あぁるぴぃ広島 12号
■会員の声■
1 JRPSへ新規入会された方から
私は、広島市井口のMです。55歳、
妻51歳、長女27歳、次女25歳、長男23歳の、5
人家族です。
昨年11月総合病院でRPですと言われましたが、
もう1軒総合病院に行きましたが、
同じ結果でした。この目がいつまで光を感じて
くれるのかなど様々な事が頭の中をぐ
るぐる回って、これから何が出来るか何をしたらいい
のか、気ばかりあせっていまし
た。
姉の一言で気持ちは変わりました。
「兄弟、子供でなくてよかった」「自分だか
らよかったという気持ちになったら、楽だよ」
この病気を受け入れて、進行を遅くら
せる努力をして、この病気とうまく付き合って行く
ことにしました。(私の自慢:こ
れをきっかけにタバコをやめました。
やめたい方アドバイスします。)
どちらかと言えば、右目のほうが見えにくいので
人とすれ違う時肩が当たったり、
向うから、二人が歩いて来ると思っていたら、
三人だったりして、はっとする事や、
あら?と思う事など変化のある毎日を過ごしております。
本会に、入会して本当によかったと思っています。
暖かく迎えていただき、気軽に
声をかけて頂き色々な事を教えていただいた事で、
くよくよせずに前向きに生きて
行こうと勇気をもらいました。
今後ともご指導の程、よろしくお願いします。
2 宿泊交流会(高知)で夫婦水入らず
広島県支部事務局長 根本 敏太郎
高知の講演会に参加された皆さん、お疲れ様でした。1日遅れで今日10日20時30
分に福山に無事帰ってきました。
高知の方々、大変お世話に成りました。来年の全国大会
の準備の参考にさせて頂きたいと思います。その節は宜しくお願い致します。また、
交流会で出会えた皆さん、今後とも宜しくです。来年の6月には福山でお会いできる
事を楽しみにしています。
私たちは福山の皆さんと「ひろめ市場」で別れてから、商店街を歩いて、「はりま
や橋」まで歩き、写真を撮って、目的のひとつであった山内家の宝物館へ行き、夜は
中町の飲食街を ぶらりとして居酒屋で一杯やり、10日は朝から雨でしたが、周遊
バスで漫画の「はら たいら」さんの原画とオルゴール館、竜河洞、桂浜、高知城と
巡ってきました。大型観光バスガイド付きで、もう1組70歳代のツーショット2組で
した。障害割引もありました。
オルゴール館では、先客が4人ほどおられましたが、何百万円もするオルゴールの
音色を1台1台聞かせてくれました。竜が洞は秋芳洞や井倉洞程のスケールは無かった
のですが、洞の中は通路が狭く、足元が整備されて逆に危険性は無く、近くで石筍や
石柱が見られました。
桂浜に戻って、竜馬像、闘犬センターと周って高知城へ・・・。さすがに山内家の
居城。広さもあるし高い。外から見れば3層。中は6階になっている。この中で一豊と
奥方が生活されていたであろうと想像しながら天守閣まで上がりました。ここでよう
やく雨は止みましたが、観光も終わりです。
帰りは又中国バスでマイクロですが、きた時と違いリクライニングで柔らかい座席
でした。途中何のトラブルも無く無事福山に着きました。
3 障害年金講演会に参加された方から
府中市のTです。昨日は障害年金講演会は有難う御座いました。
山崎先生の話、
とても判りやすくって病気に成る前に聞いておれば
良かったのにと思いました。皆さ
んの質問も活発で時間が足りないようでした。
午後からは税金の裏話の間に個人面談
がありました。私が今まで疑問に思っていた事を
納得のゆくまで説明して下さり心が
晴れました。先生には本当に感謝しています。
それから、一言ずつ自己紹介をしまし
た。長い時間をかけて個人面談をして下さった
