巻頭言集

変化を「臨機応変」で味方に

会長 矢野 健

皆様、新年おめでとうございます。

昨年1月16日に、日本で新型コロナ感染症が発表されて以来、現在では世界中で7000万人以上の感染者が発生するという、人類誰もが神の与えた大きな試練を受けた年になりました。

難病患者及び目が見えない・見えにくい私たちにとっては、移動・同行支援をはじめとして接触しなければ介助を受けられないため、深刻な事態となっています。こんなコロナ禍の中でも日常生活を送らなければなりません。外出が自由にできない環境の中でこそ、会員同士のつながりを強くしなければと思います。このような時代ではありますが、「臨機応変」な雑草の生き方を考えてみます。

臨機応変という言葉は、そもそもは仏教用語です。仏教の教えは「諸行無常」にあります。つまり、すべてのものは変化していくのです。その変化に対応、自らが変化していくことが大事ではないかと思います。自分の置かれている立場を自ら固定観念を持つのではなく、少しずつではあっても「生活の質の向上」に向かって挑戦していきたいものです。これが臨機応変ではないかと思います。雑草は、環境の変化に適応して自らも自在に変化をします。もっともお手本になるのではないでしょうか。

また、丑年は、よいことの前触れの年?とも言われています。牛は古くから酪農や農業で人間を助けてくれた大切な動物でした。大変な農作業を最後まで手伝ってくれる働きぶりから、丑年は「我慢(耐える)」、「これから発展する前触れ(芽が出る)」というような年になるといわれています。今年は、丑年にあやかって、ゆっくりでも前進すればいいかなと期待を寄せているところです。

コロナ感染防止の「3密」は弘法大師の「三密」の教え?

会長 矢野 健

「三密(さんみつ)」といえば、新型コロナウイルスの集団発生を防ぐための、3つの避けるべき密である「密閉・密集・密接」を思い浮かべる方が多いと思います。もう、耳にたこが出来たことと思います。

ところが、そもそも「三密とは、弘法大師(空海)がひらいた真言宗をはじめとする密教の教え」なのです。ご存知でしたでしょうか?具体的には、「身密(しんみつ)・口密(くみつ)・意密(いみつ)」といいます。これら3つを合わせて、三密というそうです。

しかし、漢字の、身・口・意に着目すると、意味がイメージしやすくなりませんか?

◆身密(しんみつ)とは、身体・行動。

◆口密(くみつ)とは、言葉・発言。

◆意密(いみつ)とは、こころ・考え についての教えです。

新型コロナウイルスの集団感染を防ぐための三密(3密)に加えて、仏教の三密も日常生活に活かせるようになればいいかなと思います。

そこで、「3密」と「三密」との関係性を考えてみます。

◆身密[からだ(身体)、行動]

・自分の行動を見直し、大事なものを見極める。

・自分勝手な行動はしない。自分さえよければそれでいいという気持ちで行動しない。

・みんなのいのちを守る行動を取る。

・できる範囲でからだ(身体)を動かす。

・手を洗い身を清める。

健康に気をつけ、手を洗い身を清めれば、コロナにも対応可能だということを示して います。

◆口密[ことば(言葉)、発言]

・自分の言動を見直し、正す。

・自分の事を棚において人の悪口ばかりを言わない(インターネットに書き込まない)。

・人の揚げ足をとらない。

・電話やインターネットなどを通して友人とたわいもない(他愛もない)話をして気分転換する。

・ありがとうと感謝の気持ちを口に出す。

・うがいをしっかり行い、口を清める。

自粛警察やオンラインにまで目配りされるとは密教恐るべしです。

◆意密[こころ、考え]

