巻頭言


   「周りの人への感謝」 〜未来に向かって〜
    呉市  森山 光太
会員の皆様こんにちは。 今回、ユース・ミドル担当役員を拝命しました、呉市の森山です。
私事になりますが、JRPS広島に出会う前から、出会った後のことについてお話ししたいと思います。
私が、目の異変に気づいたのは、思い返してみると14歳の時でした。
当時習っていた空手の帰りに、前から来る男性に気づかずにぶつかったり、秋の祭りの時にドブに落ちかけるという事が始まりでした。当時は、視野もあり夜に出かける機会が少なかった為、気にも止めず不自由なく生活していました。
次に眼科受診のきっかけになったのは、19歳の時でした。高校の友達と遊んでいた時に星が見えなかった事がきっかけでした。20歳になる前に行っておこうと思い、何気なく受診しましたが、大きい病院に行ってくださいと言われ、母親と一緒に検査に行って診断されました。
診断された日の夜は落ち込みましたが、足元が見えなかっただけだった為、不自由なく生活していた所、25歳の時に異動となり、同僚の人に「いろんな所にぶつかりすぎ」と言われた事で定期受診していた病院で伝えた所、身体障害者手帳の申請について説明され、落ち込みました。
当時通っていた看護学校の先生にも伝えると、色々考えてくださいましたが、私の目の状況を説明できずに、理解してもらえない所もありました。
そこで、眼科の先生に相談した時に紹介されたのが、JRPS広島でした。
会長とお話しさせて頂き、その時の不安が軽減しました。
入会後、JRPSユース部会と出会い、同じ病気の同年代の方との交流をした事で先行きへの不安や焦りがなくなり、話していくうちに前向きな考えになる事ができました。
通学していた看護学校は中退してしまいましたが、現在は、広島中央特別支援学校であん摩マッサージ指圧師・鍼師・灸師になるべく、勉学・実習に励んでおります。
先日、友達と宅飲みをした際、「目の事があるから」とマイナス発言をした時に友達から「甘えとる」と言われました。「今は、法律も整備されていて働きやすくなっているのだから、障害があるから出来ないは通用しない。」という事でした。
その時に、障害を理由に出来ないと決めつけていたのは、自分だなと反省しました。
今後は、どうしたら出来るのかを考えながら、ユース・ミドル担当役員として、同年代の会員の方や非会員の当事者の方やご家族の方との交流の機会を増やして、楽しい時間を過ごして頂ける催しものをしたいと考えております。
私が、こちらの会に救われたように少しでも多くの方の救いになれる存在になれるよう精進して参ります。
皆様、よろしくお願い致します。


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