山崎先生に皆でお礼を言ってから交流
会の場所、自由軒に移りました。
皆様の賑やかさに驚きました。隣の席のNさん、Aさん、Fさん楽しい話を有難う
御座いました。私もつい調子にのって飲みすぎてしまいハイテンションになり皆様に
たいへん失礼な事を言ったのではないでしょうか?失礼な事を言っていたらごめんな
さい。これからも宜しくお願いします。ほかにもいろいろ声をかけてくださった皆様
有難うございます。これからもどんどん声を掛けてやってください。とても有意義な
一日でした。
4 第3回わかフジ大会全国身体障害者スポーツ大会で銅メダル
沼隈町 Kさん
第3回わかフジ大会全国身体障害者スポーツ大会(11月8日から10日)に参加してき
ました。6日午前10時から広島県庁で送稿結団式が挙行されました。
M団長以下役
員22名、選手35名総勢57名。福山のTさんの力強い選手宣誓で、選手一同、心新たに
しました。広島駅を12時過ぎの新幹線望みに乗り込んだ。今までの新幹線は、客席と
乗降口との境の自動ドアの下に少し突起があったのがなくなっている。自動ドアの開
閉の音が小さくて聞こえない。白杖を使ってトイレに行ったがいつの間にか客席を出
て車両の連結のところまで来ていた。名古屋駅で、こだま号に乗り換え浜松駅に16時
ごろに到着し知的障害者と水泳競技に出られる人は、それぞれ、別のホテルに宿泊さ
れる。私たちは、浜松駅のすぐ近くのホテル、歩いて5分ぐらいの所にあるホテルに
宿泊する。なぜか私だけが二人部屋です。私が見えないので配慮してくださったので
すかね。私は、月に1回ぐらいはホテルを利用しているので一人でも大丈夫なのに・
・・。
7日は、朝5時に起きて6時40分から朝食を済ませて、7時40分バスに乗り込んで、し
ばらく一般道を走ってそれから東名高速に入って西に向かう。高速を降りて10分ほど
で競技場に着いた。サブグランドを使って広島県の公式練習は9時から10時20分まで
あった。サブグランドの周囲には、全国47都道府県と13政令指定都市のテントがト
ラックを取り囲んでいる。広島県のテントに入ると、すでに私の伴走をしてくださる
伴走ネット静岡のTさんが待ってくださっていた。早速ランニングとパンツに着替え
て準備運動を始める。Tさんは、これが初めての伴走だそうです。Tさんは、私より
10歳若い50歳だそうです。静岡に来る前から両足の内ももの筋肉を痛めていたのが、
やはり走りだすと痛んでくる。それを我慢して少し走ると痛みはなくなってくる。
アップを4回ほどして5000mを走る。第3コースまでは車椅子の人が使用されるので
我々はそれより外のコースを使って練習をする。それにしてもラップが上がらない。
20分を切ろうと思っていたのに、全然だめで走れない。走った後ストレッチをして服
を着替えて静岡県や島根県のテントを訪ねてメール友達に会っていろんな話をして広
島県のテントに帰ったら埼玉県と川崎市の友達が訪ねてくれた、というより探りに来
たのかな。どちらも20分以内で走ると言って、地元から伴走者と一緒に来たそうであ
る。弁当を食べて、そこでTさんと別れてバスでホテルに帰ってそれからは夕食まで
は、自由行動です。何人かと浜松城に行こうと地図を持って30分ぐらい歩いたがお城
らしきものは全然見つからない。傍の人に尋ねるとお城は、逆方向だと教えられる。
浜松駅の近くに40階建てぐらいの高層ビルがあるのでその展望台に上がってお城を眺
めようということになって、そのビルに行くが、今日から3日間は展望台は休みと聞
かされてがっかり。ホテルに帰ってその話をしていると皇太子殿下がお泊りになって
おられるので警備上のことから休みだそうです。
