なんでもコーナー
金メダル!!とったどぉ~!!
専攻科理療科2年 小村貴史
10月22日~25日に岩手県で行われた第16回全国障害者スポーツ大会「希望郷いわて大会」陸上競技に出場し、びっくりの金メダルを取りました。全国NO.1です!!ものすごく嬉しかったです。
岩手への道は大変なものでした。全国大会が岩手であることは知っていましたが、まさか自分が出場できるとは思ってもみなかったからです。まず、5月に行われた島根大会の視覚障がい100mと1500mに出場しました。他に出場者はなく、両種目とも1位でしたが、タイムも平凡でした。6月、盲学校の体育祭で、まさかのふくらはぎ肉離れの重傷を負ってしまいました。入院、リハビリのつらく長い時間を過ごしていた頃、全国大会への出場が決まりました。嬉しい反面、治るのか?走れるのか?また肉離れを再発するんじゃないか?という不安も強かったです。やっと練習を再開できたのは、9月になってからでした。
結局、がっしょで練習もできず、完治もしないまま岩手へ向かうことになりました。出発前には、盲学校で、卓球(STT)で参加の元塚さんと共に壮行式をしてもらいました。これは、手ぶら(お土産も含む?笑)では帰らない!と心に決めたのです。そして、いざ出発です。バス、飛行機、そしてまたバスでの移動は、13時間の長旅。こんなに遠いの!ホテルに着いた頃はくたくたでした。また、岩手は想像を超える寒さ。こちらの真冬並みです。さっぶ~!!
公式練習には小川幹雄先生が、激励に来てくださいました。ますますやる気がわいてきました。開会式には、全国から多くの選手が集結し、すごい熱気でした。感動です!
そして23日。まずは100m競技。出場者数をみて、「これは金メダルが取れるんじゃない?」と欲も出ましたが、足の不安もあり、「完走すればいい」と言う気持ちでした。足にテーピングを巻いてもらい、いざスタートです。号砲が鳴ったとたん、アドレナリンが出まくって、足のことは忘れています。伴走者と必死でゴールを目指しました。そして、なんと1位でゴールしたのです!やった~!!伴走者の方と喜び合いました。表彰式で金メダルをかけてもらったときの感動・・・いいもんですね。しかし、激走のせいか、左足を少し痛めてしまった感じがあり、ケアをしてもらいましたが、翌日の1500mでは、思うように走れず、7位に終わりました。
島根県選手団の陸上の監督、コーチ、そしてなんと言っても現地ボランティアの皆さん、いろいろな方々によくしていただきました。集合場所までの手引き、わんこ広場での買い物等々、競技以外の場面でも大変お世話になりました。その力をもらって、金メダルにつながったのだと思っています。本当にお世話になった皆様、ありがとうございました。陸上競技は、ホテルと競技場との行き来だけで、岩手の観光ができなかったのは残念でしたが、良い思い出となりました。
閉会式は、大変寒かったですが、なんとAKB48のライブもあり、大いに盛り上がりました。最後は岩手県選手団とハイタッチをしながらの退場です。ウルウルとしながら、みんなとタッチしました。すばらしい!超感動!の一言でした。
岩手での6日間ありがとう!!皆さんにもこの感動を味わえるものならば是非味わっていただきたいです。私はまた、出場しメダルを取りたいと考えています。その前に完全に足を治して、練習あるのみです!
最後にお世話になりました全ての方々に、だんだんでした!
出雲市斐川町にある仏経山に登ってきました!