・自分のこころの揺れ動きを観察する。

・こころをありのままに見て、自分に気づく。

・一歩立ち止まってこころを見つめる。

・様々な情報をむさぼり、こころ惑わされない。

・自分だけでなく他者に気配りをする。

・今できる範囲で、自分がリラックスできること、こころが豊かになることをやってみる。

・深呼吸をしてこころを落ち着かせる。

何より、こころを落ち着けることです。コロナウイルスは、弱いところを攻撃します。既往症があれば、からだ(身体)を。ストレスがあれば、こころを。社会システムに欠陥があれば、その欠陥を。今こそ、行動を見直し、言葉を見直し、気持ちを見直す機会ととらえ、自分の弱さがでていないか、また、その弱さの結果を「密接・密集・密閉」の中で周りに拡散していないかを見直してみたいものです。

2020年・令和2年は子年(ねずみ年)

会長 矢野 健

元号が平成から令和になり、初めての新年を迎えました。今年は、東京オリンピック、パラリンピックが開催され、障がい者スポーツにも社会の関心度が高まる年となります。

当協会でもこれを好機ととらえて、網膜色素変性症はもとより、ロービジョンについて新たな切り口で社会に訴えていく年にしたいと考えています。また、1995年に発足した総会から数え、25周年を迎える年でもあります。

 2020年干支の「子(ねずみ)」という字は、頭部の大きな幼児の形からきた象形文字です。中国の『漢書』では、「子」は、繁殖する・うむという意味をもつ「孳」という字からきており、新しい生命が種子の中に萌(きざ)し始める状態を表しているとあります。

また、十二支は、もともと植物が循環する様子を表しているので、十二支の一番目ということから、子年は新しい物事や運気のサイクルの始まる年になると言われています。

今年は、運気も加わり飛躍出来る格好の年と考えています。皆様のご支援とご協力を例年に増してお願いを申し上げ、年頭のご挨拶とさせていただきます。

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「災害は時と場所また人を選んでくれない」

副会長 矢野 健

昨年に引き続き当協会の防災研修終了後、すぐに西日本豪雨災害がやって来ました。今回の災害は、広範囲に及びお亡くなりになられた方も約200人、また、おケガをされた方も数多く、いまだに復旧も途中段階です。お亡くなりになられた方に心よりご冥福をお祈り致しますと共に、おケガや避難中の方々にお見舞いを申し上げます。豪雨が去ったと思いきや、今度は連日の猛暑日が続いて気温41℃超えの地域も複数あったりと、高温情報も連日発せられ災害の種類の中に加わりました。熱中症も夏の災害に加わった感がします。今現在の気象状況は、通年の常識を遥かに上回る環境となり私たち障がいを持つ者としては住みづらくなって来たように思います。その中でも私たちは、日常生活を営まなければなりません。

今年は、4年ぶりに米子市での総会及び防災研修会の開催としました。その地域での災害についての取り組み方を学ぶと共に勉強する機会としました。また、地元からも今回新しい患者さんやご家族、多くの関係者の方々の参加があり、意見交換を持つ場や観光を通じて交流もでき有意義な研修会・総会・交流会となりました。鳥取市、米子市でも患者会が立ち上がる事を期待しています。関係者の方々のサポートをよろしくお願い致します。

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【ビックスワン41号より】豪雨緊急危機報道とタイムリーな防災研

ふと目が醒めたが、まだ深夜だ、何気なく時計を見たら4時前でした。どうしてこんな時間にと思うのもつかの間、ものすごい雨の音が耳に入ってきました。

私宅の周りは農家のビニールハウスが並んでいるので、それをたたく雨の音は一段と大きくなることからの目覚めでした。ラジオをつけたら益田の集中豪雨緊急危機の放送です。

5時半ごろだったか、防災無線による地域の広報マイク、激しい雨の音で十分に聞き取れないけど、並行して自宅の防災通報機がけたたましいサイレンと共に、豪雨災害の危域に達するおそれがあり、避難指示の地域名を放送。私の住む地域の避難勧告はなかったが、隣家のご夫婦は「一応避難するから」と出ていかれた。

