年にあたって

会長 安部利一(あべ りいち)

昨年JRPS設立20周年記念式典が挙行されましたが、つまり21年前の1994年5月にJRPSが発足して、その1年後に全国に先駆けて山陰支部が設立しました。そのいきさつについて若干申し上げたいと思います。
初代支部長であった荒木英之さんが、目が不自由でありながら執筆活動をしておられ、本部の患者理事であることが、5月26日の山陰中央新報「明窓(めいそう)」欄に掲載されました。私はそれを見つけ、島根県の西と東に二人のRP患者がいることがはっきりしたと、小躍りする思いで荒木さんに電話したことを思い出します。

7月8日に地方での集いが最初に神戸市で催され、その報告を兼ね、荒木さん宅を初めて訪問しました。荒木さんはある会社の社長であり、電話をすると今日もお手伝いをしていただいている当時秘書の石倉ひとみさんと先ずお話をしていたわけです。
その後、荒木さんの前向きな発案から、元ライトハウス園長の吉田トキ江さん元ライトハウスライブラリー館長の金津和栄さんのご協力の下で、県下に呼びかけて初めての集いをする運びとなりました。翌年の2月5日ライトハウスライブラリーの会場でした。
その年は1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件などの大変な年でした。

その後、前述の三人の方をはじめ、ライトハウスライブラリーの職員の方々のお世話になりながら研修会や交流会を重ねました。しかし、集いに来れない患者仲間たちのためにも、ミニ通信でもいいから機関誌を発行したがいい「手伝うから」と、金津さんや石倉さんらからの励ましによって、2000年に手作り機関誌「ビッグスワン」を創刊しました。この名称は、ハクチョウが飛来する山陰を象徴した荒木さんの命名です。

以来、支部も少しずつ成長し力をつけ、保健所の難病地域支援や難病相談支援センターの活動業務などにも載せていただき、さらには最近眼科医会さんにもご支援をいただいてのロービジョンケア研修を重ねて来ています。

こうして多くの方々やあちこちの関係機関、そして本日も多くのボランティアの方々に支えられながら、山陰支部は成人しました。
改めてお世話になった方々や関係機関に感謝申し上げたいと思います。
本当にありがとうございます。

成人したとはいえ、これからも何かにつけお世話にならなければならないどもです。どうか変わりませずご支援のほどよろしくお願い申し上げます。
最後にお願いになりましたが、20周年にあたってのご挨拶とさせていただきます。

このページの先頭へ

山陰支部設立20周年にあたって

島根県眼科医会会長 清水正紀(しみず まさのり)

ただ今、ご紹介いただきました清水正紀(しみず まさのり)と申します。
島根県眼科医会を代表して、ご挨拶を述べさせていただきます。この度は、創立20周年を迎えられましたとのこと、誠におめでとうございます。心からお喜び申し上げます。
網膜色素変性症の皆様が集まられ、情報を共有し、お互いを理解し、支え合われ、今日をお迎えになられたことに衷心より敬意を表したいと思います。

数年前に網膜色素変性症協会、ライトハウスの方から、研修会にお声掛けを頂き、眼科医も数名参加させていただきました。初めての参加で最初は緊張していました。日頃は診療を通じての間柄ですが、とても親しみやすい雰囲気の中での貴重なご講演や意見交換が行われ大変有意義でした。

懇親会にも呼ばれ親睦を深めさせていただきました。私たちが会話を弾ませ、おいしい料理をいただいている間、盲導犬がおとなしくしている姿、程度の軽い人が不自由さの強い人をリードされている姿、様々な工夫をしておられること、何より明るく振舞っておられる姿に感銘しました。

眼科診療には目覚ましい進歩がみられて、眼底疾患については、三次元画像解析など最新の機器が導入され、網膜色素変性症についても、より詳しい所見がわかるようになってきました。また、iPS細胞を用いた世界初の再生医療が眼底疾患の治療に取り入れられました。

