あぁるぴぃ広島 11号
■情報コーナー■
3 点字の過去・現在・未来
「岡山県視覚障害を考える会」の会報第25号(平成15年9月5日発行)の情
報コーナーに澤田隆志先生が寄稿されたものを、同会と先生のご了解が得られました
ので、転載させていただきます。
寄稿 岡山県立岡山盲学校教諭 澤田 隆志
(1)点字以前の盲人用文字
視覚障害者のための文字として最初に考えられたものは、木の板にアルファベット
を彫り込んだもので、それを並べて文章を綴る仕組みになっていたようだ。それは、
ローマ時代のことだというから、視覚障害者用の文字にはすでに2千年の歴史がある
ことになる。しかし、それが、実際に必要とされるようになったのは、1784年の
パリ盲学校の創立を初めとして、ヨーロッパ各地に盲学校が作られるようになってか
らのことである。
点字も含めて視覚障害者用文字は、なぜか常に二者択一を迫られ続けてきた。最初
に迫られた選択は、それまでの文字と絶縁するか否かという問題であった。
アルファベットをそのまま紙に浮き出させて、指で触れて読めるようにすればよい
というのは、だれでも思い付くことで、現に初期の盲学校では、その通りのものが使
われた。それだけでなく、より読みやすい浮き出し文字について、イギリスでは懸賞
募集まで行われている。その結果、多くの応募があり、形は、角型、円型、浮き出し
方も、山型、高原型と種々のものが提案されている。ところが、実際に使ってみる
と、この「浮き出し文字」は、書きにくいこと、場所を取ること、読むのにスピード
が出ないことなど多くの欠点があって非常に使いにくかった。
そのために、それまでの文字からは離れて、視覚障害者専用の触覚符号を作る方が
よいと考えるものもあり、ラナというイタリア人のアイディアは、その1つである。
彼の考えというのは、アルファベットを5行6列に配列し、その行数と列数を点の位
置で表すというものであった。その考えを文字として実際に作り上げたのが、フラン
スの軍人シャルル・バルビエの11点点字である。バルビエの点字は、(読む方から
見て)左が6点、右が5点の11点からできていて、左の点の位置でその文字の列数
を、右の点の位置で行数を表すようになっている。例えば、Fは2列の1番なので左
の2番目の点と右の1番目の点で表すことになる。
(2)点字の誕生
点字の発明者はルイ・ブライユであることは知っている人も多いと思う。彼は、そ
の時、僅か16歳のパリ盲学校の生徒であり、それは1825年のことだった。しか
し、彼が手品のように0から点字を作り出したのではないことは、これまで述べてき
た通りで、もうすぐ誕生というところまできていたのである。そして、ブライユは何
をしたかというと、長過ぎる点字を半分にちょんぎったという、ただそれだけが、彼
の主たる仕事なのだ。
先に書いた11点点字をバルビエがパリ盲学校に紹介した時、ブライユもたまた
ま、その点字に触れる機会があったらしい。しかし、上下6段の点字は、指で触れて
読むには長過ぎた。ブライユが正直にそのことを指摘すると、バルビエは随分機嫌が
悪かったという。いくらバルビエの機嫌が悪かろうと、視覚障害者自身が読みにくい
というのだからしかたがない。ブライユは、上下6段のバルビエの点字を半分にちょ
んぎって3段とした。これは、指先の触覚の鋭敏な部分に丁度収まる大きさなのであ
る。ここに縦3段、横2列のブライユ式点字が誕生することとなった。
こうして、これまでのアルファベットの形とは縁を切った視覚障害者用の符号が誕
生した訳だが、それが、あっというまに世界に広まったかというと、そんなことはな
い。ブライユは母校の教員になったが、43歳で彼が亡くなるまで、点字は正式には
認められず、僅かに、授業後、生徒に教えることが許されていただけだった。それで
も、彼の死から2年後パリ盲学校で点字が正式に採用されたのは、点字を身に付けた
生徒たちの絶対的な支持によるものだった。そして、ブライユ点字の優秀性を示す証
拠として、発明以来180年余の現在までブライユ点字は全く変更されていないので
ある。
(3)点字の実際とその仕組み
厳密には点字は文字ではなく符号に過ぎない。だから点々を見ただけで優しい女性
の人柄を想像して胸がたかなるなどということはありえない。正しいか間違いか、そ
の2つしかなく、盛り込める情報は非常に少ない。とはいえ、点字は視覚障害者が自
由に読み書きできる唯一の文字であることは、まちがいない。
点字が実際には、どのようなものかを少し説明しよう。
点字を打つには基本的に「点字器」という道具を使う。点字器は、定規と点字板と
点筆の3つのパーツからできている。定規は上下4cm、幅20cmほどの上・下2枚の
真鍮板である。上側の板には32個の窓が上下2列に並んでいる。1つ1つの窓を
「ます」という。下側の板には、それぞれの1ますの中に6つの凹みがある。その2