私はもし避難するなら我が家の二階だと決め、それでも避難準備はしておこうと思って、魔法瓶にお茶を入れ、白杖や懐中電灯などそれなりに準備をし、防災用具袋も出したら中にアルミ箔シートもありました。

実際には、豪雨も断続し比較的短時間であったので、事なきを得ましたが、過日の防災研修会は、正に予期したかのようなタイムリーな研修であったことを思い知りました。講師の山本さん、白崎さんありがとうございましたと、思わず言いたくなりました。

私は、34年前に益田市が水没した時、胸まで水につかりながら階下の人の荷物を上げたりしました。昭和39年には雲南市加茂町の堤防決壊による水没災害。職員の救援に出かけたり、出雲児童相談所が大きな池の中に孤立したため、警察からのボートで子どもたちを避難させてもらいました。

また、昭和47年には宍道湖が溢れ、私が勤務するその畔の児童相談所は床上浸水。新築の我が家は、裏山の鉄砲水によって、擁壁が崩れて隣家を壊し、なお危険ということで女子高の体育館に集落ごと避難しました。

どうも私には水難の相があるみたいです。咽喉元(のどもと)過ぎると忘れがちですが、やはり防災の心構えにはそれなりに役立っているように思います。この度の研修講師のお二人からも指摘されたように、地域の人々に自分の障害状況など知っておいてもらうためにも、普段からの関わりが大切だなと実感します。

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【ビックスワン40号より】障害者差別解消法とコウノトリの蘇り

今日、義務教育ではどんなに障害が重くても就学は当たり前で、どこかの学校に所属しますが、それが可能となったのは今から40年足らず前の1979(s54)年でした。それまでは就学の猶予や免除制度があり、教育対象から外されて自宅か施設生活をしていました。教育の機会均等や個人の尊厳の憲法に照らしても、障害を理由に義務教育の場から外されていることは、教育の受け皿づくりをしてこなかった行政側の責任です。保護者を中心に学識者、意をもつ市民らの長年の運動の高まりで5年間の試行後に、やっと全員就学の義務教育化が遂行されました。

その2年後(1981)に国連で障害者年が制定され、障害者の社会的参加と平等が唱えられ「ノーマライゼーション」の言葉が広く知れるようになりました。

日本の言葉で障害を意味する別の単語は、侮辱的言葉はあっても、私には他に見つかりません。英語では状態・状況を表すいろんな単語があることを知り、改めて日本の障害認識・人権意識の狭さ後進性を思い知りました。障害者権利条約が国連で2006年に採択され、日本が批准したのは2014年で世界の140番目でした。

昨年2016年4月に障害者差別解消法が施行され、松江市においてはこれが真に生活に生かされるための条例策定に取り組まれ、10月に発効しました

この差別解消法が、市民の中へ浸透していくには、私たち障害を持つ者が日常生活の中で意識していかなくては、健常者にはわかりません。これまでのように長い年月はかかるでしょうから、根気強く未来に希望を持ち続けましょう。

今年はトリ年ですが、日本の自然界から絶滅したコウノトリが、再び自然界に戻っていったのは、豊岡市の郷(さと)公園で人工飼育が始まって実に40年後の2005年でした。世界に例のないことであり、飼育員を親として育ったコウノトリに飛ぶことを覚えさすため、飼育員との必死の取り組みがテレビ放映されましたから記憶されている方もあるでしょう。

豊岡市では、世界に知れるコウノトリ研究所、コウノトリを育む豊かな自然環境で作られた出荷米、学校の教育の場、観光スポットなど、コウノトリと人間のそれぞれを大切にした相互関係取り組みの広がり、街づくりに発展しています。

ことほど左様に、障害者差別解消法もいずれは未来に人への優しさ平和な社会につながることを目指して有意義な法に育てたいものです。

JRPS山陰は、今年度の中四国地区リーダー研修の開催当番となったことで、研修のメインテーマとして先進的な松江市の状況を基調に障害者差別解消法について企画し、サブとしては松江市に名高い小泉八雲を取り上げました。内容的にはかなりのボリュームになるので、特集号としてまとめましたからゆっくり目を通してみてください。