今年のGWはどこへも行かないのかなあと思っていましたが、すごく大風がふいた翌日にお出かけをすることになりました。朝、近所のおじさんとおばさんがぼくとお父さんを迎えにお家に来ました。ぼくは車の後ろの荷物を載せるところにジャンプをして乗りました。お父さんは、トレッキングシューズをはいてお弁当とお茶とぼくのお水をリュックに入れて出かけました。
今日の行き先は、出雲市斐川町にある仏経山で高さは366mです。約30分車を走らせて、出雲市斐川町の仏経山登山者用駐車場に到着しました。ぼくは車から降りると駐車場の脇でまずオシッコをして、お父さんにハーネスをつけてもらい、いざ、登頂に出発です。ほんの近くには山陰道があり車がブンブン走っています。それと、仏経山トンネルもすぐそこにありました。約100mは舗装されています。最後の民家が路は行き止まりです。そこのすぐ手前に登山入口の看板がありました。リードをつけた犬と放し飼いの犬2匹がぼくたちを出迎えてくれました。ぼくは適当に挨拶を返してお仕事モードで登山道を登ります。路幅が50cmもないくらいだし、竹の葉や木の葉が足元には沢山積もっています。それに昨日の暴風で竹が倒れて路を塞いでいました。竹林を過ぎると路には、石ころや木の根っこがあったり勾配は急だったりしてなかなか簡単には登れません。耳をすましてみるとちょろちょろと水が流れる音がしています。山水(やまみず)なのか池でもあるのかは竹や樹木で判別出来ませんでした。あとで、調べてみたら池があったようです。上を見上げると木の葉の間から少し木漏れ日がしています。足元の悪さにお父さんもぼくもハーハーともうせつくなってきました。時々ある20~40cmの根っ子の段差が余計に路を険しくしています。険しい路ですが、時折、広い路幅と平らなところがありました。5分くらいずつ休憩をしながら登ります。山腹には、展望出来るような開けたところまで登ってきました。斐川平野が一望出来ます。出雲空港はもう少し東の方向なのか視界には入りません。よく踏まれた登山道をしばらく進むと、巡視路は直進方向に続いていますが、登山道は右へ分岐します。分岐点には指導標が立っていますので迷うことはありません。山腹につけられた道が続きますが、このあたりからは、急に滑りやすくなるので注意が必要です。見晴らしはないものの、明るい木漏れ日の射す登山道を快適にしばらく進むと、坂の傾斜がきつくなり、ロープの渡された坂道を登ります。このロープは約10mくらいありますが、下半分は直径3cmくらいですが上半分は工事現場のトラロープみたいでか弱いものでした。一層きつくなった路を登ると空が開けて頂上広場に到着しました。登って来た路を下山するのかと思うと気が滅入りそうです。広く平坦な展望広場の中央には南無妙法蓮華経と彫られた石塔が立っています。北の展望を眺めると斐川平野が広がっています。今日は、霞み気味の展望ですが、眼下に広がる景色は美しいですが、頂上周辺に立木があり視界が不十分な感じです。展望広場入口には、案内看板があり、仏経山のいわれが説明してあります。案内にはこう書かれています。
出雲平野から南を見ると、ひときわ高くそびえ立つ山を古くから神名火山といっていました。出雲風土記(733年)に「神名火山という」とあります。神名火の名火は、かくれこもるという意味がありますので、キサヒの神がおしずまりになっている山といわれています。これを今は、仏経山と読んでいます。
戦国時代中国地方に勢力をもっていた武将尼子経久は、この山に十二の寺を建て、薬師十二体を安置し、山の名も仏経山と改めて、尼子家の安泰を祈ったといわれます。神の山が仏の山に変わるという全国的に珍しい山です。
また東の峰には、天保年間に建てられたと言われる石塔があり、新川を開通した時、無縁仏の霊を祀ったものと言われています。斐川町史より。頂上広場を左の方向に100m進むとNTTの中継アンテナがありました。本当の頂上はこの辺りかもしれません。昔も今も一望にみわたして斐川平野を見守っている神様の山なのでしょう。
障害がある人たちと支援技術ー誘導ブロックの事例ー
鎌田 一雄(宇都宮大学名誉教授)
先日、熊野館で開催された「平成24年度JRPS山陰支部 総会&交流会」に家内と二人で、はじめて参加させて頂きました。
この3月まで、宇都宮大学で研究室の学生たちと一緒に福祉に関連する分野で研究を行ってきました。その一部を自己紹介として述べさせて頂きます。
約30年間、視覚に障害がある人たち、聴覚に障害がある人たち、肢体不自由な人たちを対象として、日常生活活動の支援方法を検討してきました。
特に、支援機器類の技術的な開発方法と、それらの機器類が本当に役立つような使用環境などを対象としていました。
ここでは、先天全盲者の歩行支援に関連する事例から認識した課題を述べます。
