JRPS山陰で松江地区お花見会を行いました

奥 美和子

みなさんこんにちは。4月23日(土)に松江地区のお花見会を行いました。松江を出発した頃は曇りでしたが、お昼ごろに美保関の五本松公園では晴れてきました。松江市の福祉バスを利用して、14名と盲導犬2頭が乗車をして、行先は美保関町美保関です。観光は五本松公園と青石畳み通りと美保神社です。当日は、観光ガイドさんに案内をしてもらい美保神社にお参りをして、昔の面影が残っている青石畳をゆっくり歩きながら、観光ガイドさんのお話を聞いていると、昔にタイムスリップしたような不思議な気持ちでした。お昼の昼食は昔ながらのお店で、たくさんのお魚料理でお腹いっぱいになりました。帰りも福祉バスに乗車をして、JR松江駅に到着したのが午後4時ぐらいでした。今回は乗換なしで目的地まで行けたことや、お土産にイカとかアジとか干物を買うことができたので満足のお花見会でした。

ここからは盲導犬ハウルくんの旅日記です。

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☆松江市美保関の「関の五本松公園」に行ってきました!

ハウル@矢野です。

さて、4月23日に松江市美保関町の「関の五本松公園」にツツジを見に行った時の報告です。

島根県の三大民謡のひとつであります「関の五本松節」は、皆様もご存じの方が多いと思いますが、一節歌います。♪ハアー、関の五本松 一本切りゃあ四本 あとは切られぬ夫婦松(めおとまつ)♪

時代は江戸時代にさかのぼりますが、かつてこの美保関港は、日本海を回船する船の今風にいうところのハブ港として栄えました。小高い山の五本松を目印に、船頭さんは船の操縦をしていました。ある日、街道を通られた松江藩主が見晴らしの邪魔になると一本の松を切ってしまいました。当時は藩主に直訴など、とんでもないことでしたので、抗議の意味でこの民謡を歌い、なにげに藩主に届くようにと広めたのがこの歌詞です。現在では、当時の松は台風やマツクイムシの被害に遭い三代目となっています。この公園は、美保関漁港の西の標高100~130mの小高い山にあります。数十年前にはロープウェイがあったそうですが、現在はコンクリート舗装された登山道となっています。道幅は1mもないくらいですので、すれ違うのは無理そうで、「こんにちは」と挨拶をかわして道を譲り合います。また、時折、階段があります。この階段は自然石の階段なので幅も高さもまちまちで、ちょっと手ごわいものでした。登山道の脇に満開のツツジが、息もハアハアときつくなった体を癒してくれました。赤、ピンク、白など様々な色で、ひとつの花が大きいと感じました。例年だと少し早いそうですが、暖冬のせいかもう十分に咲き誇っていました。午前10時30分より、登ること約30分で頂上に到着しました。曇りがちの天気でしたので、眺望は霞んでいて残念ながら360度パノラマという訳にはいきませんでした。頂上には戦没者慰霊塔と小さい休憩所があり、学生さんたちが、カップめんをなぜだか食べていました。晴れた日には、大山、弓が浜半島、隠岐の島など見えるそうです。30分ほど休憩をしてから降り始めました。途中にお土産売り場の建物やトイレがありました。コインを入れて見る望遠鏡は故障していました。階段は降りる時の方が膝にきます。ゆっくりと30分かけて入口まで到着しました。スニーカーで登りましたがトレッキングシューズの方をお勧めします。

予定どおりに12時に昼食は予約してあった旅館でお魚三昧の料理をいただきました。茶碗蒸しにも炊き込みご飯にも海の物が入っていて、みんなご満悦のようでした。

昼食に生ビールと日本酒をいただき、ご機嫌で午後の美保関街歩きの集合場所に到着です。観光ガイドさんがすでにお待ちでした。屋台のイカ焼きの醤油のいい匂いがすでに漂っています。誰かが昼食のあとだというのに買いに行きました。ガイドさんに挨拶をして街歩きのスタートです。はじまりは、えびす様を祀る美保神社前からです。街歩きのテーマは、「神秘の逸話を持つ港町の歴史ロード」です。江戸時代、北前船の寄港地で松江からの宿場町だった頃に敷かれたというこの青石畳の道には、海運業が栄えたこの地方の繁栄の影がしっかりと残されていました。この美保神社の神門通りはわずか250mで路幅は3mにも足りないのですが、当時を想像するには十分なノスタルジックな雰囲気です。この細い路地の両側を昔ながらの建物が囲み、荷物を運んだであろう大八車がやっとすれ違うか心配なほどです。ガタガタの石畳だとどうだったのでしょうか。一歩一歩踏みしめて歩けば、何だか当時にタイムスリップしたかのようなスローな空気に包まれていきます。この石畳、雨の日には、うっすらと青色に変化することから、その名が付いたと言われています。散策途中には、大正時代の佇まいが歴史を感じさせる旅館が7軒、酒屋さん、お醤油屋さん、乾物屋さんなど古き良き時代を感じさせます。与謝野鉄幹・晶子夫妻、高浜虚子、西条八十など文豪も多く訪れた由緒正しい旅館、旧家や老舗の醤油蔵などが並んでいます。お醤油屋さんでは、もちろんお醤油もありますが、醤油味やごま醤油味やもろみ味などのアイスクリームも売っていました。また「ほしもんや」さんでは、いか、のどぐろ、あじなどの干し魚も人の良さそうなおかみさんが応対してくれました。あちらこちらに見とれているうちに美保神社の鳥居につきました。ガイドさんに促されて鳥居の左側を通り、手を洗い口を濯ぎ、いざ本殿へと向かいます。参道の左側にはあの「八百屋お七」の恋人だった吉三郎の墓がありました。江戸からお七を供養してここまで来て亡くなったといいます。この美保神社は、出雲御三社の一つにして、各地に鎮座するえびす様の総本宮です。本殿の一つに大黒様のお妃様が祀られているため、縁結びともゆかりが深く、境内では、紅白で揃う縁結びのお守りも販売されています。大社造りの社殿が二つ並ぶ本殿は「美保造り」と呼ばれています。また、天皇家ともゆかりがあり菊の御紋が縦に四つついていました。本殿に昇る階段が二つありお二人の神様を祭っているからだそうです。普通は真ん中に一つだそうです。したがって、お参りも右側と左側と移動して拝礼します。音曲の神様で、日本最古のオルゴールが宝物殿に納めてあるそうです。また、諸手船神事(もろたふねしんじ)に使われる船も見ることが出来ました。4月7日には国譲り神話の一幕の国譲り神話を海上で再現する「青柴垣神事(あおふしがきしんじ)」には、多くの観光客が訪れたそうですが、それは地元の氏子たちが伝統を受け継いで守ってきたからだそうです。ガイドさんも氏子の一人として関わっているそうです。近くには、島根半島の東端にある美保関灯台もありますが、今回はここで報告を終わります。


慰霊碑の前で記念撮影をしました。

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