枚の間に紙(点字用紙)をはさみ、上から点筆で押して紙を凹ませて点字を打ち出す
のである。だから、点字は裏に打ち出され、読む時には裏返して読む。書く時には右
から左に書くが、読む時には逆に左から右に読む。当然、書く時と読む時では、それ
ぞれの文字の左右が逆になる。
6つの点は、上下3段、横2列で、各点には番号が付いている。書く方でいうと、
右の上の点が1の点、その下が2の点一番下が3の点、同様に左の上から4〜6の点
となる。その6つの点の組み合わせに、取り決めにしたがって一定の記号を対応させ
たものが「点字」である。
6つの点の組み合わせを考えていくと63通りできる。対応させたい記号は無数に
あるから、63通りでは、とても足りない。そういう場合は2ます分使う。そうする
と3969通りの組み合わせができる。それでも足りなければもう1ます増やして3
ます使う。そうすると25万47通りの組み合わせができる。いくらなんでも、そう
はいらない。使用するものどうしで組み合わせにどんな記号を対応させるかさえ決め
ておけば、どんなにでたらめに記号を割りふってもいいのだが、やはり、それでは、
作る方も使う方も大変である。そこに一定の法則性がなければならない。点字の符号
体系を作る人々はまさに、その「点」に苦心してきた。
例えば、英語のアルファベットを例にとると、まず1・2・4・5の上4点の組み
合わせのうちの10個をA〜Jにあてる。そして、その10個に3と6の点の組み合
わせを付け足すことで残りのアルファベットの符号が作られる。しかし、それだけで
は、とても足りないが、点字には、それを解決する「奥の手」があるのだが、それ
は、あとで説明する。
忘れるところだったが、パーツのうちの「点字板」は、定規と紙を固定するため
の、ほぼB5番(点字用紙と同じ)の大きさの板である。
(4)点字の普及とかな点字の工夫
一度、そのすばらしさが理解されると点字はあっという間に欧米に普及した。そし
て、開国まもない日本にも比較的早い時期にもたらされている。 ところが、また、
ここで二者択一を迫られる。つまり、日本語を表記するのにまず、表音文字でいくか
表意文字でいくかということがある。しかし、さすがに、表意文字はむずかしいとあ
きらめたようだ。そうでなくても、明治の初めには、漢字も廃止しようという議論が
かなり本気でされたようだから、それは無理のないところだろう。つぎには、表音文
字でいくとして、すでにできているアルファベットを使ってローマ字でいくか、あら
たな、かな文字に対応する符号体系を作るかということがある。そして、結局かなに
対応する符号体系を作ることになる。
1890年11月1日、土曜日、東京盲学校の教員と生徒によって考えられた4つ
のかな点字案が検討された。その結果、同校教員の石川倉次の案が、最もすぐれてい
ることが確認され、ここに日本のかな点字が誕生した。場所は東京盲学校の放課後の
教室であった。
(5)日本語点字の特徴
さっきから「かな点字」ということばを何度も使っているが、点字にはひらがなも
カタカナもなく、日本語の発音を表すための「かな」点字があるだけである。しかし
漢字こそないが、点字には、アルファベットも数字も楽譜もある。だから、それぞれ
に1つずつの点の組み合わせを対応させていたら符号の数はすごいものになってしま
う。ここで、さきほど話した「奥の手」が登場する。
点字では、それぞれに対応した点の組み合わせを作るのではなく、「モード変更」
というユニークな方法で対応しているのである。つまり、1つの点の組み合わせが
モードによって異なった記号に対応するのである。例えば、1の点だけを打つと、か
なならば「あ」、アルファベットならばA、数字ならば1、楽器の指使いならば人さ
し指、といった具合である。
かな点字体系においては、普通には、かなをあらわし、モードを変更するときに
は、それぞれのモードに入るための符号をおく。すなわち、数字モードに入るには数
符、アルファベット・モードに入るには外字符といった具合である。そしてスペース
を置くと元のかな文字モードに戻る規則になっている。
このように、数字やアルファベットはあるものの漢字ぬきの文章では、全く意味が
つかめないかというと、それほどのことはなく、文脈をつかめば、それほど不自由な
く文意を理解することができる。しかし、
@すもももももももももも
Aつまできたかねおくれ
という文章があるとする。多分、1はまったく意味がつかめず、2は何通りにも解
釈できて戸惑うにちがいない。これを
@すももも もも ももも もも
Aつまで きた かね おくれ
あるいは
つま できた かねお くれ
とすれば意味は随分わかりやすくなるだろう。
このように、点字では文章を理解しやすくするために適当なところにスペースを置