JR東日本宇都宮駅構内での歩行支援を数年にわたって検討しました。
この検討からは、非常に多くのことを学びました。
その中から全盲者の歩行における空間認識に関連して、視覚が自由に使用できる晴眼者の歩行支援への理解と、全盲者の実際の歩行との違いについて、誘導ブロックを利用した歩行を対象に述べます。
誘導ブロックは、視覚に障害がある人たちが、例えば白杖でブロックを確認しながら経路に沿って、歩行者が行きたい場所へ到達するためのものと考えられています。すなわち、誘導ブロックは、視覚に障害がある人たちへの歩行支援という役割を果たすために敷設されており、伝い歩きができる視覚に障害がある人たちは、誘導ブロックを有効に活用できるという認識が多くの晴眼者に共通する認識と思われます。
歩行訓練を十分に受けて、単独歩行も十分にできるスキルを身につけている先天全盲者に、あまり慣れていない駅の構内を歩いてもらいました。誘導ブロック路は、複雑な分岐を繰り返しながら複数のプラットホーム、トイレなどへつながっていました。一つのプラットホームを選んで、改札口から入って、階段を下りてホームまでの歩行をお願いしました。
経路途中に存在する誘導ブロック路の分岐の一つが、エレベータと、すぐ近くのホームへ下る階段と、さらにもう少し先にあるホームへ下る階段との3つの経路に分かれていました.エレベータすぐ近くにある階段を使って目的のホームへ下りてもらうように歩行者に指示しました。
しかし、 複数回の歩行をお願いしましたが、 指定した階段を使ってホームへ下りることは、一度もできませんでした。
すべて一番離れた端の階段からホームへ下りる経路しか歩行できませんでした。
視覚的な確認ができる晴眼者にとっては、分岐点で、どの誘導ブロック路を選んだらどこへたどり着くことができるか容易に判断できます。
したがって、目的の場所へ至る誘導ブロック路を適切に選択することに何ら問題はありません。ところが、先天全盲者の歩行では、状況が大きく異なりました。
白杖で誘導ブロックを伝い歩きする全盲者は、どの経路がどこへ至る誘導ブロック路であって、目的地へ行くためには、分岐点でどの経路を選択すべきかかという判断は、非常に慣れている経路であれば可能でしょうが、初めての場所、慣れていない場所では、ほとんど不可能です。
すなわち、晴眼者は、誘導ブロック路がどのような構造であっても全体を見渡せば、それぞれの経路の行き先を理解することができます。
ところが、視覚に障害がある人は、今回の先天全盲者のように、白杖を利用していても半径1メートル程度と、非常に限られた範囲内の誘導ブロック路の状況しか解釈できません。
たとえ経路が分岐していることがわかったとしても、歩行者が持っているメンタルマップと周囲の状況などから、目的地へ至る誘導ブロック路が正確に特定できない限り、適切な歩行ができません。
その場に慣れていない限り、分岐点にいても、その先のすべては見えないのです。
視覚的な情報入手に制約がある人たちと、視覚的な確認が自由にできる晴眼者とに大きな違いがあります。この歩行観察を通して、私たちは、視覚に障害がある人たちの空間認知と経路選択は、晴眼者が単純に思い浮かべるものとは大きく違うことを実感しました。
誘導ブロックという歩行支援に関する実験から、なぜ多くの誘導ブロックが、利用者である視覚に障害がある人たちにとって使いにくい、あるいは使うことができないものとなってしまうかを理解できる気がしました。
つぎに、「思考停止」という用語をキーワードにして説明します。
晴眼者は、誘導ブロック路が複雑な形状でも全体を見渡せば、それぞれのブロック路の行き先が理解できます。
さらに、メディアを通した多くの社会的な情報から誘導ブロックは、視覚に障害がある人たちの歩行を助ける道具であることを知ります。
これらから、多くの人たちは、「誘導ブロックがあれば視覚に障害がある人たちは歩行できる」という理解をし、誘導ブロックの概念が固定化し、定着してしまいます。
一度、理解が定着すると、誘導ブロックについて考えることはほとんど無くなります。
これが思考停止という現象です。
何か関連した事柄が自分の中で生じたとしても、固定的な判断で理解してしまいます。
実際に必要な、疑問とか、詳細な議論は起きません。
このような誘導ブロックへの固定的な理解が、非常に使いにくい、あるいは本来の歩行支援機能を果たすことができない誘導ブロック路をたくさん作り出しているのではないかと考えます.誘導ブロック路をデザインし、それを敷設する人たちにとっては、視覚的に経路の判断ができるため、暗黙のうちに視覚による経路確認を想定した誘導ブロック路を作ってしまうのではないかと思います.どうすれば、実際の利用者にとって有効な誘導ブロック路を作ることができるでしょうか?
