Binchanこと山本敏一さんのプロフィール
紀北で治療院をいとなむ傍ら運動不足解消にと気軽に始めたランニングに
はまり伴走者との親交から『伴走ローフ絆』が文字どうり『絆』となりホノルルマラソンにまで発展する感動の手記です。
〜Binchanの見えない眼でのmarasonn奮闘記(絆編)〜第1回
突然ですが、みなさんは、「伴走」って知ってます?
眼の不自由な者がマラソンをするのって色々な工夫がいるんですよね。って言うか、見えなくて走れるの?と思われる方が殆どでしょうか。
最近は、マラソンブームも影響してか、ブラインドランナー(視覚障害ランナー)の方々も増えているんですよ。
そんな私達の走るお手伝いをしてくれるのが「伴走者」と呼ばれる方々です。
1本のロープや紐の両端を互いに握りしめながら走りながら段差や曲がり道やコースの様子を教えてくれたり他のランナーとぶつからないように誘導しながらスタートからゴールまで伴に誘導してくれるんですよね。
このロープや紐のことを「絆」と呼びます。
お互いに1本のロープや紐に友情と信頼を載せて、ひたすらゴール目指して走り続けるからでしょうね。
正に、ブラインドランナーと伴走者の絆そのものと言ったところでしょうか?
そのきっかけは、運動不足のため歩き始めただけだったんですが。
ふとしたことから6年前に「伴走者」との二人三脚がはじまりました。
ただ、見えていた頃のように、爽やかな風を感じて見たかっただけなんですがね。
気が付けば、2人から3人に3人から5人に5人から8人と…
いつの間にか「伴走仲間」の輪が広がり4キロ、5キロ、15キロ、15キロそしてハーフ、と興味は尽きず走り始めて3年目の秋にして、とうとう57歳で初めてのフルマラソンを完走することが出来ました。
今までスポーツとは無縁の私が、全く見えない眼で、大阪の街を爽やかに駆け抜けることができたなんて夢のようです。
これも全て暑い時も寒い時も苦しい練習につき合ってくれた「伴走仲間」や大会を共に走り抜けてくれた、その時々の大勢の「伴走者」に恵まれたお陰です。
決して奇跡でもなく、自分ひとりでは果たせない夢でした。
その後も紀州口熊野・神戸・ホノルルマラソンと「伴走者」と共に色々なところを走り抜けてきました。
ホノルルは初めての海外と言うこともあり少し緊張もしましたが、みんなで数年越しに温めてきた夢が叶い最高の感動を味わわせてくれました。
走りはじめた頃からは想像すらできなかったことです。
いつまでも尽きることのない友情と信頼に乾杯。
「後悔とはできなかったことにではなく、やらなかったことに対して抱くもの」なんて言う言葉がありますが、これからもこのかけがえのない「伴走仲間」と共に、悔いのないように無限の可能性に向かって走り続けられれば最高です。
by.Bin
Binchanの見えない眼でのmarasonn奮闘記(Honolulu編)第2回
ホノルルマラソンの始まりは、1973年(昭和48年)って知ってました?最初に走ったランナーは162人だったそうです。今年は40年目の記念大会。エントリーランナーは、3万数千人。その内、日本人は、半数近くと言いますから日本人に1番馴染みのある海外マラソンかも知れませんね。1977年からは12月の第2日曜日の開催として定着したそうです。
そんな記念の大会に出場出来る喜びを噛み締めて。日本時間、2012年12月7日(金)午後9時15分ハワイアン航空機で関西空港を離陸。5人で、と言っても走るのは4人、1人は10qを完歩する予定です。
私にとっては、生まれて初めての海外です。時差の関係で、日本では、12月9日ですが、12月8日(金)、朝9時過ぎにホノルル空港に到着。金曜日の夜に出発したのに逆に金曜日の朝到着なんてまるでタイムマシンに乗った感じでしょうか。時差は19時間あるそうです。日本のほうが、19時間進んでいるんですね。生まれて始めての時差を体験。何から何まで初体験です。
ホノルル空港に着くと旅行会社の社員が出迎えに来てくれていました。その足でコンビネンションセンターへ直行。ここで、5日間の過し方やマラソンに向けての説明や登録を済ませると早々に、ワイキキパシフィックビーチホテルへ。名前の通り、ワイキキビーチが歩いて5分程度の所に。既に数日前から滞在している何人かが、街をランニングしています。現地の気分はもうホノルルマラソン一色のようです。翌日の朝7時から、アラモアナビーチ公園で、早朝練習会があると言うので、鉄人君(h君の愛称)と2人で爽やかな風を楽しみました。
いよいよその瞬間が来ました。ホノルル時間、2013年12月9日(日) 午前2時起床。まだ、暗闇に包まれる中、早々に朝食を済ませて3時30分スタート地点に向けて出発。スタートから5km位までは、朝4時半には、応援する人
も含め約3万人
が集まるそうです。スタート地点に着くと既に大勢のランナーが集まっています。「4時間〜4時間30分」「4時間30分〜5時間」と、案内板があるので、ランナーは、それぞれ自分の予想タイムの場所に並びます。最後尾ランナーがスタート地点を通過するには20分以上かかることもあります。2000年からチップ(シューズに取りつけてコンピュータがタイムを記録)を採用するようになり、スタート地点までのロスタイムはなくなりました。あまり前に並ぶと、速いランナーに押され危険です。たまたま、私達が並んだ列には関西方面からの大学のクラブチームなどがいて、関西弁が聞こえます。こんな所で、関西弁を聞くと、何だか親近感が沸いてスタート前の緊張感が少し和らぎます。いつものことですが、スタート前のトイレはかなり混雑していて、なかなか順番が回ってきません。今回も例外ではなかったようです。