8日はいよいよ開会式です。今日も朝5時ごろに起きて仕度をしてバスに乗り込む。
バスが競技場につくともう多くのバスがついていた。サブグランドにユニホームを着
て整列をすると役員の人が、もみじの小枝を配ってくれる。南の県から北の順番で入
場する。正面のロイヤルボックスの前で皇太子ご夫妻に向かってさっきのもみじの小
枝を振って、第1コーナーをまわり、第2コーナーを行進して、フィールドに入ると
すぐに椅子を持ってきてくれる。開会挨拶の後、国旗、大会旗、静岡県旗の掲揚、そ
して、聖火に点火。皇太子殿下のお言葉があっていよいよ、 わかフジ大会の大会ス
ローガン (静岡でかなえよう夢、伝えよう感動)ノモトニ競技が始まる。私は、8日
と9日は競技が無いのでこの2日は練習のみである。サブトラックばカリ走っているの
は退屈だろうと言って、伴走のTさんが道路を連れて走ってくれた。太ももの痛み
は、歩いていると感じないのに走り出すとすぐに痛くなってくる。
9日も、午前中、トラックを3週ほどして足の痛みのために練習をやめる。スタンド
に上がって地元の人の応援をしようと思うが、誰がどこで競技をしているのか全然判
らない。仕方なく外に出て、ふれあい広場に行って土産物を買った。
10日、今日は、午前9時から200m、12時から5000mの競技がある。いつものように
朝5時に起きて朝食を6時40分から少し多めに食べる。8時前からアップを始めるが昨
日までとは、打って変わり、ものすごく寒い。足は相変わらず痛い。でもここまでき
ては走るしかない。昨日のマッサージも効き目が無かったようだ。8時20分、集合場
所に行って、点呼を受ける。背中と胸のゼッケンを確認してパンツに計測用のカード
をはる。スタートまではここで待っていなければならない。各自準備運動をしながら
体を冷やさないようにして待つ。なぜか、緊張してこない。スタート5分ぐらい前に
用意するように支持がある。ランニングとパンツになって配られた毛布を頭からかぶ
る。係員の誘導で小雨の中を第3コーナーのスタート地点に向かう。セパレートコー
スで伴走者が内側を走る。左回りにトラックを半周する。スタート地点に立つとすぐ
に「よーおい、ドン。」 カーブで外に膨らむがあっというまにカーブを出て直線に
入る、ここでも少し右に進むがそれを修正して走る。雨でトラックに水が浮いて、フ
アフアする感じがする。足の痛みを感じる暇も無くゴールした。Tさんにお礼を言っ
て一緒に走った人と手を取り合ってお互いの健闘をたたえあう。しばらくしても、
走ったという実感がわいてこない。服を受け取って表彰式を待つ。 同じ障害で3人
しか出場していないのでみんな表彰台である。ちなみに私は銅メダル、一番遅かった
わけです。テントに帰ってしばらく休憩をして5000mの受付に行く、今度は19人の選
手が一斉にスタートする。さっきの受付と同じようにゼッケンのチェックを受けて各
自準備運動をして体を冷やさないようにする。5000mは、監督者から時計を持っては
いけないと言われ、そして伴走者が、1周ごとのラップを選手に教えることも駄目だ
という。伴走者は、カーブの入り口と出口しか声で選手に伝えてはいけないという。
前の選手との距離、そして追い越す時に右側に出るのも伝えてはだめだ。19人の選手
の中には伴走者がいらなくて一人で走る人が多いのに伴走者と走る人は相当不利にな
る。選手が多いので2箇所から同時にスタートする。何周したか判らなくなるので頭
は、1周目、右手は、2周目、左手は、3周目というように体に置き換えて時分で周回
を確認しながら走る。オープンコースなので一番内側を走っているはずなのに、なぜ
