きたる10月25日、26日を迎えるにあたって

山陰網膜色素変性症協会 広報担当 田中理恵子

2025年JRPS中国・四国ブロック研修会及び山陰網膜色素変性症協会設立30周年記念式典が予定されています。僭越ながら私も司会進行係として参加させていただきます。矢野美和子事務局長の手となり目となり暗躍する予定です。

先日、式典の準備を矢野事務局長(母)としていて、山陰網膜色素変性症協会(JRPS山陰)の歴史の一部を振り返る機会がありました。設立当初から発行していた機関誌を私が読み、母は「あぁ、そうだった。そうだった。」と30年前のことを思い出していました。その時、思い出していたのは活動だけでなく、進行していく自分の病気についての不安、当時勤めていた職場を続けようか辞めようかの葛藤、子育て真っ最中で目が回るように過ぎていく日々などたくさんの懐かしい気持ちが浮かんできたのではないかなと想像しました。

設立30周年ということは設立当時、私は7歳。平成31年2月10日に行われた第11回ロービジョン研修会では、患者家族としてお話をさせていただきました。その時のお話の始まりが「私が7歳の時、母は網膜色素変性症と診断されています。」でした。診断当初からJRPS山陰に所属し、病気とともに生きていくことを仲間と一緒に受け入れていこうと歩んできた30年だったのかもしれません。

設立から30年経ちますが、母の活動量は変わらず衰えず今も精力的なものです。特に矢野健会長が就任されてからは入会者が増え、2022年9月に行われた世界網膜の日in山陰は大盛況でした。全国から参加者の方が松江に訪れ、自らの症状の進行具合や、それにともなうよもやま話がとても盛り上がりました。自県の会の運営についても各県の現状や課題などとても興味深く聞かせていただき、患者当事者が運営する会の存在意義を再確認しました。

専門の先生方が日々、研究してくださっていますが、この病気はなくならないし、進行を止めること、視力や視野の改善は難しいようです。日頃のJRPS山陰の活動を見ていて、特に母の姿を見ていて、原動力はこの病気になった私だからできることを一つずつ形にしようだという想いを感じました。

きたる10月25日、26日の2025年中国・四国ブロック研修会及び山陰網膜色素変性症協会設立30周年記念式典も大成功すると今から確信しています。

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