平成28年度難病フォーラムが出雲市で開催されました


「365日の紙飛行機」を歌う皆さん

10月23日(日)に出雲市のくにびき大ホールで、難病フォーラムが開催されました。当日は患者家族・関係者で200名ぐらいの参加があったようです。まず始めに、主催者側の出雲保健所の所長様による開会あいさつがあり、次に「難病とは」というテーマで島根県健康福祉部健康推進課、村下課長様のお話がありました。その後に、難病患者さん3名とご家族の立場から1名の体験発表がありました。しまね難病相談支援センターの活動報告と続き、休憩をはさんでアトラクションとしてハーモニカ演奏がありました。このハーモニカ演奏は永年学校の教諭として働き、徐々に視力と視野が進行していく眼の病気をお持ちの方で、演奏の時には奥様の援助を受けながらの演奏でした。ハーモニカもいろいろな種類を持っておられ、曲に合わせて換えられるそうです。演奏をされる一つひとつの曲に吸い込まれていくような気持ちと、また、穏やかでゆったりとした時間を過ごすことができました。最後にボランティアさんの紹介があり、みんなで「365日の紙飛行機」を合唱して終了しました。

当日、患者の立場でお話をされた山根勝弘さんの方から、山陰メーリングリストに以下のような書き込みがありましたので、どうぞお読みください。

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山陰メーリングリストの書き込みより

発表される山根勝宏さん

皆様こんにちは!出雲市斐川町の山根勝宏です。いよいよ昨日たくさんの聴衆の方々を前に熱演して参りました。私の他にクローン病・ALS(筋萎縮性側索硬化症)・パーキンソン病の患者さん・ご家族の方々が体験発表をされて私自身にとっても良い勉強になりました。残念ながら昨日会場に来られなかったという方のために、私が話した内容を下記にアップいたします。

平成28年度島根県難病フォーラム・山根勝宏発表「視覚障害者とリハビリ・まだまだ道半ば」

本日は様々な難病の関係者の方々がお集まりのことと思います。本来私の罹患しました「網膜色素変性症」についての病態などを詳しくお話させていただく必要がありますが、本日は体験発表とのことですので、病気についての詳しいことの説明等は省かせていただきます。

端的に「網膜色素変性症」とは現在我が国において失明の原因となる疾患の上位に数えられております、夜盲や視野の狭窄に始まり次第に視力を失って行くという進行性の難病であります。

視覚障害者はただ単に眼の障害というだけでなく、歩行困難(外出障害)・読み書きが困難(情報障害)・人付き合いが困難(コミュニケーション障害)などが重複した結果「就労が困難」・「社会への適合が困難」という「究極的な負のスパイダル」に見舞われることも決して少なくはありません。ましてや網膜色素変性症などは進行疾患であるため将来をより悲観しがちであります。

今から約20年前(平成8年・24歳)の発病当時の私などはまさしくそんな状態でした。僅かに残っていた視力で日々の仕事、当時は広島で一人暮らしであったので家事をもしながら、徐々に「将来」の方向へ向けて行く、ただこの場合の「将来」というのが現在の仕事であります鍼灸マッサージだけを意味するのではなく、それまでの仕事(国の行政機関における事務職)を続けて行くことをまず第一に考えて、その突破口を求めながらの日々でした。

つい先日までブラジルのリオデジャネイロで行われておりましたパラリンピックで視覚障害のある選手が水泳や陸上協議でメダルを取得するなどの目覚ましい活躍を見せてくれて、私自身も大いに励まされましたが、しかし多くの視覚障害者が直面する問題、それはやはり「就労をどうするか?」これが何をもっても切実な問題ではないでしょうか。

平成8年から平成11年にかけて、点字の習得・白杖を使っての歩行練習・音声ソフトなどを駆使してのパソコン技術の向上などを日々の課題として約四年間取り組みました。が、その中で当時痛感したのは何をおいても視覚障害者のリハビリに関する情報が少ないこと(そもそも社会通念上そのような認識が乏しかった時代でありました)、故に家族や職場など周囲の人たちからは私が「数段離れた世界へ向かっている」ような印象を受けたようで、特に職場の中では孤立を深め、深刻なコミュニケーション障害の状態に陥りました。