か内側を追い越して行く。私はどこを走っているのだろうか。ただ、一生懸命走るだ
けで1周のラップが何秒かかっているのか、自分が何番目を走っているのかは、一切
判らない。5000mはトラックを12周と半分するのだが、他の人の情報は全然知る由も
無い。最後の1周で鐘が鳴るのだが、その鐘が自分のために鳴っているかどうか、判
らない。自分で何周したか、数えていたが終わりころにはそれも判らなくなってし
まった。メールで全国の友達にゼッケン番号を伝えていたのでスタンドのあちこちか
ら名前を呼んで応援してくれたのが、とても励みになった。5000mも銅メダルであ
る。
午後3時頃から体育館で閉会式がかつらの宮殿下を迎えて行われる。国旗、大会
旗、静岡県旗のこうのう、きょ火などが大型スクリーンに映し出されている。閉会式
も無事に終了してアトラクションに入った。先に全員に配られたペンライトに点灯し
て振る。1万ぐらいのライトは、さぞかし、美しかったことでしょう。外に出てみる
と名残の大雨が降っていた。
11日午前中に、浜松市内の祭り館と、楽器館を観光し、その後、楽器館のロビーで
解団式が行われた。浜松駅よりこだまで名古屋駅まで行き、そこからのぞみに乗り換
えて広島に帰る。
5泊6日の「わかフジ大会」のたびでした。
5 初めての海外旅行 『イタリア紀行』
広島市 Aさん
ツアーは5月の予定が、イラク戦争やら、サーズの影響で10月にずれ込んだ。
私達夫婦は初めての海外旅行先にイタリアを選んだ。
ツアーのスケジュールにベネ
チアがあり、ゴンドラに歌手が同乗しての遊覧が楽しめる事になっていたからです。
関西空港を10月19日午前10時離陸。約12時間の空の旅の始まりです。すべ
てが初体験でしたが、手際のいい添乗員のおかげでスムーズに出国出来そうでした。
しかし、金属探知機にベルトの金具が反応しボディーチェックを受けるはめになりま
した。何事も勉強と気分は挑戦者。見えないという事は怖いもの知らず。
最初の目的地はローマですがウィーン乗り継ぎです。ウィーンまでの長い事長い
事、機内食を3食、合間にミネラルウォーター・ジュース・コーヒー・紅茶と飲み物
は出るもの出るもの何でも呑んだ。でも、なかなかなかなか着かない。。先が思いや
られる。
やっとウィーン空港に着いた。飛行機を降りるとドイツ語が飛び交い、銃を持った
兵士か警察が警備していて一瞬ピンと張り詰めた空気。外国に来たという緊張感がは
しった。ウィーンからローマまでは約2時間余り。機内で隣に座ったイタリアの青年
が「ハーイ」と言った挨拶をきっかけにローマへ着くまで話が話を呼んで、アッとい
う間の2時間でした。私が期待していた旅の楽しみの一つを早速体験できた。
ローマに10月19日現地時間7.30PM到着。ホテルへ直行。ローマでは2000年前にタイ
ムスリップし遺跡を巡り、当時に思いをはせた。夕方から自由行動となり二人でトレ
ビの泉の近くを散策、パルテノン神殿へ回り通りを歩いてイタリアの雰囲気を体全体
で感じた。さて、ホテルへ戻らなければならない時間になり、私達夫婦はタクシー乗
り場を捜しましたが見つかりません。この辺りではどこでもタクシーを拾う事は出来
ないのです。これは助けてもらうしかないとカバン屋に飛び込みどこにあるかを尋ね
た。店員のおにいさんは私についてきなさいと3〜400m.離れたタクシーストップまで
案内してくれました。何と親切な事でしょう。またまた地元の人と触れ合う事が出来
いっぺんにイタリアが好きになりました。こうして無事ホテルへ戻り着いたのでし
た。ホテルの部屋は照明が壁の灯りとスタンドでとられ電球が使われ暖かい感じ。
ヨーロッパの雰囲気。コンセントは差し込み口が違っていて日本から持ってきた充電