病気は、程度や状況は個人よって様々です。日進月歩の医療水準に合わせ正確な診断に基づいた治療やリハビリテーションが行われています。より良い支援を行うためには、眼科医、看護師、視能訓練士、行政の方々の連携が欠かせません。中でも、眼科医の果たす役割は大きいと思っております。この分野の専門家、高橋 広先生によると、「ロービジョンケア」とは、「保有視覚を最大限に活用してQOL(Quality of Life)の向上を目指すケア」と定義されています。
Lifeには、「生命」、「生活」、「人生」といった意味があり、これらのQuality(質)の向上、中でも「生活の質の向上」について、「ロービジョンケア」が注目されています。WHOは国際生活機能分類で、「できる活動」と「している活動」に分け、周りの人の支援で「できる活動」を増やし、「している活動」につなぎ、さらに「する活動」の実現を目指そうとしています。社会の高齢化に伴い、「ロービジョンケア」も、これまでの「就労支援」に加え、「生活支援」の重要性が増してきました。
これまでにも増して、眼科医、コメディカル、行政との連携が望まれるようになりました。20数年前、眼科の学会で上智大学のアルフォンス デーケン教授の講演を聞いたことがあります。デーケン教授は、「老いること」についての講演の中で、「健康を保ち、若くあり続けるための秘訣は、ユーモアと笑いである」、「心と体の健康を守り、コミュニケーションを円滑にし、日々の生活を豊かにする大切な役目がある」、「ユーモアとは、にもかかわらず笑うことである」、悩みや苦しみのさなかに発揮されるもので、「にもかかわらず」笑いを忘れぬことこそ「成熟した深いユーモア」であると、ドイツではよく知られているユーモアの定義を話されました。デーケン先生は、ユーモアを交え、流ちょうな日本語で、「ともに喜ぶことは2倍の喜び、ともに悲しむことは半分の悲しみ」というドイツのことわざを引用し、人は一人で生きるのでなく、みんなで話し合うこと、協調すること、連携の大切さを諭されました。

皆様方は、この会を通じて協力し親睦を図り情報交換などを行って20周年を迎えられこととご推察いたします。
日本網膜色素変性症協会山陰支部の益々のご発展を祈念し、ご挨拶とさせていただきます。

このページの先頭へ

山陰支部20周年記念式典に参加して

三輪 利春

日本網膜色素変性症協会 山陰支部さま設立20周年、誠におめでとうございます。昔、荒木さんのお宅に何度かお邪魔して、日本網膜色素変性症協会 山陰支部さまの設立されたころだったと思いますが、荒木さんから支部設立の必要性を何度もお話しをお聞きし私も会員になりました。
当時の事を思い浮かべ筆をとりましたが、組織ができて横の連携を取りながら、すばらしい会に成長されました。ビックスワン通信を発行され、毎月勉強会など開催されながら、会員の方もどんどん増え、メーリンリストでも活発な話し合いや、中央の先生をお呼びした勉強会など誰もが必要とされる様々な活動をされています。これからも、もっともっと横の連携をみつにされ、みんなが一つになり団結力も増して発展してゆかれると思います。役員の皆様方もそうですが、会員の皆様方もボランティア精神豊かな皆さまの集まりですばらしい会です。

みんなが一丸となり、記念すべき日本網膜色素変性症協会 山陰支部設立20周年記念式典を開催されました。日本網膜色素変性症協会 山陰支部さまのますますのご発展を心より願っております。

このページの先頭へ

JRPS山陰支部設立20周年記念式典の報告です

去る7月11日(土)・12日(日)に山陰支部設立20周年式典&総会・交流会をホテル宍道湖(松江市)で開催しました。

当日は、台風の影響なのか気温が今夏初めて30℃超えの大変暑い日となりました。
島根県下は、元より徳島県支部、広島県支部、岡山県支部の会員様や東京から日本網膜色素変性症協会理事長の金井様にもご参加いただきました。

また、来賓には、島根県健康福祉部より障がい福祉課様、健康推進課様また、県下各保健所の保健師様や島根県眼科医か会会長様、島根・鳥取各難病相談支援センター様、難病全県的患者会様など、多数ご臨席を賜りました。

