あぁるぴぃ千葉県支部だより20号


■活動報告■

 10月6日(日)に佐々木貞子さんが講演をしてくださいました。この内容をテープ起こしして掲載する予定でしたが、録音に失敗したため、佐々木貞子さんに無理をお願いして、講演内容に沿った原稿を書いていただきました。

★佐々木貞子さんのプロフィール
1954年東京生まれ。
小さい時から色素変性症の症状あり。
81年千葉市に引越し。
97年社会福祉士の免許取得。
今行なっている活動(どれも不定期)
 学校などで福祉体験講座
 郵貯暮らしの相談センター介護相談員
 ヘルパー研修会などの講師
 その他市民活動など


★福祉は今をより良く生きること

佐々木 貞子
 私が網膜色素変性症と診断されたのは小学4年生の頃です。その時診断した医師は「中学校だって卒業できるか、どうか、わかりませんよ」と言いながら、さっさとさじを投げたそうです。せめて高校までは卒業させたいというのが、それからの母のささやかな願いになったようです。
 私は一人っ子でとても我がままだったのですが、今思い出して両親に感謝するのは、私を障害児として育てるのではなく、かけがえの無い娘としてただただ愛し、自由にさせてくれたことです。眼が悪いからといって私に対して特別な対応をしないで育てました。というより、どうしていいのかわからなかったというのが本当のところでしょうか。
 おかげで私は、いわゆるノーマライゼーションの思想とでもいうのでしょうか、「眼が見えなくても皆と同じ。障害を理由にやりたいことをあきらめる必要は無い」という思いで人生を歩んできたようです。
 私の左眼は高校2年の時、そして右眼は20歳頃にはほとんど使い物にならなくなりました。高校を卒業して東京都立心身障害者福祉センターで、当時視覚障害女性の新職業と言われた電話交換手の資格を得て会社で仕事をしました。その後、より確実な職業的自立を求めて盲学校の按摩・鍼灸科に進学しました。
 卒業後約3年の病院勤務を経て結婚しました。
 結婚する前は視野がほとんど無くなっているにもかかわらず、白杖を持つことに抵抗がありました。杖を持って歩くということは視覚障害者だと公表しているようで、差別される気がしたからです。
 見えるふりをしていると周囲は目が悪いことに気が付かず、誤解を与え、かえって自分が不利になってしまうことに気づいていながら、バッグの中にある折りたたみの杖を出せないでいました。
 しかし、慣れない地域で二人だけの結婚生活では甘いことは言っていられません。私は主婦という役割を果たさなければなりません。店までの道を覚え、「眼が見えないので手伝っていただくこともあるでしょうから、よろしくお願いします」と店員にあいさつし、やっといつも杖を持って歩くようになりました。
 翌年長女が、2年後に次女が生まれ、子育てに家事に忙しい日々となりました。全盲で子育てをするのは不安もありましたが、私と同じく眼が見えなくても子どもを立派に育てている方を身近に知っていたので、私もがんばればできるだろうと思いました。
 見えないながらの子育ての工夫は経験者に聞いたり、自分でも色々考えてこなしました。子育ては「共育ち」と言いますが、おかげで私も人として育てられたと実感しています。
 子育てで一番困ったことは外遊びと病院の付き添いでした。歩き始めの子どもは外に出すと興味津々で走り回ったり、何でも口に入れようとします。安全の確認は眼の見えない母親にとっては大変です。また、おんぶして杖をつきながら病院にたどり着き、混雑した待合室で具合の悪い赤ん坊をあやしながらやっと受診させ、薬をもらって会計を済ませ帰って来ることも苦痛でした。近所の友人に何気なく困った話をすると「そんな時は電話してくれればいいのに。お手伝いするわよ」と言ってくれました。当時私が近隣で友人になった人は、自分の子育ての忙しい時期は過ぎた人が多く、母親仲間として共感しサポートしようという人が何人も現れました。私へのサポートのネットワークは次第に広がり、娘たちは地域の豊かな人間関係の中で育ちました。
