巻頭言


  開業して16年 まだまだ頑張ります!
      庄原市  森信 正彦

私は、小学校の低学年から近視があり、眼鏡をかけていました。中学生になり、近視が進んで眼鏡をはずすと周りがぼんやり見える程度だった頃に、クラスメイトがふざけて私の眼鏡を取ったことや、運動するときに眼鏡がずれて困ったことを覚えています。
高校時代には、原付バイクの免許を取得して新聞配達をしたり、市外のクラスメイトの家によく遊びに行っていました。
社会人になり、自動車の免許を取得して地元の水道工事会社に就職しました。その頃は実業団のソフトボールチームに誘われて、キャッチャーをしていました。
運動神経が良いのか、ボールが遅いかは何とも言えませんが、ボールを後ろへそらすことはありませんでした。
そんな生活をしていましたが、5年ごとの免許更新の度に、視力が落ちていくことは気になっていました。
そのうち、右の目で電信柱を見たら曲がって見えだしたので、眼科に行くと、「強度近視のため眼球が後ろに伸びて網膜が薄くなり、画像が映らなくなる」と言われました。
先生の「あんたは眼が見えんようになる」との言葉は心に突き刺さりました。
40才をすぎたころ、右の目があまり見えなくなり、左の目も段々見にくくなったので、このままではいけないと思い、 思い切って会社を辞め、按摩鍼きゅう師の資格を目指して、三原市にあった広島聖光学園に入学しました。
初めの頃は、慣れない寮生活と、聞き慣れない医学用語で苦労しました。2年生の時に、岡山障害者国体に砲丸投げと200メートル走で出場しました。
 成績はいまいちでしたが、他の障がいの人と交流が出来てよかったです。
按摩鍼きゅう師の資格も取れましたので、卒業後は地元で開業しました。
現在は視野欠損が進んで、右目は中心と上下が見えなくなり左右の視野が残っています。
良い左目は中心が見えなくなって、右目を追いかけるように暗転が広がっています
。視力は手動弁と0.02ですが、顔を近づけて何とか文字が見える現在の状況が、長く続くことを願っています。
数年前に地元の先輩の人にJRPSを紹介してもらいました。たまに見えにくい仲間の人たちと一緒に飲むビールはうまいです。
開業して16年、高齢の方の来院が多いですが、世間話を楽しみながら頑張っています。
最近は仕事はほどほどにして行事などにも参加していますので、みなさんどうぞよろしくお願いします。


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