JRPS山陰の30周年を振り返って

山陰網膜色素変性症協会 安部 利一(あべりいち)(前会長、現相談役)矢野 美和子(現事務局長)

この30周年記念事業は、矢野健会長の企画により2025年度中国・四国ブロック研修会と合わせる形で2025年10月26日に松江市で行うことになりました。

31年前1995年は、日本中を揺さぶる大変な年でした。1月は阪神淡路大震災、3月はオウム真理教団による地下鉄サリン事件。9月には沖縄で米兵3人による少女強姦事件が起こり、日米地位協定問題などに抗議する、85,000人の大集会が沖縄でありました。公立学校でのスクールカウンセラー制度実施開始の年でもあります。

まず、障害年金に関する近年の改正です。視覚障害の認定基準は、視力も視野も、より実態を反映できる手法へと見直されました。また、同じ初診日・同じ傷病で不支給となったのち、5年以内に再請求する際は初診日証明が不要となるなど、手続負担を軽減する改正も行われました。 障害年金の位置付けを理解するためには、健康保険と雇用保険が担う役割を知っておくことも大切です。健康保険には、高額療養費制度や医療費助成に加え、働けない期間の収入を補う傷病手当金があります。雇用保険では、離職後の基本手当(いわゆる失業保険)や、病気で就労できない状態が続く場合の受給期間延長、さらには再就職支援なども利用できます。

そんな年の2月に、RP患者であると互いに知りえた二人(荒木英之、安部利一(あべりいち))が、島根ライトハウス園長、ライトハウスライブラリー館長に働きかけ、協力を得て、最初の集いを開催しました。10人ぐらいだったと記憶しています。まずは、RPの仲間がいることをお互いに確認し、知り合えたことが大きな励みになりました。

そもそものきっかけは、前年5月に山陰中央新報の記事に、視覚障がいで「松江食べ物語(まつえたべものがたり)」という本を出版された荒木さんがJRPS理事であるという記載でした。安部はすぐ荒木さんに電話をしました。実名で語られるRP患者が、島根県東西に二人いることの確認ができたのです。ここからは彼の人脈と行動力で、前述の最初の集いにつながったわけです。まだ本部の組織や定款なども不安定な時期でした。この集いを会として存続、運営していくには、相応の経費、会則、組織化での役割などが当然必要ですが、未経験な者たちの集いです。数年は、島根ライトハウス園長、ライトハウスライブラリー館長、そして荒木さんの経営会社秘書などのお力におんぶにだっこという感じでした。

当時は、今のように誰でも自由に情報が得られる時代ではなく、治療法の研究についても多くはありませんでした。眼科医師から「この病気は治療法がなく徐々に症状が進行し失明に至ることもある」と告げられ、落ち込み、想い悩む日々でした。そんな中、荒木さんが立ち上げてくださったこの集まりがあるおかげで、生活の悩みや落ち込んだ気持ちを本音で話せる仲間ができたことで、どんなに気持ちが軽くなったことでしょう。この会を立ち上げ、いつも「希望を持とう」と励ましてくださった初代(しょだい)支部長の荒木さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

これからは、治療法の研究もどんどん進んでいくと思います。私たちはロービジョンケアを取り入れながら医療をはじめ関係機関の方々と協力して、より豊かな日常生活が送れるようにと希望を持ち続けたいと思っています。

<掲載号:JRPS協会誌「あぁるぴぃ180号」(2026年1月下旬発行)>

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