 子どもたちが保育所に行き始めると私にもゆとりができ、家庭だけでなく社会との関わりに意識が向けられるようになりました。放送大学を知り、自宅で勉強ができるならと始めてみました。少しずつ単位を重ね入学後8年かけて卒業しました。その頃長女は中学生になっていました。
 何かやっていると次が見えて来るものです。勉強していくうちに社会福祉士という国家資格があり、難しいらしい。「次の目標にいいかも」と、チャレンジすることに決め、通信課程に入学し2年後試験に合格し資格を得ました。
 社会福祉士とは福祉に関する相談援助を行なう資格で、福祉を受ける当事者の立場に立ち情報の提供や諸サービスの調整や権利擁護を担います。
 さて、福祉という言葉に皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか?暗いとか、特別のことと感じられる人が多いのではないでしょうか。
 私は盲学校やその後の職場、そして地域で暮らす日々の中で、障害をもつ人に対する社会の偏見や、先進国と言われているのにも関わらず、福祉サービスは整備されていない現状に疑問を感じていました。福祉の勉強を始めたのも、客観的な知識を得て自分が何かできないだろうかというのが動機でした。
 福祉の歴史は貧困者の救済から始まり、救済の方法は劣等処遇の原則で貫かれていました。劣等処遇の原則とは救済する人々の生活は一般の人々より低い水準でよいというものです。そのような待遇を受けた人々にはスティグマ(屈辱感)が与えられてしまいます。そのイメージは現代まで取り除かれていません。さらに今日では、経済成長と競争社会の中から取り残された人々、標準からはずれた人々として見られてしまう傾向にあります。だから一般の人々は福祉は自分とは関係が無いものと思いがちであり、特に高齢者に「福祉の世話にはなりたくない」という感情が根付いています。
 貧困とは別に、子育てや高齢者、障害をもつ人の介護の問題は、以前は大家族や地域協同体の中で何とかまかなわれて来ました。しかし、家族や地域の姿は大きく変化しました。核家族化や少子高齢化の進行は急激で、いざとなった時、脆弱になった家族や地域の力ではどうにもならないということを国も個人も気づき始めています。
 私は福祉とは人生の中で誰もが直面する可能性がある問題であり、それを解決するための手段であり、人がより良く生きるための支えあいと考えます。そんな支えあいの仕組みや意識を持つ社会は人が人として尊重され、多様性を認められ、誰もが安心してイキイキ暮らせるのではないでしょうか。
 私は思います。過去の失われた視力にこだわるのではなく、今をより良く生きようと。そして未来を創っていきたいと。外出や他、諸々の自分では困難なところは福祉を活用すればよいのです。福祉と言っても、行政や民間の福祉サービス、ボランティアだけではありません。出かけた所で相手に無理のない範囲で「ちょっと、お願いします」と求めていくことも必要でしょう。手助けを受ける時、へりくだる必要はありません。偏見がまだある社会だけれど、こちらの状況がきちんと伝われば、対等に快く引き受けてくれる人々は少なくありません。こちらから働きかけることによって社会の理解も深まります。私は自分が歩くだけで啓発活動を行なっていると思っています。そうすることによって、「迷惑をかけたくない」という孤立した生き方から「必要のある迷惑はかけ合ってよいのでは」という豊かな人生観へ変わっていこうという主張をしているとも言えます。障害をもつ人が暮らしやすい社会は全ての人々にとって暮らしやすい社会なのですから。そんな社会をみんなで創って行きたいと思います。


