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柴崎美穂(東京 アイヤ会賛助会員)
前回は、言語聴覚士(「ST」)という仕事を知ってから専門学校に行くまでの話を書きました。今回は、専門学校を出て初めて就職した頃のお話です。
専門学校在学中に、同期生との間で「何をやるSTになりたいの?」という話題がよく出ました。STの仕事は、働く場所によって、子どもの言語訓練、成人の脳血管障害後のかたのリハビリなど、専門が分かれていくことが多いからです。
そういえば、どんなSTになりたいんだろう。その頃は、さっぱりわかりませんでした。ただ、STという仕事を初めて知ってあちこちを見学した頃の衝撃的な感覚は覚えていました。それは、相手の言いたいことを「わかった(かもしれない)」という感覚、こちらの伝えたいことを相手が「わかってくれた」という感覚、何かが通じるようにお互いに努力したときの、お互いの間を流れる空気のような感覚です。
初めての就職は、生まれ故郷でもある福岡県の、あるリハビリテーション病院でした。そこでは、幼児からお年寄りまで、いろいろなかたと出会いました。病院の「言語療法室」という部屋で、毎日言語訓練をしました。患者さんの状態にあわせて、病室で行なうこともありましたが、ほとんどは、言語療法室の中でのおつきあいでした。
ある日、リハビリを終えて退院する60代の男性が、言語療法室に挨拶に来てくださいました。2か月間、失語症の訓練を行なったかたでした。パリッとスーツを着たそのかたと向かい合って、わたしは「しまった!」と思いました。そのかたとは、2か月の間に、仕事のことやご家族のこと、いろいろな話をしたにもかかわらず、そのときまでわたしはそのかたのことを「パジャマを着た患者さん」としてしか見ていなかったことに気付いたのです。
社会の中で生きてこられたそのかたの人生を、わたしは毎日訓練用のカードにしまいこんでいたのではなかったか。恥ずかしさと申し訳なさで頭があがらない気持ちになりました。そしてその日からは、どの人の背中にもその人の世界が広がっていることを意識するようになりました。(次号につづく)