宇都宮市に住んでいた頃、ある私鉄駅の周辺整備事業で、視覚に障害がある人たちが、誘導ブロック路の敷設も含めたデザインに参加したことがあります。
あとで、整備された駅周辺は、かなり歩き易くなったという話を当事者から聞きました。
思考停止の現象に陥らないためには、それなりのスキルと努力とが必要です。
今回の先天全盲者の歩行観察事例から、次のような要因が重要であると思います。
(1)まず、晴眼者と視覚に障害がある人とは、いまの場所がどのような空間構造であるかという空間認知において大きく異なることを認識しなければなりません.まわりの空間の探索方法と、見渡すことができる空間の広さとが晴眼者と視覚に障害がある人とでは大きく異なることを認識する必要があります。
(2)つぎに、このような空間知覚と解釈の違いを、適切に晴眼者が理解するためには、何をすればよいかを考えなければなりませんアイマスクをして歩行するなどの疑似体験と、視覚に障害がある人たちから、直接、日常生活の状況を聞くことは、有効な方法であると思います。もちろん、うまく行かないこともありますが、
最後に誘導ブロックの事例から、私たちが認識した障害がある人たちへの支援技術、支援装置の実際的な開発に関連する課題を述べます。
誘導ブロックの知覚行動の実験が、これまでに多数行われています。
1枚の誘導ブロックの大きさや突起形状などの構造については、良く実験されています。
また、誘導ブロックを組み合わせて構成した実験的な経路の知覚特性、歩行特性も良く調査されています、これらの実験結果から、多くの有益な知識が蓄積されています。
ところが、実際の誘導ブロックの敷設工事では、本稿で述べたように「誘導ブロックがあれば視覚に障害がある人たちは歩行できる」という固定観念に基づいたデザインと敷設作業になる危険が非常に大きいと危惧します(悪い事例が多数観察されます)。
基礎的な支援技術開発とそこで蓄積された知識が、実際の技術の適用場面では、すっかり忘れ去られてしまい、使用する人の特性と使用する状況などの重要な要因が、上述の「思考停止」という現象によって、まったく考慮されないという結果を招いていると思っています。
この技術開発と開発された技術の実際的な適用との2つのフェーズをしっかりと結びつけることが必要です。このために、「利用技術」という概念が重要と思っています。これについては、別に機会があればお話しさせて頂きたいと考えています。
ライトハウスライブラリー「ホームの安全勉強会」2012年12月16日
【しまねボイスネットの書き込みより】
ライトハウスライブラリー 庄司です。みなさん、こんにちは。
昨日開催した「ホームの安全勉強会」、視覚障害当事者のかた7名、JRや一畑電車のかたが10名、その他、ボランティアでの手引きや、見学のかたなど含めて約20名の参加を頂きました。選挙等でお忙しい中、本当にありがとうございました。
全体は2部構成としました。前半は、もう使われなくなった 旧JR大社駅を使って、実際のホームの高さを体験したり、主要駅の線路脇にある退避スペースがどんなものか、線路上で逃げるときにはどんな場所や方向に行けばよいのかなどについて、JRや一畑電車の担当者さんから説明頂きました。
後半は場所を吉兆館の会議室に移し、ライブラリーからホームの安全設備や視覚障害者の歩行に関する現状をお話しした後、経験者のお話、JRや一畑電車さんから の現状の説明、そしてそのあと意見交換という形で進めさせて頂きました。
今回は、利用者側から単に鉄道会社さんへ意見をするというのではなく、鉄道会社さんには利用者の現状やできることの限界を、また利用する側にも、鉄道会社の取り組みや、現状できることできないことを知った上で、私たちのような訓練やサポートする立場の人も交えて、コミュニケーションをとりながら、ホームがより安全になるようなアイデアを出し、お願いしないといけないことはお願いする、利用者側にできることも考える、というような会になればと思っていました。
実際のところ、形式ばった会議では出て来ない、普段利用されていたり体験されているからこそのコメントや意見が多数あり、それが、鉄道会社さんからのコメントを引き出していたように思いました。
と同時に、利用する視覚障害者も、自分のできる範囲で自分の身を守ろうとすることも大切だなと思いました。
具体的には、白杖の使いかたを含めて、ホームを歩く技術を上げることもありますが、それだけでなく、経験されたかたの意見にもありましたが、自分ひとりでがんばるだけでなく、まわりの人や駅の職員さんを上手に使うことも、また自分の身を守る事になりますね。
とはいっても、例えば誰もいない無人駅などでは、誰かに手伝ってもらうわけにもいかず、ましてや何かのときに助けてくれる人がいない場合もあるので、大きな問題だなと思っています。
実際、無人駅がもより駅というかたもおられますもんね。