今回の式典を開催するに当たり、視覚障害者の会員にホテル館内(宿泊室含む)の案内文を前もってメールか拡大文字の墨字で送付して、予備知識を頭に入れて来場していただければ、少しでも不安な気持ちが解消するのではないかとの思いから作成しました。また、併せて、歩行用ゴムマットの「歩導くん」の敷設、てくてくガイドでの玄関・トイレ・エレベーター・会場入り口に設置し、案内文の補助としました。また、ホテル職員の方の手引き研修の実施、宿泊室のドアノブにランドマークを架けておくなどの設置を実施しました。

開会挨拶では、安部支部長より支部設立の1~2年前から故荒木初代支部長が中心となり新聞などマスコミを通して呼びかけをしたところ約80人の患者家族が集まり1995年2月5日にライトハウスライブラリーで第1回目の集まりがあり、国立リハビリテ-ションセンターの久保先生の講演を聞いたことや各県支部の中では、最初の支部設立の運びとなったこと。設立には、ライトハウスライブラリーの当時の館長様を始め、職員の方々にも尋常ならぬお世話になったことなどの紹介とお礼を述べました。
支部設立から現在まで多大なご支援、協力をいただいた方々に安部支部長より感謝状並びに記念品が贈呈されました。


安部支部長 開会挨拶の写真です。今日はいつもより緊張の様子です。


感謝状贈呈式の写真です。演題の前で安部支部長より浅野 紳様が感謝状を授与されています。

このページの先頭へ

続いて、来賓挨拶では、島根県健康福祉部課長の平岡様、島根県眼科医かい会長の清水先生、ライトハウスライブラリー施設長様の順にお祝いの言葉をいただきました。
眼科医の清水先生からは、ロービジョンケアの考え方が最近になり特に注目されていて、今現在の視力を最大限に使って日常生活[QOL]の向上を計ることがより豊かな生活が営める。医師だけでは実際に患者がどんな見え方をしているのかやどんなことに不便さを感じているのか診察時間には制約があるので医師と患者の交流やまた、し能訓練し、歩行訓練しなどチームで取り組まなければならないこと。3年前から当患者会との交流が出来てきたので今後もより情報を共有して行きたいなどのお話でした。


島根県障害福祉課 平岡課長の来賓挨拶の写真です。


島根県眼科医会 清水会長の来賓挨拶の写真です。


島根ライトハウス ライブラリー 荒木施設長の来賓挨拶の写真です。

このページの先頭へ

基調講演では、まず、島根県視覚障害者福祉協会会長の小川幹男氏より、障害者差別解消法が来年に施行されるに至り島根県や市町村でも条例が制定される動きがある事。我々障がい者自身がどんな時に不平等を感じるかを率直に意見を述べることが大事であること。視覚障害者の補装具は白杖だけであることや各市町村で日常生活用具がかなり違ので各市町村の福祉関係の担当者に研修会を実施してなるべく用具機器を増やしてもらうこと。島根県職員採用試験でも障害者枠でやっと点字での試験問題が作られたことなどのお話をいただきました。
何よりも視覚障害者である本人から声を挙げ、社会や行政に訴えることが引いては障害者の権利の取得に繋がるとの講演でした。


島根県視覚障碍者福祉協会 小川会長の講演の写真です。


式典会場の写真です。正面にステージの上に演台があり上には「日本網膜色素変性症協会山陰支部設立20周年式典」と書かれた看板があります。丸テーブルが8台あり真剣に小川会長の講演を聞いています。

このページの先頭へ

続いて、ライトハウスライブラリーとプロジェクトゆうあいより、それぞれの事業内容や展示ブースの紹介があり、休憩に入りました。

次のプログラムは、支部設立からの歩みについて、4人の方から支部設立前からその後の苦労話や全国36支部ある内で第1番目の設立がここ山陰支部だった事。患者が集まる機会が出来た事が不治の病だと先刻された患者にとってどんなに救いとなったかなど涙ぐむ場面もありましたが、当協会理事長からも全国支部の中で長男坊として他支部をひっぱていってもらいたいとの言葉もありました。