★佐々木貞子さんの講演について

木更津市 S.M
 まず感じたことは、肩に力が入っていらっしゃらないということ。とても自然体で、あるがままの全てを受け入れてしかもポジティブに生きていらっしゃる。強さと柔らかさを兼ね備えたすてきな方だというのが私の印象でした。
 ご結婚されて、育児の傍ら放送大学で8年間学び社会福祉士の資格を取られたということで、それは並大抵のことではないと思われます。私も、今の会社に入ってから次から次に試験を受けさせられているのですが(実はあさって試験)大人になってからの勉強はつらいです・・・。まず時間がない。雑念が入り集中できない。極端に覚えが悪い。私と比べてははなはだ失礼な話ですが、おそらく大変な努力をされたことと思います。
 お子さまを産まれた病院の看護婦さんに「どうやって育てるのですか?」と聞かれ(どうしてそんなことを聞くのだろう、自分で育てるに決まっているじゃない)と思われたというお話も印象的でした。また講演のあとの雑談の中で、「お子さまには病気は遺伝されていないのですか?」というどなたかの質問に「遺伝はしていないが、もしそうだとしてもそれはそれでいいことであり、自分自身ももう一度人生をやり直すとしても今の人生を選びたい」という言葉もまた強烈でした。
 社会福祉士のお仕事の中で、小学校を回り障害者への理解を促したり、体験教育などをされていらっしゃるということでした。私たちが子供時代には無かったことですので、だんだん福祉というものが形を変えてきているわけですね!
 最後に一番心に残ったのは、私たちはそんなに頑張らなくてもいいんだ!ということです。周りには障害を持つ人を助けてあげたいと思ってくれている人がたくさんいるのだから、気軽に声にだして助けてもらいましょうということです。ひとりで意地になってやり遂げなくても大丈夫。そんな感覚が、佐々木さんの幸せ感につながっているように思いました。


★福祉講演会に参加して

松戸市 H.K
 10月6日、千葉市女性センターでの「福祉講演会」に夫婦で参加しましたH.Kです。今、これを書いている私は付き添いで伺った妻で、夫がこの会の会員です。皆様とお会いしたのは、殆どの方が初めてでしたが、会員としての期間は長く、初期の頃、蘇我へ伺ったことがあります。何度か、東京の方で開かれた会へも出席したりしていたのですが、日常の雑事に取り紛れているうちに、足が遠のいてしまって、今回、石垣さんに声をかけて頂いて参加することが出来ました。
 参加して―
 まず、肩の力が抜けて、気持ちが楽になりました。最初は多少ぎこちなかったのですが。チョコチョコ近くの方とお話するうちに、そこはヤッパリお仲間ですネ。話が通りやすいし、気持ちも分かっていただける。日頃、<前向きに!前向きに!>と思いながらもつい、気持ちが重くなることが多いのですが、元気は出さなくては出て来ないんだ、と改めて思いました。それから、お手伝いをするにあたって、チョットしたコツが、分かっているとお互いが楽だと言う事も分かりました。頂いたガイドブックが役に立ちます。後は、慣れなのでしょうね。
 佐々木先生(先生と言う言葉はお好きではないとおっしゃってましたが…)有り難うございました。女性ならではのお話に、ご自分と重ねて心強く思われた方も、いらっしゃったのではないでしょうか。私は、正直なところ『福祉』について、そう深くは考えたことがなく、福祉を必要としているわりには、どちらかと言えば面倒なイメージを持っていました。手帳を持っているにもかかわらず、1度も利用したこともありませんでした。そこで取りあえず電車に半額で乗ってみました。大丈夫でした! そして、今、一番気になっていた『障害者年金』のことを勉強すべく、10月12日埼玉支部(北浦和で)の講演会へも行って来ました(これも、石垣さんから頂いた情報です)。多少の知識はあったのですが、もうひとつモヤーッとした部分があって、それがはっきりしてとても良かったと思っています。
 二人の息子が独立し、今も何とか仕事が出来てはいますが、時間の問題かな?と感じることもあって、是非とも年金のことはきちんと知っておきたいと言う気持ちが強かったので…。その他にも、当然の権利として使えるものが、どんな形で、どれくらいあるのか。そう言ったことも、もう少し知りたいと考えるようにもなりましたから、怠惰な私としては今回の参加は大きな収穫でした。
 若いボランティアの方々、居て下さるだけで嬉しくなりましたよ。お会いできた皆様、一人ではないと言う実感と温かさを頂きました。また頑張れそうです。仕事の関係で思うように参加できない現状ですが、今後とも宜しくお願い致します。
 本当に有り難うございました。