もちろん無人駅に人が配置されればいちばんですし、そうなればと思いますが、現実としてそれは難しいと昨日もおっしゃっておられます。
Mさんも書いておられましたが、この点に関しては、100パーセントの解決にならなくても、色々アイデアを出し合うと、ちょっとでも改善できるものが出てきそうだなと昨日のやりとりを見ていて思いました。実際昨日も、実現できるできないはさておき、色々アイデアが出てましたもんね。
長くなりましたが、好評であれば、またこのようなイベントをしたいと思っています。
ご参加頂いたみなさん、ありがとうございました。
大変お世話になりました。おかげさまで、いい会となりました。
「ホームの安全勉強会」に参加して
宇都宮大学名誉教授 鎌田 一雄
昨年12月16日(日)に、ライトハウスライブラリー、島根県視覚障害者福祉協会、JR西日本松江駅、出雲市駅、および一畑電車の皆さんによって実施された「ホームの安全勉強会」に参加しました。
これまでに、視覚に障害がある人たちへの支援に関連した検討を行ったこともありますが、実際にホームから線路におりて視覚に障害がある方々と一緒に話をする機会はありませんでした。
今回の勉強会に参加して、いろいろ考えさせられることもたくさんありました。勉強会に参加して感じたこと、考えたことなどをいくつか述べさせて頂きます。
勉強会では、最初に旧JR大社駅で、ホームから線路におりてホームの高さ、緊急時の退避スペースなどの話をJR西日本、一畑電車の方々から聞きながら、ホームと線路の状況を体験しました。
旧JR大社駅のホームの高さは、いまのホームよりも低いということでした。
線路からホームへ一人で上ることは、通常の人にとっても非常に難しいことが良くわかりました。線路での退避方法についても説明がありました。確実な方法は、ホーム下にある退避スペースの利用だということでした。ホーム反対側のスペースへの退避についても説明がありました。
線路に身体を伏せる方法も話題になりましたが、これは列車の底の高さが十分にない場合もあるので、危険性が高いということでした。
ホームから転落したとき、 視覚に障害がある人は、周りの状況を把握することは非常に困難です。たぶん不可能でしょう。
このような状況で、ホーム下の退避スペースへ移動する、ホーム反対側の軌道間のスペースへ避難するなど、晴眼者にとっては想像できる避難方法であっても、視覚に障害がある人たちにとっては、実行が難しいと思いました。
やはり、ホームから転落しない方策を十分に考えなければならないと認識しました。
旧JR大社駅での体験のあと、吉兆館へ移動しました。
吉兆館では、当事者の体験談、鉄道会社の取り組み、駅歩行のワンポイント紹介がありました。
また、現在、設置が進められているホームドア等の説明もありました。
ホーム転落の経験をお持ちの方々の話を、今回、初めて聞きました。
転落防止は個人だけの問題ではないことが良くわかりました。
視覚に障害がある人たちのホームからの転落等の体験比率は、通常の人たちと比べて非常に高いことが知られています。
ホームドア等の整備が大都市では進められていますが、全国すべての駅ホームの整備には経費も時間もかかります。
ホーム安全の検討では、物理的な対応策と並行して人的サポート、ソフト面の対応の重要さが指摘されています。勉強会では、会社の方々から取り組みについての説明がありました。それぞれの立場で、努力されていることが良くわかりました。
今後、情報通信サービスと人的なサポートとを組み合わせた総合的な支援体制で、より細やかなサポートと安全対策がとれるように改善できる可能性があると考えます。
しかし、画一的な対応策ではなく、当事者や地域の状況に応じた柔軟な安全体制づくりのための検討が、安全で安心できる環境整備には必須であると感じました。
なお、無人駅の安全、安心対策は、地域的な要請の一つであると思います。
ところで、ホームの安全対策は、単に駅を利用する人の安全を保障するだけではないと考えます。
利用者にとって安全な駅は、新たな鉄道利用者(外出者)を誘発する効果もあります。
視覚に障害がある人たち、あるいはいろいろな障害がある人たちだけではなく、高齢な人たちなどの外出も増加するでしょう。
外出は健康の維持にも重要でしょうから、みんなの健康にも役立つと考えます。
今回の勉強会では、当事者から多くの意見、要望が出ました。
JR西日本松江駅、出雲市駅、および一畑電車の方々の姿勢は、非常に前向きであったと感じました。意見交換は、十分に満足できるものであったと考えています。会社の方々の姿勢に、敬意を表します。
是非、ライトハウスライブラリーさんには、今回のような勉強会を継続的に企画して頂きたいと思います。関係者がみんなで一緒に考える場が、より良いものを作り上げるには絶対に必要です。
島根県警本部に見学に行きました
ハウル@矢野
9月19日(金)に島根県警本部に見学に行きました。