このプログラム中で、網膜基金の募金箱をまわしたところ多数の方々より心温まる支援をいただきました。


日本網膜色素変性症協会 金井会長のお話の様子の写真です。


石倉ひとみさんと奥 美和子さんの対談の写真です。ステージ上で長テーブルに二人で座ってお話をしています。

このページの先頭へ

次では、いよいよお楽しみのやまんちゅさんによるトーク&コンサートが始まりました。ボーカルのみんみんさんは病名は違いますが緑内障を持ちながら、コンサート活動を行っています。主には沖縄の音楽が得意のようです。
沖縄の楽器の三味線とカスタネット(?)みたいなもので演奏されました。全4曲の内ふるさと他1曲を全員で歌いました。後で聞いた話では、歌より夫婦漫才(トークの方がうけたとのご意見がありました。やまんちゅさんには内緒の話です。
会場が一つになって盛り上がりました。アンコールでもう1曲歌っていただき終了しました。


やまんちゅさん二人の写真です。ミニスカート?のみんみんさんが歌っています。

このページの先頭へ

今日の最後は、懇親会です。JRPS本部理事長の乾杯のご発生で宴会が始まりました。
まずは、当ホテルの料理長より本日の献立と料理の説明がありました。懐石料理で10品(?)ほどありましたでしょうか。みなさんは、せきを切ったように懇談が始まりました。円卓テーブル内での自己紹介でも始まっているのでしょうか。30分ほど歓談のあと一人ひとり、自己紹介と今の思いについて1分以内でのスピーチが始まりました。

支部設立時(20年前)の思い出を語る方、山陰支部に入会して気持ちの上で救われた事、病気がなかなか受け入れなくて辛かったこと、盲学校の学生生活は、勉強さえなければパラダイス(?)など涙あり笑いありの自己アピールタイムも終わりました。
最後に鳥取難病相談支援センターの佐々木様より一本締めで閉会しました。


懇親会の様子の写真です。会場の後ろから移しています。みなさん楽しそうに語り合っている様子です。

このページの先頭へ

その後2次会では、宿泊の方により話が弾んだようです。女子会で温泉1泊旅行も決まったようです。

翌日12日は、朝食後に定期総会が始まりました。
昨年の山陰支部の活動報告・決算や本年度の活動計画及び予算案が承認されました。

総会の終了後は、ホテル宍道湖の送迎バスに乗車して、宍道湖遊覧船白鳥号の第1乗船場に向かいます。

到着してみると、霧雨が降っているではないですか。涼しくていいくらいでしたので、あまり気にせず、白鳥号に乗船を開始しました。
乗船には、スロープと手すりがありましたので、みなさんは、安心して乗り込む事が出来ました。また、船長さんの何段下がりますとか適切な誘導もありました。
やがて、船は、静かに出航しました。

船内では、観光の説明がテープで流れています。
大橋川に架かる4つの橋、特には、松江大橋の難工事には、源助が人柱になった事や銅像が松江大橋南図目の源助公園にあることです。見た目には河の流れはないように思いますが、結構速い流れがあるようです。
船は、4つの橋をくぐり、嫁が島のすぐ北側を通過します。思ったより島が大きく松の木も何本もあるのが見えます。また、嫁が島の悲しい伝説がテープで流れてきます。
湖面は、なぎ状態でほとんど揺れません。
どの時点でUターンしたのか判らないほどゆっくり走行しています。
あっという間に約60分のクルージングが終了しました。

またの機会には、サンセットクルージングやしじみ漁の時間に乗船したいものです。
船を降りて1泊2日の予定はすべて終了です。


白鳥号の船を外から白い全体を映しています。64人乗りです。船体には黄色いしまねっこのイラストが描かれています。


白鳥号の内部の写真です。船の操縦席隣から後ろを映しています。みなさんは外を見ています。

この後は、希望者で出雲そばと鯛めしの昼食ごに松江城店主に登りました。
雨はだんだん激しくなったり、止むことはありませんでした。
午後4時に解散となりました。本当に長ーい2日間でした。
みなさま、お疲れ様でした。

このページの先頭へ