器は直接差し込めません。トイレは便器の横にもう一つ便器の形をしたものがありま
した。何だと思われますか。日本人の旅行者はここで西瓜を冷やして食べたとか・・
・。これぞイタリア式のウォッシュレットです。壁側に水道栓が二つありお湯と水が
出ます。こうして手でお尻を洗うのだそうです。私も試してみました。お湯と水が
別々に出て冷たいような熱いような。でも水量は多くてよかった。ここでカード式の
ドアロックで失敗。室内に置いたまま出かけたのです。フロントで苦労の末新しい
カードをもらえた。添乗員に頼む道もあったのですが、あえて挑戦してみたのでし
た。ローマは連泊ですが2泊目戻ってみるとベッドメイキングがされてなく、朝出か
けた時のままになっていた。この事を後で添乗員に話したところすぐに言って欲し
かったとの事。おとなしい日本人の一面が出たのでしょうか。只、二人分のチップ
2ユーロもそのままでした。ちょっと儲かったかな。ローマを後にフィレンツェ、ベ
ネチア、ミラノと旅は続きます。それぞれ約300km.程の距離にあります。バスでの移
動になりました。車窓からはブドウ畑、葉タバコの畑、農家の茶色の屋根とイタリア
らしい風景だった。日本の風景はとなると和風の家やら洋風の家やらここは一体全体
どこの国なのかなぁと迷いそう。ナポレオンが造った水道橋もくぐった。熟した柿の
実の色を見た瞬間、しばし日本にいるような変な気持になった。そういえばホテルの
朝食で西城柿を食べた事を思い出した。その時、どうしてあるのか不思議な感じがし
たものだった。
フィレンツェは古い都市でドウオもや多くの美術館、城と城壁。近くにはピサの斜
塔、ロミオとジュリエットの話の舞台となった場所もあります。石畳造りの橋の上に
は商店がありお祭りのような賑わいでした。中世そのままです。街を歩く女性の
ファッションを見ては『センスがいいわねぇ、色が白くて顔が小さくて、黒の革の
コートがいいしうしろで一つにまとめたヘヤースタイルも素敵。』通りの商店の建物
やショーウィンドーのディスプレイを覗いては『素敵』と女性にはたまらないようで
した。フィレンツェは革製品で有名だそうです。革製品を買うならここで。特に2月
はバーゲンセールでお安く買えます。また、観光客も少なく列に並ばなくても入れ、
ゆっくりと美術館や名所旧跡を見る事が出来るとの事。
ここでイタリア食について話さない訳にはいかないでしょう。毎昼・夕食はパスタ
です。ひらぺったいものやねじったもの、いろんな形のマカロニ、それにスパゲティ
です。飲み物はミネラルウォーターかワイン。もちろん欠かさずワインでした。それ
も500cc出てくるのです。ワイン漬けになっていましたよ。ミネラルウォーターの値
段は500ccが空港では2ユーロ30セント、バスの中では1ユーロ、町のスーパーでは2
リットルで50セントでした。移動中やホテルでよく飲みました。さて、料理はいつも
前菜・メインディシュ・デザートの順ででてきます。前菜がパスタです。メインは肉
か魚料理。デザートはアイスクリーム。旅行中一度も日本食を想い出すことは有りま
せんでした。そういうわけでいかに口にあっていたか、いかにおいしかったかおわか
りでしょう。今でもオリーブオイルの香りは私をイタリアへ連れて行ってくれます。
ベネチアではお目当てのゴンドラが待っていました。夕方到着。ディナーの後、6
漕に分乗しその内の1漕に歌手とアコーディオン奏者が乗り夜の運河へ漕ぎ出した。
サンレモ音楽祭に出た事のあり、名古屋へも来た事があるという人手歌の合間に『パ
チンコ、パチンコ』や『みゆき、みゆき(女性の名前)』と歌い素晴らしい歌声とも