いて区切ることになっている。これを「分かち書き」といい、主に文節のあいだ、お
よび複合名詞の内部にスペースを置くことになっている。
かな点字のもう1つの特徴として「表音主義」をあげることができる。表音主義と
は、発音するとおりに書くことだ。「なんだ。それならかなと同じじゃないか」と思
うだろうが、それが違う。たとえば、「わたくしは」と書きながら「わたくしわ」と
読み、「おとうさん」と書きながら「おとーさん」と読んでいる。点字では、これを
発音のとおりに書いていて、これは、表音文字としては一歩進んだ形として、ちょっ
と自慢してもいい点だと思っている。
(6)触読の問題
点字は、点字器で書くといったが、それは、戦争にたとえれば、刀と弓矢でやって
いるようなものである。いまでは、点字タイプライター、点字プリンター、ピンディ
スプレーと点字を書く方法もどんどん進化してきた。
問題は「よみ」である。左(あるいは右)の人さし指で、左から右へ読んでいく。
これは、点字誕生以来どうにも変えようがない。そして指先の感覚が随分鈍い人もあ
り(私はそうでもないが)そういう人はあまり早くは読めない。また、おとなになっ
て、目からの情報処理の道筋が固まった後に、指で読むルートを新たに作ることも相
当むずかしい。悪いことに、今は、おとなになって視覚障害を起こす人が圧倒的に多
い。そんなこともあって、点字を使えるもの、特に読み書き両方ができるものは、視
覚障害者全体の1〜2割といわれている。
点字の使えないもののためには、カセットやCDなどの録音教材が用意されてい
る。それなら録音教材さえどんどん作れば問題は解決するかというと、そうでもな
い。すでに知っていることを聞いてなぞる場合はさほどでもないが、新たなことにつ
いては耳からの情報は非常に不確かなのだ。私が小学部のころ弱視のともだちに「チ
ンパンジー」を「チンパンジン」ときいて、人類の1種属だと思い込んでいたやつが
いた。彼は(残念ながら)誰がみても私より頭がよさそうなやつだったのにである。
こういうことがあるから、しっかりした知識を得るためには、圧倒的に点字の方が効
率的であり、信頼性が高いのである。
(7)漢字の問題
点字には漢字はない。このことは、漢字がはばをきかせている日本で暮らしている
ものとしては、いかにも残念だ。そう思うものは多い。考えてみれば、話は簡単なの
だ。漢字の1文字ずつに対応する点の組み合わせを作ればよいのである。ただし、で
たらめに振り当ててもよいのだが、やはりそこには、なんらかの法則性がほしい。と
いうことで実際に数千の漢字に対応する点字符号の体系を作り出した人がいた。しか
も、2人もいたのである。川上泰一氏は漢字の部首を、長谷川貞夫氏は漢字の音訓を
基本として漢字符号を構成している。また、ここでも二者択一を迫られたわけだが、
長谷川式有利に展開しているとはいえ、川上式にも熱烈な支持者がいて状況はまだ流
動的である。
(8)点字の将来
点字についても時の流れとともに、それなりの変化は起きている。特にこのところ
著しいのが、コンピューターとの関係である。入力については比較的はやい時期にブ
レールシスとよばれる、6点の組み合わせによって、かなやアルファベットを入力す
るシステムが実用化された。しかし、出力の方は、価格の関係もあって、まず、音声
出力が実用化されたのだが、ここにきて、ピンディスプレーによる「点字の」出力も
実用に近づいている。ピンディスプレーとは、6点の位置に配置されたピンをコン
ピューターからの指示にしたがって上下させて点字を表示する方法である。これだ
と、紙もいらないし、瞬時に、読み込まれたファイルのどこでも表示できる。
将来の盲学校の生徒は、B6版ほどの、薄い板を1枚だけ持って登校して来るよう
になるだろう。それは、1度に10行分、320文字あまりを出力できるピンディス
プレーを装備した簡単なパソコンである。
その学年で学ぶ総ての教科書を内蔵し任意の場所を瞬時に呼び出すことができる。
もちろん、必要なところにはアンダーラインやマーキングも自由であり、その器械で
ノートもとれる。計算器や時計、ダイアリーも兼ねている。装備した何種類もの辞書
を駆使して必要な事柄は簡単に検索できる。点字をマスターした生徒はこうして非常
に効率的な学習ができるようになるだろう。現在、すでに、将来を想像させる器械が
少しずつ実用化されている。また、今は、まったく問題にされていないが、漢点字も
学校教育に取り入れられる時代がくるかもしれないし、私はそれが望ましいと思って
いる。もちろん長谷川式である。
このように、将来はともかく、現在は、すこぶる意気のあがらない点字だが、視覚
障害者の最も有力な情報伝達手段としての重要性は将来とも微塵もゆるがないものと
確信している。
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