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柴崎美穂(東京 アイヤ会賛助会員)
京都でお気楽な学生生活を送っていたわたしが、「言語聴覚士」という仕事について初めて知ったのは、大学4年生の初夏のことでした。その頃、この職種は、まだ国家資格になっていませんでしたので、「言語療法士」とか「聴能言語士」とか、いろいろな呼びかたをしていました。通称「ST(スピーチ・セラピストの略)」と呼んでおり、平成11年に資格ができてからも、この呼びかたは続いています。
学生時代は演劇をしていて、卒業後のことなどまともに考えていませんでした。友人は、「お芝居で喰っていくんだ」と上京したり、企業への就職活動に身を粉にしたりしていました。わたしも就職活動のためにスーツを1着買ったものの、「働く」というイメージがつかめず、呆然としていました。
そんなとき、本屋で資格関係の本を立ち読みしていたら、偶然開いたページに「言語療法」という文字をみつけました。どんな仕事なのかまったくわからず、ただなぜか気になってしかたがなかったので、そこに書かれてあったいくつかの専門学校に電話して、すぐに見学に行きました。学校を見学しただけではよくわからなかったので、夏休みに1週間ほど上京して、「ST」のいる病院や福祉センターを見学しました。1週間の間に、失語症のかたに出会い、運動障害のため発音が困難なかたに出会い、難聴の子どもやその親御さんに出会い、言葉の発達に遅れのある子どもに出会い、そして、そのかたがたに真摯に関わる数名の「ST」に出会いました。
とにかく夢中だったので、大学を卒業して、それから「ST」になるための専門学校に通った2年間は、あっという間でした。 (次号につづく)