まず、県民会館前のバス停で集合し、参加人員が揃いましたので、昼食場所のサンラポーむらくもに向かいます。
ぼくのお友達の盲導犬も少し遅れてやってきました。「ストレート ゴー」ごあいさつもそこそこに歩きだします。
「とおりゃんせ」のスクランブル交差点を左折します。
お店に入り、一番奥の席に案内されました。
お父さんたちは、日替わりランチ(洋食・和食・どんぶり)、ワンコインランチを注文します。
ぼくは、テーブルの下でお腹がすいているのも我慢してダウンして待ちます。
食事が出てくる間に お父さんたちは、出雲弁なのにそれが共通語だと信じ切っていた話をしています。ぼくには出雲弁はわからないなあ。
やっと、ランチが終わり、お店を出て、今日の目的地の島根県警本部に向かいます。
道路から駐車場を通り7段の階段を登り玄関に入ります。
ロビーに広報県民課のおねえさん(?)が出迎えてくれました。ぼくたちは、ごあいさつをしておねえさんの案内で7階に行きました。一番上の階のようです。おねえさんはとてもお話上手でおじさんのだじゃれにもジョークで返します。立派だなあ。
あらかじめ送付してあったお父さんたちからの質問に次々と答えていきます。
質問の内容は、音響信号機の「ピヨピヨ」は東西、「カッコウ」は南北に統一されているとか誘導ブロックは県土木工事の敷設要領に準じて敷設されているとか約20項目ありました。
お父さんの質問は、警察では、視覚障がい者の採用はありますか?でした。警察では、書類を見ての仕事が多いので採用は一人もありません。との回答でした。お父さんはすごく残念そうでした
質問タイムが終わり、今度は、交通管制センターのお部屋に移動します。
部屋の正面には、島根県の大きい地図に道路がかいてありました。信号機についているカメラで渋滞を自動的に感知してランプでうつしだされていました。ランプが一つ点灯すると300?500m渋滞だそうです。
現在では、渋滞が起こらないようにコンピューターで自動制御されて信号の時間が早くしたり遅くしたりしているそうです。いつも同じ間隔ではないんですよ。まだあります。
路線バスは信号待ちの時間が少ないそうですよ。近づくと、信号機が割とすぐに青信号に代わるそうです。知らなかったなあ。
ここには、ラジオやテレビで放送している「道路情報センター」がありました。
今日は、深井 泉さんはお休みでした。うーん 残念!
もう一つの部屋は、「緊急指令課」に案内されました。
ここで、島根県中の「110番」を受けているそうです。電話は、二人一組で受けると聞いたらすぐに関係警察署に指令を出す人です。電話は5台あるそうです。災害時などは、繋がらないこともあるそうです。
110番に電話をすると「事件ですか?。事故ですか?。」と聞かれます。もし、110番したときには、とにかく落ち着いて聞かれたことに答えればいいようになっています。まずは、落ち着いて聞かれた事に答えればよいそうです。
例えば、視覚障がい者で車の色やましてナンバーなどがわからなくても音や他に気が付いたことでいいので情報をお話すればいいとのことでした。少し安心しました。
家の電話などで非通知設定してあっても警察では番号がわかるそうです。いたずら電話はやめましょう。
携帯電話でも位置確認ができる機能付きや防犯ブザーも有効だそうです。
帰りには、パンフレットと足首に巻く反射テープをいただきました。足首に巻くのが有効だそうです。
今日は沢山のことを知りました。色々な処に訪問するとぼくたちのことも知ってもらえるしいいことだなあ。
お父さんにもっと連れて行ってもらえるといいです。
「北海道旅行2013」
みなさまこんにちは。松江の岩谷です。
夏休みに入ってすぐの7月22日から3泊4日で北海道旅行に行ってきました。
今回の旅行は私が治療院を設立して10周年のメモリアル旅行で、私一家と従業員との計9人の団体旅行です。
1年前から計画し、プロジェクトゆうあいさんがやっておられるバリアフリーツアーの協力を受け、北海道旭川のNPO法人「旅とぴあ北海道」さんを紹介して頂きました。
この旅行一番の難問は視覚障害者5人と小学生3人・幼児1人でどのように行動するかでしたが、すばらしいサポートのお陰で思い出に残る最高の旅となりました。以下日程ごとの内容を記します。
7月22日(月)
朝9時半の飛行機に乗るため8時前に集合し松江駅に向かいます。
とここでいきなりハプニング発生。出雲空港行きの連絡バスに乗るのですが、バスが来る2分前に下の娘が「おしっこが出る!」でトイレに猛ダッシュ。少しだけバスに待って、もらい何とか乗りこむことが出来ました。
ヒヤヒヤのスタートでしたが、子供たちは初めての飛行機です。離陸の時の加速でまたまた悲鳴が上がってました。しかし下の娘だけは飛行中に「いつになったら飛ぶの?」と大ボケです。
羽田での乗り継ぎも空港職員さんにサポートしてもらいながらスムーズに出来いよいよ北海道上陸です。
午後1時過ぎ、旭川空港に降り立つと…暑い!