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【ビックスワン39号より】サル年の社会参加の広がり

霊長類のゴリラやチンパンジーの赤ちゃんは移動も授乳も常時お母さんにくっついているから泣いて訴える必要がないけど、人間の赤ちゃんは、お母さんから物理的に離されるから、お腹が空いたりおしっこで不快な時には、お母さんを呼び寄せるため泣いて自己主張します。

人間は元々こうして周囲との相互関係性で成長・発達し、社会生活をする仕組みになっているのですが、自己本位な人間のエゴが、その本質の公平性を阻害しています。強者は弱者を支配し、さらに勢力を広げたいと争いに発展させ、それに役立つか否かの判断基準で人間社会に差別が生まれた長い歴史があります。

戦後新憲法によって個人の尊厳が基本であることが唱えられ、支配者によって半ばマインドコントロールされてきた人々の社会文化観は徐々に変化はしてきているものの、歪められた古い観念を拭い去るのは容易ではありません。人権意識においては、日本は後進国であることを認識するのがいいかも知れません。

JRPS山陰の活動は、赤ちゃんが泣いて人間の本質を教えている「暗く不安な未来、みんなで歩めば怖くない」ことに基づいています。孫やひ孫の世代の未来を展望し、近年は、社会的視野を広げた研修や交流対象も広がっています。
こうした活動が人権啓発の活動であり、図らずも島根県の高い評価を得て知事の感謝状につながりました。先ずは、皆さんと共に喜びたいと思います。

今年は間もなくサルのですが、来年は飛べるトリ? 地で生活するトリ? それぞれに相応しい青いトリでありましょう。

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【支部通信第38号より】情報を発信・受信・判断するのは誰か

今年はサル歳です。日光東照宮に掲げられた彫刻像の見ザル聞かザル言わザルが有名ですが、視覚に障害のある私たちは、制限された視覚情報を補うために人や福祉機器のお世話になっています。しかし、流れる情報そのものが制限あるいは統制されていては、どうしょうもありません。それが長い年月であったら、限られた情報でマインドコントロールされてしまいます。

過日、私は40年ぶりに加藤剛や緒方拳らが演じる松本清張原作「砂の器」の映画を見ました。物語は殺人事件の被害者や犯人を割り出すための捜査員の忍耐強い活動ですが、犯人は世界的著名に急成長した若い音楽家であり、政界の大物の娘との婚約者であることを突き止めました。その彼は、ハンセン病の父と浪々の乞食旅をしていた過去を知る人を消したわけです。しかし、彼には忘れようとしても拭い去れない幼少期からの脈絡と流れる思いがあり、それを作曲してオーケストラ公演をしますが、題名は「宿命」です。

かつては政府がライ病の撲滅運動を推進して隔離療養所に強制収容していましたから、当人は元よりその家族や親せきの者も世間との隔絶の中で筆舌に絶する辛苦な生活に追いやられました。これは国策の誤りであったことが公にされて久しいですが、恐怖心を伴っての国民への浸透は容易に修正できません。

第二次大戦終戦以前には、戦争反対の発言は国策の犯罪行為とされ、疑いをもたれると拷問や監獄入り、命との引き換えと恐れられました。未開放部落問題にしても支配者によってつくられた長年の差別問題です。その他にも制限された一方的情報で国民が統制されていることは、現在でもあります。私たちは、こうした統制された情報文化の中にどっぷり浸かって長く生活してきているので、いつの間にか情報に流されてマインドコントロールされた判断をしているかも知れません。

国境なきジャーナリスト協会が評価した日本の報道メディアの自主的自由表現度は、30年前は11位だったのが、最近では87位に落ちてかなり支配者寄りの情報が多くなっているようです。

