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弟
葉月の本格的な夏がはじまったころに一通のはがきが届いていた。姉からの暑中見舞いであった。文面にはあいさつと共に、“お疲れさまでした。”とその前月の(亡き両親の)法要に集まった労をねぎらう言葉が添えてあった。姉との昔の想いに馳せた。姉といえばどうしても亡き母のことを思い出す。昔、姉と母の三人で北海道の旅行へ行かないかと母から誘われたことがあった。その頃、母はガンとの闘病生活というか今度入院したら助からないからと言われていた時期だったように記憶している。想い出に旅行しようという母の切ない想いがあったのだと思う。
姉の眼の病気で心配する母に姉の眼の病気のことを尋ねたことがあったのだが母はお前には関係ないと言ったが、自分も(同じ病気で)夜が見えないからだと言ったときの母の顔の凍りついた驚きようはなかった。当時は病気についての情報や知識は皆無の時代だった。姉とわたくしの生まれた時代が良き時代だったと思うが母のことを思い出すと複雑である。今の時代はPCでもケータイでも図書館の書籍などいろんな収集手段があって、医療情報とか疾患の情報と知識は得られやすい。反面、今の社会は犯罪は多いし、ぎすぎすしている。痛しかゆしだな。
網膜色素変性症という病気は血縁関係に同じ病気を持つケースはめずらしくない。仲間も多いし、心配をしなくて大丈夫だよと母に教えることができたら、どんなに救われただろうと思うと複雑な思いなのだ。母は姉とわたしが二十代のときに再び入院しそのまま帰らぬ人となった。
筆者が今の10代の若者に伝えるメッセージはないがあるとすれば障害者を持った親のほうに送るメッセージかも知れない。それは不幸にも難病の障害者を子供に持った場合、あまりにも心配する姿を見せるのは子供にとって影響はよろしくない。社会に対してひ弱くなるような気がする。(あんたのどこがひ弱なんだという声も聞こえてくるが)もし、障害者本人に送るメッセージがあるとすれば自分の病気のことを周囲に理解してもらいたいと思う気持ちがあるのは理解できるがほどほどにすることである。特に親が年配の場合はどこかしら悪いところがあると思うので自分の病気のことよりも親の体調のことを気遣いするほうが良いと思う。知らず知らずのうちに親に対して自分の病気を理解してもらおうとしている言葉を言っていないか要注意である。(これは自分の経験上からで、なければ幸いである。)
さて、姉の話でありまするが心優しいだんなさんと巡り合えて世の中帳尻が合うというかうまくできているなあとその昔、妙に感心したのを思い出す。姉はわたしと違って、子供を二人も育て、社会に送り出したのだから立派なものである。今年の夏は記録的な猛暑日が多いが短い夏になると思いつつ、筆を置く。