いよいよホノルル時間12月9日(日)午前5時。アラモアナビーチ公園前を、大音響の花火を合図に超人ちゃん(Kちゃんの愛称)の伴走で、スタート。彼女は10q・15qを何度か完走したことはあるもののフルは未知の世界。初めてのフルマラソンに挑戦の瞬間です。10q位までは、彼女の伴奏で行く予定。その後は、一緒に併走してくれている宇宙人さん(tさんの愛称)が、10qからゴールまで、共に走り抜ける予定です。彼女は、徳島でのフルマラソンを1度完走しています。それも台風の中、暴風雨警報が出ている中での完走ですからすごい忍耐力の持ち主。トイレに行っていて後ろからスタートした鉄人君は、既に姿はありません。彼は、フルを数え切れないくらい走っているベテランランナー。もう、かなり前を走っていることでしょう。それに引き換えこちらは、ウォーミングアップを兼ねてゆっくりスタート、先は長いのです。「マイペース、マイペース」と何度も自分に言い聞かせての走り。アラモアナショッピングモールを横目に、走り始めて、4km地点あたりは、大きなクリスマスツリーw)「妊薀ぅ肇▲奪廚気譴討い襪茲Δ納造妹採錣世修Δ任后・修Ω世┐个海舛蕕蓮▲・螢好泪好癲璽豹燭誕・罅1・腓凌瑤眤燭・董・覺屬鮖廚錣擦詁・錣い任后・・w)w)・ぢkmから10km
カピオラニ・ブルーバードからピイコイ・ストリートに曲がります。再びアラモアナ・ブルーバードをワイキキへ。左にアラモアナショッピングセンター、右にはアラワイ・ヨットハーバーがあります。カラカウア通りに入り、ワイキキの中心が約8km地点。ゴール地点のカピオラニ公園を右にして、モンサラット通りを左に行くと10km地点。ここで、伴走が交代。いよいよ宇宙人さんとの苦しい32qの始まり。道路センターラインのプレートに足を引っ掛けないように、気をつけながら。超人ちゃんのこれからの奮闘を祈りつつ徐々にスピードアップ。笑顔のゴールを願って、彼女とはここでお別れです。
Binchanの見えない眼でのマラソン奮闘記(Honolulu編)第3回
10qから15km
モンサラットからパキ通りに入り、12km過ぎあたりが、ダイヤモンドヘッドの登りです。このあたりは道が狭く、それに車いすランナーとすれ違うためかなりの混雑です。無理して走ると心拍数が上がるので、「早足で登る」くらいの気持ちで行くことに。
このダイヤモンドヘッド以外は、ほとんどフラット。つまり往復各1回登りがあります。右手にはオアフの南海岸が広がっていて、丁度、海から旭が登りこの辺りの景色とマッチしてとても綺麗だそうです。
この日の夜明けは、朝7時頃。「うわぁ、綺麗」伴走が、思わす声をあげる。この景色に魅入られるようにランナーの何人かは足を止めて、記念撮影をしています。ダイヤモンドヘッドを登りきった頃、1位のランナーが既に帰って来ました。ツライ坂を登りきると、そこからしばらく下り。だからといって「登りの遅れを下りで取り戻そう」と考えてはダメです。まだまだ道則は、長いのです。
15kmから20km
ハイウェイ手前のカハラモールあたりまで、けっこう下りが続きます。
カラダも軽く感じ、スピードを上げたくなる気持ちを抑えつつ、吸水は小まめに取るのが、体力を落とさない1番の方法だそうですから、16q辺りで、最初の吸水タイムを取る。約17kmのカハラモール前付近に簡易トイレが、たくさん並んでいて、ハイウェイに出るとトイレはしばらくありませんから。大勢のランナーが順番待ちをしているようです。それを横目にひたすら走ります。
20km〜25km
空腹によるペースダウンを防ぐために、21q地点で、持参していたバナナを、伴走者は栄養ゼリーを。ここまでのタイムは、約3時間。いつものペースに比べると、かなりのスローペースです。
時刻は朝8時、これから益々暑くなってきます。このままでは目標の5時間切りは難しいかも。思いは一緒、お互い少しペースが上がります。ハイウェイに入ると単調な道が続きます。ものは考えよう。
「まだ半分もあるんだ」ではなく「もう半分も来たんだ」と思うことにしました。
25kmから30km
長かったハイウェイを左に曲がりハワイカイドライブへ入ると、すぐに25km地点。住宅街の回りをグルッと1周して、再びハイウェイへ出て折り返し。往路の人たちとすれ違い、優越感を味わえる瞬間です。
その往路の中にあの超人ちゃんがいました。感動で、思わず歓声が出ます。軽やかではないもののまだ足は止まっていないようです。それに帰って来る声がまだ元気です。先ずは、ひと安心。でも、こちらもかなりのダメージ。脹脛と太股が、ギシギシ軋んできますこの辺りから熱射病対策もしないといけません。
スタートから4時間もすると、陽射しが強くなります。陽射しは、前から受けるより後ろから首に受ける方が体力を消耗するそうです。帽子を、ツバを後ろにして首を陽射しから守ると効果的だそうです。
今回はここまで!!!次号で最終回になります!