昭和初期の詩人・金子みすずは、「大漁だと祭り騒ぎの浜の人々の一方、海の中ではイワシのとむらい」と、反対の弱い立場からも捉え、また「昼の星は見えないけど 見えなくてもあるんだよ」と、表の現象だけに囚われないで、その背景や見えない奥をも洞察する必要性を説いています。このことを前述の国策情報やマスメディア情報に照らしてみると、実に意義深い示唆が与えられます。

折しも今年4月から障害者差別解消法が施行されました。障害のある人に対する合理的配慮を説くこの法は、施す側がこれまでの経験はなく情報も極めて乏しい状況の中での実行であろうから、双方が分かり合うための相互の合理的努力配慮によってより円滑な運用がなされるでしょう。

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【支部通信第32号より】明るい先が見える

4歳児を対象にしたこんな心理学の調査実験があります。

「おじさんはね、ちょっと用事があって出てくるけど待っていてね。

その間にこのマシュマロを食べてもいいよ。もし、食べずに我慢して待っていたら、もう一つ上げよう」。

実験の意図は別ですが、結果は二分され、これまで親が約束を守ってくれた体験の多い子は、おじさんを信用して我慢して待ちます。そうでない子は、先が当てにならないから食べるでしょう。

かつて第二次大戦中にドイツナチ軍によってユダヤ人が強制収容所に収容されました。死と隣り合わせの過酷な生活で未来が予測できません。

クリスマスの日が近づくと、その日に解放されるという噂が広がり、多くの人が期待して元気が出たのですが、その日が来ても全く変わらずウソであることが分かった途端、死人や精神疾患など病人が続出しました。

昨年は、ノーベル医学生理学賞にiPS細胞作成に成功した山中伸弥教授が輝きました。 医学界の革命的大発見・大成功で、これまでの常識を破って不可能が可能になりました。

今年3月には、理化学研究所の高橋政代先生をリーダーとしたチームが、加齢黄斑変性症の患者さんにiPS細胞を用いての臨床応用の申請が出されました。

世界初の網膜再生医療が実際に施されるのです。

JRPS発足当時はもとより、近年まで予測つかないことでした。

網膜色素変性症と診断され、進行するが治療法がないと言われ、

未来が見えなくなり落ち込んだ人も多くいたでしょう。

巳年の今年、キライなヘビだけど、しっかり脱皮して抜け殻を残して、次の年につないでくれることを確信的な思いで期待しています。

抜け殻を財布に入れたら財力が増えるというのは、単なる言い伝えのウソですが、何となくそんなこともしたくなる豊かな未来が見えるような気がします。

みなさん、今年も元気でやりましょう。

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【支部通信第30号より】大震災と難病と未来

2011年3月11日は、東日本を襲った大地震・津波による忘れることのできない大惨事記念日となりました。

その日が近づくにつれ被災された方々は再び恐怖、不安、怒り、悲嘆など複雑な感情の呼び戻しと対峙されるでしょう。復興はなされつつあるも瓦礫処理もままならず、避難耐乏生活が続いている状況です。

放射能汚染の被災地はこれから先のことがまったく見えません。

被災地から遠く離れ、安全で安心な生活を送っている者がその方たちの思いを一生懸命に想像しても想像の域を脱し得ません。

また、人それぞれ違います。最近、難病を宣告された何人かの方とお会いしました。

信じて明るい道を歩んでいたところ突然暗闇に入った感じです。

多くの先輩諸氏が体験されたようにショックから不安、怒り、悲嘆、困惑など複雑な感情過程を経ながらもやがて暗闇に目も慣れ、周りにいる仲間の声に気づき新たな力を得られることを期待しています。

私たちは、昨年の一年を表わす「絆」の言葉の通り互いに言葉を交し合い、一方学術研究の進歩に期待することでこれから先には竜のような架空の期待でなく着実に明かりが見えるのです。今年も元気でまた集いましょう。