てなしの心におおいに盛り上がり皆大きな声でイタリア民謡やカンツォーネを歌い上
げました。ゴンドラを降りる時、歌手と抱き合い頬ずりを交わした。その時の痛さも
懐かしい想いでです。亀のこたわしの様なひげが頬を撫ぜたのです。街灯や建物の灯
火がぼんやりとベネチアの町並みを浮かびあがらせていました。
翌日は大雨になった。ベネチアは干満の差によって海水が上がってくる事がある。
そのためサンマルコ広場には1m.程の高さの桟橋のような歩道が設置されていて海水
が上がっても通行可能なようになっています。ところがこの日はちょうど大潮にあた
り、土産店にいた私達は土産品店とサンマルコ広場との通路が海水に沈み孤立してし
まった。そこで私達はスーパーの袋を履き通る事にした。観光客にはジロジロ見られ
たり笑われたり。でも、良い考えだったでしょう。さもないと海水が引くまで足止め
に遭うところでした。
ミラノは経済の中心地で古いものと新しいものとが存在する活気に溢れた都市でし
た。ミラノ コレクションで有名な一流ブランドのある通りも歩いたし、古い城跡や
オペラ劇場『スカラ座』の前にも立ってみた。一度は是非とも中に入りイタリアオペ
ラを聞きたいものです。ちょうど滞在日は公務員のストライキと重なり地下鉄や学校
が休みになっていた。市内の移動の途中、高校生のデモ隊に出くわし道幅いっぱいに
なって行進し、バスはその後をゆっくりついていきしばし見物。どうも授業料の値上
げ反対運動の様でした。とんだハプニング。視覚障害者の立場からイタリアを見てみ
た。白杖で歩く人を見かけるかなぁと思っていましたがそれはなかった様です。しか
し白杖は日本にいるのと同じで、凄い威力を発揮し、行くとこ行くとこ皆よけてくれ
た。点字ブロックも無かったようです。また、物乞いをする人を通りで見かけました
が白杖を見ると近づいて来ないんです。どうしてだろう。子供を使った物乞いはスリ
の手口の一つだそうです。ご用心。イタリアはスリの学校があるくらいで卒業試験と
して観光地での実技があるそうでテクニックが試されるそうです。私も初めての海外
旅行という事で、事前に事件・事故に遭わないための注意事項の説明を聞き、緊張も
しました。パスポート、カード、トラベラーズチェックは首から下げた袋に入れ、ユ
ウロに交換する時は引っ張り出したり納めたり。まるで田舎者の東京見物みたいに見
えたことでしょう。リュックサックを前後ろ逆に担いでいる人も見かけました。幸い
なことに事件、事故に遭う事もなく8日間の旅の終わりが近づいて来ました。
ミラノのホテルを朝5時に出発。帰りもウィーン経由です。おまけとして乗り継ぎ
の時間を使ってウィーン市内をバスの車窓から見物。ウィーンは今年初めての積雪で
薄化粧をしていました。ここで初めて昼食に日本食を食べました。店内にはさすが音
楽の都、多くの色紙が壁に飾ってあり、音楽家のほか、読めた中に小沢征爾、トル
シェ監督、大町洋一郎さんなど、他にも芸能人も多かった。
10月25日現地時間3時PMウィーン空港を離陸。関西空港へ向かう帰りの便では視覚
障害を考慮して、エコノミーの一番前でトイレに近い席で足をしっかり伸ばす事が出
来ました。また、日本人のフライとアテンダンツから緊急時の対応や座席周りのボタ
ン類の使用方法の説明も受けました。空がしらけ朝鮮半島が見え、ついで日本海上空
へ。再び陸地が現れ関西空港10月26日8時、無事着陸。行き帰りの長いしんどい飛行
時間にもかかわらづ、それにもましてイタリアは素晴らしく、また訪れたい国になっ
た。
初めての海外旅行でした。
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