この日の気温は30度。松江とほとんど変わりません。でも湿度が低く気持ちの良い暑さです。
ここで旅とぴあのスタッフの方2名とお会いし、大型レンタカーに乗り出発です。
旅とぴあさんには連日2名の方にサポートして頂き、運転とガイドをして頂きました。
地元の方なので観光地の順路や近道など無駄がありません。
また、レンタカーなので途中の休憩や買い物など気軽にお願いできます。
この日は辺り一面畑が広がる美瑛町を観光です。
畑の中にポツンと立つ「ケンとメリーの木」を見学し、「北西の丘公園」でおやつタイム。とうもろこしやアスパラガス・コロッケなどを食べました。
その後移動し地元農協がやっているアイスクリーム工房でアイスクリーム作り。濃厚なアイスを食べた後は幻想的な人工池「青い池」を散策しました。
その後に初日のお宿のペンションにチェックイン。2匹のゴールデンレトリバーと小さなわんちゃんに出迎えられ、美味しい食事と澄んだ空気を堪能しました。
7月23日(火)
朝9時半旅とぴあさんが迎えに来られ出発です。
まずは「四季彩の丘公園」。辺り一面の花畑でラベンダーやひまわり・ナデシコにコスモスと季節毎の花が咲き乱れています。
美味しいソフトクリームを食べ次の目的地へ。とここで移動の途中に車を停めジャニーズの嵐がCMで使った5本の木、通商「嵐の木」に立ち寄り写真撮影。その後に富良野に入り「富良野チーズ工房」でチーズを試食し「富良野マルシェ」で食事と買い物、「富田ファーム」で見渡す限りのラベンダー畑を堪能しました。
富良野を後にしこの日のお宿のコテージに移動です。夕食は旅とぴあさんに準備から焼き方まで協力して頂きバーベキュー!
ホタテのバター焼き・車エビ・ホッケの開き・イカ・富良野豚の串焼き・手羽先・ジンギスカンを富良野地ビールで頂き大感動!そして仕上げはイクラとウニの丼!北海道に来て良かったぁー!!
7月24日(水)
朝9時半に迎えが来て出発。
この日はまず「クラークホースガーデン」にて乗馬体験です。
湧き水が出るのんびりとした所にある牧場で、9人全員が馬に乗りました。馬の背は高かったですがとても心地良くまたやってみたいと思いました。
とここでハプニング発生。乗馬をするために脱いだ上着をテーブルに置いておいたんですが、帰ってくるとなくなっています。どこを探しても見当たりませんでしたが…ありました。放し飼いになっていた黒のラブラドールがくわえて小屋に持ち込んでいました。朝着たばかりの新品だったのに…
お馬さんに人参をあげ、おいしい湧き水を頂いてから「旭山動物園」に移動です。
透明なトンネルの中を泳ぐアザラシ・プールを泳ぐ白クマ・アクロバティックに動き回るチンパンジー・この動物園にしかいないオオカミ…と見て回りました。しかしこの暑さのせいでどの動物もちょっとバテ気味のようでした。
おみやげを買い込みお宿へ移動。2日目から連泊ですので同じコテージです。
最後の夜はコテージを管理するホテルで温泉に浸かりコース料理を食べました。コテージに帰ってからも盛り上がりましたよ。
7月25日(木)
いよいよ最後の日。朝9時半に迎えに来てもらい出発です。
宿泊した所から車で10分のところにある農家さんで「さくらんぼ狩り」をさせてもらいました。
例年だともう終わっている時期ですが、今年はまだ残っていたため体験することが出来ました。
高さ5メートルくらいある木にぶらさがっているさくらんぼを脚立やカギ棒を使いながら取っていきます。
とここで最後のハプニング発生。脚立を押さえていた旅とぴあスタッフの方が木の上にいる大きなアオダイショウを発見!さくらんぼ狩りどころではなくなってしまいました。
落とそうかどうしようかと思案している最中にそのスタッフの方が脚立に登って行きます。叩き落とすかと思いきやなんと素手で捕まえてしまいました。
捕まえたヘビを触らせてもらった後におみやげのさくらんぼや野菜をどっさりもらい農家さんを後にしました。
そして最終目的地「旭川ラーメン」を食べるため空港近くの人気店に寄り北海道最後の味を堪能しました。
いよいよ別れの時です。結局旅とぴあさんには総勢7名の方に協力して頂き、みなさんのお陰で体験したことのない本当に感動出来る旅をすることが出来ました。「今度は是非冬に来てください」とのことなので「いつか必ず来ます」と約束し帰路に就きました。
今回の旅は私にとって大きな自信になりました。一人での移動も助けを借りながら出来る事が判ったし、行った先にはこんなに協力なサポータの方がおられます。バリアフリーツアーの制度を使いこれからどんどん出掛けて行きたいと思います。