★10月6日の講演会に参加して

柏市 S.K
 10月6日にハーモニープラザ内女性センターで開催された社会福祉士佐々木貞子さんの講演会に出席しました。私にとって、JRPS千葉県支部の活動に初めての参加でした。
 私のRPとの付き合いは30年位ですが、比較的最近まで会社勤めをしてました。しかし、最近急激に視力低下と視野狭窄が進行して仕事の継続が難しくなったため、勤めを辞めました。JRPSについては、それまでその存在を知らなかったのですが、保健所から紹介されて参加することができました。
 講演に参加した所感等を思いつくまま記してみたいと思います。講演の前半は、視覚障害とともに生きてこられた佐々木さんの生立ち、後半は、福祉の現状についての話であったと思います。恥ずかしながら、私はこれまで福祉ということを真面目に考えたことがありませんでした。参考までに【福祉】を広辞苑で調べましたところ「公的扶助による生活の安定、充足」(「祉」もさいわいの意)であり、ドイツでは消極的には生命の危急からの救い、積極的には生命の繁栄であることも記載してありました。
●福祉制度について
 私がこれまで利用した制度は次のようなものです。「失業保険」「特定疾患医療受給制度」「身体障害者手帳交付制度(福祉手当、医療費助成、自動車税の減免、NHK受信料の減免、自動車燃料費の補助、補助具の交付、鉄道運賃の減額)」「障害年金(申請中)」これ以外にも、市の障害福祉課から健康教室の案内等々を戴いております。
 佐々木さんの話によりますと英国の社会福祉の歴史は400年とのことです。このような歴史を持つ国に比較して、我が国の水準がどのようなものかはわかりませんが、おそらく比肩できるものに近づきつつあるのではないかと思っています。福祉制度は対象者に自動的に適用されるものではなく、本人が申請しなければ適用にならないものであると理解しています。今後、各種の福祉制度は個人契約のもとに柔軟性を持って運用するものに変わっていく可能性もあるのではないでしょうか。福祉内容と併せて全体枠組みがどのように充実されていくか注目していきたいと思ってます。同時に、我々としても関連情報を共有できるように、相互の情報交換をより一層密にすべきと思います。
●周囲と本人の意識について
 昔、眼の不自由な人が足の不自由な人を粗末な手押し車に乗せて押し歩く社会風刺漫画や落語がありました。今、このようなことを漫画であれ何であれ話のネタにすれば、忽ち社会批判を浴びることは必至であり、それだけ社会の福祉に対する意識は向上していると思います。社会の意識変化は一朝一夕でなしうるものではなく、弛まぬ教育とそれに向けた努力が必要だと思います。
 佐々木さんの話の中で、障害者との交流の感想を問われた子供が「障害者の気持ちが良くわかりました」と言ったという話がありました。これは周囲の大人が即効薬的答えを子供に口移しに教え込んだ例であり、意識改善のための教育が如何に難しいものであるかを物語っていると思います。少し話が飛躍しますが、この例は、北朝鮮やイラクの子供たちが「偉大な指導者○○○を尊敬します」と異口同音に言っているのと相通じるものがあるような気がしてなりません。
 話かわって、最近夜行寝台で一人旅をしました。目的地には迎えが来てくれることになってましたので、特に心配はありませんでした。のんびりとラジオを聞きながら酒を飲んでいたところまでは良かったのですが、やがて喉が渇いてきました。洗面所に飲料水を探しに行ったのですが見つかりません。車掌に聞いたら、衛生上の理由で設置を止めて、ロビー車輌の次の車輌の自動販売機で売っているとのことでした。早速買いに行くことにし、ロビー車輌を通り抜けようとしたのですが、あまりにも薄暗くて立ち止まってしまいました。困っていたところに先程の車掌が来て、声をかけてくれました。「宜しかったらお手伝いしましょうか?」と。お陰で飲料水を買ってもらい自室に戻ることができました。車掌の一言はごく自然に聞こえましたし、私自身も何の躊躇いもなく「ありがとうございます。お願いします」と反応できました。些細な事ですが周囲と本人の意識の大切な一場面であったと、今、しみじみと思い出しているところです。
 6日の帰り際、私はある方から白杖を使うように言われました。というのは、この日は同じ支部の方に連れてきてもらったので折り畳み式の白杖を鞄の中に入れたままだったからです。白杖を使うということは、本人のためだけでなく、周囲の人に迷惑をかけないためでもあることを教えられました。
 得ることの多い充実した一日でした。


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