そんな日々の生活を送る中で私を現実的な方向へ向けたのは主治医からの「あなたの視力はもってあと10年」との宣告を受けたこと、自らパソコンを購入してインターネットなどで格段に視覚障害に関する情報が入って来るようになったことによります。
視覚障害者に関するありとあらゆる勉強会や地元島根のライトハウスライブラリーで行われた宿泊訓練などに積極的に参加して、徐々に現在の道(盲学校→鍼灸マッサージ)へ向かって行きました。失明宣告を受けてから事務職として継続就労を目指しての四年間、盲学校で鍼灸マッサージについて学んだ三年間、病院や治療院で鍼灸マッサージ師として勤務(修行)の三年間を経て、自宅で鍼灸マッサージ院を独立開業させるまでの10年間が私の視覚障害によるリハビリの期間であったと思います。その10年間の紆余曲折・様々な葛藤など、そのひとつひとつをここでお話しすることは出来ませんが、当初主治医から言われました「もって10年間」を自分なりに悔いがないよう邁進したつもりであります。その中で感じたこと、難病からのリハビリに必要な「人・金・物」についてお話いたします。

「人」とはまずもって己自身であります。己自身が何はなくとも強靱な精神力を持って何事にも当たること、さらに親族・友人・同僚などとのつながりを重視しながら、様々な分野でのキーパーソンになるような人(背中を押してくれるような人)との出会いを自ら求めなくてはなりません。ここにおりますのは私の妻ですが、彼女もまた私にとって「キーパーソンになるべき人物」の一人?!であるかなって思います。

最後に「物」について、視覚障害者の生活や就労をサポートする補装具や日常生活用具、例えば白杖や拡大読書器さらには音声ソフトを内蔵したパソコンや携帯電話などですね!それらをフル活用しながらリハビリに活かしました。リハビリを果たしたとは言ってもあくまで一時的なもので、今後生きて行く中で必ず新たな困難が私たちを襲うでしょうが、あくまで難病による障害は死ぬまで自身によっての克服は出来ないと思います。それはやはり今後の医療技術の進歩による「治療法の確立」なくては難病による障害を克服したとは到底言えません。誰しも限りある人生です!いつとも分からない治療法の確立をただただ待っているわけにも行きませんので、私は以下のことを思いながら日々生活しています。「今を大切に」今出来ることは後まわしにせず全力で取り組む。「決してがんばり過ぎないこと」出来ないことは出来ないから出来ることが人一倍出来るように。「少しぐらい?わがままなくらいがちょうどいい」やせ我慢やストレスは百害あって一理なし。「人に焼き餅を焼かせるくらいに自分を素敵に☆」自分は見えなくとも町の人は自分を見ている。「自分は視覚障害者の代表だ」世の中には様々な病気・障害をお持ちの方や事件や災害の被害者・の方などがおられる。決してひとりよがりになってはいけない。

発表ここまで

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おはようございます!出雲市斐川町の山根勝宏です。矢野さん、布施さん返信ありがとうございます。いやぁ本当に日曜日は朝からものすごく緊張しとりまして(汗)
発表要旨を別メールでアップしておりますが、実際の発表とはかなり違っておりますね。芸能人も実際のコンサートでは原曲の歌詞をわざと違えて歌うことがある?!そう、この日の私もこのような状態でありました!実のところALS(筋萎縮性側索硬化症)の方の発表が実にショッキングで、切実に伝わってきたので、私のちょっと恥ずかしい?!発表をすることにためらいが生じた程です。本当に死と隣会わせの難病もあれば、私らのように単独眼の難病もあるってことですね。今回の難病フォーラムは自分にとっても他の難病を知る良い機会となりました!

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