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【支部通信第28号より】ウサギ年はどんな年に

今年はウサギ年ですね。ウサギにちなんで跳ぶ年にしようと、親は子どもに、先生は生徒に、部長は営業マンに、勢いをつけたい個人は自分自身に、それぞれが年頭に当たって声かけをしたでしょう。

しかし、ウサギはカメと競走で負けたのです。その後、負けウサギは仲間からはずされて、孤独な生活を余儀なくされますが、名誉挽回までの『まけうさぎ』 (斉藤隆介 作) の話があります。

この話から私は思いました。負けウサギはひと眠りのつもりで寝入ってしまい、そこで、気がついたのです。

連日跳べ跳べと走らされて、休みもない毎日で疲れきっていたのです。

でも、ウサギ村は結果と面子を重んじて、過労走の反省もなく負けを罰する文化度の低さです。

なんだか今のわが社会が、それを引き継いでいるように思われます。

過労死、自殺、うつ病や貧困層が増大していても 自己責任で、その背景に思いを寄せようとしない文化度ですね。

ウサギにまつわる民話は多いですね。行き倒れの旅人を助けようと自分を犠牲にしたウサギを 永久に幸せにと、神様が月へ連れて行った話。

悪知恵がばれて 皮をはがれた白ウサギの話。

キツネにだまされて 家を失った野ウサギの話。

難病の臆病を抱えるウサギたちは、不安なため集まって話しているうちにさらに落ち込み、集団自殺をしようと川辺まで行きました。

すると、驚いてカエルたちが川へ飛び込みました。

それを見て、もっと臆病者がいると意気揚々と引き上げたウサギたち。

いずれも弱いウサギで 他から支援が必要です。

私たちは、網膜の難病を抱える弱者ですが、日常生活の質を維持し、向上したいと前向きの仲間がいますし、期待する医療研究があります。

1月30日には京都で、4人の眼科医のそれぞれの専門分野から世界に発信できる日本の最新医療技術についての公開講座が開催されました。

研究の進展状況は、JRPS設立当時はもとより、5年前でも予測がつかないほどの隔世の感があると専門家ですら述べています。

さあ、今年はウサギが喜び跳ねる年になるか、みんなが集まって強いパワーを生み出すことになるか。負けウサギにならないようにしましょう。

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【支部通信第26号より】動物がくれるしあわせ

冒頭から我家の話で恐縮です。

「お父さんは仕事に行くからな、カツは留守番だよ」『ミャー』

<あら、返事している>。

獣医科病院に入院している老ネコを見舞ったいつもの別れ際です。

平素そんな会話を交わして私は仕事に出かけていました。

すると、老ネコは、コタツの部屋に引き返していました。

バイクの音がすると窓から飛び出して、「ミャー」と隣のおばちゃんを出迎え、朝は玄関先まで挨拶に通っていました。

老ネコは腎不全と胸のリンパ腫で施す術がなく自宅に帰り、幼少期に家族入りさせた娘に看取られながら 16歳半の生涯を閉じました。

翌日、隣のおばちゃんや 来訪の際は必ず声かけしていたおばちゃんも、告別に訪れ、獣医科病院スタッフ一同から生花も届けられて感激ひとしお、

「カツ、ありがとう」の思いがこみ上げてきました。

バーレイ著 『わすれられない おくりもの』の絵本を思い出しました。

長老アナグマが亡くなって、悲しんだ動物たちが、それぞれアナグマに教えてもらった思い出を語り合い、「アナグマさんありがとう」と 山の向こうへ叫ぶのです。

ある小学校の子供が事故で亡くなったことにより、要請があって学校へ緊急支援に行ったとき、同級生たちにこの絵本を読み聴かせをしたことがあります。

熊本市にある 大腸・肛門専門病院(高野正博会長・医師)では、動物がもつ癒しの効果を治療に活用する 動物介在療法を取り入れて、痛みの緩和や病気の回復などに効果を上げており、その実践報告が「ペットと癒し」シンポジウム(2008年秋)でされました。