Binchanの見えない眼でのマラソン奮闘記(Honolulu編)第4回
30kmから35q。
「フルマラソンは30kmから」といわれます。
オリンピックに出るような一流ランナーでも、ガクッとペースが落ちることがあります。原因は、練習不足、オーバーペース、空腹…など色々。でも、あと12km、ここからは気力との戦い。走っていると気がつきませんが、33km地点ぐらいから、
ゆるい上り坂が続きます。左前方にはダイヤモンドヘッドが。
34q辺りに差し掛かった頃です。伴走の彼女に異変が。今まで軽やかだった足が突然止まってしまいました。右足の太股の付け根が痛み、走ることも歩くことも出来なくなってしまったのです。それでも20分程休憩を取り様子を見ながらジョギング。それも束の間、故障は大きいようです。今度はしゃがむことすら出来ない状態。いつも強気の彼女が、「申し訳ない」と自棄に弱気です。後続の超人ちゃんを待って彼女に伴走を交代してもらうか、ここでリタイアするか。
いろんなことが頭を過ぎります。みんなで完走を胸に4年越しの計画で、遥かここまで来たのです。苦しい時、楽しい時、何でも共有してきた仲間。快復を待つこと40分程。何とか歩ける程に快復しました。「あと8q、歩いて完走を目指そう」を合言葉に、ゴール目指してひたすら歩きます。振り返って見れば、このハプニングを乗り越えたことで、より充実し、より大きな感動に繋がったのかも知れません。
35qから40q。
ハイウェイからケアラオル通りへ入る所が35km地点。特設ステージがあり、フラダンスや歌を披露してくれています。救護所もあり、筋肉消炎剤やワセリンなどを用意しています。道路上方からカメラマンが、「辛くても笑顔で」と叫んでいます。ここを過ぎてしばらく行くと撮影ポイントがあるようです。沿道では色んな人が応援してくれ勇気づけられます。時には声をかけてくれたり、時には飲み物や食べ物を差し入れてくれたり。
38q地点あたりからダイヤモンドヘッドの登りに差し掛かります。道が直線のため、遥か先のランナーまで視界に入ります。否が応でもテンションは下がりますが、「この坂を登れば、あとは下り」と思えば気分的にラクです。登り坂は、腕を大きく振ると自然に脚が前に出ます。
40qからゴール。
坂を登りきって少し下りに入ったところが40km地点です。この辺りから伴走の様子を見ながら少しずつ走り始めます。それにしても凄い快復力、さすが彼女が、宇宙人と言われる由縁かな?やはり何度も色々な大会で優勝もしたランナー。最後のフィニッシュは軽やかに走ってゴールを駆け抜けたいのが誰もが願う姿。坂を下ったカピオラニ・ビーチ公園の入り口が最後のエイドステーション。残りは800mです。
この800mが、とても長く感じましたが、コースの中で1番幸福感を味わえる瞬間です。ハプニングで、1時間以上のロスタイムはありましたが、何とか6時間20分でゴールを駆け抜けました。沿道の歓声を浴びながら、感動のフィニッシュです。みんなで暖めて来た夢が、適った瞬間でした。色々なことが走馬灯のように駆け巡ります。苦しい練習に付き合ってくれた何人もの仲間の暖かさと励まし。決して1人では成しえなかった夢。それに何より伴走をありがとう。
〜続〜
sちゃんも楽しく10qを無事カンポ出来たようです。いっぱい写真も撮りました。さぞゴールでの待ち時間が長かったことでしょう。ゴメンなさい。鉄人君は、既に4時間45分で完走。サブフォーの彼としてはスローペースのゴール。暑さにやられて脱水状態でのフィニッシュだったそうです。彼もまたハプニングに見舞われながらのフィニッシュだったようですね。超人ちゃんも6時間38分で、見事フルマラソンを初完走。殆ど練習も出来ていない中、暑さと戦いながらの気力と号泣のフィニッシュ。
さすが若さの勝利かな?それぞれ暑さやハプニングを克服しながら、色々な思いを胸に自分の人生に確かな足跡を刻みました。これからのそれぞれに乾杯。みなさん、夢と感動をありがとう。そしてこれからもよろしく。
いつかまた、一緒にどこかのレース走ろうね。 by.Bin
【記:山本 敏一】