あなたにきくつぼ
山根 勝宏
◆二日酔い
年末から年始にかけては、お酒を飲む機会が増えるものです。
気の合う者同士で飲むと、つい調子にのって飲み過ぎてしまい、二日酔いになってしまうこともあるでしょう。
二日酔いの症状は様々で、体がだるい、胃がむかむかする、頭が痛い…など、いずれも不快感を伴うものばかりです。
自分の症状に有効なツボを覚えておくと便利です。
胃のむかつきからくるはき気には、腹にある期門(きもん)、背中にある肝兪(かんゆ)、胃兪(いゆ)などが有効です。
まず腹の期門(きもん)を押すと、胃のむかつきが落ち着いてきます。
胃のむかつきがおさまってきたら、背中にある肝兪(かんゆ)、胃兪(いゆ)を刺激して、内臓の働きをよくします。
頭痛が伴う場合は、頭にある百会(ひゃくえ)、首にある天柱(てんちゅう)を押すとよいでしょう。
<二日酔いにきくツボ>
- 期門(きもん)
- 乳首の真下、肋骨と腹の間にある。右が肝臓、左が胃に有効。
- 指圧法…椅子に座り、両手の人差し指、中指、薬指で肋骨の裏側に差し込むようにして押す。適宜。
- 肝兪(かんゆ)
- 肩胛骨の左右を結んだ線の中央の2ブロック下、そこから左右指3本分の位置。
- 胃兪(いゆ)
- 肝兪の指3本分下の位置。
- 指圧法…背もたれのある椅子に座って、ゴルフボールを背中で挟んで刺激する。適宜。
- 百会(ひゃくえ)
- 頭のてっぺんにあり、左右の耳を結んだ中心にあるツボ。
- 指圧法…手の親指を「く」の字に曲げて指圧する。適宜。
- 天柱(てんちゅう)
- うなじの中央の髪の生え際から指1本分上、さらに左右に指3本分ずらした位置にあるツボ。
- 指圧法…両手の親指で、頭を持ち上げるようにして刺激する。適宜。
胃もたれにきくつぼ
食べ過ぎや飲み過ぎで、胃に過剰な負担がかかると胃が重くなったりムカムカしたりしてきます。
胃もたれは、胃の消化機能が衰え、大きな負担がかかることになるので、食欲不振などの症状になって現れます。
胃もたれの症状を早く抑えたい場合には胃に直接働きかけるツボを刺激しましょう。
以下のツボは、いずれも指やゴルフボールなどを使って適度に刺激するのがベストです。適度な刺激によって胃の働きが高まってくるので、胃の消化・吸収がよくなります。
しかし、ツボに頼ってばかりいても体のためにはなりません。日頃から規則正しい食生活を心がけ胃もたれを防ぎましょう。
- 足三里(あしのさんり)
- 足の外側、膝の関節の下指4本分の位置で、筋肉が一番高く盛り上がったところ。
- 指圧法…両手の親指の腹でグッと押し込む。またはなでてもよい。5~6秒ずつ適宜くり返す。
- 裏内庭(うらないてい)
- 足の裏側で、人差し指と中指のつけ根のふくらみの部分。
- 指圧法…指で強く押す。力が入りにくい場合はゴルフボールを踏んで刺激を与える。適宜。
- 不容(ふよう)
- みぞおちの両側にある部分。
- 指圧法…仰向けに寝て膝を立て、お腹の筋肉をゆるめて指圧する。両手の人差し指、中指、薬指を重ねて指圧する。適宜。
不眠にきくつぼ
何か心配ごとや気がかりなことがあって、夜眠れなくなるのはつらいものです。「眠れない」という不安感から、さらに眠れなくなってしまうこともあるのです。
特に何もなくても、なかなか寝つけない場合もあることでしょう。
心配ごとなどがあって、精神的に不安定なときは足や足の裏のツボがよいでしょう。精神的な不安が何もないのに眠れないときは、首の鬱血が原因である可能性があります。
不眠の原因のほとんどが、ここにあるといわれていますのでこの場合は首のこりをとり除くツボを刺激しましょう。
いずれも「眠れない」と思っていても案外眠っていることが多いので、あまり神経質にならないほうがよいでしょう。
不眠にきくツボ
- 三陰交(さんいんこう)
- 足の内側のくるぶしの上端から親指以外の指4本分を揃えた幅の上にあるツボ。アキレス腱寄りの位置。
- 指圧法…息を吐きながら、両手の親指を重ねて(片方の手だけでもよい)グーッと押し込む。5~6回くり返す。不眠でお困りの方へ
- 失眠(しつみん)
- 足の裏のかかとの中央にあるツボ。精神的不安によい。
- 指圧法…たたいたり、親指で押してもよいがゴルフボールを踏んで刺激を与えると簡単。
- 安眠穴(あんみんけつ)
- 耳たぶの裏側のつけねにあるくぼみの横筋にある、後頭部寄りのツボ。首のこりからくる不眠によい。
- 指圧法…親指でゆっくりと押し込む。5~6回くり返す。