『島根あさひ社会復帰促進センター』(刑務所)では、数人の入所者がパピーウォーカーとなって盲導犬候補の子犬と共に生活していますが、過日その第一期生が盲導犬訓練センターに向かう別れの際には、入所者に涙も見られたようです。

共に生活したそれぞれの将来の社会生活に成果のあることを祈りたいですね。今年11月には、『あさひ盲導犬訓練センター』を主会場にJRPS中四国ブロックリーダー研修会を開催予定です。

今度はペットや癒しでなく、一人前に成長した盲導犬が、ユーザーの生活空間を広げて幸せをくれることを、体験的に学びたいと企画しています。

よかった過去の追憶や未来の不安を乗り越え、前向きに日々を送るために親しく語り合いましょう。

生活者のあなたが主役の自覚

JRPS山陰 会長  安部利一

世の中を単純に二分して、施す者(側)とされる者(側)の視点で捉えて見ていくと、意外なことに気づかされることがあります。
学校では教育する側(先生)とされる側(生徒)に分かれ主役は生徒にあり、個々の生徒が学習し成長していくように教師は教育を施すわけです。近年盛んにマスコミなどでも取り上げられるようになった発達障害児について、通常クラスでの一斉授業では逸脱行動や認知のずれがあったりするため特別支援教育が施されるようになってきました。個々の生徒が主役で、教師と生徒は立場の違いはあるが、互いの権利は縦の関係でなく横並びです。

以前は、先生の指導は絶対で、それが守れないのは、生徒がよくないという世間の風潮であり、親子ともそう思っていたと言っていいでしょう。
医療関係について考えてみましょう。体調を悪くして医療機関を訪ね受診しますと、医者から診断結果を告げられ服薬で様子をみようと言われるのが一般的です。患者は「はい、わかりました」と言いながら、勝手な判断で薬を飲まないからいつも薬は残る。あるいは、病状や何のための薬か疑問があっても、医師には叱られそうで聞き辛い。しかし、医師は患者がいるから医業が成り立つし、病状の変化が詳細につかめてこそ的確な研究治療が可能です。近年は患者の納得がいく診療をするためのインフォームドコンセントの概念が取り入れられるようになってきました。

カウンセリングについては、施すカウンセラーと受けるクライエントの関係は、カウンセラーは自分の価値観を横に置いて、クライエントの思いや気持ちに寄り添わなければカウンセリングは成り立ちません。それはクライエントの主観の問題を扱うからです。医療では精神科や心療内科も同様なことが多いでしょう。

ここで眼科医療について考えると、「見えにくい」「まぶしい」というのは患者の主観です。これまでは視力検査や眼底などの診察を受け、眼鏡をかけるほどではないなどで終わっていましたが、近年浮上してきたのがロービジョンケアです。心療眼科(若倉雅登眼科医)ともいえるでしょう。今、島根県東部がそのネットで動き始めており、今年、鳥取県は行政が動かされてロービジョン外来が設立する運びになったようです。

以前は、施す側に力点・視点が当てられて主役であったのが、時代と共に施される側に視点が移り主役が変化し、縦の主従関係意識が横並びの権利関係に変わり始めているように思われます。

大きく世界の歴史を眺めると、20世紀後半は列強国の植民地であったところが次々独立国となり、19世紀末の1899年オランダのハーグで開催された万国平和会議には26か国の参加であったのが、今や国連加盟国は193か国です。諸会議の議長は、大国からでなく大小関係なく選出されます。

変わりようのない頑なな徴候を示すのは、民に施すさる国の行政であり、その長です。権力者意識で「民」の象形(目を刺して見えなくした奴隷)同然に都合の悪いことは隠し、民意を無視する。民のバリア排除は、田畑の柵を強力な鼻で破壊する猪突猛進みたいです。
でも、時代の趨勢で、上述のように変わっていきますよ。昨年を表す一文字は「災」でしたが、生活者のあなたが主役を自覚することで、「災い」転じて「福」となる本年であることを念じています。

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